佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 NHK交響楽団2012年1月定期&NTT東日本コンサート 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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指揮|ラドミル・エリシュカ

スメタナ / 交響詩「ワレンシュタインの陣営」作品14
ヤナーチェク / シンフォニエッタ
ドヴォルザーク / 交響曲 第6番 ニ長調 作品60

「ラドミル・エリシュカは老成しているが青年だった」
 現在80歳のほぼ無名だったラドミル・エリシュカが日本で注目されたのはこの5年ほどである。私はもちろん初めて聞く人だし、実は人身事故で電車が止まり、2局目の途中からしか聞けなかったのだが、彼がこれほどまで話題になっているのが良くわかった。素晴らしい。N響からこのような無駄な装飾がなく深みのある、でも美しく人生を謳歌している若者の持つポジティブな若く溌剌とした音と造形美。見事なアンサンブルが引き出されたのは脅威だ。あのブロムシュテットをも上回ると言ってもいいかもしれない。
 まだ足腰もしっかりしているので、あと何回か来日してもらえるのだろうか?チェコの音楽もいいが、古典派の音楽もこの指揮者からきちんと聞いてみたい。この指揮者にとってみてもチェコフィルなどの例外を除いて理想的な機能をもった最高峰のオーケストラを振るのは非常に嬉しいものだろうと思う。今回の来日でラドミル・エリシュカは決定的な評価を得ただろう。あとは神が彼にどれだけの時間を与えるかだ。祈ろう。もう一度、いやもう二度三度聞きたいのですと。2012年1月14日@NHKホール


指揮|レナード・スラットキン
ロッシーニ / 歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
ルトスワフスキ / チェロ協奏曲(1970)
ショスタコーヴィチ / 交響曲 第10番 ホ短調 作品93
チェロ|ジャン・ギアン・ケラス

「コンサートならではの宝物」
 スラトキンとN響の幸せな組み合わせが帰って来た。1年ほど前にスラトキン来演の発表があったときに心が躍ったのはなぜだろう。10年以上前に来演したときの記憶はほとんど残っていない。しかし、今宵の演奏をきいて自分の期待は間違っていなかったと。ロッシーニの「どろぼうかささぎ」は最近富みに力を増しているN響の美しい弦のセクションであるが、美しさと溌剌な、それも非常に知的でね、コンサートの1曲目。短めの曲が用意されるのは、ディナーのアミューズのようなもの。そして、オーケストラの真の意味でのチューニング的な意味合いがあるはずなのだが、もう最高の料理が出て来た感じ。心の中に美味しいシャンパンが流れ込んで来たみたいだった。
 さて2曲目は1970年に作曲された現代?音楽。もちろん初めて聞く。ルトスワフスキというポーランドの作曲家のチェロ協奏曲。これが素晴らしかった。最初は序奏で始まるのだが、チェロの淡白な音から豊かな音が広がる。曲はロストローポーヴィッチが作曲家に依頼して生みだされたものらしいけれども、その淡白なチェロの音の素晴らしさ。共産主義体制下で生みだされたこの曲は、まるで芸術家の心の叫びとそれが波紋を呼び共鳴を呼んでいくという感じなんだけど、まあ、そういうことは別として純粋な音楽として本当に美しい。一瞬も気持ちを緩められない極度に集中して音楽を聞いていること。自然にそうなる。CDに決して収まりきれない音楽の伽藍がそこにあった。ジャンギランケラスという40代のチェロ奏者は非常にフラットな純粋に音楽に尽くすタイプだと思った。好きな演奏者のタイプだ。
 例えば、ポリーニのシュトックハウゼンの演奏をきくと、面白くてワクワクするが、別に録音で聞きたいとは思わない。そして、この手の音楽は本当に超一流でないと聞けたものではないものでもある。瞬時の音楽的な弛みは許されない。崩壊につながるからだ。いやあ、良かった。
 そして、最後はショスタコーヴィッチの交響曲10番。この作曲家とは距離をおいていたカラヤンも録音した曲だ。が、僕もどんな曲だったのか全く残っていなかった曲。まあ、このN響とスラトキンのような黄金コンビでないと聞きたいと思えない。が、こちらも曲が始まるとホント夢心地。
 このところのN響の定期は僕にとって本当に楽しみなものばかりで、言ってみればNHK交響楽団の定期演奏会を聞く為だけに生きる価値があると思うくらいだ。
2012年1月19日@サントリーホール


NTT東日本 N響コンサート
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲作品56a
モーツァルト フルート協奏曲第1番ト長調K.313
ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調作品92
フルート:高木 綾子

「ドイツものも抜群だったスラトキン」
 Bプログラムの演奏が余りにも素晴らしかった。Cプロの演奏曲目をみて、何かないなあと思ったのがドイツものの曲目だ。そうしたら、特別演奏会もあるらしいのでそちらにも出かけてみた。この日はアンコールにバッハのG線上のアリアまでやったから、本当にドイツ/オーストリアもので固められた演奏会だった。
 最初のブラームスで変に重たくならないけれども、重厚な木目の味わいで聞かせてくれたアンサンブルは、モーツアルトで軽やかになる。申し訳ないが高木という美人フルーティストの出てくる幕はほとんどなかった。N響のアンサンブルが素晴らしすぎた。軽やかでユーモアに溢れ、そして良く唄った。
 ベートーベンの7番は本当によく演奏する。2009年の9月の定期ではホグウッド、2010年9月の定期ではマリナーと。どちらも良かった。今宵も負けじと良かった。違いはN響のアンサンブルの音の密度がさらに深くなったこと。スゴいです。
 スラトキンとドイツものっていうイメージはなかったけれども、大満足で本当に来てよかったと思う。スラトキンはいったいどこにこだわったんだろう。きっとフレージングやお互いにもっと聞き合うってことじゃないのかな?聞き合わないと作れない音を作ったのではないかしら?と吉田秀和的な終わり方をしてみる。
 そう、僕はごきげんなのだ。
2012年1月23日(月)@東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル





ペルト / フラトレス(1977/1991改訂)
バーバー / ヴァイオリン協奏曲 作品14
チャイコフスキー / 交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
ヴァイオリン|ナージャ・サレルノ・ソネンバーグ

「世界に誇れる名演」
 一度僕の家に来てもらえば分かるが、1980年代の半ばから世界中から来日する一流オーケストラのほぼ全てを聞いて来た。僕が音楽を聴き始めた頃は、まだ巨匠が山ほど生きていた。僕が聞いただけでも、カラヤン、オーマンディ、バーンスタイン、ヨッフム、クーベリック、ジュリーニ、チェリビタッケ、テンシュテット、ショルティ…。アバドやムーティ、クライバーでさえ中堅と言われた時代だった。小澤はまだ若手だったかもしれない。母が上京した頃にN響のハープ奏者、山畑さんに世話になったことがあったらしく、子供の頃からNHK交響楽団の名前をきいていた。高校になり、実際に自分でチケットを買ってコンサートに行き始める。最初にいったのは、小澤征爾/ボストン交響楽団の演奏会。ブラームス。普門館という音響の悪いホールでの演奏だったけれども豊かな弦の合奏に心を震わせたものだ。
 一方高校の友達に誘われて高校二年の時に出かけたのがN響のプロムナードコンサート。小松一彦と小林研一郎の指揮で1回づつ、宮沢明子がショパンの2番コンチェルトをやった事だけを覚えている。がっかりしたのだ。弦は第一バイオリンはキーキーいうし、金管はガンガンひっくり返る。日本で一番のオーケストラかもしれないが、酷いなあと思ったものだ。しばらくして、N響の定期には時おり通いだす。理由は簡単。有名指揮者やソリストの生演奏を聴きたかった。サバリッシュ、シュタイン、ノイマン、コシュラー、スイットナー。プロムナードコンサートで聞くよりは良かったけれど、同時期に聞いていた来日オケの音色とは比べ物に成らなかった。
 それがこの10年で変わった。いや、この数年で格段に良くなった。なぜだかは分からない。千葉馨さんなどの名演奏家はほとんど退団してしまったし、客演する指揮者が急に変わったわけでもない。ホールは同じNHKホールとサントリーホールだ。
 サントリーホールが出来てN響を聞いたとき、サウンドの仕上がりがNHKホールよりも格段に良かったので、嬉しくなったものだが、それでも欧米の超一流どころとは大きな溝があったように思う。

 今宵の演奏を聴いて、今日までのことを思い出していた。なぜなら、今宵の演奏は世界に誇れる名演だと確信するからだ。スラトキンはこのあとソウルフィルでタクトを振るらしいが、どうなんだろう?この日本のオケの素晴らしさを再認識するのではないかと思う。
 現代音楽も組まれたプログラムで、観客の大半は、それは僕も含めて後半のチャイコフスキーを聞きに来たのだと思う。それが一曲目のベルトの「フラトレス」でやられてしまった。打楽器と弦楽器のやり取りで展開する現代のレクイエムだ。そんな曲ではないかもしれないが、この曲には鎮魂する力がある。それを見事な弦楽合奏で、それは昔、初めて東京カルテットを聴いた時の衝撃にも似ている見事なもので、10分間の演奏が終わってしまったとき、もっと聞きたいと思った。生まれて初めてこの演奏を録音したCDを休憩のときに買おうかなと思ったくらい。
 2曲目のバーバーの協奏曲も聞き慣れたものではない。それが何と言う躍動感。ソリストのナージャはその半生の出来事も加わってカリスマ性のある演奏家らしい。まるでロックを演奏するようにノリノリで、ソウルで演奏するのが分かる。それがオケがノリノリで、それも高度な技術に裏打ちされた濃密な音で迫ってくる。ナージャを焚き付ける演奏をするものだから、彼女の顔がどんどん嬉しそうになってくるのが分かる。それは聴衆にも伝わって、なんて素敵な曲を聴いているんだと思わせてくれる。僕はポリーニでシュトックハウゼンを聞いたときに思ったのだけれども、現代の音楽は微妙な響きがとても大切で、それらまでコンサートホールで体験できるような音楽体験をいよいよ録音できない代物だと思っている。一流の演奏で現代の音楽を聴くと19世紀の音楽が本当に色あせてしまうほどなのだ。この2曲の名演でそれを確信した。
 もうお腹いっぱいだ。このあと、あの手あかの付く程きいた「悲愴」を聞いてこの感動を上回るものはないだろうなと思っていた。しかし、スゴい演奏だった。テンポはやや遅めで、例えば1楽章なども、あのネスカフェのCMで使われる「悲劇の爆発」のところでも、スラトキンは決して音量に寄りかかって演奏しない。それは濃密な魂の心の叫びにこだわるのである。どうして、心の叫びなどという抽象的な言葉を使うかというと、音が胸に突き刺さるからだ。
 N響は一糸乱れない。お互いがよく聞き合っているのだろう。こんな素敵なアンサンブルで芝居ができたら素敵だろうなあと思うとともに、僕は期待を大きく裏切ったカラヤン/ベルリンフィルをこのホールできいた80年代のことを思い出していた。
 あの演奏を遥かに凌ぐものだなあと僕は驚いていた。去年9月のチャイコフスキーの5番をブロムシュテットで聞いた時もスゴいと思ったし、5番ならミュンヘンフィル/チェリビだっけの糞名演も聞いている。80年代にオーマンディ/フィラディルフィア管弦楽団でチャイコフスキーの4番を聞いた時もピチカートに胸を射抜かれたのも覚えている。悲愴もいい演奏は聴いている。そして、今宵の悲愴交響曲の演奏は
忘れられないだろう。いや、コンサート全体を通して驚愕すべきもので、これは世界に誇れる名演奏会だし、NHK交響楽団の演奏会としても特筆すべきものだと思う。
 終楽章の弦楽合奏、あの弦楽セレナーデのような響き。分厚く深いサウンドだった。そして、それは今宵の最初の曲目「フラトレス」に回帰するような印象も受けてコンサートの最後の曲の最後の始まりも今宵全体を締めくくるのに見事だった。
 今宵残念だったのは演奏が終わったあとに訪れた静寂を客席後方からわめき声でぶっ壊す痴れ者がいたこと。ウォーーーーーと数分も叫び続けた。ぶん殴りたかった。

2012年1月28日@NHKホール






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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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