佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 新国立劇場オペラ オテロ 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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新国立劇場オペラ ヴェルディ作曲 オテロ


【指 揮】ジャン・レイサム=ケーニック
【演 出】マリオ・マルトーネ 【美 術】マルゲリータ・パッリ
【オテロ】ヴァルテル・フラッカーロ 【デズデーモナ】マリーナ・ポプラフスカヤ(降板)→マリア・ルイジア・ボルシ
【イアーゴ】ミカエル・ババジャニアン 【ロドヴィーコ】松位 浩
【カッシオ】小原啓楼 【エミーリア】清水華澄
【合 唱】新国立劇場合唱団 【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

「理想のオテロ4幕がここにあった」
 オテロはいろいろと見てきた。1990年ごろにロンドンでカルロスクライバー、ドミンゴ、キリテカナワというキャストで見たし、2003年のミラノスカラ座の来日公演のフォービスのオテロには圧倒され2回見た。これが僕の「オテロ」の最上経験だった。他にも例えば、メトロポリタンオペラや、昨年の6月にはパリでパリオペラ座の公演など、山ほど見てきたのだが、観るたびにこのオペラは難しいのだなあと思うのだ。歌唱も難関だがただ唄えばいいものではなく、求められる役作りと演技がとても難しいのだ。
 新国立劇場のプロダクションは50トンの水を使ったベネチアを再現したものとして美しいのだが、何かベニスの裏の庶民的なところで起きる感じだ。サンマルコ広場で起こる物語にした方がいいのではと思ってしまう。
 せっかく水を張っているのにその効果もあまり出ていない。美しいけれど効果的でないというのが感想。しかし、このプロダクションを前に見たときは、この美術の美しさの方が印象に残っていて歌唱や演奏についてはソコソコみたいな印象だったんではないか?
 今回の主役は音楽だ。素晴らしかった。特に今日の東京フィルの演奏は驚愕ものだった。音がなり始めたとたんに「何じゃこりゃ〜」と。それは、まさにムーティ/ミラノスカラ座の来日公演の時に聞いたときと相通じるシェイクスピアの悲劇が始まる激しさがあった。オケは縦もあってるし、セクションのピッチも素晴らしく、何よりもうねるうねる。ヴェルディサウンドがまさしくあったのだ。今日のオペラの公演は東フィルが引っ張ったといってもいい。
 また、演出の話になるが、オテロの登場を客席を歩かして舞台に上げたのは如何なものか?オテロの英雄感とか神聖は消え去り庶民性が増してしまう。そして、1幕ではフラッカーロの歌唱もそこそこであった。マリオデルモナコや全盛期のパバロッティのようなトランペットの音と比較したくなるような声はそこにはなかったからだ。しかし、イヤーゴのババジャニアンは冷徹な役作りで演技も歌も素晴らしい。天国などマヤかしだと言い切るところで観客の心をつかんだはずだ。デズデモーナのボルシは代役で登場であるがオテロがイマイチだったのに対し安定した歌唱を聴かせてくれた。
 1幕はオケは最高だったけれども歌唱は及第点という感じだったのが、終幕が近づくにつれてどんどん良くなっていく。2幕でのオテロとイヤーゴの掛け合いあたりからオテロにも火がつく、3幕のオテロとデズデモーナのやり取り、4幕の柳の歌のピアニシモ。オテロの死に至るまでの恐怖と狂気の葛藤にいたっては、世界最高峰のヴェルディオペラが初台に登場していたのだ。
 歌手では他には、エミーリアの清水香澄が素晴らしい。外国人歌手に負けない迫力と演技は特筆ものだ。(僕はブログで「チェネレントラ」でも素晴らしい歌唱を聴かせたと書いてる。もう名前覚えた。注目歌手だ!
 新国立劇場の課題としては、これは世界のオペラハウスに(それが一流であっても)共通するのだが、合唱や脇役の演技が酷すぎる事だ。分かりやすい例を挙げると、オテロが登場して軍人や市民が拳をあげて歓迎する。しかし、拳をあげ続けているだけ。形はあっても心がないのだ。前に声楽を勉強したのでもう一言だけ言わせてもらうと、腕を上にあげて英雄を迎える、手を振るなどをやっていると、あの場面でのフォルテの歌唱をするのに肉体がヘンテコになって発声しにくいはず。だから形だけになってしまうのだ。それなら、拳を上げ続ける愚かな悪目立ちはしないほうがいいのだが、やってしまうものなのだ。
 場面転換で一気に50人以上が舞台に入ってきたり出て行くときも、全員が位置につくまで芝居してないし、で、今度は退場の時には、動き始めたら芝居をやめてしまう。そういう段取りなので動いているだけ!これは、全くダメ。演技をするときには、きちんと動機がなければダメ。もう少しそこいら辺を丁寧にやらないと。
音楽は続いているわけで、目障りといったらない。
 まあ、夢物語だけれども、僕がオペラの演出に携わる事ができたら、そこいら辺を徹底的にやりたい。一度分かってしまえば、いろんなオペラで応用できる。
 要は小劇場の俳優でもちょっとまともな者ならできる演技の基本中の基本を合唱団は分かっていないのだ。
  一方で、今日は主役3人と清水は歌と演技が一体化し見事なのだが、それ以外は段取りの動きに歌がついているという感じになってしまう。ここをもっと丁寧に作り上げると劇的効果は圧倒的になるだろう。
 もう一度申し上げるが、この「オテロ」の上演は世界最高峰のものである。特に東フィルのオケが特筆もの。歌手たちも初日を終え、千秋楽に向かってもっと良くなるだろう。観客はヴェルディとシェイクスピアの悲劇に熱狂するだろう。この「オテロ」は絶対いい買い物だ。2012年4月1日@新国立劇場オペラパレス
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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