佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 演劇 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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作 又吉直樹(ピース)
演出 深寅芥(空間ゼリー)
出演 玉置玲央(柿喰う客) 鹿谷弥生 西山宗佑 西川康太郎(劇団コーヒー牛乳)ほか



 結構信頼している演劇プロデューサーから、注目の才能だから見てよと言われ、招待までしていただいたので拝見した。又吉さんという人は、コントを書く人だけあって、面白い台詞がいろいろとあった。また、管理人の娘が妊娠を告白するシーンなどは、とても上手く書けている。しかし、台本としてもっと練ることができたのではないかと正直思ってしまった。また、アパートと言いながらも、全ての部屋に間仕切りくらいはあるのではないかと思うのだが、どこからもどの部屋の中身も丸見えという演出になっていて、もう良く分からない。セックスしている若い二人が廊下を走り回るようなことがあるだろうか?男女二人になっている部屋を廊下を歩いている人が見られるようなことがあるだろうか?そして、セックスは映画監督志望者の若者によって長々と撮影されていることになっている。主人公の青年は、彼女の浮気の現場を長々と見続けさせられて、夢も希望も砕かれておしまいという話。
 行動の理由は説明台詞で処理されることが多かったのも気になった。
 アパートの住民は、安アパートのはずなのに、まるで超一流マンションにあるような、ホテルのロビーのような場所で日に日に御茶を飲んだりテレビを見たりして大家族のように過ごしている設定なのだ。もう分からない。大成功した歌手がアパートに住み続ける理由は?分からない。もう分からないことだらけなのだが。それなのに部屋に電話もなく、そのロビーの場所のような電話は共同使用。良く分からない。ううううううううーーーーーーーんん。あと可愛いのだが主役の女の子が台詞を相当忘れたり、オーディションをスケジュールって言ってみたり、今日は舞台撮影の日なのになあ。
 役者さんはこのアイドルの女の子は気になったが他はそれぞれがきちんと芝居に集中し取組みプロとしての成果をあげていた。何かこの不思議な設定もありなのかもと思えるくらいだった。
 美術は、間仕切りもない不思議な安アパートなので、ポップなカラーで処理されていた。そして、上の方にはまるでロイ・リヒテンシュタインのような絵柄があって都会の中であることを示していた。そのような感想を持ちました。

 シアターサンモール
 2008年5月31日
 
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作/菊田一夫
演出/三木のり平 ほか
出演 森光子 黒柳徹子 米倉斉加年 有森也実 斎藤晴彦 山本学 ほか

 上演回数1900回を越えた日本演劇界の至宝の作品といわれる。日本の演劇は相当変わった。座長芝居ができなくなってきたのだ。20年くらい前であれば、森光子さんだけでなく、山田五十鈴さん、山本富士子、佐久間良子などなど、蒼々たる大女優がいて、一ヶ月の興行の看板として、芸者の話とか、家族の話とか、恋愛ものも含めて芝居で大劇場を一ヶ月集客していたのだ。しかし、この20年で時代は変わった。ひとりの俳優が観客を呼ぶというよりも作品でお客さんを呼ぶという風に変わっていったのだ。大女優といえども、作品の中のひとりというわけだ。演出家や作家の時代となった。例えば、三谷幸喜さんや、井上ひでのりさん、蜷川幸雄さん、若手で言えば長塚圭史といったような才能が台頭してくる。観客は作品に息づく俳優を観るのも楽しみなのだが、それ以上に作品を見ているのだ。集団で見せるミュージカルもそうだ。
 そういった意味合いで、森光子は最後の看板女優といえる。座長芝居といえる。性格に言えば、梅沢富美男さんが、明治座で行っている興行は、その流れを汲むのだが、従来の座長芝居とちょいと違うのであります。大地真央さんは、座長的な空気を持っているが、作品がつまらないと、客で満杯にすることはできていない。大竹しのぶさんは、慎重に作品を選んでいて、彼女が出れば満杯になるが、それにしても、大劇場で彼女の集客力で1ヶ月埋めることはできないだろう。
 時代は変わったのだ。そして、この放浪記はそういった昭和の興行の流れを汲む最後の作品なのだ。森光子さんは、すでに老齢でこの役柄を演じるのに限界にまで来ている。公演中に左の手足は常に震えていた。ものすごい精神力だ。台詞も忘れるけれども、この林芙美子という女性になりきっているので、きちんと戻る。この柔軟性がスゴい。
 廻りのサポートキャストが素晴らしい。米倉斉加年さん、斎藤晴彦さん、大塚道子さん、山本学さん、もちろん黒柳徹子さん。すべてが素晴らしい。森光子さんの心の中では、絶世期の時の林芙美子が生きている。それに体力がついていかないのだ。それは、相手役にも観客にも伝わって、いろんなことを補ってみることができる。ああ、森さんの中でいま林芙美子はこうやりたいんだなって。
 森光子という女優は決して恵まれた女優ではない。
 素晴らしい作品ではあったが、彼女の代表作はテレビドラマ。それも風呂屋さんが舞台で、テレビで女の裸が観られると話題になり始まった「時間ですよ!」シリーズであり、「3時のあなた」などのワイドショーの司会である。もちろん、例えば、「時間ですよ!」は素晴らしい才能が集結しシリーズが進むとともに素晴らしい作品に成長していくのであるが。僕の記憶ではNHKで森さんが若い時代に素晴らしい作品の一枚看板として出演した記憶がない。同世代の女優と違い、溝口健二や、黒澤明、小津安二郎といった国際的にも名を知られた大巨匠とほとんど出会ってもいない。
 それは、若い頃から山ほど出たB級映画の女優と言うイメージが定着してしまったからだと思う。二本立て興行の二本目。艶笑喜劇の安っぽい役を多く勤めたイメージが森さんにある。
 僕は森光子さんはきっとスゴく傷ついていると思うのだ。絶対に、黒澤の映画に出てみたい。小津の映画にも出てみたい。山田洋次の作品に出たいと思ったはずなのだ。しかし、出会っていないのだ。そんな彼女が本当に一流の人に出会ったものがあった。それが舞台だった。菊田一夫を代表とする素晴らしい演出家と出会い、唯一舞台で大輪の花を開かせた人なのだ。そして、舞台で彼女は、超一流の一枚看板として扱われてきたのだ。
 僕はいまの森光子さんを見ていると杉村春子を思い出す。彼女にも数々の名舞台があった。「欲望という名の電車」「女の一生」「華岡青洲の妻」…。そして、死の間際まで、それこそ90歳近くまでしゃきんとして背筋が通った素晴らしい演技をされていた。杉村春子は、小津安二郎、黒澤明、木下恵介とも出会い素晴らしい映画の作品もある。テレビの作品もある。文学座もあった。そして、舞台も死に間際まで素晴らしい作品に出た。
 森光子には、舞台しかない。
 森光子さんは杉村春子や田中絹代になれなかった自分のことを時々どう思っているのだろう。この芝居は、最後、林芙美子演じる森光子が執筆しながら眠ってしまうところで終わる。最後の台詞は、黒柳徹子さんの「あなたって幸せじゃないのね」である。それから2分以上。ただ眠っている姿でおしまいになる。何と!
 カーテンコールの森光子。何も言わず、老齢にむち打って、来てくれたお客の顔をひとつひとつ愛おしそうに見ながら見つめて、手を差し出し、頭をついて終わる。
 そこには、ジャニーズのタレントとふざけ合ってる森光子の姿はない。そこに、女優 森光子の裸の姿があった。
 
 
 



シアタークリエ
2008年3月28日
作 小池竹見/広井王子
演出 茅野イザム
出演 井之上隆志 小林美江 


 戦後間もない頃の日本人に対してジャズが与えた影響は少なくない。秩序が崩壊し、新しいそれが生まれるまでの混沌とした時代は芝居になりやすいのだ。時代そのものがドラマであったのだから。 この作品は小池竹見が書き、広井王子が仕上げた台本に、注目の演出家茅野イサムが加わって出来た作品である。作品の面白さは、井之上隆志と小林美江といった名うての役者によって倍増される。そして、素晴らしい音楽が付け加えられる。どんどん加えて面白くなった作品なのだ。また、筆者は知らないがイケメン俳優も出ていてそのファンも多く詰めかけたらしい。興行的にはそうやって成り立ったらしい。
 多くの才能、人気者などが集まって出来た公演であるが、この公演は、あくまでも、声優として名声を確立した横山智佐の座長公演だった。ちょっと昔の演劇公演を見ているように思えるほど、横山智佐を中心に廻っていくのである。それが良さでもあり弱さでもある公演と思った。
 茅野イサムの演出は、王道を行くものである。
役者が袖に来ている迎えに向かって手を振り去っていくシーンでも、きちんと袖に裏方を配し演技をさせている。演技をしたふりということを嫌うのである。俳優を遊ばせて(好きにさせて)作ったシーンも、しめたところもあるのだろう。笑いたっぷりなシーンとドラマの進み方にアクセルが踏まれるシーンもある。その舞台には自由さと自発性があった。
 見ていてお客さんは飽きないし喜んでいた。決して今年を代表する傑作ではないし、6500円の入場料は少し高いが、どっしりとしたプロの仕事を見せてもらった感じがした。



2008年3月24日
新国立劇場小劇場

澤田拓 作演出「大正・深川嘆歌(ぶるうす)」
西澤周市 作「君を感じる時2008」。
 

久しぶりに北区つかこうへい劇団の芝居を観に行った。遠い。遠い。南北線西ヶ原駅からまた歩いて、滝野川会館。立派なホールである。お芝居よりはコンサートの方が向いているかもしれない広ーい空間。作品もつかさんの作品ではない。つかこうへいさんの戯曲塾の作品など2編。澤田拓さんの「大正・深川嘆歌(ぶるうす)」西澤周市さんの「君を感じる時2008」。
 これが良かった。後者は10年以上前から繰り返し演じられている作品らしいが、分かり易く言えば、映画のゴーストみたいな作品なんです。まあ、どこかで見たような話。前者は女郎屋での恋話。こちらもありそうな話。
 でも、1時間程度の長さの芝居だったのだが、どちらも素晴らしかった。知らない俳優ばかり。素舞台。照明も最低限。それが、俳優の力によって、さまざまな空間が一瞬にして誕生する。
 劇団員の人たちの肉体のスゴさ。切れるし持久力がある。台詞をきちんと届けようとする力。時にはマンガチックだったりするんだけど、何の違和感もない。何だろう。この王道感。会場にいるのは一般のお客さんばかり。演劇関係者と思われる人はほとんどいない。トップスや下北沢の劇場と違う。久しぶりに北区つかこうへい劇団を観に行ったんだけど、何か本当に良かった。

 北区つかこうへい劇団やつかこうへいさんのお芝居をかれこれ20数回は見ているのだけれど、一度も劇場でつかさんのお姿を拝見したことがない。それこどころかホームページ等を拝見すると、いまは犬が一番みたいなことが書かれていて…。
 しかし、すでに劇団につかこうへいさんが息づいて、自分ですべてを仕切らなくても上手く行くシステムがあるようなのだ。伝統芸の継承みたいな感じだ。それがまたまたスゴいなと思った。つかさんの作品でも演出でもないのに、つかこうへいさんの匂いというか血というか流れを感じる作品なんです。それは本当にスゴいことです。

2008年2月23日 滝野川会館

作演出 横内謙介 

 学校で観る芝居が大多数の子どもにとって演劇体験の始まりとなる。いや多くの場合、それが最後?小学校の体育館で演劇教室をみた覚えがある。知り合いの若い俳優は、俺、いまピーターパンのワニを1年以上やってます。もう何百ステージも!と言っていたから、今もあるのだろう。体育館に集まって芝居を見る。しかし、その多くの質は低い。劇団扉座の横内謙介は将来の演劇人口の担い手となるのは子どもであり、芝居好きにしてしまえという真っ当な考えをもって行動を始めた。面白い芝居をみて、俺、演劇好きだなあと思わせれば、演劇好きの子どもが増えるのである。いまの劇団四季の興隆は30年以上も前に当時の浅利慶太さんが、日本生命をスポンサーにして、こどもミュージカルというのを作った。例えば、今でもバージョンを変えて上演される「王様の耳はロバの耳」は脚本が寺山修司、音楽はいずみたく。超一流だ。出演者に市川正親も鹿賀丈史もいた。アンサンブルだったけれど。とにかく超一流だったのだ。これを何十万人という子どもに見せた。出演した役者も食えた。そして、それを見た子どもはミュージカル好きになり、コーラスラインやキャッツ、オペラ座の怪人の観客となった。なかには、劇団四季の門を叩いて役者になったものも少なくないはず。
 しかし、時代は変わり。大手のスポンサーもいない。学校の限られた予算の中で、どう芝居好きを作るか?
 横内謙介は子ども向きに芝居を作らなかった。大人がみても十分観られる作品である。いや、面白い。スピーディな展開、飽きないような仕掛け。しかし、演劇的な高揚のあるストーリー台詞。1時間15分という短い時間の中に今の扉座の総力をかけて作り上げた作品がある。演劇であり、ショーである。すみだパークスタジオに来ていた子どもたちは、大喜びし歓喜しながら見ていた。それは、騒いでいるのではなく、芝居中の役者に反応しているのだ。その子どもたちのリアクションが芝居をよりいっそうみていて楽しいものにしていた。喜ぶ子どもを観る親御さんの嬉しそうな顔。カップルも、ひとりで着ている人間もみんな楽しそうだった。75分間の笑顔。幸せな空気が生まれた。
 見た観客は、また、あの暖かい楽しい雰囲気に浸りたいね。テレビや映画館やビデオと違ったねと思ったであろう。
 横内謙介は全部計算ずくなのだろう。この作品はここから大きく花開く可能性のある注目すべき作品である。
 



2008年3月22日土曜日
すみだパークスタジオ
作/演出 わがぎえふ 出演 コング桑田 粟根まこと 八代進一

 驚いた。大津事件のことだった。
もちろんそこはリリパだけあって、もう笑いに笑い。本当に面白かった。仕組まれた笑いと、作り上げた笑い。どちらもあってスゴいなあと思うのです。ゲストの粟根さんや八代さんが特に目立つというわけではなく、きちんと物語の中にすっぽり入っている。
もう5年以上見ていたなかったリリパだが若い役者さんが大勢育っていてそれがとても面白く発見だった。相変わらずコング桑田さんは圧倒的な存在感で面白い。何でもっとこの人は世の中に出て来ないのか不思議なくらいだ。
 ラストシーンで意味もなく八代さんが半分かくれてそうな隠れていない、でも客席の半分くらいしか見えないところで延々とディープキスをしているのが面白かった。もてるなあ。八代さん!
すいません。ホントに感想だけだなあ。
 俳優さん、身体にキレがあって、台詞もスコーンと空に抜けていて、客へのサービスも完璧で。いいですなあ。ホント、いいですねえ。



2008年3月20日(あまりにも面白かったので3月25日も)
下北沢 ザスズナリ
作 ビフュナー   
構成/演出/美術 佐藤信
出演 笛田宇一郎 KONTA

 テアトルコンプリシテの芝居を初めて見た時、エッシャーの騙し絵を思いながら見ていた。佐藤信さんが演出したこの作品を見ていて思ったのは、マグリット、キリコ、エルンストの絵画である。どちらかというとベルギーぽいシュールレアリズムのアーチストのそれである。そういった視覚的な変化にとむそれが、市民革命前の時代感のある、が、すでに詩的に昇華されたテキストと。 黄金の紙の切り取られた舞台の上で繰り広げられるもの。本当に金のように値打ちのあるそれである。我々は過去のこと、舞台上のこととして見ていてはいけない。時にその枠は破られ観客もその中に巻き込まれて行くのだ。  肉体のムーブメントの面白さと、肉体の質感の面白さ。テキストで表現される一方で、リズムや音や光、叫びによって思いを表現したりする。それが、同時多発的に舞台にでてくるから比較しやすい。そんな2時間弱の世界。
 難しい芝居なのかと思いきや、テアトルコンプリシテ同様に分かりやすく見ていて面白い。普段は映画もドラマも小説にもふれないゲームと断片的な映像ばかりの世代にも分かりやすく刺激的に作られている。テキストは詩的に昇華されているし、21世紀の時代のスピードにあった変化にとんだ舞台になっていた。
 今回も笛田さんがメインでどかんと真ん中にいるんだろう…と。そこにKONTAさんが挑むって形かなあと想像していたら、違っていた。肉体的には、笛田さんは舞踏の竹内靖彦さんに激しく挑まれ拮抗する。そして、その肉体の座標軸。もうひとつ、バレエ、モダンダンスとストリップ、ポールダンス、AVなどに出演したことのある水無潤さんが別のベクトルで対抗する。3次元の関係なのだ。笛田さんのテキストは終始無言の竹内さん、音として多様な表現方法を繰り出して挑むKONTAさんに挑まれる。ここでも拮抗している。
 革命は既存の権威が崩壊して行く、もしくはひっくり返されるそれだから、そうした、激しい存在が同じ舞台でどかーんと対峙していることで空気が自然と生まれるのだ。
 きちんと稽古し仕組まれたものと、その場の偶然性にまかされる部分が混ざり合う。が、仕掛けがしっかりしているので壊れない。そして、それは常に新鮮な舞台となる。
 対立が生まれ、空気がどんどん変化する直前のシーンが、つまり冒頭は静かなカードゲームによるシーンというのも、革命という表にすべてが露呈し、対立が露に生まれる前の不思議な空気を作るのに非常に適していて成功している。
 最後に美術についてもう少し。本当にユニークなオブジェと単純なしかし本質的なそれが同じ舞台にあり、動かないものと動くものとがあり、非常に象徴的に表されている。終演後に佐藤信氏に尋ねたら、ユニークなオブジェは作ったものだよと言われて驚いたけれども、どこかでみたような感じだなあと思ったら、もう10年以上前の佐藤信氏演出の舞台で使われたそれときき、ああそうかと思った次第。
 とにかく見ていて面白いので、多くの方に推薦したい。

 
 



シアターイワト
2008年3月20日

宮益坂編
作 中村呻明(JACROW)米内山陽子(トリコ劇場)櫻井智也(MCR)
演出 池田智哉

 以前のように本当に若い劇団の芝居を積極的に観に行く余裕がない。今回は2月に出演してくれた酒巻君が出演するので観に行った。このお芝居は2バージョンあって、もう片方の道玄坂編にははらぺこペンギンやブラジルの作家などが作品を提供している。素舞台、照明なし、衣装なし。座席も40席くらいである。出演者が7名。当然のごとく知り合い関係者が大半となり、客席の空気は暖かい。それは羨ましかった。
 先ずは作品。若い作家が自分の世界を見つけようとしてもがいているのを感じてとてもいいなあと思った。それぞれが20分ほどの作品なので、飽きる間もなく終盤に達する。この時間で芝居を成立させようとすると余計なものを削ぐという作業がどうしても必要になる。そこに見えてくるのは作劇の本質の部分だけになる。しかし、それでも自分のマーキングをしたくなってしまうのが作家なんだなと思った。大変失礼かもしれないが、客入れの時にちょっとした芝居があって、それは誰が書いたのか、どれくらい練習したのかも分からないのだが、それが非常に洗練されていて、人間関係も微妙で動いていて、意味もなく面白く感心した次第。
 出演者はみな達者だったけれど、きっと得意分野で勝負しているような気がしてならない。芝居全体を見ていて、若い仲間な役者が、集まってノリで作り上げた感があるのだ。出演者がもっている空気が同じで、誰も壊さない。ククルカンの三瓶大介、エレファントムーンの酒巻誉洋、ダブルスチールの島田雅之が安定感があった。
 何しろ70分。あっという間に終わるので退屈せずに観られる。見ておいて良かった。




2008年3月19日
ギャラリールデコ5
作 小幡欣治  演出 高橋清祐
出演 大滝秀治 奈良岡朋子 日色ともえ 小杉勇二 酒井源司 ほか

 傑作。何てほのぼのとして生きる勇気が湧いてきて、人生はいろいろとあるのだけれど、どの人生も素晴らしい!そう感じさせてくれる作品だろう。奈良岡朋子の毅然とした佇まいは女性の強さを感じさせふと見せる弱さには、女の可愛さが滲みでる。酔いながら服の汚れを拭うシーンなど忘れられないだろう。そして、それに惚れてしまった大滝秀治のエロじじいぶり!まるでファルスタッフのような面白さ。真面目に真剣に惚れ込んでいるからこそのエロぶり!日色ともえさんのまともな主婦がそれに翻弄される。翻弄されながらどこか愛しているのであります。それだけでない細川ひさよの強さ、望月ゆかりは自分の役割を抑えながらきちんと芝居の中で足跡を残す。それは、ベテラン小杉勇二もそうで扉の向こうからラスト近くで叫ぶシーンは奈良岡の静の演技の心内を表現し、見事なコントラストで場内の涙を誘う。バーテン役の高橋征郎のツボをさずさないコメディのセンスも感服。安田政利、三浦威、渡辺えりかなどとともに民藝の劇団力を結集した作品だった。フランス映画のヌーベルたちのように、そういった人生を戦争がすべてを壊して行く。そう、こののどかな風景も戦争によって壊されてしまう歴史を暗示しながらも芝居は笑いのうちに終わる。まさに、民藝。抜群の演技力、隙のない演出、きれいな色が印象的な美術に、適切な音楽も良かった。唯一の欠点は暗転が長過ぎることか。圧倒的なこの作品の成功は、奈良岡にとっての「放浪記」となるであろう。




2008年3月16日
東京芸術劇場中ホール

「ワニの涙」 川村毅作演出
主演 手塚とおる 根岸季衣


 芝居を見る理由は割と単純なことも多い。一生懸命考えて観に行くよりも軽く考えて出かけた方が面白い経験ができることは少なくない。今のところに引越した時に、児童劇の巡業公演をやっていた中村崇君がたまたま僕の友達の後輩で手伝ってくれた。20年以上前に根岸季衣さんと「海と毒薬」という現場で2週間ほどご一緒した。もちろん、向こうはメインキャストで、僕はなぜか参加していたエキストラのような役柄ではあったけれど。その人がやる芝居を観に行きたい。それが観劇の動機。
 日本の演劇シーンを引っ張って来た第三エロチカの川村毅さんの作品はしばらく見ていなかったことも大きい理由。そして、主演はあの演劇キング、手塚とおるさんだ。第3エロチカのメンバーも大挙出演する。
 観に行ってみたら、ガラガラの客席で驚いた。そして、そのガラガラの客席に芸術を見るぞという気迫が漂っている。まるで祝祭のような客席だった。どうもこの作品は3部作のトリを飾る作品らしかった。観客の多くはこの作品の行く末を見守って作家や出演社と辿り着いたのだろう。僕はそうではない。何の予備知識もない。
 自由放送局の盲目のDJ役である手塚は自殺志願者や殺人志願者といった生死のぎりぎりの、さまざまな境界線上にいる人たちの電話を受付けて放送している。しかし、それに怒った一団に殺されてしまう前半。
 ほとんど手塚の一人芝居だった。妖気漂う手塚の柔軟な肉体と精神と、あの何とも言えない周波数を出す声の魅力。衣装もすばらしく、美術もシンプルで、その世界観を表現していた。



 この作品が好きか?と言われればそうではない。苦手だし、面白いとも思わない。しかし、手塚さんの演技力と川村さんの創りだす空気感は圧倒的であることも事実だ。社会と向き合う姿も素晴らしいが、どうもエンタティメント指向の僕にとって、哲学書のようなこのような作品は本当に苦手だった。

2008年3月12日
シアタートラム
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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