自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
ポールグリーングラス監督「グリーンゾーン」鑑賞。
「ボーン」シリーズの脚本と映像手法を用いて大量破壊兵器を探す米軍兵士の話。映像美と知的刺激の第一級スリラーアクション・エンタティメント映画。マットディモン好演。不信感が映像になってる。90点 2011年6月15日
ウディアレン監督「人生万歳!」whatever works 鑑賞。
久しぶりのニューヨークを舞台にしたロマンティックコメディは見るからに低予算映画。でも、ちょっと歪んだ僕の心もストレッチしてくれるウディ作品はどうしても高い評価にしがち。75点 2011年6月14日
ティムバートンの「アリスインワンダーランド」鑑賞。
天才とはこういう人に贈られる称号だと改めて感じた。有名な話は深く掘り下げられ、次々と繰り出される映像は映画芸術の究極にある。全てはティムの確固なイメージによって生み出されている。必見 99点 2011年6月13日
「マイレージ、マイライフ」up in the air 鑑賞。
リストラ請負い会社の男を演じるGクルーニーの選ぶ作品はいい作品が多いな。いい作品なのだがグサリと来ない。素晴らしいのはカメラ。特に空中からのアメリカ各都市の映像は素晴らしい。70点 2011年6月12日
ジョナサンデミ作品と思ってた「スパイダーマン」シリーズ。「スパイダーマン3」鑑賞。「死霊のはらわた」のサムライミ監督作品だった!3作観てその素晴らしさに驚愕。エンタティメントに徹しながら深く、映像は詩的で、遊びもある。必見のシリーズ。借りるのではなく買うべきフィルム。70点 2011年6月11日
デンゼルワシントン主演「アンストッパブル」。
結末は誰にも分かる娯楽作。この作品が好きでないのは、作り方が下品なとこ。感動を作る為の説明台詞が要らない。別居夫婦を出すとか、リストラ宣告されたベテランの話とか。カット割が台詞を話す人のアップ、外から移動カメラ、リアクション、アップ、暴走列車と2秒ごとくらいに目まぐるしく変わるのが、何かね。そうやって緊張感作れると思ってんのかよ。まあ、飽きないけどね。一度でいい。50点 2011年6月7日
「シャッターアイランド」鑑賞
スコセッシ+ディカプリオは、時々やらかしてしまうが、まさにそれ。謎は開始15分で予想できる。どんでん返しも何もない。スコセッシのちょいクレイジーな頭の中を覗けるだけの映画。観なくていいです。35点。2011年6月5日
フェイスブックの開発者たちを描いた「ソーシャルネットワーク」鑑賞。
へ〜はあってもそれだけ。デビッドフィンチャーはこの革命を余りにも古典的な手法で撮った。「ホワイトハウス」ソーキンの台本が問題。フェイスブックは歴史に残ることだろうがこの映画は来年には忘れら去られるだろう。65点 2011年6月4日
小津安二郎「浮草」
観終わった!さすが小津。面白かった。そして、他の松竹の作品と違って男女の情愛、エロが前面に出てきて、すごく新鮮。もちろん小津節だし、親子の話なんかも出てくるんだけれども、男女の情愛を軸に描いているからまた違って見える。京マチコがエロい。杉村春子が出色。川口浩若い! 点数つけられない!
5月31日
ダウト〜偽りの代償〜BEYOND A REASONABLE DOUBT
ピーターハイアムズ監督 鑑賞。なかなか良くできた作品でした。社会派というよりミステリー。70点 ツタヤだと準新作扱いです。2011年5月28日
バリーロビンソン監督の「トラブルインハリウッド」What Just Happened鑑賞。
ロバートデニーロが久しぶりに狂ってないまともな役をやっていた。映画製作のドタバタコメディ。こういうのは気軽に観れて楽しい。65点 2011年5月26日
「ボーン」シリーズの脚本と映像手法を用いて大量破壊兵器を探す米軍兵士の話。映像美と知的刺激の第一級スリラーアクション・エンタティメント映画。マットディモン好演。不信感が映像になってる。90点 2011年6月15日
ウディアレン監督「人生万歳!」whatever works 鑑賞。
久しぶりのニューヨークを舞台にしたロマンティックコメディは見るからに低予算映画。でも、ちょっと歪んだ僕の心もストレッチしてくれるウディ作品はどうしても高い評価にしがち。75点 2011年6月14日
ティムバートンの「アリスインワンダーランド」鑑賞。
天才とはこういう人に贈られる称号だと改めて感じた。有名な話は深く掘り下げられ、次々と繰り出される映像は映画芸術の究極にある。全てはティムの確固なイメージによって生み出されている。必見 99点 2011年6月13日
「マイレージ、マイライフ」up in the air 鑑賞。
リストラ請負い会社の男を演じるGクルーニーの選ぶ作品はいい作品が多いな。いい作品なのだがグサリと来ない。素晴らしいのはカメラ。特に空中からのアメリカ各都市の映像は素晴らしい。70点 2011年6月12日
ジョナサンデミ作品と思ってた「スパイダーマン」シリーズ。「スパイダーマン3」鑑賞。「死霊のはらわた」のサムライミ監督作品だった!3作観てその素晴らしさに驚愕。エンタティメントに徹しながら深く、映像は詩的で、遊びもある。必見のシリーズ。借りるのではなく買うべきフィルム。70点 2011年6月11日
デンゼルワシントン主演「アンストッパブル」。
結末は誰にも分かる娯楽作。この作品が好きでないのは、作り方が下品なとこ。感動を作る為の説明台詞が要らない。別居夫婦を出すとか、リストラ宣告されたベテランの話とか。カット割が台詞を話す人のアップ、外から移動カメラ、リアクション、アップ、暴走列車と2秒ごとくらいに目まぐるしく変わるのが、何かね。そうやって緊張感作れると思ってんのかよ。まあ、飽きないけどね。一度でいい。50点 2011年6月7日
「シャッターアイランド」鑑賞
スコセッシ+ディカプリオは、時々やらかしてしまうが、まさにそれ。謎は開始15分で予想できる。どんでん返しも何もない。スコセッシのちょいクレイジーな頭の中を覗けるだけの映画。観なくていいです。35点。2011年6月5日
フェイスブックの開発者たちを描いた「ソーシャルネットワーク」鑑賞。
へ〜はあってもそれだけ。デビッドフィンチャーはこの革命を余りにも古典的な手法で撮った。「ホワイトハウス」ソーキンの台本が問題。フェイスブックは歴史に残ることだろうがこの映画は来年には忘れら去られるだろう。65点 2011年6月4日
小津安二郎「浮草」
観終わった!さすが小津。面白かった。そして、他の松竹の作品と違って男女の情愛、エロが前面に出てきて、すごく新鮮。もちろん小津節だし、親子の話なんかも出てくるんだけれども、男女の情愛を軸に描いているからまた違って見える。京マチコがエロい。杉村春子が出色。川口浩若い! 点数つけられない!
5月31日
ダウト〜偽りの代償〜BEYOND A REASONABLE DOUBT
ピーターハイアムズ監督 鑑賞。なかなか良くできた作品でした。社会派というよりミステリー。70点 ツタヤだと準新作扱いです。2011年5月28日
バリーロビンソン監督の「トラブルインハリウッド」What Just Happened鑑賞。
ロバートデニーロが久しぶりに狂ってないまともな役をやっていた。映画製作のドタバタコメディ。こういうのは気軽に観れて楽しい。65点 2011年5月26日
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燐光群「推進派」作演出・坂手洋二
「傷だらけになっても、必死に時代に追いつこうとして」
3月11日に起きた東日本大震災とその後の愕然とする権力者の対応、そして、世界中から注目される現在進行形の福島第一原子力発電所。この上演は本来の6月3日の初日を8日まで延期して行われた。それは、坂手が自らの日本の問題と考えた基地問題から透けて見える日本外交と日本人の立ちいちが、3月11日以降の視点をどう組み入れて作品作りにするか必死になって追いかけたのだろう。
通常の坂手作品と比較すると作品の完成度は決して高くない。木場の降板も起きた。川中氏を始めとする一部の役者は明らかに台詞のミス、忘れといったことが頻発した。そういう上演だった。作品からは、昔特攻隊の中継地だったところに、なぜ敢えて米軍基地の招致なのか、島の人口の減少の具合、沖縄の米軍による日本人雇用の数といった徹底した取材による情報が組み込まれているが、それは情報の面白さであって芝居の、人間関係の、人間と社会との関係にまで昇華されているのかというと疑問を持たざるおえない。
坂手洋二が開幕のぎりぎりまで、今の日本と向き合ったのは作品から強く放たれていた。今の日本の状況は、坂手洋二までをも巻き込んだのだ。
2011年6月13日 下北沢ザ・スズナリ
「傷だらけになっても、必死に時代に追いつこうとして」
3月11日に起きた東日本大震災とその後の愕然とする権力者の対応、そして、世界中から注目される現在進行形の福島第一原子力発電所。この上演は本来の6月3日の初日を8日まで延期して行われた。それは、坂手が自らの日本の問題と考えた基地問題から透けて見える日本外交と日本人の立ちいちが、3月11日以降の視点をどう組み入れて作品作りにするか必死になって追いかけたのだろう。
通常の坂手作品と比較すると作品の完成度は決して高くない。木場の降板も起きた。川中氏を始めとする一部の役者は明らかに台詞のミス、忘れといったことが頻発した。そういう上演だった。作品からは、昔特攻隊の中継地だったところに、なぜ敢えて米軍基地の招致なのか、島の人口の減少の具合、沖縄の米軍による日本人雇用の数といった徹底した取材による情報が組み込まれているが、それは情報の面白さであって芝居の、人間関係の、人間と社会との関係にまで昇華されているのかというと疑問を持たざるおえない。
坂手洋二が開幕のぎりぎりまで、今の日本と向き合ったのは作品から強く放たれていた。今の日本の状況は、坂手洋二までをも巻き込んだのだ。
2011年6月13日 下北沢ザ・スズナリ
ニューヨークでは、もう25年以上、通算100回は軽く見たでしょうし、東京の来日公演でも20回以上は見ているメトロポリタンオペラが来日します。
豪華絢爛。やり過ぎ。派手。まあ、S席64000円ととてつもないチケット値段となりますが、これはね、もう価格のこと忘れてみるしかないのです。舞台が大好きなんで。
今回来日の作品で、ニューヨークで見た事ないのはルチアくらいなのですが、それでもまたまた見るのです。悪いか!!!
「ボエーム」
歌う歌手は違いますが、ニューヨークでももう5回も見たプッチーニの「ラ・ボエーム」。今回も見ます!!! 歌手はネトレプコ。ちゃんと来日するかな??
指揮:ジェイムズ・レヴァイン ⇒ ファビオ・ルイジ
ミミ: アンナ・ネトレプコ ⇒ バルバラ・フリットリへ変更
ムゼッタ:スザンナ・フィリップス
ロドルフォ: ピョートル・ベチャワ(6/4, 8, 11)
ジョセフ・カレーヤ(6/17,19)⇒マルセロ・アルバレスへ変更
マルチェッロ: マリウシュ・クヴィエチェン
ショナール: エドワード・パークス
コッリーネ: ジョン・レリエ
ベノワ/アルチンドロ: ポール・プリシュカ
「圧倒的な21世紀のメトロポリタンオペラの底力」
震災の影響から空席だらけの公演であった。そして、ネトレプコは来日せず、フリットリのミミとなった。僕は聞けなかったのだが昨年7月にトリノ歌劇場来日公演でミミを歌ったときと比較してどうだったのだろう。
今回、驚いたのはオケである。メトロポリタンオペラのオケは昔からやる気のあるなしで相当変わるのだが、今回はやる気ありありバージョンで物凄かった。1970年代のアメリカの超一級オケ、それもフィラディルフィアとか、クリーブランドとかを思わせる物凄い合奏力。ピッチは完全にあってるし、なんて言うんだろう。美しい原色がどかんどかんと飛んでくる感じ。迷いのない音というのかな。くっきりとした音。最初はそれが目についた。耳?についたりしたけれど、途中から、そうだ。メトは、誰もが避けたがる王道を行くオペラハウスなのだと思い出した。
ボエームは、ニューヨークのメトでカルロスクライバー、フレーニ、パバロッティという究極の組み合わせで何回か聞いているのだけれども、この晩のそれは、決して遜色のないできでした。フリットリは1幕は声が少し安定しないところがあったけれども、3幕からは完璧。何だろ、声にもっと女らしさがあれば適役なのにと思いました。というのも、ミミはお針子という設定ですが、やっぱり匂いたつエロスが欲しいのです。原作には忠実ですけれど、そこが寂しい。その点、ネトレプコはとにかくエロな声と風貌ですからね。
ムゼッタも同様で、あれじゃお馬鹿さん。せっかくネトレプコじゃないのだから、もっと可愛い女を演じればいいのにと思いましたなあ。ちょっと芝居がでかすぎるというか。
こんなこと言ってますけれど、皆さん声がきちんと出ていて気持ちいい。ロドルフォのベチャワ、マルチェロのクヴィエチェンなど初めての人ばかりですが、大きな声で立派。演技も型通りですが十分です。声もくっきり、芝居もくっきり。
このプロダクションをニューヨークで最後に観たのはもう20年ほど前ですので当たり前なのでしょうが、衣装が新調されていて奇麗でした。20年前はすすけた衣装ばかりで残念だなあと思ったんです。オケと同じにこちらもくっきり原色系です。
合唱も物凄く声が出ていて、驚いた。正直申し上げると、これほどまでの水準の公演はニューヨークでもなかなかないと申し上げていい。行ってよかったと思える公演でした。(6月8日鑑賞)
今宵はロドルフォがベチャワからマルセロアルバレスに変わったことが違うところなのだが、ベチャワがとてもすごい声を持っていることが分かった。8日は3階の最前列で、今回は2階のサイドの前方で観たのだが、ベチャワは強い声もきちんと自分のコントロール下にあるのだが、アルバレスはもう大変そうで、聞いている方が楽しめない。相方が弱いとフリットリも時にアレレという感じもありまして。まあ、おととい歌ったばかりだし、ツアーも後半でお疲れだったのかもしれません。もしくは中一日でまた歌わなくてはならないので少しコントロールされていたのかも。8日のような絶唱ではありませんでした。ムゼッタのスザンナフィリップスは声の出し方が他の方と比べると粗があるというか、出るところとそうでないところがありすぎで、この役をやるのに如何かなと思いました。役への取り組みもおてんば娘みたいな元気良さだけで勝負するという、何か一色しかない役作りで他の人と比べると見劣りしたという印象です。
音楽的にはそんな感じでしたが、前方で観たので、2幕の人の動かし方とかもよく観察できたし、熊のぬいぐるみなんかも出ていたんだと初めて認識できたり、3幕の照明が当たってない人の動きが全体の効果を高めていることが分かったりとか。
8日が良かったので、評判をよんで、もう少しはお客さんが入るかなと思ったのですが、3階などは全滅の勢いで本当にお客さんがいないです。こんなにスカスカのNHKホールの公演を見るのは初めてというくらいでした。ジャパンアーツの経営が心配です。
NHKホール 2011年6月8日/17日
『ドン・カルロ』
指揮:ジェイムズ・レヴァイン ⇒ ファビオ・ルイジへ変更
エリザベッタ: バルバラ・フリットリ ⇒ マリーナ・ポプラフスカヤへ変更
ドン・カルロ: ヨナス・カウフマン ⇒ ヨンフン・リーへ変更
ロドリーゴ: ディミトリ・ホロストフスキー
エボリ公女: オルガ・ボロディナ ⇒ エカテリーナ・グバノヴァへ変更
フィリッポ2世: ルネ・パーペ
宗教裁判長: ステファン・コーツァン
「日本の上演史に残る名舞台」
ドンカルロは強靭な歌手を6人も必要とする作品だけになかなか上演されない。僕自身の鑑賞経験で記憶に残っているのは、サントリーのホールオペラでの公演。そして、2001年のビスコンティ演出版の新国立劇場の公演。2009年にはミラノスカラ座の来日公演。そして、今回と同じ演出版を先年ニューヨークで観ただけである。今回のキャストは本当に期待していた。しかし、結局は、指揮のレヴァインだけでなく、ボロディナ、カウフマンを抜かれ、最後にはフリットリまでいなくなってしまうという何とも残念なキャストになってしまった、、、はずであった。
ところが、実際にふたを開けてみると、オーケストラはニューヨークでもなかなか聞かせない締まった素晴らしい音を聞かせるし、ヨンフンリーは想像もしていなかった素晴らしい歌唱と、2階のS席で観ていたのだが容姿もぴったりで驚いた。むしろ、ホロストフスキーが霞んで見えるくらいに素晴らしい声なのである。高音から低い音まで美しく出て、フレージングなども勝手な解釈は加えていない。演技にちょっと問題点はあったものの、この公演はヨンフンリーの日本デビュー公演として長く語られるだろう。そして、ルイジの指揮の素晴らしいこと。時代はどんどん変わって行くのだなと痛感した。エリザベッタやエボリ公女は出だしこそ、フルスロットルではなかったがすぐに全開モードになりこれも素晴らしい。何だボロディナがいなくてもいいんだ!と思った。
代役ばかりで残念だったが、期待を裏切らないメトロポリタンオペラの底力を感じた。そして、80年代からあるデクスターの美しい名舞台はきっとこの日本公演でお払い箱である。レーザーディスクで、20代の僕は何か長いよなあと思いつつドミンゴやフレーニの声を聞いたのを思い出す。一生忘れられない舞台となった。(6月10日)
初日はゲルブ総裁が、開幕前に役は変わったけれども素晴らしい歌手を連れてきたからとヨンフンリーなどの名前をあげながら言い訳をしたのだが、今宵は簡単に済ませた。今宵もヨンフンリーは良かった。まあ、芝居はダメだし、10日に聞いた時は本当に驚いたけれど、今日もうーーーんいいなあと思ったくらい。今回のメトのツアーで思いでに残るのはヨンフンリーの日本デビューでしょう。昨年のNHK交響楽団の演奏会形式による「アイーダ」の時もラダメスを韓国人のサンドロ・パークが歌ったけれども、これからそういう時代になるのかなと思わせるものだった。日本人歌手も新国立劇場で聞く限り素晴らしい人が増えてきたし、藤村実穂子さんのような人もいるのだから頑張れアジア人という感じかな。しかし、今宵は女性陣がすごかった。初日よりもエリザベッタのマリーナ・ポプラフスカヤとエボリ公女のエカテリーナ・グバノヴァが好調で全体としては10日よりも良かった。今宵は1階のセンター後方という音も見栄えも最高の最高の席で聞けたのも良かったのかな(15日)
NHKホール 2011年6月10日/15日
『ランメルモールのルチア』
指揮: ジャナンドレア・ノセダ
ルチア: ディアナ・ダムラウ
エドガルド: ピョートル・ベチャワ(6/16, 19)
エンリーコ: ジェリコ・ルチッチ
ライモンド: イルダール・アブドラザコフ
ルチアの記憶はほとんどない。僕は苦手なオペラだったのだ。ニューヨークでは確か、ジョンザザーランドとかで聞いてるはずなのだが、あまり感激した記憶がない。藤原歌劇団で という素晴らしい歌手で上演したのもダメ。フィレンツェ歌劇場の来日公演でも聞いているのだが、イマイチ。でも今回は良かったな。演出も古典と象徴主義のミックスみたいな感じで。1幕はスコットランド荒れ地のイメージの残る分かりやすい美しい舞台で、2幕も屋敷内を写実的にしたのに、3幕をスクリーンに月を写し、でかい半螺旋階段だけにしたのも正解。歌手も素晴らしいし、オケも良くなっていた。今回、本当に楽しめた。ダムラウの絶唱すごかった。
東京文化会館 2011年6月16日
例えば、モーツアルトの「魔笛」もこんなポップになるのです。演出は、舞台のライオンキングの演出もした さん!向こうで期待しないでみて面白かった。
続いて有名なビゼーの「カルメン」のハバネラ。これも、メトロポリタンオペラで見ました。
文学座「にもかかわらずドン・キホーテ」
作◆別役実 演出◆藤原新平
美術◆松野 潤 照明◆金 英秀
キャスト 金内喜久夫、飯沼 慧、三木敏彦、田村勝彦、櫻井章喜、清水圭吾、西岡野人、赤司まり子、塩田朋子、大野容子
「脳みそグルグルだ。誰だストローで息を吹き込むのは」
文学座のアトリエは数年前の改築直前に別役実の2作品を上演して大評判になったことがある。今回は別役実が新作を書き、藤原新平が演出をする。ゴールデンコンビらしい。100分の上演時間。小難しい不条理劇は勘弁して欲しいなあと思って行ったら、最初の数分でノックアウト。不条理なギャグが文学座の俳優の的確で観客にクリアに伝わる。金内、飯沼、三木が圧倒的な存在感で楽しい。不条理でありながら現実世界への痛烈な皮肉であるのはいつもの通り。ああ、面白かった。何か固くなった脳みそがストレッチというかリセットされた感じ。美術、照明も美しく素晴らしかった。壁に入ったひびがいいな。
文学座アトリエ 2011年6月9日
作◆別役実 演出◆藤原新平
美術◆松野 潤 照明◆金 英秀
キャスト 金内喜久夫、飯沼 慧、三木敏彦、田村勝彦、櫻井章喜、清水圭吾、西岡野人、赤司まり子、塩田朋子、大野容子
「脳みそグルグルだ。誰だストローで息を吹き込むのは」
文学座のアトリエは数年前の改築直前に別役実の2作品を上演して大評判になったことがある。今回は別役実が新作を書き、藤原新平が演出をする。ゴールデンコンビらしい。100分の上演時間。小難しい不条理劇は勘弁して欲しいなあと思って行ったら、最初の数分でノックアウト。不条理なギャグが文学座の俳優の的確で観客にクリアに伝わる。金内、飯沼、三木が圧倒的な存在感で楽しい。不条理でありながら現実世界への痛烈な皮肉であるのはいつもの通り。ああ、面白かった。何か固くなった脳みそがストレッチというかリセットされた感じ。美術、照明も美しく素晴らしかった。壁に入ったひびがいいな。
文学座アトリエ 2011年6月9日
新国立劇場2010/11シーズン
新国立劇場オペラパラス
リヒャルトシュトラウス作曲「アラべラ」
ウルフシルマー指揮
かつてサバリッシュ指揮 バイエルン州立歌劇場来日公演できいたことがある作品だが、正直いって、まだRシュトラウスの作品の面白さが良く分からない時代でぴんとこなかった。その後、Rシュトラウスは好きになったのだが、この作品は今回もそのレベルで終わってしまった。作品の肝をつかめないのだ。もちろんウルフシルマーという実力者が指揮するピットから聞こえてくる音楽がかつての日本のオケのレベルでは出し得ないつややかなものであることや、外国人歌手に比較して日本人歌手の歌唱はすばらしこと、しかし、その演技は説明的すぎて学芸会レベル以下であることは分かる。しかし、それだけで、肝心なこのオペラの作品として、音楽として全体をとらえることができなかい。大人の男女の恋愛の機微を歌っているように思うのだが。ちょっと残念。他の言い方をすると、今宵の音楽は僕にこの作品にのめり込ませてくれなかったということでもある。
2010年10月8日 新国立劇場オペラパレス
ワーグナー作曲「トリスタンとイゾルデ」
【指 揮】大野和士
【演 出】デイヴィッド・マクヴィカー
【美術・衣裳】ロバート・ジョーンズ
【照 明】ポール・コンスタブル
【振 付】アンドリュー・ジョージ
【トリスタン】ステファン・グールド
【マルケ王】ギド・イェンティンス
【イゾルデ】イレーネ・テオリン
【クルヴェナール】ユッカ・ラジライネン
【メロート】星野 淳
【ブランゲーネ】エレナ・ツィトコーワ
新国立劇場合唱団/東京フィルハーモニー交響楽団
「世界最高水準のワーグナー上演」
期待を何倍も上回る結果に感動した。最初の一音から今宵の東フィルはやるぞ〜と身震いしたのだが、その通りだった。あの弦の音は本当に東フィル?と思えるような重厚で深い音。ピチカートの入り方とか、スゴいんだよなあ。時々金管が綱渡り状態になるけれども、何かさ、スゴい。
大野のオペラの指揮をきいたのは何年ぶりだろう?最初にきいたのは、ハンブルグ歌劇場の来日公演の「リゴレット」だったと思うのだけれど。もう10年以上前のことだ。大野の指揮は細かく明確でありゃオケをぐいぐい引っ張るよなあという感想。東フィルはいいけど、ワーグナーやシュトラウスは?と言われないなあ。これだけの演奏をするのであれば。世界の一級クラスの演奏でした。
大野のトリスタンは今年の4月24日のメトロポリタンオペラのそれを聞き逃していたけれど、ニューヨークでの演奏はどうだったんだろうととても気になるくらいに素晴らしかったです。
こうなると、歌手陣も手を抜けません。何しろ、東京のできて10年ちょいのオペラハウスでこんな音で来られちゃ。グールドもテオリンもツイトコーワも、もちろんマルケ王も素晴らしい。星野さん、悪くないけど、ちょっと損するなあこの布陣の中じゃ。他の日本人は、まあ、予想の範疇でしたけれども、10人出てきた上半身裸の船員チームとともに、演技が下手すぎる。船員チームは集中力がなく、余計なところで小芝居して作品を壊していた。良かったのは最後の徐々に退場していくところのみ。あとは、酷い。酷すぎる。動くなそこ、集中しろ!と言いたくなったなあ。
それと同じで、メロートはまだしも、他の日本人のキャストは、何か卑屈な東洋人というステレオタイプの感じで、何かね。違うんです。
合唱も含めて歌唱が世界レベルだったから、普段は気にならないこういった脇役などの演技や舞台の立ち方のヘタクソぶり、知らなさぶりが目だったのでした。
演出は素晴らしい。照明、美術、衣装も含めて、ロマンチック!のひと言に尽きるのだけれど、ここまで透徹して美しい舞台ってのは、世界でも珍しいのではないか?僕は半分以上寝た、ウィーン国立歌劇場の1986年の公演(指揮ホルライザー)で、また2001年(指揮 ビシュコフ)にウィーンでも見た、美しい の演出と並ぶくらいに素晴らしいそれで。前回見た2008年のビシュコフ指揮、ピーターセラーズ演出、パリオペラ座の来日公演のビデオ投影しまくりの「トリスタンとイゾルデ」も、バイエルンオペラのコンベンチュニーの演出も、ベルリン国立オペラのクッファーの演出も、アバドが指揮して、ベルリンフィルがピットに入ったザルツブルグイースター音楽祭来日バージョンのそれも上回った感がある。
大きな月が登って沈むまでの流れの中で、月はいろんな色に変化し、舞台上に貼られた水に浮かび。。二幕のオベリスクのような塔の廻りのうねりのようなものも、たいまつも、まあ、とにかく美しくロマンチックで、関係性は分かりやすく、音楽に集中できるようなプロダクションだったのです。
すっかり満足。すごいぞ、新国立劇場!と思った公演でした。きっと今年最後の舞台芸術鑑賞となると思うのですが、すっかり満腹満足した。
2010年12月25日 新国立劇場オペラパレス
モーツアルト「コジ・ファン・トゥッテ」
指揮:ミゲルゴメル=マルティネス 演出:ダミアーノ・ミキエレット
合唱:新国立劇場合唱団 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
§キャスト§
【フィオルディリージ】マリア・ルイジア・ボルシ
【ドラベッラ】ダニエラ・ピーニ
【デスピーナ】タリア・オール
【フェルランド】グレゴリー・ウォーレン
【グリエルモ】アドリアン・エレート
【ドン・アルフォンソ】ローマン・トレーケル
「世界に誇れる素晴らしいプロダクション」
年末の「トリスタンとイゾルデ」ですっかり新国立劇場のオペラを見直した僕は新国のオペラを楽しみにしていた。ところが、震災の影響で「バラの騎士」など2本を観られなかった。まあ、中途半端な体制で上演されるよりはいいやと思っていた。実はこの「コジ」も指揮者に加えてソリスト6人のうち3人までもが降板する事態となっての上演だったので、キャンセルになっても構わないと思っていたものだ。だいたい「コジ」はつまらないとたまらない。3時間半の上演時間。本当に地獄のような苦しみとなる。それに、僕はもう素晴らしい演出を何本も観てきた。このブログでも紹介したが、2年前のザルツブルグ音楽祭のモダンな演出、その前年にはウィーン国立歌劇場来日公演の美しいプロダクション。さらに、80年代には、キリテカナワなどの黄金キャストによるロイヤルオペラのきらめくような来日公演、バイエルン国立歌劇場の来日でもサバリッシュ指揮によるアンサンブル上演のすばらしさも知っている。あと、メトロポリタンオペラや、小沢征爾のプロダクションもあったかな。何本か退屈なそれを観たけれども、地獄だった。
それでも出かけたのはこの日は特等席を確保していたこともあるが、ダミアーノ・ミキエレットの演出、パオロファンティンの美術と衣装を楽しみにしていたからだ。
ところが、序曲が始まったとたん、あれ、これ良いかも?と思ったのだ。東京フィルはこのブログで何回も書いたけれども、本当にこの10年で素晴らしくなり、見事な演奏をする。それでも、ワーグナー、Rシュトラウス、モーツアルトはなあと思っていたのだが、昨年暮れに、ワーグナーで見事なトリスタンを大野和士と演奏し、チョンミンフン指揮では昨年11月の定期公演で愛らしいモーツアルトの交響曲を披露していた。東フィルやるなあ!である。でも、そんな素晴らしい演奏は、両方とも世界でもトップクラスの指揮者だからなし得たのかもしれないぞと思った。今日のマルティネスという指揮者はイタリアものを指揮するスペイン人だそうだ。これからの人だろう。少なくとも前述の評価の定まった一流どころではない。ところが、この日も良かったのだ。先ずはオケのピッチがあっていた。フレージング、鳴らし方。とてもモーツアルトだったのだ。
そして、降板して代役にたった歌手も特にフィオルディリージのボルシを始め見事な歌唱と演技を見せた。演出は予想通りに楽しく、ユーモアに富み、時代や場所は全く違うが、ダ・ポンテとモーツアルトの作品の本質を少しも揺るがす事なく表現したのだ。デズピーナの磁石が、心臓マッサージ用の電気ショック、仕事場はキャンプ場のbar。ドンアルフォンソはキャンプ場のオーナー。二幕以降にキャンピングカーの上に枝が乗り、ふくろうの剥製が乗っかっていたのはなんでか分からないけれどもね。
いわゆる今風のギャルも出てきて楽しかったな。
読み替えの演出もこれなら大成功。それも古めかしい演出でなく楽しい。
新国立劇場のオペラは世界に紹介して何ら恥ずかしくない素晴らしい水準に達した。演出、出演する歌手、合唱、オケ、美術衣装など総合的に世界水準だ。
6万円も出して来日中のメトロポリタンオペラを見に行って、こちらを観ないというのは、包装紙さえ良ければ中身はどうでもいいという人の選択。本当の通は、どちらも喜んでみられるはずだ。このプロダクション、日本のオペラファンとして大切にし、何回も再演してもらいたいと思わずにいられない。
2011年6月5日 新国立劇場オペラパレス
プッチーニ「蝶々夫人」
【指 揮】イヴ・アベル 【演 出】栗山民也 【美 術】島 次郎
キャスト
【蝶々夫人】オルガ・グリャコヴァ 【ピンカートン】ゾラン・トドロヴィッチ
【シャープレス】甲斐栄次郎 【スズキ】大林智子 【ゴロー】高橋 淳
【合 唱】新国立劇場合唱団【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
「日本美にあふれた素晴らしい名舞台」
蝶々夫人はプッチーニの名作でありながら上演機会はそれほど多くない。日本国内では上演される事は少なくないが決していいものばかりでないと記憶する。僕の記憶に残るものは、サントリーホールの開館記念の時に、ジョゼッペシノポリとフィルハーモニア管弦楽団で演奏会形式で上演されたもの。80年代の終わりに初めてミラノスカラ座に出かけた時にみた浅利慶太演出でネロサンティ指揮のそれ。その舞台をそのまま借りてきた小沢征爾指揮で新日本フィルの上演。シドニーに仕事に行った時にあのシドニーのオペラハウスで水面を張ったプロダクションを観た、それは、すごく違和感が残ったのを覚えている。
浅利慶太の演出は素晴らしい物で、開場時間中に木と畳と障子の家が建てられて行く。石でできた西洋の建物と完全に違う事を開場時間中に示してしまう。素晴らしい物だった。今回の演出 栗山民也、美術 島次郎の舞台は、よく観ると能舞台のようなしつらえになっている。美術はシンプルで、人の動きも最小限に制約され、時に文楽の人形かと思うくらい気持ちがわずかの動きで伝わってくる。だからといって、それを公演全体に無理矢理押し通そうともしない。あるべきものはすべてあり、無くていいものは徹底的にそぎ落としているから音楽とドラマに集中できるのだ。
特に後半、蝶々さん、スズキ、ケートが3人になるところなど人の配置だけでこれだけ効果が出るのかと感心してしまった。
これが主役3人の素晴らしい歌唱(スズキの大林も素晴らしかった)と、東京フィルの見事な演奏があるのだから名舞台にならないはずがない。世界に通用する素晴らしいプロダクションだ。特に東京フィルの充実した演奏は、美しく艶やかで語るような弦、決して咆哮しないブルージーな管楽器、内面の思いが時に爆発する時にも抑制がされ、見事に美しい。来日しているメトロポリタンオペラ管弦楽団に劣らない世界でもトップクラスのピットだ。もうこのオケに新国立劇場管弦楽団の名称を与えるべきだと思うのだが如何だろう。
日曜日の午後に心にしみいる名舞台をみることができたことに感謝している。
2011年6月12日 新国立劇場オペラパレス
新国立劇場オペラパラス
リヒャルトシュトラウス作曲「アラべラ」
ウルフシルマー指揮
かつてサバリッシュ指揮 バイエルン州立歌劇場来日公演できいたことがある作品だが、正直いって、まだRシュトラウスの作品の面白さが良く分からない時代でぴんとこなかった。その後、Rシュトラウスは好きになったのだが、この作品は今回もそのレベルで終わってしまった。作品の肝をつかめないのだ。もちろんウルフシルマーという実力者が指揮するピットから聞こえてくる音楽がかつての日本のオケのレベルでは出し得ないつややかなものであることや、外国人歌手に比較して日本人歌手の歌唱はすばらしこと、しかし、その演技は説明的すぎて学芸会レベル以下であることは分かる。しかし、それだけで、肝心なこのオペラの作品として、音楽として全体をとらえることができなかい。大人の男女の恋愛の機微を歌っているように思うのだが。ちょっと残念。他の言い方をすると、今宵の音楽は僕にこの作品にのめり込ませてくれなかったということでもある。
2010年10月8日 新国立劇場オペラパレス
ワーグナー作曲「トリスタンとイゾルデ」
【指 揮】大野和士
【演 出】デイヴィッド・マクヴィカー
【美術・衣裳】ロバート・ジョーンズ
【照 明】ポール・コンスタブル
【振 付】アンドリュー・ジョージ
【トリスタン】ステファン・グールド
【マルケ王】ギド・イェンティンス
【イゾルデ】イレーネ・テオリン
【クルヴェナール】ユッカ・ラジライネン
【メロート】星野 淳
【ブランゲーネ】エレナ・ツィトコーワ
新国立劇場合唱団/東京フィルハーモニー交響楽団
「世界最高水準のワーグナー上演」
期待を何倍も上回る結果に感動した。最初の一音から今宵の東フィルはやるぞ〜と身震いしたのだが、その通りだった。あの弦の音は本当に東フィル?と思えるような重厚で深い音。ピチカートの入り方とか、スゴいんだよなあ。時々金管が綱渡り状態になるけれども、何かさ、スゴい。
大野のオペラの指揮をきいたのは何年ぶりだろう?最初にきいたのは、ハンブルグ歌劇場の来日公演の「リゴレット」だったと思うのだけれど。もう10年以上前のことだ。大野の指揮は細かく明確でありゃオケをぐいぐい引っ張るよなあという感想。東フィルはいいけど、ワーグナーやシュトラウスは?と言われないなあ。これだけの演奏をするのであれば。世界の一級クラスの演奏でした。
大野のトリスタンは今年の4月24日のメトロポリタンオペラのそれを聞き逃していたけれど、ニューヨークでの演奏はどうだったんだろうととても気になるくらいに素晴らしかったです。
こうなると、歌手陣も手を抜けません。何しろ、東京のできて10年ちょいのオペラハウスでこんな音で来られちゃ。グールドもテオリンもツイトコーワも、もちろんマルケ王も素晴らしい。星野さん、悪くないけど、ちょっと損するなあこの布陣の中じゃ。他の日本人は、まあ、予想の範疇でしたけれども、10人出てきた上半身裸の船員チームとともに、演技が下手すぎる。船員チームは集中力がなく、余計なところで小芝居して作品を壊していた。良かったのは最後の徐々に退場していくところのみ。あとは、酷い。酷すぎる。動くなそこ、集中しろ!と言いたくなったなあ。
それと同じで、メロートはまだしも、他の日本人のキャストは、何か卑屈な東洋人というステレオタイプの感じで、何かね。違うんです。
合唱も含めて歌唱が世界レベルだったから、普段は気にならないこういった脇役などの演技や舞台の立ち方のヘタクソぶり、知らなさぶりが目だったのでした。
演出は素晴らしい。照明、美術、衣装も含めて、ロマンチック!のひと言に尽きるのだけれど、ここまで透徹して美しい舞台ってのは、世界でも珍しいのではないか?僕は半分以上寝た、ウィーン国立歌劇場の1986年の公演(指揮ホルライザー)で、また2001年(指揮 ビシュコフ)にウィーンでも見た、美しい の演出と並ぶくらいに素晴らしいそれで。前回見た2008年のビシュコフ指揮、ピーターセラーズ演出、パリオペラ座の来日公演のビデオ投影しまくりの「トリスタンとイゾルデ」も、バイエルンオペラのコンベンチュニーの演出も、ベルリン国立オペラのクッファーの演出も、アバドが指揮して、ベルリンフィルがピットに入ったザルツブルグイースター音楽祭来日バージョンのそれも上回った感がある。
大きな月が登って沈むまでの流れの中で、月はいろんな色に変化し、舞台上に貼られた水に浮かび。。二幕のオベリスクのような塔の廻りのうねりのようなものも、たいまつも、まあ、とにかく美しくロマンチックで、関係性は分かりやすく、音楽に集中できるようなプロダクションだったのです。
すっかり満足。すごいぞ、新国立劇場!と思った公演でした。きっと今年最後の舞台芸術鑑賞となると思うのですが、すっかり満腹満足した。
2010年12月25日 新国立劇場オペラパレス
モーツアルト「コジ・ファン・トゥッテ」
指揮:ミゲルゴメル=マルティネス 演出:ダミアーノ・ミキエレット
合唱:新国立劇場合唱団 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
§キャスト§
【フィオルディリージ】マリア・ルイジア・ボルシ
【ドラベッラ】ダニエラ・ピーニ
【デスピーナ】タリア・オール
【フェルランド】グレゴリー・ウォーレン
【グリエルモ】アドリアン・エレート
【ドン・アルフォンソ】ローマン・トレーケル
「世界に誇れる素晴らしいプロダクション」
年末の「トリスタンとイゾルデ」ですっかり新国立劇場のオペラを見直した僕は新国のオペラを楽しみにしていた。ところが、震災の影響で「バラの騎士」など2本を観られなかった。まあ、中途半端な体制で上演されるよりはいいやと思っていた。実はこの「コジ」も指揮者に加えてソリスト6人のうち3人までもが降板する事態となっての上演だったので、キャンセルになっても構わないと思っていたものだ。だいたい「コジ」はつまらないとたまらない。3時間半の上演時間。本当に地獄のような苦しみとなる。それに、僕はもう素晴らしい演出を何本も観てきた。このブログでも紹介したが、2年前のザルツブルグ音楽祭のモダンな演出、その前年にはウィーン国立歌劇場来日公演の美しいプロダクション。さらに、80年代には、キリテカナワなどの黄金キャストによるロイヤルオペラのきらめくような来日公演、バイエルン国立歌劇場の来日でもサバリッシュ指揮によるアンサンブル上演のすばらしさも知っている。あと、メトロポリタンオペラや、小沢征爾のプロダクションもあったかな。何本か退屈なそれを観たけれども、地獄だった。
それでも出かけたのはこの日は特等席を確保していたこともあるが、ダミアーノ・ミキエレットの演出、パオロファンティンの美術と衣装を楽しみにしていたからだ。
ところが、序曲が始まったとたん、あれ、これ良いかも?と思ったのだ。東京フィルはこのブログで何回も書いたけれども、本当にこの10年で素晴らしくなり、見事な演奏をする。それでも、ワーグナー、Rシュトラウス、モーツアルトはなあと思っていたのだが、昨年暮れに、ワーグナーで見事なトリスタンを大野和士と演奏し、チョンミンフン指揮では昨年11月の定期公演で愛らしいモーツアルトの交響曲を披露していた。東フィルやるなあ!である。でも、そんな素晴らしい演奏は、両方とも世界でもトップクラスの指揮者だからなし得たのかもしれないぞと思った。今日のマルティネスという指揮者はイタリアものを指揮するスペイン人だそうだ。これからの人だろう。少なくとも前述の評価の定まった一流どころではない。ところが、この日も良かったのだ。先ずはオケのピッチがあっていた。フレージング、鳴らし方。とてもモーツアルトだったのだ。
そして、降板して代役にたった歌手も特にフィオルディリージのボルシを始め見事な歌唱と演技を見せた。演出は予想通りに楽しく、ユーモアに富み、時代や場所は全く違うが、ダ・ポンテとモーツアルトの作品の本質を少しも揺るがす事なく表現したのだ。デズピーナの磁石が、心臓マッサージ用の電気ショック、仕事場はキャンプ場のbar。ドンアルフォンソはキャンプ場のオーナー。二幕以降にキャンピングカーの上に枝が乗り、ふくろうの剥製が乗っかっていたのはなんでか分からないけれどもね。
いわゆる今風のギャルも出てきて楽しかったな。
読み替えの演出もこれなら大成功。それも古めかしい演出でなく楽しい。
新国立劇場のオペラは世界に紹介して何ら恥ずかしくない素晴らしい水準に達した。演出、出演する歌手、合唱、オケ、美術衣装など総合的に世界水準だ。
6万円も出して来日中のメトロポリタンオペラを見に行って、こちらを観ないというのは、包装紙さえ良ければ中身はどうでもいいという人の選択。本当の通は、どちらも喜んでみられるはずだ。このプロダクション、日本のオペラファンとして大切にし、何回も再演してもらいたいと思わずにいられない。
2011年6月5日 新国立劇場オペラパレス
プッチーニ「蝶々夫人」
【指 揮】イヴ・アベル 【演 出】栗山民也 【美 術】島 次郎
キャスト
【蝶々夫人】オルガ・グリャコヴァ 【ピンカートン】ゾラン・トドロヴィッチ
【シャープレス】甲斐栄次郎 【スズキ】大林智子 【ゴロー】高橋 淳
【合 唱】新国立劇場合唱団【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
「日本美にあふれた素晴らしい名舞台」
蝶々夫人はプッチーニの名作でありながら上演機会はそれほど多くない。日本国内では上演される事は少なくないが決していいものばかりでないと記憶する。僕の記憶に残るものは、サントリーホールの開館記念の時に、ジョゼッペシノポリとフィルハーモニア管弦楽団で演奏会形式で上演されたもの。80年代の終わりに初めてミラノスカラ座に出かけた時にみた浅利慶太演出でネロサンティ指揮のそれ。その舞台をそのまま借りてきた小沢征爾指揮で新日本フィルの上演。シドニーに仕事に行った時にあのシドニーのオペラハウスで水面を張ったプロダクションを観た、それは、すごく違和感が残ったのを覚えている。
浅利慶太の演出は素晴らしい物で、開場時間中に木と畳と障子の家が建てられて行く。石でできた西洋の建物と完全に違う事を開場時間中に示してしまう。素晴らしい物だった。今回の演出 栗山民也、美術 島次郎の舞台は、よく観ると能舞台のようなしつらえになっている。美術はシンプルで、人の動きも最小限に制約され、時に文楽の人形かと思うくらい気持ちがわずかの動きで伝わってくる。だからといって、それを公演全体に無理矢理押し通そうともしない。あるべきものはすべてあり、無くていいものは徹底的にそぎ落としているから音楽とドラマに集中できるのだ。
特に後半、蝶々さん、スズキ、ケートが3人になるところなど人の配置だけでこれだけ効果が出るのかと感心してしまった。
これが主役3人の素晴らしい歌唱(スズキの大林も素晴らしかった)と、東京フィルの見事な演奏があるのだから名舞台にならないはずがない。世界に通用する素晴らしいプロダクションだ。特に東京フィルの充実した演奏は、美しく艶やかで語るような弦、決して咆哮しないブルージーな管楽器、内面の思いが時に爆発する時にも抑制がされ、見事に美しい。来日しているメトロポリタンオペラ管弦楽団に劣らない世界でもトップクラスのピットだ。もうこのオケに新国立劇場管弦楽団の名称を与えるべきだと思うのだが如何だろう。
日曜日の午後に心にしみいる名舞台をみることができたことに感謝している。
2011年6月12日 新国立劇場オペラパレス
僕は16才のころからNHK交響楽団を継続してきいてきている。芝居ばかりをやっていたり、テレビの仕事が忙しくて聞けなかった年もあるが、ほぼ通じて定期演奏会に通い続けている。いまもB定期サントリーホール定期演奏会の会員である。もう10年くらいかな。最近の演奏は30年前のそれと比べると隔世の感がある。最初にきいたのは、高校生のころの睦にクラシック音楽好きとともに授業をさぼってきいたプロムナードコンサートである。1000円ちょっとでの演奏会だった。小林研一郎と小松英典だったかな?2回ききにいった。1回は宮沢明子がピアノのソロでショパンの2番をやったはず。友達と、しょっちゅう裏返る管セクションに文句を垂れたり、弦が違うんだよなあ〜みたいなことを言っていたのだが、今や弦も管ももちろん世界のトップレベルとなった。それも欧米の一流オケと違い、楽員がほとんど文化背景が同じ楽団員が多い日本人だからアンサンブルの完成度が高いのだ。それに加えて素晴らしい指揮者をこのオーケストラは呼び続けた。今年のコンサートでも9月のネヴィルマリナー、12月にはデュトワ。その間にアンドレヴィレヴィン、その後にも、チョンミンフンやアシュケナージ、そしてノリントンといった世界の第一線の指揮者が控えている。そこに若手有望株も加わるのだから素晴らしいに決まっている。
サントリーホールの定期演奏会は毎年7月の年間定期会員の募集ですべての演奏会のチケットが売切れる。しかし、NHKホールでの演奏会は、3階の自由席などは、誰でも1500円で聞かせてもらえる。世界でももっとも安く一流オーケストラをきける機会なのだ。例えば、秋にはネロサンティがオペラ「アイーダ」の全曲を演奏する。現存する指揮者の中でイタリアオペラに関して最も権威のある最高峰の指揮者だ。だから連れてくる歌手も素晴らしい。衣装やセットはないが、その超一流の演奏をたった1500円できかせてくれるのだ。12月にはこの欄でフィラディルフィア管弦楽団の来日公演で紹介したデュトワが演奏会を開く。やはり1500円から。フィラディルフィア管弦楽団ならS席30000円である。今年のショパンコンクールの優勝者とショパンのピアノ協奏曲などを奏でてくれる。
ぜひ、NHK交響楽団のホームページを見て日時を確認して欲しい。そして、是非尋ねて欲しいのだ。
ネヴィルマリナー指揮
シベリウスバイオリン協奏曲(ミハイルシモニアン)
ベートーヴェン交響曲第7番 ほか
2010/11年の開幕コンサート。NHK交響楽団は素晴らしい成果を残した。もう何回もきいたベートーヴェンのシンフォニー。何か新しいとか特異なことはなにもない。そこにはただ音楽を奏でる86才のイギリス音楽の至宝と80周年を越えたオケの伝統がただただ誠実に奏でることだけをしていた。品のいい演奏だった。アンサンブルやピッチもよく久々にきいたNHKホールでの定期であったが、昔きいたあのざらざらしたNHK交響楽団の音はどこにいってしまったのかと思ったくらいだった。舞踏のシンフォニーは観客の心をワクワクさせずにはいなかった。
前半のコンチェルトも、ムターとカラヤンの名盤を思わせるような演奏だった。シモニアンという若いバイオリニストは初めて聞くのだが、技巧はあるのだが、それだけに走らない骨太な演奏をするなあと感心した。3楽章になって自らを解放して演奏していたのも楽しかった。どこの人かなと思ったら、ロシア、それもシベリア、ノヴォシビルスク出身らしい。もしも、尊敬するヴァイオリニストは?ときいたらオイストラフ!!!と答えそうな演奏をする人だった。名前を覚えておきたい。な 9月10日(金)1階11列25番
ネルロサンティ指揮 ヴェルディ作曲 歌劇「アイーダ」全曲 演奏会形式
指揮|ネルロ・サンティ エジプト王|フラノ・ルーフィ アムネリス|セレーナ・パスクアリーニ
アイーダ|アドリアーナ・マルフィージ ラダメス|サンドロ・パーク ランフィス|グレゴル・ルジツキ アモナズロ|パオロ・ルメッツ エジプト王の使者|松村英行 女祭司長|大隅智佳子 合唱|二期会合唱団
ネロサンティの指揮のヴェルディであるから素晴らしいものになることは多くの人が予想していた。しかし、その予想をも越えた素晴らしい演奏だった。歌手と音楽が主導する素朴な時代のオペラの素晴らしさを歌い上げた。歌劇においては、とにかく声とオケが主役なのだ。弦はつややかに響き、管は咆哮する。二期会の合唱からこんなに深い響きをきいたのは初めてだと思う。特にイタリアオペラで!昨年見たミラノスカラ座の来日公演と遜色違わない素晴らしい演奏だった。ネロサンティは、オケ中心の歌わせるところは遅めのテンポ。合唱や歌唱が入ると早めのテンポに切り替える。メリハリも微妙さも兼ね備えた素晴らしい演奏。クラシック音楽が好きで東京に住んでいてこの演奏会に行かなかった人は損をしたなあ。何しろ定期演奏会。3階じゃ1500円で聞いている人もいるんだもんな。今日はほぼ満席でした。
歌手たちは大スターではないが、渾身の歌唱で重責を果たした。いわゆるアイーダの凱旋行進曲の時のアイーダトランペットの音が守りに入り、一度ひっくり返ったこと。アドリアーナナルフィージのピアニシモで声がかすれたこと、素晴らしい声を詠唱ながら息継ぎの場所がなあと思わせた大隅智佳子。敢えてケチを付けるとしたらこのくらい。ラダメスを歌った韓国の若手歌手サンドロパークの素晴らしいこと。パバロッティでもドミンゴでもない、声に色気が少しないが、子供っぽいな声なんだけれど、いやあ、すばらしい。久々にテノールを聞く楽しみを味わった。使者の松村英行はどの音域も素晴らしい。キャスティングされた欧米の歌手が苦手な音域があるのに、それがない。ランフィスのグレゴルルシツキ良かったですね。アモナズロのパオロルメッツも。とにかく知らない歌手ぞろい。ああ、とにかく言えるのは、このアイーダ演奏はNHK交響楽団で、故ホルストシュタインとの「パルジファル」1幕の演奏を思い出させるなあ。
あの時もこんなにできるんだ、僕らのオケは!って嬉しくなったけれども。もうそれ以上。いやあ、嬉しくて、1階席の端からブラボーコールをする僕でした。2010年10月17日
アンドレプレヴィン指揮/ピアノ
武満徹/グリーン
ガーシュウィン/ピアノ協奏曲へ長調
プロコフィエフ/交響曲第5番
昨年よりまた少し足取りが重くなったのが心配だったけれども、音楽はホントに軽やかでしなやかで何よりも品格のあるロイヤルな演奏だった。プレヴィンはハリウッドでも仕事をした人なのに、決して、聞かせようとか、鳴らすといった音作りをしない。楽団のハーモニーをきっちり作った後は、音楽そのものにすべてを委ねるような音楽だ。何て品がいいんだろう。嫌らしい自己顕示がまったくといってないのだ。今宵は堀正文と篠崎史紀というツートップがそろい踏みで、こういうの久々?初めて?
グローンは冬の京都の寺か、いや森の下草と苔、そして靄を流れていく空気のようで、ひんやりとしている。そんな色合いの短い楽曲。そこそこの編成ながらも室内楽のようなハーモニーを出す今日のN響に期待はさらに高まる。ガーシュウィン。プレヴィンのピアノはピアノを叩くようなことをしないので、大音量で聞こえてくるそれとは違うが、絶妙なブルースのメロディと激しくリズムを刻むガーシュウィン独特のそれがとても愉快で、でもどこかにロマン派の音楽を奏でるような艶やかさがあって、プレヴィンならではの演奏だった。そして、プロコフィエフ。うわー!すごい。すごい。すごい。しかし、不協な音にこめられた愛情がどれほど不思議な魅力を放つか。42分の万華鏡のような音楽だった。来年は3つの定期に登場するプレヴィン。どうかご自愛の上、素晴らしい演奏を聴かせて欲しい。
2010年11月14日 NHKホール
シャルルデュトワ指揮
ブリテン作曲「戦争レクイエム」
大曲である。生で聴くのは始めてである。昔CDで聞いた時、難解で途中で辞めた。図書館から借りたCDはダビングしてしまう学生だったが、もういいやと思ったのだ。今回もシャルルデュトワだから聞いた。いったいどんな演奏をするのか楽しみだった。聞いてみると、20世紀の鎮魂歌だった。名もなく無念に亡くなっていった人への鎮魂と救済。音楽は美しく研ぎすまされていたものだった。NHKホールの大きなオルガンに照明が当たっているので、ヒサビさに聞けると思ったら、サンサーンスのオルガン交響曲のように、オルガンに空間を支配させるのではなく、オルガンをオーケストラの中に溶け込ませていた。デュトワの創り上げる造形美は見事だ。隣の席のおじさんが変な人で困ったこともあって、85分間退屈する暇などなかった。この曲、また、いい演奏の予感がしたら是非とも聞きたいものに、この演奏をきいたおかげで変わった。この曲はCDなど録音できくものではないな、ああ、やっぱりライブっていいな、と思った。NHK交響楽団は本当に素晴らしいオーケストラだと再認識したのもそう。この曲、大編成のオーケストラと室内楽的なものが対比される。そのどちらもが見事だった。東京混声合唱団のコーラスは、欲を言えば何かもうひとつというものだけど、贅沢な悩み。
2010年12月11日 NHKホール
シャルルデュトワ指揮
ピアノ Pロラン・エマール
ラベル ピアノ協奏曲ト長調
ショスタコーヴィッチ 交響曲第8番
おったまげた。デュトワとNHK交響楽団の演奏は1987年の初共演のころにも聞いていて、「ファウストの拷罰」をやった時には、感心した思いもあるけれど、例えばデュトワがフランスやカナダのオーケストラと来日するときの演奏と比べるといささかレベルが落ちるなあと思っていたことも確か。それが、今宵の演奏は何だろう。オケはフランスのオーケストラとは言わないけれども、ラベルの音楽のスゴく微妙な色合いまで見事に演奏しきっているのだ。エマールのピアノは非常にフランスの語彙力の強い演奏で、さらに、この曲のジャズ的な風合いを非常に重んじた演奏だったと思うけれども、それは、それはオケもピアノもお互いにいい関係で演奏していて、最初のオモチャ箱をひっくり返した出だしから、面白かった絵本を閉じる音がぴしゃっと聞こえるような、最後の幕切れまで透徹した音楽美があった。それは、もはやかつてデュトワときいた欧米のオーケストラのレベルを超えるというか、それとはまた別の風合いをもった見事な演奏になっていたのだ。日本のオーケストラというよりもNHK交響楽団の個性とでも言っていいのかなあ。微妙な潮加減のきいた素晴らしい演奏だった。
エマールは、アンコールにメシアンの前奏曲から「静かな嘆き」というのをやってくれたが、何かこれも良かったなあ。
さて、後半のショスタコーヴィッチ。聞いていて楽しい作曲家ではないひとり。僕にとっては。。何か一大プロパガンダ見たいのを書いたりするものだから、天の邪鬼の自分は苦手のはずなのだが、デュトワとNHK交響楽団は、ここでも見事な風合いと鋭角な音とリズムを、素晴らしいアンサンブルでサントリーホールの空間に放ち、僕はたちまち虜になってしまったのだ。何か乱暴な音が全然ない。音や音量に任せて表現するところが一切ない。ショスタコーヴィッチがきいたら、おったまげると思う。デュトワとNHK交響楽団だったら、もう何でも聞いてみたいと思わせる演奏だった。サントリーホールのチケットプラチナチケットだなあと思えてきた。 2010年12月16日 サントリーホール
チョンミンフン指揮 バイオリン独奏 ジュリアンラクソン
ベートーヴェン作曲 バイオリン協奏曲
ベルリオーズ作曲 幻想交響曲
人気のチョンミンフンがNHK交響楽団を指揮するというのでききにいった。12月にベトナムできいた協奏曲はもちろん別物の装い。リトアニア出身のラクソンのバイオリンは、オイストラフを始めとするロシア系の演奏をすると思っていた。ユダヤ人でもあるときいてますますそう思った。音の固まりをどかーんと飛ばしてくるユダヤ系の演奏と違って、骨太ながらも繊細で知的な演奏だった。チョンミンフン指揮するNHK交響楽団は安定しているのだが、いまひとつグルーブ感が足りなかったようにも思う。第3楽章などは非常に繊細なフレージングで魅力的だったけれども。オーケストラをさかんに焚き付けるような感じで良かったなあ。もうちょっとNHK交響楽団がソリッドな音作りをしたら面白いと思う。NHKホールは巨大なので意識しないとぼわっとした音になる。
幻想交響曲はチョンの十八番だ。僕も何回かきいてるし、CDでの録音も名演だ。全く揺るぎのないテクニックに、繊細にフレージングを作って行くチョンの技量はやはり大したものだし、このオーケストラもそれに見事に答えていた。満杯のホールの観客は待ちきれずにブラボーコールをしていた。
2011年2月6日 NHKホール
チョンミンフン指揮 藤村美穂子独唱
マーラー作曲 交響曲第3番
NHKホールの巨大な空間にぎっしり詰った観客は、NHK交響楽団のこの名曲への献身的な演奏と、ダイナミズムと微妙な色合いを見事に描いた演奏に驚嘆した。NHK交響楽団はここまで演奏できるのかと驚嘆した。そして、藤村の深く味わいのある唄よ。いやあ、行ってよかった。
2011年2月12日 NHKホール
ロジャーノリントン指揮
ベートーヴェン作曲 交響曲第4番 ピアノ協奏曲第5番「皇帝」ほか
ピアノ/マルティンヘルムヒェン
ノリントンは10年以上前にヨーロッパのオケ(確か、シュットガルト)と来日した時にきいて、こりゃいいやと思っていた。それがN響に来る!先年のNHK交響楽団との共演はどうしてもいけず悔しい思いをした。今回の来日も全てのプログラムを聞きたかったのだが聞けたのがこれである。ピリオド奏法云々の話はどうでもいい。
この指揮者はまったく新しい光をクラシック音楽に与えてくれたことは間違いないのだ。活き活きとした躍動感あふれる音楽に心を動かさない聴衆はいるのだろうか?
ピアノ協奏曲も悪くはないが、交響曲の方が断然面白かった。いつものNHK交響楽団の音とは全く違う息づかいが聞こえてきたからだ。3年連続で来日してヴェートーヴェンの交響曲を全部やるという。この人、後期ロマン派までやる人なので楽しみで仕方ない。
僕の言葉でいってもあれなので、これは田園交響曲の冒頭だし、音もあまり良くないのだが、聞いてみて欲しい。違うから。
2011年4月28日 サントリーホール
尾高忠明指揮
Rシュトラウス 英雄の生涯 ほか
これだけ長くきいてきて尾高さんの指揮で音楽をきくのは初めてだ。オペラでは一度聞いた事があるかもしれないが、印象がない。定期演奏会でも尾高さんの指揮のときはいつもパスしていたくらいだ。何だろう。期待していなかったのだ。
今日も、もう1曲あった尾高さんのお父さんの交響曲1番は、パスしてもいいかなと思ったくらい。聞いてみると、欧米文化への憧憬の思いがにじみ出る佳作。きいていて不愉快ではないが、だからといって聞き込みたくなるようなエネルギーを感じられる曲でもない。
こんな具合でこの日も尾高さんはどうでも良かった。5月の尾高さんのコンサートにはウィーンフィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒル氏がゲストコンサートマスターとして演奏するという。キュッヒル氏は元々、別団体で来日する予定だったのだが、それが東日本大震災でキャンセルになった。それで、この組み合わせが急遽実現したものと想像する。で、僕は英雄の生涯のバイオリンソロ部分をぜひとも聞きたいと思って出かけたのだ。
NHK交響楽団はシカゴ交響楽団のような技術で押しまくり、サヴァリッシュさんが指揮したときにも出さなかったような艶やかな響きを存分に出しつつ、決してキュッヒルさんのソロだけが聞きどころでない素晴らしい演奏をした。とにかく音が良くなっていた。尾高さんって力のある指揮者なのかなあ。僕の尾高さんの評価は決まった訳ではないが、ちょっと気になる指揮者になったことだけは間違いない。
2011年5月8日 NHKホール
指揮/ウラディーミル・アシュケナージ ピアノ/アレクサンダー・ガヴリリュク
プロコフィエフ / 組曲「3つのオレンジへの恋」作品33a ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 作品16 シベリウス / 交響詩「大洋の女神」作品73 / 交響曲 第7番 ハ長調 作品105
アシュケナージは退屈な音楽をする人だと思っていた。前に聞いたのはもう10年以上も前のチェコフィルとの来日のベートーヴェンの第9交響曲だ。今日もいい演奏だった。見事なガブリリュクのピアノと美しい音を奏でるオーケストラ演奏を楽しんだ。アシュケナージの指揮は、何か突拍子もないことをするというわけでも、戦略的な演奏をするわけでもない。丁寧に無骨に音楽を練り上げて行く。もう少しお客が喜ぶ鋭敏な瞬間を見せて欲しいなあと思うのだが、NHK交響楽団の弦も管も欧米の一流の管弦楽団のそれと同じくらいになっていた。特にプロコフィエフのピアノ協奏曲のオケ伴は見事だと思った。
2011年6月4日 NHKホール
ロイヤルバレエは何回も見ているが、初めて見る英国バレエ団の永遠の二番手。演目は「真夏の夜の夢」をロイヤルバレエのエトワールだった吉田都で。そして、ダフニスとクロエも楽しみです。
「ダフニスとクロエ」
クロエ(羊飼い):ナターシャ・オートレッド
ダフニス(山羊飼い): ジェイミー・ボンド
リュカイオン(都会から来た人妻):アンブラ・ヴァッロ
ドルコン(牧夫):マシュー・ローレンス
「真夏の夜の夢」
オベロン:セザール・モラレス
タイターニア:吉田 都
パック:アレクサンダー・キャンベル
ボトム:ロバート・パーカー
指揮:フィリップ・エリス (「ダフニスとクロエ」)/ポール・マーフィー (「真夏の夜の夢」)演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
合唱:江東少年少女合唱団 (「真夏の夜の夢」)
◆上演時間◆「ダフニスとクロエ」 15:00 ― 16:00
【休憩】 25分「真夏の夜の夢」16:25-17:20
先ずはとても楽しかった。ラベルとメンデルスゾーンのおなじみの音楽。そのバレエは両方とも初めて見たのだ。そして、振付は両方ともイギリスバレエ界が心から敬愛するフレデリックアシュトンの見せ場と優雅さとユーモアのあるもの。会場が沸かないはずはない。「ダフニスとクロエ」は美術/舞台装置がピカソの若い頃の絵のような、ちょっとマチスと似ていた時代のピカソの絵の空気を出していた。それがこの幻想的な物語の枠組みを作るのにとても相応しい感じがした。それは、躍っている人達の衣装、特に色使いがとても美しかったのだ。冒頭に男女6人づつで躍るのだが、女性の衣装がパステル調の色なのだが微妙に違って、そのいろの配置が絶妙。覚えておきたかった。一方男性は、カーキ色のチノパンをはかせて、水色がかったシャツ。このダンスのシーンでこりゃいいなと思った。見ていると、アシュトンの振付けが、多くの人に影響を与えたことが良くわかる。あ、この感じは、ベジャールのギリシアの踊りでも見たなとか、マーサグラハム的だなとか思えるのだ。
最近の日本のオケの質の高さは本当に舌をまくのだが、東京シティフィルはまだまだというのが正直なところ。冒頭などは、楽団!といった感じで、ラヴェルの色気が出て来ない。それでも後半からはなかなか良くなって気にならなくなったけれど。
しかし、バレエの伴奏は、一時期ロイヤルオペラハウスが低迷していた頃に、ロンドンでみた「ロメオとジュリエット」のバレエで驚いた。本当に酷いオケだったからだ。それと比べると今日の東京シティフィルは悪くなかったけれども。
満員の観客のお目当ては後半の「真夏の夜の夢」である。そこに、昨年ロイヤルバレエ団を退団した吉田都が出演するからだ。僕は、美しいプリマドンナ。シルヴィギエムなどの名バレエダンサーが山ほどいるのに、なんでこんなに日本で人気が高いのかと思っていたら、数年前に初めてロンドンで吉田都の踊りを見て、すげー!と思った。そして、ロンドンでも物凄い人気だったのだ。
小柄なのだが、その技術力の高さ、優美さ、絶妙な具合に出してくる。力で攻めるようなことはしない舞台人としての見事さがあるのだ。メンデルスゾーンの音楽で55分間で「真夏の夜の夢」を表現するので、例えば職人などは明確に出て来ない。ハーミア、ライサンダーらの4人の話とタイターニアとボトムのロバとの恋の話が中心になる。
ここでも吉田都は本当に優美だった。会場中の視線が釘付けになっているのが分かる。このテンションの高さ!そして、パックのアレクサンダーキャンベルも見事な演技力と技術ですごかった。オベロンのセザールモラレスは7月に新国立劇場のバレエでも見る予定なので楽しみだ。
こちらでも最初のうちオケが気になって仕方なかったが後半からはそこそこ鳴ってくれた。バレエに音楽は大切だなと思った。
2011年5月29日 東京文化会館
劇団チョコレートケーキ 法廷劇二本立て
「挑戦」したチョコレートケーキ。
最近のチョコレートケーキは大変真面目で熱く面白い。しかし、今回はその熱さにチョコは融けてしまったようだ。大きな期待をもって出かけたが結果はイマイチだったというのが正直な感想。もちろん今回のテーマが「挑戦」であり、その意欲は高く買わなくてはいけないと思う。しかし、「12人の怒れる男」では、怒りの種類が感情を激高させて怒鳴り合うというのばかりが目につく。もっというと、登場人物12人の中で起きるドラマの演出がほとんどされてなく、登場した人物たちが、最初の設定のまま仕方なく態度を変えて行くというのが余りにも多い。実はこんな人、陪審員の中でこういうドラマが起きたというのが余りにも少ない。
こういう芝居は語っている人も大切だが、それ以上に大切なのが、それを聞いているリアクションだ。もうひとつ言えるのは、出演者に名作に対して畏怖の念が強すぎて…とまでは言わないが、いつもは現代口語の自然な演技をする人までが、キャラクターを作り上げ、「演技」することに熱をあげていたよう思う。もちろん、原作は素晴らしいし、この作品を取り上げたことも賞賛だが、全員が同じ色の同じようなスーツ。年齢もほとんど同じ俳優で、例えばポーランド出身であるとか、ニューヨークでの生活とか、そういうものが浮かび上がって来ない。時代背景のこともあれでは全く分からないと思うのだ。 さらに言うと、これを第二次世界大戦から10年もしていないアメリカのニューヨークでの芝居という意識があまり感じられないのだ。そして、堅物な有罪だと主張する人間=困った人、疑問を呈する人=いい人の図式の演出にもちょっと如何なものかと思った。
特に最後に、あれは第何号だったか。我が子の写真を破ってしまうシーンがあるのだが、それをそのままにしてしまったのだ。我が子への愛憎が憎さだけになってしまうという意図があっての演出なのか?疑問が残る。特にあの当時の写真の高価さをもう少し意識してもらいたい。
いろんなことを書いたけれども、それはこの劇団への思いからということも分かってくれると嬉しいな。
「裁きの日」は最近冴えている古川の台本に問題点が多くあった。裁判員制度のことについてきちんと研究/調査をしたとは思うのだが、裁判員制度においては、裁判員が直接、被告や証人に質問をすることができるという、陪審員制度と決定的に違う部分がある。その前提からすると、裁判員がおよそ会話することが考えられない「怒れる12人の男」のような謎解きや推理はあり得ないのではないか。それは法廷でクリアにすることが求められるからである。また、裁判員に守秘義務のことを語るが、裁判員がメディアのインタビューに応じる事もあることはどういう風に考えているのだろう。そういった裁判員制度の矛盾点や、制度では起こりえない事柄が散見されて残念だった。私は新聞などを通して知ってるだけだが、そういう素人が知っている事は抑えておくべきだろう。そして、芝居のほとんどが、死刑制度や裁判員制度についての討論に使われたのも残念。つまり、被告についての討論でなく一般論なのだ。
私の誤解もあるのかもしれないが、こういう芝居のルールとして、先ずは裁判員制度の特徴や知っておかなくてはいけないルールを芝居の冒頭や前半にに説明するのが鉄則だ。また出演者のキャラクターが動かない。ドラマが起きないのも残念。次回作に期待したい。
2011年6月1日「12人」3日「裁きの日」 ギャラリールデコ
風琴工房「赤き深爪」
作・演出 詩森ろば 出演 浅野千鶴(味わい堂々)葛木英(ehon)園田裕樹(はらぺこペンギン!)佐野功 他
上演時間1時間。ドラマの本質である児童虐待のシーンを目の前では見せないで、起きた事、思う事をほぼ全て思いを吐露して芝居を構成している。説明台詞と心の吐露の長台詞が延々と続く。劇中で、唯一ある児童虐待のシーンと言えるところが、花束で子どもの頭を叩いたシーン。花はルデコの無機質な床に飛び散り、それはそれは美しいシーンだった。非常に皮肉な感じがした。役者としての葛木英がこんなにいいとは思わなかった。
2011年5月27日 ギャラリールデコ
「挑戦」したチョコレートケーキ。
最近のチョコレートケーキは大変真面目で熱く面白い。しかし、今回はその熱さにチョコは融けてしまったようだ。大きな期待をもって出かけたが結果はイマイチだったというのが正直な感想。もちろん今回のテーマが「挑戦」であり、その意欲は高く買わなくてはいけないと思う。しかし、「12人の怒れる男」では、怒りの種類が感情を激高させて怒鳴り合うというのばかりが目につく。もっというと、登場人物12人の中で起きるドラマの演出がほとんどされてなく、登場した人物たちが、最初の設定のまま仕方なく態度を変えて行くというのが余りにも多い。実はこんな人、陪審員の中でこういうドラマが起きたというのが余りにも少ない。
こういう芝居は語っている人も大切だが、それ以上に大切なのが、それを聞いているリアクションだ。もうひとつ言えるのは、出演者に名作に対して畏怖の念が強すぎて…とまでは言わないが、いつもは現代口語の自然な演技をする人までが、キャラクターを作り上げ、「演技」することに熱をあげていたよう思う。もちろん、原作は素晴らしいし、この作品を取り上げたことも賞賛だが、全員が同じ色の同じようなスーツ。年齢もほとんど同じ俳優で、例えばポーランド出身であるとか、ニューヨークでの生活とか、そういうものが浮かび上がって来ない。時代背景のこともあれでは全く分からないと思うのだ。 さらに言うと、これを第二次世界大戦から10年もしていないアメリカのニューヨークでの芝居という意識があまり感じられないのだ。そして、堅物な有罪だと主張する人間=困った人、疑問を呈する人=いい人の図式の演出にもちょっと如何なものかと思った。
特に最後に、あれは第何号だったか。我が子の写真を破ってしまうシーンがあるのだが、それをそのままにしてしまったのだ。我が子への愛憎が憎さだけになってしまうという意図があっての演出なのか?疑問が残る。特にあの当時の写真の高価さをもう少し意識してもらいたい。
いろんなことを書いたけれども、それはこの劇団への思いからということも分かってくれると嬉しいな。
「裁きの日」は最近冴えている古川の台本に問題点が多くあった。裁判員制度のことについてきちんと研究/調査をしたとは思うのだが、裁判員制度においては、裁判員が直接、被告や証人に質問をすることができるという、陪審員制度と決定的に違う部分がある。その前提からすると、裁判員がおよそ会話することが考えられない「怒れる12人の男」のような謎解きや推理はあり得ないのではないか。それは法廷でクリアにすることが求められるからである。また、裁判員に守秘義務のことを語るが、裁判員がメディアのインタビューに応じる事もあることはどういう風に考えているのだろう。そういった裁判員制度の矛盾点や、制度では起こりえない事柄が散見されて残念だった。私は新聞などを通して知ってるだけだが、そういう素人が知っている事は抑えておくべきだろう。そして、芝居のほとんどが、死刑制度や裁判員制度についての討論に使われたのも残念。つまり、被告についての討論でなく一般論なのだ。
私の誤解もあるのかもしれないが、こういう芝居のルールとして、先ずは裁判員制度の特徴や知っておかなくてはいけないルールを芝居の冒頭や前半にに説明するのが鉄則だ。また出演者のキャラクターが動かない。ドラマが起きないのも残念。次回作に期待したい。
2011年6月1日「12人」3日「裁きの日」 ギャラリールデコ
風琴工房「赤き深爪」
作・演出 詩森ろば 出演 浅野千鶴(味わい堂々)葛木英(ehon)園田裕樹(はらぺこペンギン!)佐野功 他
上演時間1時間。ドラマの本質である児童虐待のシーンを目の前では見せないで、起きた事、思う事をほぼ全て思いを吐露して芝居を構成している。説明台詞と心の吐露の長台詞が延々と続く。劇中で、唯一ある児童虐待のシーンと言えるところが、花束で子どもの頭を叩いたシーン。花はルデコの無機質な床に飛び散り、それはそれは美しいシーンだった。非常に皮肉な感じがした。役者としての葛木英がこんなにいいとは思わなかった。
2011年5月27日 ギャラリールデコ
指揮:ペトル・ヴロンスキー ピアノ:清水和音
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491
《マーラー・イヤー・プログラム》マーラー/交響曲 第5番 嬰ハ短調
「驚異的な成功をおさめた読売日本交響楽団とブロンスキー」
読売日本交響楽団の演奏会に久々でかけた。僕の長年の友人が去年から事務局に入り、聞かないかと誘ってくれたのだ。始めはちょっと躊躇した。ブロンスキー?聞いた事のない指揮者。どうも地震の影響で元々の指揮者がキャンセルしたために呼んだ人らしい。マーラーの5番。疲れる。行くかどうか考えたのだ。
しかし、その友人はつまらないものだったら呼ばないと確信していた。そういう男なのだ。それに、もう読響を何年も聞いてないじゃないかと思った。
ちょっと、僕の読賣日本交響楽団の印象というか、いろいろ。
前に読響をきいたのはテルミカーノフ指揮だった。ちょうど、ニューヨークで久々にニューヨークフィルをきいたのだ。ニューヨークでは10年ぶり以上できいた。というのも、ラッシュアワーコンサートというのをやってて、じゃ聞こうというわけだ。その前は、向こうに住んでいる時にバーンスタインの指揮で一度行った(マーラー3番、その時の演奏はCDになってます)。その後、旅行でニューヨークにいる時には、わざわざ貴重な滞在時間でニューヨークフィルを聞く気になれなくて、基本的には、僕は芝居をブロードウェイで見て、メトでオペラを楽しみ、コンサートに行くにしてもカーネギーホールのプレミアなコンサートをきくだけと決めているのだ。
ちょうど旅行に行った時に、7時前から始まる1時間の短いコンサートがあった。これなら、終わってすぐ、隣のメトでやるオペラも見られるしってね。誰でも良かった。何でも良かった。アビリーフィシャーホールでニューヨークフィルを聞く。これでよかった。で、行った時に確か「春の祭典」だったと思うのだけれど、振っていたのがテルミカーノフ。知らなかった。もしかしたら10年以上前なのかなあ、いつごろだろと思って調べてみても、この10年はテルミカーノフ、ニューヨークでラッシュアワーコンサートやってないみたいだから。
で、ま、とにかくニューヨークフィルを振るのをきいて、こりゃいい指揮者だ、見つけた!と思って。帰ってきたら日本でも読響も振るというので聞いたのだ。池袋だったと思うけど、ロシアもので。それが、それも、良くて。でも本当に10年以上前かもしれない。となると、10年くらいも読売日本交響楽団の演奏会に行ってない事になる。
それ以前の読響の記憶といえば、日比谷公会堂で、アンタルドラティを指揮者に迎えてやったマーラーの「巨人」。新宿文化センターで、クルトマズアの指揮でも聞いている。それくらいの思い出しかない。もう25年以上前。というわけで、あんまり読売日本交響楽団と縁がない。一度、ロジェストヴィンスキーでも聞いたと思うけども。あとオペラとかでピットに入っているかもね。
僕はオーケストラは来日ものを中心にきいてきた。とにかく世界で一番いいものをと思っていたから、日本のオケは35年くらい前からNHK交響楽団をメインにきいてきた。あとは、20世紀は小澤が振っていた新日本フィル、21世紀になってからは昨シーズンまで東京フィルとまあ、そういうのは、定期会員になって継続的に聞いてきた。そうなると、それ以外の日本のオーケストラを聞く機会が本当に少なくなるわけです。
あと、読売日本交響楽団と言えば、30年以上前に、定期演奏会にカールベームを呼ぶと発表して話題になったことがある。みんな来ない、来るわけないと噂していたら、やっぱりこなかった。僕が中学生のころの話です。かわりにチェリビタッケを呼んだ。幻の指揮者だったから。で、すごく話題になった。もう1回きたかなチェリビタッケ、読響に。中学の時の同級生に高橋君っていって、読響でチェロ?いやコンマスかなやってた人の息子がいて、チェリビタッケ!がすごいって言ってたけど、まあオヤジが言ってたのを受け売りしたんだと思う。
まあ僕は行ってないんであれだけど。その後、20歳過ぎて、チェリビタッケをミュンヘンフィルの来日できき、その後も香港でのコンサートも聞いたけれど。全部で4−5回くらい聞いたのかな。話がずれた。
それから、読響ってロリンマゼールを呼んだり、ちょっと派手なことが好きという感じがしていた。
まあ、とにかく、あんまり縁がなかった。聞きたい指揮者はいたんですよ。最近なら、アルブレヒトとか、スクロヴァチェフスキとか。昔ならオッコカムとか。テルミカーノフもその後も来ているし。でも縁がなかった。
で、呼んでもらってききにいった。正直いうとモーツアルトのピアノ協奏曲きいて退屈しちゃって、帰ろうかな、と。清水和音さん、こんなものなんかって。第一バイオリンのピッチの併せ方とかもイマイチという感じでね。でも、帰るのも悪いなと思ってつまんなかったら寝ちゃおうと思って席に戻った。
ブロンスキーって指揮者は24年ぶりに読響を振るチェコの指揮者らしいけど、知らなかった。24年前に呼ばれて、それから呼ばれなかった。そんな人、期待できません。今回は震災で指揮者がキャンセルして代役。本当に期待できませんよ。もう一度言います。帰ろうかと思ったけれども、チェコの指揮者だし、1階のどセンターの12列目くらいの素晴らしい席だったんで。
そしたら、このマーラーはすごかった。
マーラーの交響曲5番は、これも今から30年ほど前にに、シカゴ交響楽団とゲオルグショルティ(欧米ではジョージショルティ)で聞いたのが最初で、すごいなあって。それから、シノポリとフィルハーもニア管弦楽団が、サントリーホールのお披露目かなんかでやったと思うし、まあ何回か聞いてる訳です。
でも、今宵のが今までで一番良かった。まさか、こんなすごい演奏をきけるなんて24時間前は想像もしていませんでした。曲が始まってすぐに、これすごい事になるかもと思って、自分の心に感じる事を書き留めたくなり、メモを書いたくらいです。
冒頭、ブロンスキーはおじぎをして、全てをトランペットに任せました。そして、あの哀愁漂う叫びのようなトランペットのソロ。これが良かった。で、合奏から指揮棒を降り始めた。テンポが非常に遅い。え!このテンポでやるのか?テンポが遅いってのは危険なんです。粗がどんどん浮き彫りになる。そしたら、悪いどころか、今まで見えてこなかった曲の構造が見えてきて、聞こえていなかった音が聞こえてくる。 いろんなメロディをこの指揮者はきちんと歌わすんです。弦や木管楽器のセクションだけでなく、大太鼓やティンパニまで歌わす。驚きました。こんなに素朴でこんなに心にしみいる音楽がいま鳴り響いている!。
でも、まだ思っていた。メリハリをつけるために一楽章だけ遅いのかなと。そしたら、違った。2楽章もテンポは遅く、そして、歌わせる。先ほどのモーツアルトの弦と全然違う繊細な音。ピアニシモが研ぎすまされていて美しい。しかし、音に酔っている感じでないのがいい。で、この指揮者の素晴らしいところは、きちんと中音部、低音部の弦をどーんと歌わすのです。読響の楽団員たちも、ベルリンフィルがかつてカラヤンの指揮のときにやっていたような、全身をフルに使って演奏する。疲れるぞあれ!それも、この指揮者、歌をひとつの色で染めない。藍色、緑、オレンジ、紫、いろんな色を提示させ、それが、ホールの中で混じり合う。そして、消えて行く。
2楽章の後半にチェロだけでしばらくテーマを奏でるところがあるのですが、今までの演奏では全体の中に埋もれてしまって僕の五感にドカーンと来なかったのですが、今日は別でした。こんなテーマがあったのかと思ったほど驚いた。それも一色でないからこそ新鮮に響くのです。
この指揮者は60歳くらい。でも無名です。でも、アイデアがあった。
3楽章になって、主席ホルン奏者を後ろに立たせた。まるで3楽章はホルン協奏曲の様にホルンの音を存分に聞かせた。そして、あのワルツのメロディを!!!
4楽章は音楽がもっと繊細になっていきます。まるで、楽想が沸き、歌い、混ざり、崩れていくといった趣きがあります。この楽章ではそこにポイントをもってきて指揮棒をおいて、両手で繊細に見事に表現していた。
終楽章が演奏されているとき、僕はマーラーの交響曲5番をこれほどまで素晴らしく、新鮮にきかせてくれているのが、あの読売日本交響楽団で、そして、それを指揮しているのが見知らぬチェコのブロンスキーという指揮者であることを信じられませんでした。シカゴ交響楽団の来日で何回かきいたマーラーの5番を遥かに凌駕した奇跡の名演奏でした。一生忘れないコンサートです。読響おそるべし。きっとこのコンサート、東京の音楽ファンの中で語り継がれるコンサートになったと思います。別のドヴォルザークのプログラムも聞いてみたかったです。
2011年5月23日 サントリーホール
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491
《マーラー・イヤー・プログラム》マーラー/交響曲 第5番 嬰ハ短調
「驚異的な成功をおさめた読売日本交響楽団とブロンスキー」
読売日本交響楽団の演奏会に久々でかけた。僕の長年の友人が去年から事務局に入り、聞かないかと誘ってくれたのだ。始めはちょっと躊躇した。ブロンスキー?聞いた事のない指揮者。どうも地震の影響で元々の指揮者がキャンセルしたために呼んだ人らしい。マーラーの5番。疲れる。行くかどうか考えたのだ。
しかし、その友人はつまらないものだったら呼ばないと確信していた。そういう男なのだ。それに、もう読響を何年も聞いてないじゃないかと思った。
ちょっと、僕の読賣日本交響楽団の印象というか、いろいろ。
前に読響をきいたのはテルミカーノフ指揮だった。ちょうど、ニューヨークで久々にニューヨークフィルをきいたのだ。ニューヨークでは10年ぶり以上できいた。というのも、ラッシュアワーコンサートというのをやってて、じゃ聞こうというわけだ。その前は、向こうに住んでいる時にバーンスタインの指揮で一度行った(マーラー3番、その時の演奏はCDになってます)。その後、旅行でニューヨークにいる時には、わざわざ貴重な滞在時間でニューヨークフィルを聞く気になれなくて、基本的には、僕は芝居をブロードウェイで見て、メトでオペラを楽しみ、コンサートに行くにしてもカーネギーホールのプレミアなコンサートをきくだけと決めているのだ。
ちょうど旅行に行った時に、7時前から始まる1時間の短いコンサートがあった。これなら、終わってすぐ、隣のメトでやるオペラも見られるしってね。誰でも良かった。何でも良かった。アビリーフィシャーホールでニューヨークフィルを聞く。これでよかった。で、行った時に確か「春の祭典」だったと思うのだけれど、振っていたのがテルミカーノフ。知らなかった。もしかしたら10年以上前なのかなあ、いつごろだろと思って調べてみても、この10年はテルミカーノフ、ニューヨークでラッシュアワーコンサートやってないみたいだから。
で、ま、とにかくニューヨークフィルを振るのをきいて、こりゃいい指揮者だ、見つけた!と思って。帰ってきたら日本でも読響も振るというので聞いたのだ。池袋だったと思うけど、ロシアもので。それが、それも、良くて。でも本当に10年以上前かもしれない。となると、10年くらいも読売日本交響楽団の演奏会に行ってない事になる。
それ以前の読響の記憶といえば、日比谷公会堂で、アンタルドラティを指揮者に迎えてやったマーラーの「巨人」。新宿文化センターで、クルトマズアの指揮でも聞いている。それくらいの思い出しかない。もう25年以上前。というわけで、あんまり読売日本交響楽団と縁がない。一度、ロジェストヴィンスキーでも聞いたと思うけども。あとオペラとかでピットに入っているかもね。
僕はオーケストラは来日ものを中心にきいてきた。とにかく世界で一番いいものをと思っていたから、日本のオケは35年くらい前からNHK交響楽団をメインにきいてきた。あとは、20世紀は小澤が振っていた新日本フィル、21世紀になってからは昨シーズンまで東京フィルとまあ、そういうのは、定期会員になって継続的に聞いてきた。そうなると、それ以外の日本のオーケストラを聞く機会が本当に少なくなるわけです。
あと、読売日本交響楽団と言えば、30年以上前に、定期演奏会にカールベームを呼ぶと発表して話題になったことがある。みんな来ない、来るわけないと噂していたら、やっぱりこなかった。僕が中学生のころの話です。かわりにチェリビタッケを呼んだ。幻の指揮者だったから。で、すごく話題になった。もう1回きたかなチェリビタッケ、読響に。中学の時の同級生に高橋君っていって、読響でチェロ?いやコンマスかなやってた人の息子がいて、チェリビタッケ!がすごいって言ってたけど、まあオヤジが言ってたのを受け売りしたんだと思う。
まあ僕は行ってないんであれだけど。その後、20歳過ぎて、チェリビタッケをミュンヘンフィルの来日できき、その後も香港でのコンサートも聞いたけれど。全部で4−5回くらい聞いたのかな。話がずれた。
それから、読響ってロリンマゼールを呼んだり、ちょっと派手なことが好きという感じがしていた。
まあ、とにかく、あんまり縁がなかった。聞きたい指揮者はいたんですよ。最近なら、アルブレヒトとか、スクロヴァチェフスキとか。昔ならオッコカムとか。テルミカーノフもその後も来ているし。でも縁がなかった。
で、呼んでもらってききにいった。正直いうとモーツアルトのピアノ協奏曲きいて退屈しちゃって、帰ろうかな、と。清水和音さん、こんなものなんかって。第一バイオリンのピッチの併せ方とかもイマイチという感じでね。でも、帰るのも悪いなと思ってつまんなかったら寝ちゃおうと思って席に戻った。
ブロンスキーって指揮者は24年ぶりに読響を振るチェコの指揮者らしいけど、知らなかった。24年前に呼ばれて、それから呼ばれなかった。そんな人、期待できません。今回は震災で指揮者がキャンセルして代役。本当に期待できませんよ。もう一度言います。帰ろうかと思ったけれども、チェコの指揮者だし、1階のどセンターの12列目くらいの素晴らしい席だったんで。
そしたら、このマーラーはすごかった。
マーラーの交響曲5番は、これも今から30年ほど前にに、シカゴ交響楽団とゲオルグショルティ(欧米ではジョージショルティ)で聞いたのが最初で、すごいなあって。それから、シノポリとフィルハーもニア管弦楽団が、サントリーホールのお披露目かなんかでやったと思うし、まあ何回か聞いてる訳です。
でも、今宵のが今までで一番良かった。まさか、こんなすごい演奏をきけるなんて24時間前は想像もしていませんでした。曲が始まってすぐに、これすごい事になるかもと思って、自分の心に感じる事を書き留めたくなり、メモを書いたくらいです。
冒頭、ブロンスキーはおじぎをして、全てをトランペットに任せました。そして、あの哀愁漂う叫びのようなトランペットのソロ。これが良かった。で、合奏から指揮棒を降り始めた。テンポが非常に遅い。え!このテンポでやるのか?テンポが遅いってのは危険なんです。粗がどんどん浮き彫りになる。そしたら、悪いどころか、今まで見えてこなかった曲の構造が見えてきて、聞こえていなかった音が聞こえてくる。 いろんなメロディをこの指揮者はきちんと歌わすんです。弦や木管楽器のセクションだけでなく、大太鼓やティンパニまで歌わす。驚きました。こんなに素朴でこんなに心にしみいる音楽がいま鳴り響いている!。
でも、まだ思っていた。メリハリをつけるために一楽章だけ遅いのかなと。そしたら、違った。2楽章もテンポは遅く、そして、歌わせる。先ほどのモーツアルトの弦と全然違う繊細な音。ピアニシモが研ぎすまされていて美しい。しかし、音に酔っている感じでないのがいい。で、この指揮者の素晴らしいところは、きちんと中音部、低音部の弦をどーんと歌わすのです。読響の楽団員たちも、ベルリンフィルがかつてカラヤンの指揮のときにやっていたような、全身をフルに使って演奏する。疲れるぞあれ!それも、この指揮者、歌をひとつの色で染めない。藍色、緑、オレンジ、紫、いろんな色を提示させ、それが、ホールの中で混じり合う。そして、消えて行く。
2楽章の後半にチェロだけでしばらくテーマを奏でるところがあるのですが、今までの演奏では全体の中に埋もれてしまって僕の五感にドカーンと来なかったのですが、今日は別でした。こんなテーマがあったのかと思ったほど驚いた。それも一色でないからこそ新鮮に響くのです。
この指揮者は60歳くらい。でも無名です。でも、アイデアがあった。
3楽章になって、主席ホルン奏者を後ろに立たせた。まるで3楽章はホルン協奏曲の様にホルンの音を存分に聞かせた。そして、あのワルツのメロディを!!!
4楽章は音楽がもっと繊細になっていきます。まるで、楽想が沸き、歌い、混ざり、崩れていくといった趣きがあります。この楽章ではそこにポイントをもってきて指揮棒をおいて、両手で繊細に見事に表現していた。
終楽章が演奏されているとき、僕はマーラーの交響曲5番をこれほどまで素晴らしく、新鮮にきかせてくれているのが、あの読売日本交響楽団で、そして、それを指揮しているのが見知らぬチェコのブロンスキーという指揮者であることを信じられませんでした。シカゴ交響楽団の来日で何回かきいたマーラーの5番を遥かに凌駕した奇跡の名演奏でした。一生忘れないコンサートです。読響おそるべし。きっとこのコンサート、東京の音楽ファンの中で語り継がれるコンサートになったと思います。別のドヴォルザークのプログラムも聞いてみたかったです。
2011年5月23日 サントリーホール
【演出・振付】デヴィッド・ビントレー
【作 曲】カール・デイヴィス
【装 置】ディック・バード
【衣 裳】スー・ブレイン
【照 明】マーク・ジョナサン
【指 揮】ポール・マーフィー
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
キャスト アラジン:山本隆之 プリンセス:本島美和 魔術師マグリブ人:マイレン・トレウバエフ ランプの精ジーン:福田圭吾
「21世紀に新しく古典を作るということ」
2010/11はバレエの通し券を買っていて、それでもほとんど全部いけなくてやっと初めてこれたのがこれだ。数年前にロンドンに行った時にロイヤルオペラでかかっていて、へえ「アラジン」かあと思っていたら、新国立劇場でも掛かったのだ。デビッドビントレーという今のバレエ部門の芸術監督はロンドンのサドラーウェールズのトップをやった人だ。せっかくロンドンまでいったら最高のものを見たいと思うからロイヤルオペラ/ロイヤルバレエとなるのだが、一度、サドラーも見た事があってこれが面白かった。そして、今の新国立劇場のバレエの監督としてはなるほど適任者だなとも思う。サドラーは超一流のスターダンサーはいない。そういう人はよそに転出する。技術があっても花がない人とかね。でも、作品の総合力で面白くみせてしまうのだ。
この「アラジン」というバレエ。現代に作る19世紀的、いや20世紀のハリウッド的古典なのである。下のリンクから音楽をきいてもらいたい。まるでかつての(ウォルトが生きていたころの)ディズニー映画の音楽のような雰囲気だ。そして作曲者も現代音楽の作曲家ではなく、映画音楽などを主に作っている人らしい。
そしてこれを躍るのに、ベジャールとか、フォーサイスとか、キリアンとか、何かに秀でていなくても、精神性とかがなくてもいいのである。
地道な基本の総合力で勝負する作品だ。子どもたちをワクワクさせ、ちょっとした現代的のメカを使った仕掛けを入れて、プティパの時代のバレエのように、各国の踊りをいろいろと入れて…とそういう具合。それも、もちろん主役のソロもあるのだけれど、例えば超人的な体力も技術も求めない。それよりも、いろんな人が短い時間頑張ってそれぞれの良いものを出すみたいな。
現代に作品を生み出す。それも大スターなくして作品を生み出すときに必要なことをこの作品は兼ね備えている。なかなか計算され尽くした作品だ。見ていて悪くない。いや面白かった。
もっと言うと、観客は、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割人形」「ジゼル」「ラシルフィールド」「ロミオとジュリエット」「シンデレラ」「バイヤール」ほか古典で完成された素晴らしい作品はホントに少なくてバレエを見る観客はまたこれかあ〜になってしまうのである。そういう時にこういう新しい古典が加わるのは悪くない。ロイヤルバレエで上演した時は主役級の人達はプリンシパルが躍ったのだろうか。ソロダンサーで十分だとも思うのだけれど。
ひとつ気になるのは、この作品21世紀になって作られた作品なのだが、未だに中東の人たちの表現が前近代的というか、童話的にしか扱っていないのだ。それは何とかして欲しいなあと思った。
http://www.atre.jp/11aladdin/index.html
2011年5月5日 新国立劇場オペラパレス
【作 曲】カール・デイヴィス
【装 置】ディック・バード
【衣 裳】スー・ブレイン
【照 明】マーク・ジョナサン
【指 揮】ポール・マーフィー
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
キャスト アラジン:山本隆之 プリンセス:本島美和 魔術師マグリブ人:マイレン・トレウバエフ ランプの精ジーン:福田圭吾
「21世紀に新しく古典を作るということ」
2010/11はバレエの通し券を買っていて、それでもほとんど全部いけなくてやっと初めてこれたのがこれだ。数年前にロンドンに行った時にロイヤルオペラでかかっていて、へえ「アラジン」かあと思っていたら、新国立劇場でも掛かったのだ。デビッドビントレーという今のバレエ部門の芸術監督はロンドンのサドラーウェールズのトップをやった人だ。せっかくロンドンまでいったら最高のものを見たいと思うからロイヤルオペラ/ロイヤルバレエとなるのだが、一度、サドラーも見た事があってこれが面白かった。そして、今の新国立劇場のバレエの監督としてはなるほど適任者だなとも思う。サドラーは超一流のスターダンサーはいない。そういう人はよそに転出する。技術があっても花がない人とかね。でも、作品の総合力で面白くみせてしまうのだ。
この「アラジン」というバレエ。現代に作る19世紀的、いや20世紀のハリウッド的古典なのである。下のリンクから音楽をきいてもらいたい。まるでかつての(ウォルトが生きていたころの)ディズニー映画の音楽のような雰囲気だ。そして作曲者も現代音楽の作曲家ではなく、映画音楽などを主に作っている人らしい。
そしてこれを躍るのに、ベジャールとか、フォーサイスとか、キリアンとか、何かに秀でていなくても、精神性とかがなくてもいいのである。
地道な基本の総合力で勝負する作品だ。子どもたちをワクワクさせ、ちょっとした現代的のメカを使った仕掛けを入れて、プティパの時代のバレエのように、各国の踊りをいろいろと入れて…とそういう具合。それも、もちろん主役のソロもあるのだけれど、例えば超人的な体力も技術も求めない。それよりも、いろんな人が短い時間頑張ってそれぞれの良いものを出すみたいな。
現代に作品を生み出す。それも大スターなくして作品を生み出すときに必要なことをこの作品は兼ね備えている。なかなか計算され尽くした作品だ。見ていて悪くない。いや面白かった。
もっと言うと、観客は、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割人形」「ジゼル」「ラシルフィールド」「ロミオとジュリエット」「シンデレラ」「バイヤール」ほか古典で完成された素晴らしい作品はホントに少なくてバレエを見る観客はまたこれかあ〜になってしまうのである。そういう時にこういう新しい古典が加わるのは悪くない。ロイヤルバレエで上演した時は主役級の人達はプリンシパルが躍ったのだろうか。ソロダンサーで十分だとも思うのだけれど。
ひとつ気になるのは、この作品21世紀になって作られた作品なのだが、未だに中東の人たちの表現が前近代的というか、童話的にしか扱っていないのだ。それは何とかして欲しいなあと思った。
http://www.atre.jp/11aladdin/index.html
2011年5月5日 新国立劇場オペラパレス
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