自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
指揮 ヴァレリーゲルギエフ
ピアノ アレクセイバロディン
チェロ タチアナヴァシリヴェア
ゲルギエフは僕にとっては終わった指揮者だった。メリハリ、灰汁の強さだけが目立って音楽に対して真摯で丁寧な作り方をしていないと思ってしまうからだ。やっつけ仕事って感じが強くしていた。通常であれば出かけることもない。過日のオセチアのテロ直後のウィーンフィルとの特別演奏会での「悲愴」、先日のマリンスキー劇場との来日公演でのワーグナーで本当にもういいやと思った次第。しかし、今回はなかなかきけないプロコフィエフの交響曲をチクルスでやるというので少し聞いてみようと思ってチケットを何枚か買っておいた。会場のサントリーホールはガラガラで来日演奏会としては寒いくらいだったけれど、演奏されたものは、ゲルギエフの初来日のまだキーロフオペラと呼んでいたときの衝撃的な曲作り。それは、スペードの女王にも思ったけれど。あのときの思いが蘇った。
スコアは綿密に読まれ、聴衆に対してそれが浮かび上がるように演奏して行く。もちろん灰汁の強さもメリハリもありありなのだが、それがとても説得力、個性につながっているようなのだ。それは、世界でも有数の技術力をもつロンドン随一のロンドン交響楽団が懸命になって演奏しているからかもしれない。そして、プロコフィエフはこんなに面白いのか!と思わせるような演奏だったのだ。
今年はオーケストラの当たり年だったけれど、ひとつ選べと言われれば、僕はこの演奏会のことを書かずにはいられないだろう。
12月3日 交響曲第2番 交響的協奏曲(チェロ協奏曲2番)交響曲第7番 サントリーホール
12月4日 交響曲第3番 ピアノ協奏曲3番 交響曲第4番(改訂版) サントリーホール
12月8日 ロミオとジュリエットより ラフマニノフピアノ協奏曲第3番 東京文化会館
ピアノ アレクセイバロディン
チェロ タチアナヴァシリヴェア
ゲルギエフは僕にとっては終わった指揮者だった。メリハリ、灰汁の強さだけが目立って音楽に対して真摯で丁寧な作り方をしていないと思ってしまうからだ。やっつけ仕事って感じが強くしていた。通常であれば出かけることもない。過日のオセチアのテロ直後のウィーンフィルとの特別演奏会での「悲愴」、先日のマリンスキー劇場との来日公演でのワーグナーで本当にもういいやと思った次第。しかし、今回はなかなかきけないプロコフィエフの交響曲をチクルスでやるというので少し聞いてみようと思ってチケットを何枚か買っておいた。会場のサントリーホールはガラガラで来日演奏会としては寒いくらいだったけれど、演奏されたものは、ゲルギエフの初来日のまだキーロフオペラと呼んでいたときの衝撃的な曲作り。それは、スペードの女王にも思ったけれど。あのときの思いが蘇った。
スコアは綿密に読まれ、聴衆に対してそれが浮かび上がるように演奏して行く。もちろん灰汁の強さもメリハリもありありなのだが、それがとても説得力、個性につながっているようなのだ。それは、世界でも有数の技術力をもつロンドン随一のロンドン交響楽団が懸命になって演奏しているからかもしれない。そして、プロコフィエフはこんなに面白いのか!と思わせるような演奏だったのだ。
今年はオーケストラの当たり年だったけれど、ひとつ選べと言われれば、僕はこの演奏会のことを書かずにはいられないだろう。
12月3日 交響曲第2番 交響的協奏曲(チェロ協奏曲2番)交響曲第7番 サントリーホール
12月4日 交響曲第3番 ピアノ協奏曲3番 交響曲第4番(改訂版) サントリーホール
12月8日 ロミオとジュリエットより ラフマニノフピアノ協奏曲第3番 東京文化会館
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平田オリザ 作演出
永井秀樹 ほか 出演
先ず申し上げておきたいことは、面白い芝居なのである。70年代から80年代の空気も感じられた。しかし、この前のマレーシアのサナトリウムのそれもそうだけど、今回の作品にも都市の空気がまったく感じられない。イスタンブール?大学の学生寮のような感じ。芝居は面白いし、演出で敢えてそういった場所の記号を取り払ってやっているのだ。普遍的な話にするために!そう思ってしまえばいいのだが、例えば、アテネから来た男、アフガン地帯を抜けて行くべきかどうか悩んでいる青年。東京からアテネ経由でやっと夫を探し当てた女性。そういう人たちにとってのイスタンブールってどういうところなんだろ?30年くらい前のイスタンブールは知らないが、80年代終わりのそれは知っている。いまのイスタンブールとは全然違う空気があった。あそこに日本人が行く。それは、いまのように簡単にふらっといくのとは違うのだ。街には緊張と粉塵と…いろんなものがある。それを背負ってこの部屋に入ってくる人が独りもいない。それが、何か狙いなのかもしれないけれど、不満だった。
12月6日
こまばアゴラ劇場
永井秀樹 ほか 出演
先ず申し上げておきたいことは、面白い芝居なのである。70年代から80年代の空気も感じられた。しかし、この前のマレーシアのサナトリウムのそれもそうだけど、今回の作品にも都市の空気がまったく感じられない。イスタンブール?大学の学生寮のような感じ。芝居は面白いし、演出で敢えてそういった場所の記号を取り払ってやっているのだ。普遍的な話にするために!そう思ってしまえばいいのだが、例えば、アテネから来た男、アフガン地帯を抜けて行くべきかどうか悩んでいる青年。東京からアテネ経由でやっと夫を探し当てた女性。そういう人たちにとってのイスタンブールってどういうところなんだろ?30年くらい前のイスタンブールは知らないが、80年代終わりのそれは知っている。いまのイスタンブールとは全然違う空気があった。あそこに日本人が行く。それは、いまのように簡単にふらっといくのとは違うのだ。街には緊張と粉塵と…いろんなものがある。それを背負ってこの部屋に入ってくる人が独りもいない。それが、何か狙いなのかもしれないけれど、不満だった。
12月6日
こまばアゴラ劇場
鄭義信 作演出
小宮孝泰 出演
小宮孝泰はつねに最大の熱意でもって人生に取り組んでいる。常に自分を向上させ、いい作品と出会おうとし、お客にそれを伝えようとしている。それが、またひとつ傑作を生んだ。小宮の父が第二次大戦中に今の北朝鮮で朝鮮鉄道に従事していたことをモチーフに生んだ終戦前後の混乱期を綴る作品だ。そこには人間が生きて行こうとする渇望がある。それが生み出すドラマがある。小宮はひとりで何十もの役柄を演じ分ける。90分の間に笑いもスリルも涙も創りだすのだ。
ほとんどなにもない劇空間にあるのは机と椅子くらい。しかし、それがあっという間に60年前の日本統治下の朝鮮になるのである。これぞ演劇という舞台なのだ。
残念なのは、前フリの部分が長過ぎて芝居に入るまでちょっともたつくところか。この作品は再演を重ねて行くのだろう。そのうち、いろんなものがそぎ落とされ付け加えられ作品として昇華していくはずだ。
12月6日
下北沢オフオフシアター
作・演出 ケラリーノサンドロヴィッチ
出演 ナイロン100℃ ほか
杉山薫さんはこの公演のあと直ぐに僕らの稽古に参加して下さるのだ。ケラさんとナイロン100℃の方々とどんな旅をされてから来られるのか。ホントに楽しみだ。
自叙伝的な作品という前宣伝もあり、出てくる様々な登場人物にケラさんの人物が色濃く投影されて見える。それが作家という非常に孤独な職業ならではの人物追求への徹底さがにじみ出てきているように思えてならない。自分に対しても斜めに、しかし、徹底して深く見つめ絶望とどん底感を味わっているのではないか。それをあっけらかんと書いてみることによってのみ均衡が保たれているようにも思える。
おならを始めとするくだらないギャグは、深い絶望の縁からは、むしろ面白いよりも哀愁を感じてしまうのではないだろうか?名うての役者さんが深いケラさんへの愛情のもと見事に作り上げた世界であった。ただひとり佐藤江梨子は数日前に台詞を忘れ呆然とする時間を舞台で作ってしまったことは、この6800円という小劇場にしては安くない舞台の観客にするとおいおい!ということであり。もう二度とそんな醜態はできないとの責任感であろう。ひとり役にのめり込むというよりも緊張感漂うもので異質な空気を放っていた。
2008年9月30日
本多劇場
出演 ナイロン100℃ ほか
杉山薫さんはこの公演のあと直ぐに僕らの稽古に参加して下さるのだ。ケラさんとナイロン100℃の方々とどんな旅をされてから来られるのか。ホントに楽しみだ。
自叙伝的な作品という前宣伝もあり、出てくる様々な登場人物にケラさんの人物が色濃く投影されて見える。それが作家という非常に孤独な職業ならではの人物追求への徹底さがにじみ出てきているように思えてならない。自分に対しても斜めに、しかし、徹底して深く見つめ絶望とどん底感を味わっているのではないか。それをあっけらかんと書いてみることによってのみ均衡が保たれているようにも思える。
おならを始めとするくだらないギャグは、深い絶望の縁からは、むしろ面白いよりも哀愁を感じてしまうのではないだろうか?名うての役者さんが深いケラさんへの愛情のもと見事に作り上げた世界であった。ただひとり佐藤江梨子は数日前に台詞を忘れ呆然とする時間を舞台で作ってしまったことは、この6800円という小劇場にしては安くない舞台の観客にするとおいおい!ということであり。もう二度とそんな醜態はできないとの責任感であろう。ひとり役にのめり込むというよりも緊張感漂うもので異質な空気を放っていた。
2008年9月30日
本多劇場
原作 三遊亭円朝
脚本/演出 加納幸和
出演 加納幸和 水下きよし 原川浩明 溝口健二 山下禎啓 桂憲一 八代進一 大井靖彦 各務立基 松原綾央 谷山知宏 丸川敬之 小林大介 美斉津恵友 ほか
敬愛する花組芝居の作品はどれもが必見だ。それでもこのような古典に臨むときの加納さんの姿勢はまた一段と違う。じっくりと時間をかけてテキストをもう一度読み直すことをする。多くの芝居をみて、いろんな芸術を知っているのに、じゃあ自分はこれとどう対峙しようと向かい合うのだ。
それに応える役者陣の素晴らしさ。若手勢で5人もピカイチがいるのが花組芝居の恐ろしさ。上手いだけでなく華もあるんよ。
休憩をいれて2時間40分でどーっと見せてしまおうという企画です。牡丹灯籠の全体像をスピーディな展開で見せてくれるのであります。先ずは普通はありえない企画であること。教育的効果、文化的な意味合いもありますね。加納さんは、名前は知っていてもあんまりしらない作品をきちんと遡上にのせて美しく面白く見せてくれる。昨年の忠臣蔵でも2段目3段目を丁寧に組み込み、何と10段目を組み込んでくれたおかげで全体像がふわーっと見えた。今年も勘三郎さんが仮名手本忠臣蔵の通し狂言をされるのだけれど、10段目だけはやらないんですよね。面白いのになあと思ってしまう。
今回は花組芝居の役者陣のすごさが前面に出た公演でした。八代進一の女形は美しく、着物も豪華で、お茶目で面白い。匂い立つ良さがある。水下きよしの立ち役は昭和の匂いのする圧倒感。山下禎啓は大きな役ではないのに瞬間で客席を魅了する。それは、北沢洋や高荷邦彦、大井靖彦、原川浩明などもブラボー。美斉津、磯村、堀越はその力量をさらにあげ、小林大介、丸川敬之などはセンターにどうどうと立てる力と華をもつ。そして、桂憲一の見事な役作り。全体のレベルが物凄く高いので、少しでも嫌らしいことをすると目立ってしまう(のだろう)。今回も加納幸和は上手いし魅力的でダントツなのだが、花組芝居役者陣の総合力が物凄く、それはこの劇団の新時代を確実に印象づけるものだった。
2008年9月10日
あうるすぽっと
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
HP:
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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