自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
ブラームスの交響曲3番がコンサートのプログラムに入ることはとても少ない。
外来オケのコンサートでも、ブラームスときたら1番交響曲ばかりで、時たま4番が入ってるくらい。
2番や3番の交響曲が演奏されるのは、交響曲全曲演奏会というときでないと聞くことができない。
その理由は分からない。
6年前の2013年9月にブロムシュテットがN響と取り上げたときも同様で、その時は2番と3番を一晩でやった。
1番や4番には客が相当入っていたが、その日は本当に空席が多くてびっくりしたほどだ。
滅多に生で聞けない2番や3番の交響曲。それもブロムシュテットなのに、なんでだろうと思った。
僕にとって3番交響曲は初めての交響曲だ。自分でチケットを買って初めて出かけた外国のオーケストラの来日公演。いや、僕の親はクラシックのコンサートに行く人ではなかったから、ほとんど初のコンサートでもあった。
それは、小澤征爾のボストン交響楽団との初来日。1978年3月。場所はもうコンサートでは使われない普門館。
1階席の一番後ろを梶本音楽事務所が学生席として2000円という当時としても破格値で出してくれて聞けたのだ。
その日の夜の演奏会は、ブラームスプロで、ピアノ協奏曲の1番をルドルフゼルキンの独奏。そして、3番交響曲だった。
テレビ「オーケストラがやってきた」で見る小澤征爾を生で見るということ、ちゃんと一音逃さず聴きたいと、荻窪の駅前にあった月光社という中古レコード屋で、ゼルキンのレコードを聴いて何回も聴いて予習して出かけた。
でも予想ははるかに越えた。
まだ10代だった僕はオーケストラの美しい音に本当にびっくりしてしまって、会場から全てのお客さんがいなくなった後も帰れなかった。不思議なのは誰も怒らなかった。もう私服に着替えた団員の人がステージに戻ってきて放心している僕を見つけて何か声をかけた。英語だから分からない。知ってる単語を並べて、僕は何か言ったと思う。そしたら、すごくにっこりされたのを覚えている。
その日のブラームスの交響曲3番は、僕にコンサート通いをさせるきっかけを作ってくれたのだ。コンサートホールに身を埋めるとこんな経験ができるのだと。プログラムにサインをもらって僕は帰った。3楽章のメロディーを口づさんだ。
あれから、何年経ってもあのブラームスの交響曲3番の演奏であんな感動に出合うことはなかった。6年前のブロムシュテットの演奏や、北ドイツ交響楽団と来日し、ブラームス チクルスをやったホルストシュタインでも、何回かのサバリッシュでもなかった。
今日の演奏会は当初、前半のピアニストはピーターゼルキンが予定されたものだった。ルドルフの息子。キャンセルされたけれど。そこに並んだ3番交響曲のプログラムを見て、僕は自分の若い頃のあの演奏会を思い出したことは言うまでもない。
今日も満席だったというわけではない。空席もあり、当日券もまだまだあった。
3番交響曲が始まった途端、僕はあの若い日の演奏をすごく思い出した。なぜだかは分からない。
NHK交響楽団の技術力や表現力はもう世界のトップクラスだし、緻密なアンサンブルとドイツ的な音としなやかな表現力は立派なオケの個性にもなっている。でも、そういう表現では説明できない。会場中の集中力が高まっていくのも感じだ。
僕は聴きながら、団員の人が一音一音慈しみながら演奏していることが伝わってきた。92歳のブロムシュテットと、もう一度、この3番交響曲を演奏する機会は果たしてくるのだろうか?いやブロムシュテットとの3番交響曲はこれが最後かもしれないという思いがどこかにあったに違いない。この素晴らしい演奏と出会っている今、でもそれは同時に別れでもあるのだ。
1楽章が終わった後、たっぷりのパウゼはあったが、残りは続けて演奏された。最後の一音が消えた後の長い沈黙は消えゆく音を会場中が慈しんだ証拠である。3楽章からなぜか泣けてしまった。
1980年代から始まったブロムシュテットとN響の演奏の積み重ね。昭和、平成、令和と繋いでくれた。当初の頃は、サバリッシュ、シュタイン、スイットナーらドイツ音楽の重鎮がN響にいたためか、正直ブロムシュテットの存在は薄かったように思う。
大抵の老境に達した大指揮者が重厚さと低い重心の音作りをするのに、この翁はいまだに若々しく前を向いている。決してそれまでの繰り返しではない。積み重ねはあるけれど、毎回が新しい。そして、むしろ軽やかで前向きだ。
それが、92歳のブロムシュテットの魅力である。僕がそれに気がついたのは決して昔ではない。旅先のオスロのシンフォニーホールで聞いたブロムシュテットと北欧のオケとのブラームス だった。2008年の5月のことだ。びっくりした。今から思うともう80代だったわけだ。
すごいことになってるぞと思った。僕が若い頃からコンサートホールで聴いてきた大指揮者、例えば、カラヤン、サバリッシュ、ショルティ、クーベリック、テンシュテット、チェリビタッケ、ヴァント、ジュリーニ、ヨッフム、クライバー。そうした大指揮者が全員鬼籍に入った後の、空白を埋めてくれた。
でも、そのブロムシュテットともお別れの時が確実に近づいている。心のこもった美しい演奏であったが、出会えた喜びと別れの哀しみが同時にあるそんな演奏会だった。先週から、ウィーンフィル、N響、インバルの都響、ジョナサンノットの東京交響楽団、そして、コンセルトヘボウ、ベルリンフィルとなんかすごいことになってる東京の演奏会だが、今週末もう一度ブロムシュテットの演奏会がある。
モーツアルト。ミサ曲とリンツのシンフォニー。1週間、きちんと準備をしていこうと思う。
しかし、本当に一生モノのブラームスの3番だった。
外来オケのコンサートでも、ブラームスときたら1番交響曲ばかりで、時たま4番が入ってるくらい。
2番や3番の交響曲が演奏されるのは、交響曲全曲演奏会というときでないと聞くことができない。
その理由は分からない。
6年前の2013年9月にブロムシュテットがN響と取り上げたときも同様で、その時は2番と3番を一晩でやった。
1番や4番には客が相当入っていたが、その日は本当に空席が多くてびっくりしたほどだ。
滅多に生で聞けない2番や3番の交響曲。それもブロムシュテットなのに、なんでだろうと思った。
僕にとって3番交響曲は初めての交響曲だ。自分でチケットを買って初めて出かけた外国のオーケストラの来日公演。いや、僕の親はクラシックのコンサートに行く人ではなかったから、ほとんど初のコンサートでもあった。
それは、小澤征爾のボストン交響楽団との初来日。1978年3月。場所はもうコンサートでは使われない普門館。
1階席の一番後ろを梶本音楽事務所が学生席として2000円という当時としても破格値で出してくれて聞けたのだ。
その日の夜の演奏会は、ブラームスプロで、ピアノ協奏曲の1番をルドルフゼルキンの独奏。そして、3番交響曲だった。
テレビ「オーケストラがやってきた」で見る小澤征爾を生で見るということ、ちゃんと一音逃さず聴きたいと、荻窪の駅前にあった月光社という中古レコード屋で、ゼルキンのレコードを聴いて何回も聴いて予習して出かけた。
でも予想ははるかに越えた。
まだ10代だった僕はオーケストラの美しい音に本当にびっくりしてしまって、会場から全てのお客さんがいなくなった後も帰れなかった。不思議なのは誰も怒らなかった。もう私服に着替えた団員の人がステージに戻ってきて放心している僕を見つけて何か声をかけた。英語だから分からない。知ってる単語を並べて、僕は何か言ったと思う。そしたら、すごくにっこりされたのを覚えている。
その日のブラームスの交響曲3番は、僕にコンサート通いをさせるきっかけを作ってくれたのだ。コンサートホールに身を埋めるとこんな経験ができるのだと。プログラムにサインをもらって僕は帰った。3楽章のメロディーを口づさんだ。
あれから、何年経ってもあのブラームスの交響曲3番の演奏であんな感動に出合うことはなかった。6年前のブロムシュテットの演奏や、北ドイツ交響楽団と来日し、ブラームス チクルスをやったホルストシュタインでも、何回かのサバリッシュでもなかった。
今日の演奏会は当初、前半のピアニストはピーターゼルキンが予定されたものだった。ルドルフの息子。キャンセルされたけれど。そこに並んだ3番交響曲のプログラムを見て、僕は自分の若い頃のあの演奏会を思い出したことは言うまでもない。
今日も満席だったというわけではない。空席もあり、当日券もまだまだあった。
3番交響曲が始まった途端、僕はあの若い日の演奏をすごく思い出した。なぜだかは分からない。
NHK交響楽団の技術力や表現力はもう世界のトップクラスだし、緻密なアンサンブルとドイツ的な音としなやかな表現力は立派なオケの個性にもなっている。でも、そういう表現では説明できない。会場中の集中力が高まっていくのも感じだ。
僕は聴きながら、団員の人が一音一音慈しみながら演奏していることが伝わってきた。92歳のブロムシュテットと、もう一度、この3番交響曲を演奏する機会は果たしてくるのだろうか?いやブロムシュテットとの3番交響曲はこれが最後かもしれないという思いがどこかにあったに違いない。この素晴らしい演奏と出会っている今、でもそれは同時に別れでもあるのだ。
1楽章が終わった後、たっぷりのパウゼはあったが、残りは続けて演奏された。最後の一音が消えた後の長い沈黙は消えゆく音を会場中が慈しんだ証拠である。3楽章からなぜか泣けてしまった。
1980年代から始まったブロムシュテットとN響の演奏の積み重ね。昭和、平成、令和と繋いでくれた。当初の頃は、サバリッシュ、シュタイン、スイットナーらドイツ音楽の重鎮がN響にいたためか、正直ブロムシュテットの存在は薄かったように思う。
大抵の老境に達した大指揮者が重厚さと低い重心の音作りをするのに、この翁はいまだに若々しく前を向いている。決してそれまでの繰り返しではない。積み重ねはあるけれど、毎回が新しい。そして、むしろ軽やかで前向きだ。
それが、92歳のブロムシュテットの魅力である。僕がそれに気がついたのは決して昔ではない。旅先のオスロのシンフォニーホールで聞いたブロムシュテットと北欧のオケとのブラームス だった。2008年の5月のことだ。びっくりした。今から思うともう80代だったわけだ。
すごいことになってるぞと思った。僕が若い頃からコンサートホールで聴いてきた大指揮者、例えば、カラヤン、サバリッシュ、ショルティ、クーベリック、テンシュテット、チェリビタッケ、ヴァント、ジュリーニ、ヨッフム、クライバー。そうした大指揮者が全員鬼籍に入った後の、空白を埋めてくれた。
でも、そのブロムシュテットともお別れの時が確実に近づいている。心のこもった美しい演奏であったが、出会えた喜びと別れの哀しみが同時にあるそんな演奏会だった。先週から、ウィーンフィル、N響、インバルの都響、ジョナサンノットの東京交響楽団、そして、コンセルトヘボウ、ベルリンフィルとなんかすごいことになってる東京の演奏会だが、今週末もう一度ブロムシュテットの演奏会がある。
モーツアルト。ミサ曲とリンツのシンフォニー。1週間、きちんと準備をしていこうと思う。
しかし、本当に一生モノのブラームスの3番だった。
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
HP:
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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