佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 シカゴ交響楽団来日演奏会 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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ベルナルトハイティンク指揮
シカゴ交響楽団演奏会
シカゴ

 今年80歳となるハイティンクがシカゴ交響楽団と来日した。今月はニューヨークでニューヨークフィル。日本でシカゴ交響楽団と東京フィルハーモニーとオーケストラ三昧だったなあと思いつつ、あまりにも素晴らしい演奏でおったまげた。シカゴ交響楽団を最初にきいたのは2回目の来日、1986年にショルティの指揮でモーツアルトのハフナー交響曲とマーラーの5番交響曲。東京文化会館の1階席の一番後ろできいたのを今でも覚えている。当時のシカゴは金管のシカゴといわれるくらい華やかなホーンセクションが有名で、まるでかぶり付できいているように音が迫って来たように思えたのだ。その後、ロンドンではショルティで本拠地シカゴでショスタコービッチの珍しい交響曲を若い指揮者できいた。名前は思い出せない。来日演奏会では、1997年のブーレーズや前回の来日2003年のバレンボイムなどときいてきた。僕はバレンボイムの指揮は好きな方なので期待して行ったのだが、チャイコフスキーの第5交響曲などは、何か美味すぎて面白みがないなあと思ったり、ブルックナーの交響曲7番も空虚な音が鳴り響いているような感じがして仕方がなかった。
 究極のオーケストラ演奏ではあるのだけれど、心に迫って来ないのだ。

 上手い演奏よりも 感動できる演奏を聴きたい。

 心が揺さぶられることによって生きている実感が湧くわけです。
 僕は音楽も芝居もなにもかにも、求めるものはそこに尽きる。

 29日にきいた東京フィルのベートーヴェンの第4交響曲。ベートーヴェンの交響曲じゃ地味だ。でも、とても愛らしい演奏でああいうのがいい。

 ハイティンクという指揮者は大指揮者だ。あまり来日していないし、なかなか上手く巡り会わせもせず、初めて生をきいたのは1997年のウィーンフィルとの来日演奏会。ブルックナーの交響曲第7番だった。1980年代にきいたオイゲンヨッフムのブルックナー以来、本当に素晴らしいブルックナーの生演奏を聴けたと心より喜んだものなのです。
 それは、あまり自分がない演奏です。自分の個性を出そうといきりたった演奏ではなく、音楽に奉仕する。楽譜がありながらも、楽員があたかも、その場でたまたまそういう演奏をした。そういう音を出したというものなんです。
 自発的に湧いて起きた音楽っていうのでしょうか。そういう音楽だったのです。少年の頃、テレビでしか見られなかったカールベームの演奏のような、それです。バーンスタインやカラヤンと対極の演奏という感じかなあ。

 その後で、ロンドンのロイヤルオペラのオペラハウスの改修工事が終わったあとの幕開けがヴェルディの「ファルスタッフ」で、その時もハイティンクの指揮で素晴らしかった。音楽が躍動しているのだ。歌手は楽しそうに唄い演じ、死の床にあったヴェルディが生涯唯一残した底抜けにおかしい人生讃歌のオペラ!素晴らしかった!

 さて、31日の演奏会の感想です。

 モーツアルトの交響曲41番。オーケストラの演奏の上手さがちょっと出過ぎていたかなあという感じがしました。モーツアルトの演奏には、どこか、素朴な幼稚性というか、パロディの匂いを感じさせる部分があって欲しいんですね。ひと言でいうと遊びの部分。それが、ちょっと欠けていた。全体が素晴らしすぎる。スリリングさがない。
 でも、それは、ミシュランの三つ星フランス人シェフにおいしい目玉焼きを作って下さいというようなもので無理なのかもしれません。第一バイオリンの高音がこれほど美しく聴けることはあまりないでしょう。見事なアンサンブルでした。高級ホテルの朝定食の味気なさと同じです。これは、街の定食屋のそれのほうが上手いというわけです。好みの問題なのですが。 

 しかし、後半の英雄の生涯はスゴかった。英雄の生涯自体が何曲だし、僕自身も生の演奏では、それほど出会ったことがありません。巨匠級の演奏では、サバリッシュやメータの生演奏をきいたくらいだと思うのです。しかし、今宵のそれはスゴかった。管弦楽の壮麗な醍醐味と、交響詩らしく物語の英雄の悦びと哀しみが音楽によって見事に表現されていた。
 そして、バレンボイム時代の空虚な技術をひけらかすような音でなかった。こういう何か精神的な表現をするのは嫌なんですけど。一音一音が丁寧にひとつの方向性を向かっているような気がするんですね。ハイティンクがそれを見事に裁いていた。本当に良かったです。




2009年1月31日 モーツアルト作曲 交響曲41番「ジュピター」
        リヒャルトシュトラウス作曲「英雄の生涯」  横浜みなとみらい大ホール

 ハイティンクと来日しているシカゴ交響楽団。マーラーの交響曲第6番の演奏をきいた。1階席21列の20番台。最高にいい席だった。
 ハイティンクという指揮者は、何か異様な個性をもって音楽を牛耳ていくタイプではなく、スコアに書かれた音楽を忠実にしかし丁寧に仕上げていくタイプの指揮者です。今日のマーラーも、マーラーの揺らめく音楽と非線形な感情のぶれのある音楽を、まるでいままさにマーラーの脳の中で鳴り響いているがごとく演奏します。ここで、何でこんな爆発音があるのか、ここで何で急にピアニシモになるのか。今まで流れていた主題は捨て去られ全く違った様相の楽想となる。そういうことがマーラーの音楽では起こるのですが、それがいままさに起こっている感情のぶれ、それは狂人に近いものかもしれませんが、それが再現された時に、マーラーの魅力はあぶり出されてくるのだと思うのです。
 それは19世紀から20世紀へ、現代科学によって神が死んでいく時代の世紀末の音楽であり、思想でもありますし、綿々と積み重ねられて来た音楽家の集積でもあります。そして、もちろん中欧ヨーロッパ、特にボヘミアの高原や山と森と川といった自然と人々の生活もにじんでいる。
 非常に多面的多元的な魅力をもった現代の交響曲の時代を切り開いたのであります。その感情の振れ方にピッチもハーモニーも併せて演奏するのは尋常ではありません。しかし、シカゴ交響楽団の弦セクションの素晴らしさは想像を遥かに上回り、管楽器も打楽器も技術を前面に出さずにさらっとやってみせるのです。
 ハイティンクの指揮は自分を出そうと出そうという音楽でない。音楽に対してものすごく謙虚です。それは、今月聞いたドゥダメル指揮のニューヨークフィルのマーラーとは違うものでした。だからこそ、多くの人に受け入れられるのでしょう。私はこの交響曲も何回かきいているのだが、今日のように深くこの曲に寄り添いながら聞けたことはなかった。

 謙虚でなかったのはチケット代です。この80分の交響曲をきくために、今回は最高のプレミアシートは45000円。S席40000円、A席34000円と信じられない金額となっています。本当はボイコットしたいくらいの価格なのです。最近の来日オケの高額化は異常です。ベルリンフィルやウィーンフィルといった超人気管弦楽団のチケットがどんどんあがり、それにつれて上がっていくのですが、こんな素晴らしいコンサートでさえ、チケットが売れ残るようになって来ている。チケット代の設定はもう少し考えてもらいたいなあと思いました。高額のチケットを買って会場に入ると、廻りに見かけるあまりにも多くの招待券の文字。いったいどういうことでしょう?
 この80歳の名匠のもう二度と聞くことのできないかもしれない名演を、音楽を愛する高校生や大学生がきけないでしょう。若く普通に働く人も無理でしょう。音大生も聞けません。素晴らしい音楽が、音楽を本当に聞きたい人ではなく、お金がある人、招待を受ける人だけが聞けるってのはおかしな話です。少なくとも当日売れ残りは半額にするなどして本当に聞きたい人が聞けるような環境をぜひ作ってもらいたいものです。梶本音楽事務所は素晴らしい音楽事務所です。僕がこうして一度の来日で10万円以上のお金を使うようになったのは、1977年のボストン交響楽団の来日公演、あのルドルフゼルキンと若き小澤のブラームスのピアノ協奏曲第一番を2000円で聞かせてくれたからです。 同じ梶本音楽事務所の公演で、ポリーニの演奏会は舞台上に多くの学生を3000円で招いて聞かせています。あの青少年たちは3000円で、ポリーニの演奏を間近にきいて、これからの人生を歩んでいくのだ。もしかしたら大音楽が出てくるかもしれないと思うと、本当にうれしい。そういう配慮をお願いしたいし、若くなくても音楽をききたいと思っている人は少なくない。そういう熱意のある人が努力すれば手の届くような金額にチケット代を設定してもらいたい。一番いいのは、当日割引だと思うのですが。どうでしょう。ぜひお願いしたいです。


 マーラーの6番は、ロンドンで一度きき、そして、数年前にアバド/ルツェルン祝祭管できいただけ。でも今日のが良かったなあ。

 youtubeで見つけました。ハイティンク指揮、マーラー交響曲第6番の映像。その一部をごらん下さい。




2009年2月1日 マーラー作曲 交響曲第6番「悲劇的」 サントリーホール 

ハイドンは現代のピリオド奏法みたいなものではなく、古典的な演奏でありますが、テンポの設定やフレーズの唄わせ方に独特な味があっていいですね。そして、ハイティンクは間の取り方が本当にうまい。
 そして、最後のブルックナーは本当に素晴らしかった。ショルティ時代のブラスセクションの吠えるような音は姿を消して音楽のために音が鳴るのである。ホルンのための音楽でなく、音楽のためのホルンなのだ。その通常の音の美しいこと。弦のアンサンブルは低音も高音も美しい。木管のハーモニーの美しさ、微妙に変わっていく音楽の流れ。
 幸せな音楽は、ブルックナーが生きた緑豊かなドイツオーストリアの中欧の教会文化の中で芽生えた。20世紀前半に青春を過ごしたハイティンクだからこそ、ブルックナーのスコアを真に受け入れて演奏する。シカゴ交響楽団がそれに万全に応える。世界のトップの演奏家が情熱を傾けて演奏するときの凄さよ。この水準の演奏は本当に少ない。このレベルの水準の演奏を聴けたのは何回あったんだろう。オイゲンヨッフムの名演を思い出す素晴らしい演奏会だった。
 チケット代はあまりにも高く驚くばかりだし、この恍惚感は聞いている1時間あまりのものなのだし、儚いものなのだが、心から充実感を感じさせてくれた。ありがとう。ハイティンク。シカゴ交響楽団。ハイティンク、80歳。もう一度どこかで聞くことができるだろうか?

2009年2月3日 ハイドン作曲 交響曲101番「時計」ブルックナー作曲 交響曲第7番
サントリーホール
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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