自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
監督 ケビンリス
脚本 ビルケリー
出演 エイミーアダムス スーザンサランドン ジェームズマースデン
完全なドラッグムービーなのであります。むかし、お気に入りだった1951年制作の「不思議の国のアリス」は公開当時、マリファナなどを吸った若者がケラケラ笑いながら見たという。確かに、美術も登場人物もとんでいる!?ディズニーのアニメーターたちの中には、そういった派閥?みたいなのがあって、非現実的なものを描きたがるらしいです。他にも「ダンボ」の中の桃色の象のシーンがそうだとか。ディズニー亡き後のディズニーアニメは健全でそういった狂ったようなシーンはほとんどありません。「アラジン」「ライオンキング」「美女と野獣」などなど。しかし、これは、ディズニー作品のセルフパロディだし、子ども向けというよりは、ひねくれた大人向けの一大爆笑作品なのであります。
設えはディズニーらしいもので、ニューヨークの父と幼い娘と、お伽の国からやってきた可笑しげな人たちの話なんですけど、例えば「シンデレラ」などであるねずみや馬が歌を歌うと掃除をしてくれるシーン。有名な「WORKSONG」ってのがあるんですけど、それを実写でやってしまうわけです。糞だらけの街の鳩や、ドブネズミ、ゴキブリなどが掃除をがんがんしてくれる。実写で。
急に唄いだすヒロイン、王子。ニューヨークですから邪魔です。唄いだすと急に現れた多くの自転車にひかれてしまう。ミュージカルをやりながら、ミュージカルをおちょくるセンス。
このジゼルというヒロインを登場させたのがニューヨークってのが上手い。ニューヨークならどっかトチ狂って、頭がどこかに行ってしまった人がいないわけでもありません。アーチスト系の人なんかそうでしょう。ウォーホールとか、ウディアレンとか見ただけで行っちゃった人だもんね。ニューヨークならありです。
このジゼルがお伽の国で着ていた豪華なドレス、お城はどことブロードウェイを歩き、ラブホテルの城の作りをお城だと思ってしまう。いやはや、大笑いです。
おとぎ話の部分は、結局、王子である息子を手放したくない母=魔女が、息子の恋路の邪魔をするという話なんですけど、結局男が馬鹿だとか、自立していないとか、現代の話も上手く入れています。呆れ返るほどに過去の名作をパロディにしたことを相当スゴいなあと思います。
彼らが、そのままディズニーランドのキャラクターになったら、結構可笑しいかも。
スーザンサランドンの怪演は必見です。音楽のメロディラインもパロディになってます。
公式ホームページ http://www.disney.co.jp/movies/mahokake/html/index.html
脚本 ビルケリー
出演 エイミーアダムス スーザンサランドン ジェームズマースデン
完全なドラッグムービーなのであります。むかし、お気に入りだった1951年制作の「不思議の国のアリス」は公開当時、マリファナなどを吸った若者がケラケラ笑いながら見たという。確かに、美術も登場人物もとんでいる!?ディズニーのアニメーターたちの中には、そういった派閥?みたいなのがあって、非現実的なものを描きたがるらしいです。他にも「ダンボ」の中の桃色の象のシーンがそうだとか。ディズニー亡き後のディズニーアニメは健全でそういった狂ったようなシーンはほとんどありません。「アラジン」「ライオンキング」「美女と野獣」などなど。しかし、これは、ディズニー作品のセルフパロディだし、子ども向けというよりは、ひねくれた大人向けの一大爆笑作品なのであります。
設えはディズニーらしいもので、ニューヨークの父と幼い娘と、お伽の国からやってきた可笑しげな人たちの話なんですけど、例えば「シンデレラ」などであるねずみや馬が歌を歌うと掃除をしてくれるシーン。有名な「WORKSONG」ってのがあるんですけど、それを実写でやってしまうわけです。糞だらけの街の鳩や、ドブネズミ、ゴキブリなどが掃除をがんがんしてくれる。実写で。
急に唄いだすヒロイン、王子。ニューヨークですから邪魔です。唄いだすと急に現れた多くの自転車にひかれてしまう。ミュージカルをやりながら、ミュージカルをおちょくるセンス。
このジゼルというヒロインを登場させたのがニューヨークってのが上手い。ニューヨークならどっかトチ狂って、頭がどこかに行ってしまった人がいないわけでもありません。アーチスト系の人なんかそうでしょう。ウォーホールとか、ウディアレンとか見ただけで行っちゃった人だもんね。ニューヨークならありです。
このジゼルがお伽の国で着ていた豪華なドレス、お城はどことブロードウェイを歩き、ラブホテルの城の作りをお城だと思ってしまう。いやはや、大笑いです。
おとぎ話の部分は、結局、王子である息子を手放したくない母=魔女が、息子の恋路の邪魔をするという話なんですけど、結局男が馬鹿だとか、自立していないとか、現代の話も上手く入れています。呆れ返るほどに過去の名作をパロディにしたことを相当スゴいなあと思います。
彼らが、そのままディズニーランドのキャラクターになったら、結構可笑しいかも。
スーザンサランドンの怪演は必見です。音楽のメロディラインもパロディになってます。
公式ホームページ http://www.disney.co.jp/movies/mahokake/html/index.html
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作演出 中島新
出演 外波山文明 井上カオリ ほか
注目を集めるファインベリーの中島新の作演出。公演期間中に観ることができないので、ゲネプロを見せてもらった。しかし、それも大幅に遅刻しているので(外波さん、ごめん!)あまりきちんとした感想を述べることはできない。しかし、面白かった。これは、中島版スゥイニートッドだ。話のスピード感がある。出てくるキャラクターも上手く描き分けられている。演出もしっかりしているので、見ていて飽きない90分だ。ストーリーはある集団の秘密が暴かれ崩壊していくといったもの。その秘密の暴かれ方が、例えば暗示や隠喩といった方法をあまり使わない。どんどん説明台詞を使っていく。自分たちの過去はこうだった。あの人は昔こうだった。これからこういうことをしようと思っている。そういう情報が台詞として与えられるので、ぶれがない。下手をすると陳腐になってしまう手法なのであるが、その出し方が絶妙に美味い。観客が迷い始めるころ、その情報をほしがるタイミングで、カードを一枚づつ見せてくれるのだ。予備校で、うまい講師が解答解説をしている様だ。
主な話は舞台上で行われない。裏や外で起きている。観客は起きたことの破片だけを観ることができる。そして、前述のような種明かし情報。観客はそれを想像させられるのだ。上手い。
役者の見事な演技が重なった。このような形式なので、役者は再び舞台に戻ってくる時に、裏で何が起きたのかをきちんと背負って出て来なくてはならない。そして、舞台から消える時に、見えないところで起こす動機をもって去らなくてはならない。それをキチンとやっていた。
先ずはファインベリーの佐久間淳也が初見だが、所属劇団の主宰の作品ということはあるものの、とても面白い。この作品のもうひとつの魅力は、異臭漂う歪んだ空間での物語の空気感を美味く出し、その空気感をクライマックスにどれだけ濃くしていけるかということなのだが、佐久間の存在は大きく貢献した。そして、長嶺と岡村の絶妙なコンビ。この3人を見て、ああ、これ、スゥイニートッドだ!と思ったわけ。
椿組で普段、良い役をやる人が、狂気の集団に属している。このキャスティングも妙。
外波山文明がまるでイエスの方舟のおやじさんのようなキャラを普通に演じきっている。
田淵、木下は不気味だが常識人。淡々と演じる。また、李と和泉も見せ場をきちんと抑えていて品のいい演技だった。宮本翔太と鳥越勇作はキレと緊張感の濃度を上手く調整して今までで一番良いかも。井上カオリはインテリな役柄を上手く演じ、巻き込まれて気持ちが変化の表現も良かった。というように、個々の役者が安定感をもって演じる。椿組を観ると劇団のアンサンブル芝居の良さを感じることができるのだ。また、音と照明の使い方も見事なので、是非とも注意してみてもらいたい。
2008年4月3日(ゲネプロ)
雑遊
出演 外波山文明 井上カオリ ほか
注目を集めるファインベリーの中島新の作演出。公演期間中に観ることができないので、ゲネプロを見せてもらった。しかし、それも大幅に遅刻しているので(外波さん、ごめん!)あまりきちんとした感想を述べることはできない。しかし、面白かった。これは、中島版スゥイニートッドだ。話のスピード感がある。出てくるキャラクターも上手く描き分けられている。演出もしっかりしているので、見ていて飽きない90分だ。ストーリーはある集団の秘密が暴かれ崩壊していくといったもの。その秘密の暴かれ方が、例えば暗示や隠喩といった方法をあまり使わない。どんどん説明台詞を使っていく。自分たちの過去はこうだった。あの人は昔こうだった。これからこういうことをしようと思っている。そういう情報が台詞として与えられるので、ぶれがない。下手をすると陳腐になってしまう手法なのであるが、その出し方が絶妙に美味い。観客が迷い始めるころ、その情報をほしがるタイミングで、カードを一枚づつ見せてくれるのだ。予備校で、うまい講師が解答解説をしている様だ。
主な話は舞台上で行われない。裏や外で起きている。観客は起きたことの破片だけを観ることができる。そして、前述のような種明かし情報。観客はそれを想像させられるのだ。上手い。
役者の見事な演技が重なった。このような形式なので、役者は再び舞台に戻ってくる時に、裏で何が起きたのかをきちんと背負って出て来なくてはならない。そして、舞台から消える時に、見えないところで起こす動機をもって去らなくてはならない。それをキチンとやっていた。
先ずはファインベリーの佐久間淳也が初見だが、所属劇団の主宰の作品ということはあるものの、とても面白い。この作品のもうひとつの魅力は、異臭漂う歪んだ空間での物語の空気感を美味く出し、その空気感をクライマックスにどれだけ濃くしていけるかということなのだが、佐久間の存在は大きく貢献した。そして、長嶺と岡村の絶妙なコンビ。この3人を見て、ああ、これ、スゥイニートッドだ!と思ったわけ。
椿組で普段、良い役をやる人が、狂気の集団に属している。このキャスティングも妙。
外波山文明がまるでイエスの方舟のおやじさんのようなキャラを普通に演じきっている。
田淵、木下は不気味だが常識人。淡々と演じる。また、李と和泉も見せ場をきちんと抑えていて品のいい演技だった。宮本翔太と鳥越勇作はキレと緊張感の濃度を上手く調整して今までで一番良いかも。井上カオリはインテリな役柄を上手く演じ、巻き込まれて気持ちが変化の表現も良かった。というように、個々の役者が安定感をもって演じる。椿組を観ると劇団のアンサンブル芝居の良さを感じることができるのだ。また、音と照明の使い方も見事なので、是非とも注意してみてもらいたい。
2008年4月3日(ゲネプロ)
雑遊
作 デイヴィッド・オーバーン
演出 松本永実子
出演 伊原農 枝元萌 多根周作 はざまみゆき
ハイリンドは、とても真面目に演劇に取り組む加藤健一研修所の卒業生4人が集まって作った劇団で、みな30歳前後である。この台本はピューリッツア賞やトニー賞を受賞しているだけ会って世界最高峰の作品である。作品が面白いのは当たり前だ。松本さんの的確な演出は素晴らしく、翻訳物を日本で演出するのに、この人の存在をこれから僕は常に忘れないだろう。稽古場でダメだしをしているところも見せて頂いた。4人は素晴らしくトレーニングと稽古をし、プロとしていい舞台を作っていたと思う。伊原農とはざまみゆきは特に素晴らしかった。しかし、例えば、映画でアンソニーホプキンスが演じたという役を多根周作が演じるということは、どんなに演技を積んだところでも動かし難い大きな問題が残ってしまうものだ。
チラシ、ホームページ、会場受付、美術などなど、どこも手を抜かない姿勢は素晴らしい。そして、台本の面白さは彼らの熱意のこもった演技で十分伝わった。しかし、どうしても役と演じる俳優との乖離を感じてしまうのである。勿体ない。そう思ったのである。
2008年5月30日
下北沢 小劇場楽園
演出 松本永実子
出演 伊原農 枝元萌 多根周作 はざまみゆき
ハイリンドは、とても真面目に演劇に取り組む加藤健一研修所の卒業生4人が集まって作った劇団で、みな30歳前後である。この台本はピューリッツア賞やトニー賞を受賞しているだけ会って世界最高峰の作品である。作品が面白いのは当たり前だ。松本さんの的確な演出は素晴らしく、翻訳物を日本で演出するのに、この人の存在をこれから僕は常に忘れないだろう。稽古場でダメだしをしているところも見せて頂いた。4人は素晴らしくトレーニングと稽古をし、プロとしていい舞台を作っていたと思う。伊原農とはざまみゆきは特に素晴らしかった。しかし、例えば、映画でアンソニーホプキンスが演じたという役を多根周作が演じるということは、どんなに演技を積んだところでも動かし難い大きな問題が残ってしまうものだ。
チラシ、ホームページ、会場受付、美術などなど、どこも手を抜かない姿勢は素晴らしい。そして、台本の面白さは彼らの熱意のこもった演技で十分伝わった。しかし、どうしても役と演じる俳優との乖離を感じてしまうのである。勿体ない。そう思ったのである。
2008年5月30日
下北沢 小劇場楽園
作 又吉直樹(ピース)
演出 深寅芥(空間ゼリー)
出演 玉置玲央(柿喰う客) 鹿谷弥生 西山宗佑 西川康太郎(劇団コーヒー牛乳)ほか
結構信頼している演劇プロデューサーから、注目の才能だから見てよと言われ、招待までしていただいたので拝見した。又吉さんという人は、コントを書く人だけあって、面白い台詞がいろいろとあった。また、管理人の娘が妊娠を告白するシーンなどは、とても上手く書けている。しかし、台本としてもっと練ることができたのではないかと正直思ってしまった。また、アパートと言いながらも、全ての部屋に間仕切りくらいはあるのではないかと思うのだが、どこからもどの部屋の中身も丸見えという演出になっていて、もう良く分からない。セックスしている若い二人が廊下を走り回るようなことがあるだろうか?男女二人になっている部屋を廊下を歩いている人が見られるようなことがあるだろうか?そして、セックスは映画監督志望者の若者によって長々と撮影されていることになっている。主人公の青年は、彼女の浮気の現場を長々と見続けさせられて、夢も希望も砕かれておしまいという話。
行動の理由は説明台詞で処理されることが多かったのも気になった。
アパートの住民は、安アパートのはずなのに、まるで超一流マンションにあるような、ホテルのロビーのような場所で日に日に御茶を飲んだりテレビを見たりして大家族のように過ごしている設定なのだ。もう分からない。大成功した歌手がアパートに住み続ける理由は?分からない。もう分からないことだらけなのだが。それなのに部屋に電話もなく、そのロビーの場所のような電話は共同使用。良く分からない。ううううううううーーーーーーーんん。あと可愛いのだが主役の女の子が台詞を相当忘れたり、オーディションをスケジュールって言ってみたり、今日は舞台撮影の日なのになあ。
役者さんはこのアイドルの女の子は気になったが他はそれぞれがきちんと芝居に集中し取組みプロとしての成果をあげていた。何かこの不思議な設定もありなのかもと思えるくらいだった。
美術は、間仕切りもない不思議な安アパートなので、ポップなカラーで処理されていた。そして、上の方にはまるでロイ・リヒテンシュタインのような絵柄があって都会の中であることを示していた。そのような感想を持ちました。
シアターサンモール
2008年5月31日
演出 深寅芥(空間ゼリー)
出演 玉置玲央(柿喰う客) 鹿谷弥生 西山宗佑 西川康太郎(劇団コーヒー牛乳)ほか
結構信頼している演劇プロデューサーから、注目の才能だから見てよと言われ、招待までしていただいたので拝見した。又吉さんという人は、コントを書く人だけあって、面白い台詞がいろいろとあった。また、管理人の娘が妊娠を告白するシーンなどは、とても上手く書けている。しかし、台本としてもっと練ることができたのではないかと正直思ってしまった。また、アパートと言いながらも、全ての部屋に間仕切りくらいはあるのではないかと思うのだが、どこからもどの部屋の中身も丸見えという演出になっていて、もう良く分からない。セックスしている若い二人が廊下を走り回るようなことがあるだろうか?男女二人になっている部屋を廊下を歩いている人が見られるようなことがあるだろうか?そして、セックスは映画監督志望者の若者によって長々と撮影されていることになっている。主人公の青年は、彼女の浮気の現場を長々と見続けさせられて、夢も希望も砕かれておしまいという話。
行動の理由は説明台詞で処理されることが多かったのも気になった。
アパートの住民は、安アパートのはずなのに、まるで超一流マンションにあるような、ホテルのロビーのような場所で日に日に御茶を飲んだりテレビを見たりして大家族のように過ごしている設定なのだ。もう分からない。大成功した歌手がアパートに住み続ける理由は?分からない。もう分からないことだらけなのだが。それなのに部屋に電話もなく、そのロビーの場所のような電話は共同使用。良く分からない。ううううううううーーーーーーーんん。あと可愛いのだが主役の女の子が台詞を相当忘れたり、オーディションをスケジュールって言ってみたり、今日は舞台撮影の日なのになあ。
役者さんはこのアイドルの女の子は気になったが他はそれぞれがきちんと芝居に集中し取組みプロとしての成果をあげていた。何かこの不思議な設定もありなのかもと思えるくらいだった。
美術は、間仕切りもない不思議な安アパートなので、ポップなカラーで処理されていた。そして、上の方にはまるでロイ・リヒテンシュタインのような絵柄があって都会の中であることを示していた。そのような感想を持ちました。
シアターサンモール
2008年5月31日
監督/脚本 クリスワイツ
出演 ニコールキッドマン エバグリーン サムエリオット ほか
また3部作ものが始まった。ハリーポッターやリングの成功から、多いなあ。ナルニア国物語はこけたのに、二作目が来るしなあというわけです。しかし、守護精霊=ダイモンを登場させてしまえば、もう登場人物の心のうちは、ガンガン語ってくれるから台本書くのも楽だよなあと思っていたら、それが話の中軸でした。シロクマのイエルクに、いつの時代かちょいと分からない不思議な世界でなかなか面白いのであります。ニコールキッドマンの悪女ぶりも素晴らしく、おいキレイだよ!とつぶやいてしまったくらいです。
こういう作品はあれこれいわずに楽しめばいいと思っているので、はい。楽しませて頂きました。もう一回見てもいいなと思ってるくらいです。いつかこういうのに出演してみたいです。
公式ホームページ http://lyra.gyao.jp/
出演 ニコールキッドマン エバグリーン サムエリオット ほか
また3部作ものが始まった。ハリーポッターやリングの成功から、多いなあ。ナルニア国物語はこけたのに、二作目が来るしなあというわけです。しかし、守護精霊=ダイモンを登場させてしまえば、もう登場人物の心のうちは、ガンガン語ってくれるから台本書くのも楽だよなあと思っていたら、それが話の中軸でした。シロクマのイエルクに、いつの時代かちょいと分からない不思議な世界でなかなか面白いのであります。ニコールキッドマンの悪女ぶりも素晴らしく、おいキレイだよ!とつぶやいてしまったくらいです。
こういう作品はあれこれいわずに楽しめばいいと思っているので、はい。楽しませて頂きました。もう一回見てもいいなと思ってるくらいです。いつかこういうのに出演してみたいです。
公式ホームページ http://lyra.gyao.jp/
作/菊田一夫
演出/三木のり平 ほか
出演 森光子 黒柳徹子 米倉斉加年 有森也実 斎藤晴彦 山本学 ほか
上演回数1900回を越えた日本演劇界の至宝の作品といわれる。日本の演劇は相当変わった。座長芝居ができなくなってきたのだ。20年くらい前であれば、森光子さんだけでなく、山田五十鈴さん、山本富士子、佐久間良子などなど、蒼々たる大女優がいて、一ヶ月の興行の看板として、芸者の話とか、家族の話とか、恋愛ものも含めて芝居で大劇場を一ヶ月集客していたのだ。しかし、この20年で時代は変わった。ひとりの俳優が観客を呼ぶというよりも作品でお客さんを呼ぶという風に変わっていったのだ。大女優といえども、作品の中のひとりというわけだ。演出家や作家の時代となった。例えば、三谷幸喜さんや、井上ひでのりさん、蜷川幸雄さん、若手で言えば長塚圭史といったような才能が台頭してくる。観客は作品に息づく俳優を観るのも楽しみなのだが、それ以上に作品を見ているのだ。集団で見せるミュージカルもそうだ。
そういった意味合いで、森光子は最後の看板女優といえる。座長芝居といえる。性格に言えば、梅沢富美男さんが、明治座で行っている興行は、その流れを汲むのだが、従来の座長芝居とちょいと違うのであります。大地真央さんは、座長的な空気を持っているが、作品がつまらないと、客で満杯にすることはできていない。大竹しのぶさんは、慎重に作品を選んでいて、彼女が出れば満杯になるが、それにしても、大劇場で彼女の集客力で1ヶ月埋めることはできないだろう。
時代は変わったのだ。そして、この放浪記はそういった昭和の興行の流れを汲む最後の作品なのだ。森光子さんは、すでに老齢でこの役柄を演じるのに限界にまで来ている。公演中に左の手足は常に震えていた。ものすごい精神力だ。台詞も忘れるけれども、この林芙美子という女性になりきっているので、きちんと戻る。この柔軟性がスゴい。
廻りのサポートキャストが素晴らしい。米倉斉加年さん、斎藤晴彦さん、大塚道子さん、山本学さん、もちろん黒柳徹子さん。すべてが素晴らしい。森光子さんの心の中では、絶世期の時の林芙美子が生きている。それに体力がついていかないのだ。それは、相手役にも観客にも伝わって、いろんなことを補ってみることができる。ああ、森さんの中でいま林芙美子はこうやりたいんだなって。
森光子という女優は決して恵まれた女優ではない。
素晴らしい作品ではあったが、彼女の代表作はテレビドラマ。それも風呂屋さんが舞台で、テレビで女の裸が観られると話題になり始まった「時間ですよ!」シリーズであり、「3時のあなた」などのワイドショーの司会である。もちろん、例えば、「時間ですよ!」は素晴らしい才能が集結しシリーズが進むとともに素晴らしい作品に成長していくのであるが。僕の記憶ではNHKで森さんが若い時代に素晴らしい作品の一枚看板として出演した記憶がない。同世代の女優と違い、溝口健二や、黒澤明、小津安二郎といった国際的にも名を知られた大巨匠とほとんど出会ってもいない。
それは、若い頃から山ほど出たB級映画の女優と言うイメージが定着してしまったからだと思う。二本立て興行の二本目。艶笑喜劇の安っぽい役を多く勤めたイメージが森さんにある。
僕は森光子さんはきっとスゴく傷ついていると思うのだ。絶対に、黒澤の映画に出てみたい。小津の映画にも出てみたい。山田洋次の作品に出たいと思ったはずなのだ。しかし、出会っていないのだ。そんな彼女が本当に一流の人に出会ったものがあった。それが舞台だった。菊田一夫を代表とする素晴らしい演出家と出会い、唯一舞台で大輪の花を開かせた人なのだ。そして、舞台で彼女は、超一流の一枚看板として扱われてきたのだ。
僕はいまの森光子さんを見ていると杉村春子を思い出す。彼女にも数々の名舞台があった。「欲望という名の電車」「女の一生」「華岡青洲の妻」…。そして、死の間際まで、それこそ90歳近くまでしゃきんとして背筋が通った素晴らしい演技をされていた。杉村春子は、小津安二郎、黒澤明、木下恵介とも出会い素晴らしい映画の作品もある。テレビの作品もある。文学座もあった。そして、舞台も死に間際まで素晴らしい作品に出た。
森光子には、舞台しかない。
森光子さんは杉村春子や田中絹代になれなかった自分のことを時々どう思っているのだろう。この芝居は、最後、林芙美子演じる森光子が執筆しながら眠ってしまうところで終わる。最後の台詞は、黒柳徹子さんの「あなたって幸せじゃないのね」である。それから2分以上。ただ眠っている姿でおしまいになる。何と!
カーテンコールの森光子。何も言わず、老齢にむち打って、来てくれたお客の顔をひとつひとつ愛おしそうに見ながら見つめて、手を差し出し、頭をついて終わる。
そこには、ジャニーズのタレントとふざけ合ってる森光子の姿はない。そこに、女優 森光子の裸の姿があった。
シアタークリエ
2008年3月28日
演出/三木のり平 ほか
出演 森光子 黒柳徹子 米倉斉加年 有森也実 斎藤晴彦 山本学 ほか
上演回数1900回を越えた日本演劇界の至宝の作品といわれる。日本の演劇は相当変わった。座長芝居ができなくなってきたのだ。20年くらい前であれば、森光子さんだけでなく、山田五十鈴さん、山本富士子、佐久間良子などなど、蒼々たる大女優がいて、一ヶ月の興行の看板として、芸者の話とか、家族の話とか、恋愛ものも含めて芝居で大劇場を一ヶ月集客していたのだ。しかし、この20年で時代は変わった。ひとりの俳優が観客を呼ぶというよりも作品でお客さんを呼ぶという風に変わっていったのだ。大女優といえども、作品の中のひとりというわけだ。演出家や作家の時代となった。例えば、三谷幸喜さんや、井上ひでのりさん、蜷川幸雄さん、若手で言えば長塚圭史といったような才能が台頭してくる。観客は作品に息づく俳優を観るのも楽しみなのだが、それ以上に作品を見ているのだ。集団で見せるミュージカルもそうだ。
そういった意味合いで、森光子は最後の看板女優といえる。座長芝居といえる。性格に言えば、梅沢富美男さんが、明治座で行っている興行は、その流れを汲むのだが、従来の座長芝居とちょいと違うのであります。大地真央さんは、座長的な空気を持っているが、作品がつまらないと、客で満杯にすることはできていない。大竹しのぶさんは、慎重に作品を選んでいて、彼女が出れば満杯になるが、それにしても、大劇場で彼女の集客力で1ヶ月埋めることはできないだろう。
時代は変わったのだ。そして、この放浪記はそういった昭和の興行の流れを汲む最後の作品なのだ。森光子さんは、すでに老齢でこの役柄を演じるのに限界にまで来ている。公演中に左の手足は常に震えていた。ものすごい精神力だ。台詞も忘れるけれども、この林芙美子という女性になりきっているので、きちんと戻る。この柔軟性がスゴい。
廻りのサポートキャストが素晴らしい。米倉斉加年さん、斎藤晴彦さん、大塚道子さん、山本学さん、もちろん黒柳徹子さん。すべてが素晴らしい。森光子さんの心の中では、絶世期の時の林芙美子が生きている。それに体力がついていかないのだ。それは、相手役にも観客にも伝わって、いろんなことを補ってみることができる。ああ、森さんの中でいま林芙美子はこうやりたいんだなって。
森光子という女優は決して恵まれた女優ではない。
素晴らしい作品ではあったが、彼女の代表作はテレビドラマ。それも風呂屋さんが舞台で、テレビで女の裸が観られると話題になり始まった「時間ですよ!」シリーズであり、「3時のあなた」などのワイドショーの司会である。もちろん、例えば、「時間ですよ!」は素晴らしい才能が集結しシリーズが進むとともに素晴らしい作品に成長していくのであるが。僕の記憶ではNHKで森さんが若い時代に素晴らしい作品の一枚看板として出演した記憶がない。同世代の女優と違い、溝口健二や、黒澤明、小津安二郎といった国際的にも名を知られた大巨匠とほとんど出会ってもいない。
それは、若い頃から山ほど出たB級映画の女優と言うイメージが定着してしまったからだと思う。二本立て興行の二本目。艶笑喜劇の安っぽい役を多く勤めたイメージが森さんにある。
僕は森光子さんはきっとスゴく傷ついていると思うのだ。絶対に、黒澤の映画に出てみたい。小津の映画にも出てみたい。山田洋次の作品に出たいと思ったはずなのだ。しかし、出会っていないのだ。そんな彼女が本当に一流の人に出会ったものがあった。それが舞台だった。菊田一夫を代表とする素晴らしい演出家と出会い、唯一舞台で大輪の花を開かせた人なのだ。そして、舞台で彼女は、超一流の一枚看板として扱われてきたのだ。
僕はいまの森光子さんを見ていると杉村春子を思い出す。彼女にも数々の名舞台があった。「欲望という名の電車」「女の一生」「華岡青洲の妻」…。そして、死の間際まで、それこそ90歳近くまでしゃきんとして背筋が通った素晴らしい演技をされていた。杉村春子は、小津安二郎、黒澤明、木下恵介とも出会い素晴らしい映画の作品もある。テレビの作品もある。文学座もあった。そして、舞台も死に間際まで素晴らしい作品に出た。
森光子には、舞台しかない。
森光子さんは杉村春子や田中絹代になれなかった自分のことを時々どう思っているのだろう。この芝居は、最後、林芙美子演じる森光子が執筆しながら眠ってしまうところで終わる。最後の台詞は、黒柳徹子さんの「あなたって幸せじゃないのね」である。それから2分以上。ただ眠っている姿でおしまいになる。何と!
カーテンコールの森光子。何も言わず、老齢にむち打って、来てくれたお客の顔をひとつひとつ愛おしそうに見ながら見つめて、手を差し出し、頭をついて終わる。
そこには、ジャニーズのタレントとふざけ合ってる森光子の姿はない。そこに、女優 森光子の裸の姿があった。
シアタークリエ
2008年3月28日
作 小池竹見/広井王子
演出 茅野イザム
出演 井之上隆志 小林美江
戦後間もない頃の日本人に対してジャズが与えた影響は少なくない。秩序が崩壊し、新しいそれが生まれるまでの混沌とした時代は芝居になりやすいのだ。時代そのものがドラマであったのだから。 この作品は小池竹見が書き、広井王子が仕上げた台本に、注目の演出家茅野イサムが加わって出来た作品である。作品の面白さは、井之上隆志と小林美江といった名うての役者によって倍増される。そして、素晴らしい音楽が付け加えられる。どんどん加えて面白くなった作品なのだ。また、筆者は知らないがイケメン俳優も出ていてそのファンも多く詰めかけたらしい。興行的にはそうやって成り立ったらしい。
多くの才能、人気者などが集まって出来た公演であるが、この公演は、あくまでも、声優として名声を確立した横山智佐の座長公演だった。ちょっと昔の演劇公演を見ているように思えるほど、横山智佐を中心に廻っていくのである。それが良さでもあり弱さでもある公演と思った。
茅野イサムの演出は、王道を行くものである。
役者が袖に来ている迎えに向かって手を振り去っていくシーンでも、きちんと袖に裏方を配し演技をさせている。演技をしたふりということを嫌うのである。俳優を遊ばせて(好きにさせて)作ったシーンも、しめたところもあるのだろう。笑いたっぷりなシーンとドラマの進み方にアクセルが踏まれるシーンもある。その舞台には自由さと自発性があった。
見ていてお客さんは飽きないし喜んでいた。決して今年を代表する傑作ではないし、6500円の入場料は少し高いが、どっしりとしたプロの仕事を見せてもらった感じがした。
2008年3月24日
新国立劇場小劇場
演出 茅野イザム
出演 井之上隆志 小林美江
戦後間もない頃の日本人に対してジャズが与えた影響は少なくない。秩序が崩壊し、新しいそれが生まれるまでの混沌とした時代は芝居になりやすいのだ。時代そのものがドラマであったのだから。 この作品は小池竹見が書き、広井王子が仕上げた台本に、注目の演出家茅野イサムが加わって出来た作品である。作品の面白さは、井之上隆志と小林美江といった名うての役者によって倍増される。そして、素晴らしい音楽が付け加えられる。どんどん加えて面白くなった作品なのだ。また、筆者は知らないがイケメン俳優も出ていてそのファンも多く詰めかけたらしい。興行的にはそうやって成り立ったらしい。
多くの才能、人気者などが集まって出来た公演であるが、この公演は、あくまでも、声優として名声を確立した横山智佐の座長公演だった。ちょっと昔の演劇公演を見ているように思えるほど、横山智佐を中心に廻っていくのである。それが良さでもあり弱さでもある公演と思った。
茅野イサムの演出は、王道を行くものである。
役者が袖に来ている迎えに向かって手を振り去っていくシーンでも、きちんと袖に裏方を配し演技をさせている。演技をしたふりということを嫌うのである。俳優を遊ばせて(好きにさせて)作ったシーンも、しめたところもあるのだろう。笑いたっぷりなシーンとドラマの進み方にアクセルが踏まれるシーンもある。その舞台には自由さと自発性があった。
見ていてお客さんは飽きないし喜んでいた。決して今年を代表する傑作ではないし、6500円の入場料は少し高いが、どっしりとしたプロの仕事を見せてもらった感じがした。
2008年3月24日
新国立劇場小劇場
澤田拓 作演出「大正・深川嘆歌(ぶるうす)」
西澤周市 作「君を感じる時2008」。
久しぶりに北区つかこうへい劇団の芝居を観に行った。遠い。遠い。南北線西ヶ原駅からまた歩いて、滝野川会館。立派なホールである。お芝居よりはコンサートの方が向いているかもしれない広ーい空間。作品もつかさんの作品ではない。つかこうへいさんの戯曲塾の作品など2編。澤田拓さんの「大正・深川嘆歌(ぶるうす)」西澤周市さんの「君を感じる時2008」。
これが良かった。後者は10年以上前から繰り返し演じられている作品らしいが、分かり易く言えば、映画のゴーストみたいな作品なんです。まあ、どこかで見たような話。前者は女郎屋での恋話。こちらもありそうな話。
でも、1時間程度の長さの芝居だったのだが、どちらも素晴らしかった。知らない俳優ばかり。素舞台。照明も最低限。それが、俳優の力によって、さまざまな空間が一瞬にして誕生する。
劇団員の人たちの肉体のスゴさ。切れるし持久力がある。台詞をきちんと届けようとする力。時にはマンガチックだったりするんだけど、何の違和感もない。何だろう。この王道感。会場にいるのは一般のお客さんばかり。演劇関係者と思われる人はほとんどいない。トップスや下北沢の劇場と違う。久しぶりに北区つかこうへい劇団を観に行ったんだけど、何か本当に良かった。
北区つかこうへい劇団やつかこうへいさんのお芝居をかれこれ20数回は見ているのだけれど、一度も劇場でつかさんのお姿を拝見したことがない。それこどころかホームページ等を拝見すると、いまは犬が一番みたいなことが書かれていて…。
しかし、すでに劇団につかこうへいさんが息づいて、自分ですべてを仕切らなくても上手く行くシステムがあるようなのだ。伝統芸の継承みたいな感じだ。それがまたまたスゴいなと思った。つかさんの作品でも演出でもないのに、つかこうへいさんの匂いというか血というか流れを感じる作品なんです。それは本当にスゴいことです。
2008年2月23日 滝野川会館
西澤周市 作「君を感じる時2008」。
久しぶりに北区つかこうへい劇団の芝居を観に行った。遠い。遠い。南北線西ヶ原駅からまた歩いて、滝野川会館。立派なホールである。お芝居よりはコンサートの方が向いているかもしれない広ーい空間。作品もつかさんの作品ではない。つかこうへいさんの戯曲塾の作品など2編。澤田拓さんの「大正・深川嘆歌(ぶるうす)」西澤周市さんの「君を感じる時2008」。
これが良かった。後者は10年以上前から繰り返し演じられている作品らしいが、分かり易く言えば、映画のゴーストみたいな作品なんです。まあ、どこかで見たような話。前者は女郎屋での恋話。こちらもありそうな話。
でも、1時間程度の長さの芝居だったのだが、どちらも素晴らしかった。知らない俳優ばかり。素舞台。照明も最低限。それが、俳優の力によって、さまざまな空間が一瞬にして誕生する。
劇団員の人たちの肉体のスゴさ。切れるし持久力がある。台詞をきちんと届けようとする力。時にはマンガチックだったりするんだけど、何の違和感もない。何だろう。この王道感。会場にいるのは一般のお客さんばかり。演劇関係者と思われる人はほとんどいない。トップスや下北沢の劇場と違う。久しぶりに北区つかこうへい劇団を観に行ったんだけど、何か本当に良かった。
北区つかこうへい劇団やつかこうへいさんのお芝居をかれこれ20数回は見ているのだけれど、一度も劇場でつかさんのお姿を拝見したことがない。それこどころかホームページ等を拝見すると、いまは犬が一番みたいなことが書かれていて…。
しかし、すでに劇団につかこうへいさんが息づいて、自分ですべてを仕切らなくても上手く行くシステムがあるようなのだ。伝統芸の継承みたいな感じだ。それがまたまたスゴいなと思った。つかさんの作品でも演出でもないのに、つかこうへいさんの匂いというか血というか流れを感じる作品なんです。それは本当にスゴいことです。
2008年2月23日 滝野川会館
曲目 フランツリスト作曲 詩的で宗教的な調べ 全曲
知らない曲だ。だいたいこのご時世にリストだけでプログラムを組めるピアニストはどれほどいるのだろうか?あのポリーニでさえ、集客に困ったほどなのだ。今日のピアニスト、2005年の来日に初めて聞き巨匠の音楽に打ちのめされた。その時が80歳。再来日を待望していただけに本当に嬉しかった。
2005年のとき、チッコリーニ聞いてないや、一度くらいは生をきいておきたいなあと、ほんとぶらりと東京文化会館でヴェートーヴェンなどを聞きにいった。2003年の来日で一部のファンでものすごい騒ぎとなっていたからだ。驚いた。素晴らしかった。そして、懸命に完売の武蔵野文化会館のコンサートのチケットを取った。予定の変更をしてでかけた。あまり音響的には良くないホールだけれど、ぜひとも聞きたかった。展覧会の絵とドビッシーの前奏曲の第2集。ああ、聞いて良かったと思った。今回は、曲が知らないリストの曲なので、これなんだあ?とはちと思ったが、チッコリーニなら何でもいい!というわけ。で、前々から楽しみにしでいたのだ。去年から僕のデスクの前に、そのチラシが貼られていた。もう一度いいます。理由はアルドチッコリーニだから。まさに最後の巨匠!。82歳の大巨匠!
で、知らない曲を聴く。そのピアニズムは、美しい音色に包まれ、リストというと荒々しい激情型のピアノを思い浮かべるかもしれないが、そんな気配はまったくない。早いパッセージも早いだけで気持ちは走っていない。紡ぎだされる一音一音には知性とあふれる心がこもっていて、決してやっつけの音がない。技術を見せつけようとか、上手く聞かせてやろうというものもない。ただ、美しいのだ。これこそ、本来の青年の心ではないか。年齢を重ね余計なものが全部とれたものだけが到達できる頂点なのだ。 しかし、客席の多くは空いていた。それは、きっと僕と同じ理由だろう。 高校のときから名前は知っていてたまに来日もしていたのに行かなかった。なぜか、二本の東芝EMIが積極的に録音を出さなかったからだ。氏は山ほど録音していたのに、ギーゼギングやフランソワ、リパッティという何十年も前の録音にこだわって、1960年代に録音されたチッコリーニの録音を出さない。そうなると、日本では人気がでない。日本のクラシックコンサートは、先ずはいい録音がメジャーレーベルから発売されているかということがとても重要となるからだ。
僕自身も同じ理由で行かなかったのだが、外国でCDを買うようになると、チッコリーニの録音がいかに多く、また扱われているかをしり、気になりだしたのだ。しかし、この10年で巨匠と言われるピアニストはほんとに全員といっていいほど死んでしまった。リヒテル、ゼルキン、ギレリス、アラウ、ホロヴィッツ、チェルかスキー、アニーフィッシャー、ラザールベルマン。ラローチャも引退してしまい。出かけていってききたいピアニストはほとんどいない。アルフレッドブレンデル、ポリーニ、内田光子、ジャンマリアピリス、ボゴレリッチ、ツイメルマン、ルプー。最近のアルゲリッチはスゴく乱れているし、他に誰がいたのかなという感じ。これら聞きたい人たちの師匠といっていいピアニストがチッコリーニなのだ。イタリア人でフランスを地盤に欧州で活躍してきた。日本はこの数年でコンサートゴウアーの中で話題騒然となっている。
今宵もアンコールに、ドビッシーなどが弾かれたが、最後は観客総立ちの大拍手だった。 すくなくても、良く分からない20代のコンクールで優勝したてのピアニストのそれを聞くよりも圧倒的に絶対的にこちらのコンサートを取るべき。ああ、行って良かった。
すぐにでも来日して欲しい。来日が終わったばかりだが、いま、ききたいピアニストは?と聞かれたら、間違いなく答えます。先ず第一に、アルドチッコリーニ!曲は?何でもいいす!
すみだトリフォニーホール
2008年3月22日
26日に協奏曲の夕べがあったが風邪のためきけなかったのは深く不覚!
知らない曲だ。だいたいこのご時世にリストだけでプログラムを組めるピアニストはどれほどいるのだろうか?あのポリーニでさえ、集客に困ったほどなのだ。今日のピアニスト、2005年の来日に初めて聞き巨匠の音楽に打ちのめされた。その時が80歳。再来日を待望していただけに本当に嬉しかった。
2005年のとき、チッコリーニ聞いてないや、一度くらいは生をきいておきたいなあと、ほんとぶらりと東京文化会館でヴェートーヴェンなどを聞きにいった。2003年の来日で一部のファンでものすごい騒ぎとなっていたからだ。驚いた。素晴らしかった。そして、懸命に完売の武蔵野文化会館のコンサートのチケットを取った。予定の変更をしてでかけた。あまり音響的には良くないホールだけれど、ぜひとも聞きたかった。展覧会の絵とドビッシーの前奏曲の第2集。ああ、聞いて良かったと思った。今回は、曲が知らないリストの曲なので、これなんだあ?とはちと思ったが、チッコリーニなら何でもいい!というわけ。で、前々から楽しみにしでいたのだ。去年から僕のデスクの前に、そのチラシが貼られていた。もう一度いいます。理由はアルドチッコリーニだから。まさに最後の巨匠!。82歳の大巨匠!
で、知らない曲を聴く。そのピアニズムは、美しい音色に包まれ、リストというと荒々しい激情型のピアノを思い浮かべるかもしれないが、そんな気配はまったくない。早いパッセージも早いだけで気持ちは走っていない。紡ぎだされる一音一音には知性とあふれる心がこもっていて、決してやっつけの音がない。技術を見せつけようとか、上手く聞かせてやろうというものもない。ただ、美しいのだ。これこそ、本来の青年の心ではないか。年齢を重ね余計なものが全部とれたものだけが到達できる頂点なのだ。 しかし、客席の多くは空いていた。それは、きっと僕と同じ理由だろう。 高校のときから名前は知っていてたまに来日もしていたのに行かなかった。なぜか、二本の東芝EMIが積極的に録音を出さなかったからだ。氏は山ほど録音していたのに、ギーゼギングやフランソワ、リパッティという何十年も前の録音にこだわって、1960年代に録音されたチッコリーニの録音を出さない。そうなると、日本では人気がでない。日本のクラシックコンサートは、先ずはいい録音がメジャーレーベルから発売されているかということがとても重要となるからだ。
僕自身も同じ理由で行かなかったのだが、外国でCDを買うようになると、チッコリーニの録音がいかに多く、また扱われているかをしり、気になりだしたのだ。しかし、この10年で巨匠と言われるピアニストはほんとに全員といっていいほど死んでしまった。リヒテル、ゼルキン、ギレリス、アラウ、ホロヴィッツ、チェルかスキー、アニーフィッシャー、ラザールベルマン。ラローチャも引退してしまい。出かけていってききたいピアニストはほとんどいない。アルフレッドブレンデル、ポリーニ、内田光子、ジャンマリアピリス、ボゴレリッチ、ツイメルマン、ルプー。最近のアルゲリッチはスゴく乱れているし、他に誰がいたのかなという感じ。これら聞きたい人たちの師匠といっていいピアニストがチッコリーニなのだ。イタリア人でフランスを地盤に欧州で活躍してきた。日本はこの数年でコンサートゴウアーの中で話題騒然となっている。
今宵もアンコールに、ドビッシーなどが弾かれたが、最後は観客総立ちの大拍手だった。 すくなくても、良く分からない20代のコンクールで優勝したてのピアニストのそれを聞くよりも圧倒的に絶対的にこちらのコンサートを取るべき。ああ、行って良かった。
すぐにでも来日して欲しい。来日が終わったばかりだが、いま、ききたいピアニストは?と聞かれたら、間違いなく答えます。先ず第一に、アルドチッコリーニ!曲は?何でもいいす!
すみだトリフォニーホール
2008年3月22日
26日に協奏曲の夕べがあったが風邪のためきけなかったのは深く不覚!
作演出 横内謙介
学校で観る芝居が大多数の子どもにとって演劇体験の始まりとなる。いや多くの場合、それが最後?小学校の体育館で演劇教室をみた覚えがある。知り合いの若い俳優は、俺、いまピーターパンのワニを1年以上やってます。もう何百ステージも!と言っていたから、今もあるのだろう。体育館に集まって芝居を見る。しかし、その多くの質は低い。劇団扉座の横内謙介は将来の演劇人口の担い手となるのは子どもであり、芝居好きにしてしまえという真っ当な考えをもって行動を始めた。面白い芝居をみて、俺、演劇好きだなあと思わせれば、演劇好きの子どもが増えるのである。いまの劇団四季の興隆は30年以上も前に当時の浅利慶太さんが、日本生命をスポンサーにして、こどもミュージカルというのを作った。例えば、今でもバージョンを変えて上演される「王様の耳はロバの耳」は脚本が寺山修司、音楽はいずみたく。超一流だ。出演者に市川正親も鹿賀丈史もいた。アンサンブルだったけれど。とにかく超一流だったのだ。これを何十万人という子どもに見せた。出演した役者も食えた。そして、それを見た子どもはミュージカル好きになり、コーラスラインやキャッツ、オペラ座の怪人の観客となった。なかには、劇団四季の門を叩いて役者になったものも少なくないはず。
しかし、時代は変わり。大手のスポンサーもいない。学校の限られた予算の中で、どう芝居好きを作るか?
横内謙介は子ども向きに芝居を作らなかった。大人がみても十分観られる作品である。いや、面白い。スピーディな展開、飽きないような仕掛け。しかし、演劇的な高揚のあるストーリー台詞。1時間15分という短い時間の中に今の扉座の総力をかけて作り上げた作品がある。演劇であり、ショーである。すみだパークスタジオに来ていた子どもたちは、大喜びし歓喜しながら見ていた。それは、騒いでいるのではなく、芝居中の役者に反応しているのだ。その子どもたちのリアクションが芝居をよりいっそうみていて楽しいものにしていた。喜ぶ子どもを観る親御さんの嬉しそうな顔。カップルも、ひとりで着ている人間もみんな楽しそうだった。75分間の笑顔。幸せな空気が生まれた。
見た観客は、また、あの暖かい楽しい雰囲気に浸りたいね。テレビや映画館やビデオと違ったねと思ったであろう。
横内謙介は全部計算ずくなのだろう。この作品はここから大きく花開く可能性のある注目すべき作品である。
2008年3月22日土曜日
すみだパークスタジオ
学校で観る芝居が大多数の子どもにとって演劇体験の始まりとなる。いや多くの場合、それが最後?小学校の体育館で演劇教室をみた覚えがある。知り合いの若い俳優は、俺、いまピーターパンのワニを1年以上やってます。もう何百ステージも!と言っていたから、今もあるのだろう。体育館に集まって芝居を見る。しかし、その多くの質は低い。劇団扉座の横内謙介は将来の演劇人口の担い手となるのは子どもであり、芝居好きにしてしまえという真っ当な考えをもって行動を始めた。面白い芝居をみて、俺、演劇好きだなあと思わせれば、演劇好きの子どもが増えるのである。いまの劇団四季の興隆は30年以上も前に当時の浅利慶太さんが、日本生命をスポンサーにして、こどもミュージカルというのを作った。例えば、今でもバージョンを変えて上演される「王様の耳はロバの耳」は脚本が寺山修司、音楽はいずみたく。超一流だ。出演者に市川正親も鹿賀丈史もいた。アンサンブルだったけれど。とにかく超一流だったのだ。これを何十万人という子どもに見せた。出演した役者も食えた。そして、それを見た子どもはミュージカル好きになり、コーラスラインやキャッツ、オペラ座の怪人の観客となった。なかには、劇団四季の門を叩いて役者になったものも少なくないはず。
しかし、時代は変わり。大手のスポンサーもいない。学校の限られた予算の中で、どう芝居好きを作るか?
横内謙介は子ども向きに芝居を作らなかった。大人がみても十分観られる作品である。いや、面白い。スピーディな展開、飽きないような仕掛け。しかし、演劇的な高揚のあるストーリー台詞。1時間15分という短い時間の中に今の扉座の総力をかけて作り上げた作品がある。演劇であり、ショーである。すみだパークスタジオに来ていた子どもたちは、大喜びし歓喜しながら見ていた。それは、騒いでいるのではなく、芝居中の役者に反応しているのだ。その子どもたちのリアクションが芝居をよりいっそうみていて楽しいものにしていた。喜ぶ子どもを観る親御さんの嬉しそうな顔。カップルも、ひとりで着ている人間もみんな楽しそうだった。75分間の笑顔。幸せな空気が生まれた。
見た観客は、また、あの暖かい楽しい雰囲気に浸りたいね。テレビや映画館やビデオと違ったねと思ったであろう。
横内謙介は全部計算ずくなのだろう。この作品はここから大きく花開く可能性のある注目すべき作品である。
2008年3月22日土曜日
すみだパークスタジオ
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