佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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クリストフエッシェンバッハ指揮

2011年10月12日
シューマン作曲 ピアノ協奏曲 独奏ランラン
ブルックナー作曲 交響曲第4番「ロマンチック」
@みなとみらい大ホール

アンコール 
ランラン リスト/コンソレーション2番 ショパン/エチュード作品25−2
オーケストラ ヨハンシュトラウス/美しき青きドナウ

2011年10月19日
ブラームス作曲 悲劇的序曲
シューベルト作曲 交響曲第7番「未完成」
マーラー作曲 「少年の魔法の角笛」から
バリトン;マティアスゲルネ
@サントリーホール

アンコール
マーラー『少年の魔法の角笛』から「不幸なときのなぐさめ」
J.シュトラウスⅡ ワルツ『美しく青きドナウ』 op.314
J.シュトラウスⅡ ポルカ『雷鳴と稲妻』

 

「エッシェンバッハの魅力を再発見」
 ウィーンフィルの来日公演も震災、いや原発問題は大きな影響を与えている。ウィーンフィルのメンバーのことも詳しい人は、既に引退した人なども総動員して今回の来日公演を行った事を記している。それだけに、今回の来日はウィーンフィルの中でも今の日本の現状をふまえて是非来日したいという人だけで構成されていたということを先ずは記しておきたい。今回は2回の演奏会にいった。昨年の来日の後でエッシェンバッハと発表された時には正直がっかりしたものだ。エッシェンバッハの演奏は数年前にパリ管弦楽団との来日で久しぶりに聴いたのだが何の印象も残っていない。僕はエッシェンバッハではなく、マティアスゲルネのマーラー、そして、ウィーンフィルのブルックナー4番が聴きたくて出かけたのだ。
 12日の演奏では、ランランのますます冴え渡るあっけら感としたスケールの大きさに若さを感じたものだ。リストの世界にそのまま身を預けているのは分かるのだが現代の演奏として何を彼が考えているのか分からない。華麗な音楽のエロスを感じる以外に何もなかった。若いころのキーシンと比べてみたが、何か彼にはね、深みというか暗さが若い頃からあった。まあリストのピアノ協奏曲自体はそれほど演奏回数も多くないので良かったんだけれど。さて、ブルックナー4番。エッシェンバッハはテンポを遅めに取る。現代の演奏らしく一音一音大切にしながら進めていくのだが、曲の中に起きる変化の部分は特に慎重にことを進める。面白い。
 それは、未完成交響曲でも同じで、僕はこの曲をウィーンフィルとは1988年のシーズンにカーネギーホールでカラヤン指揮のそれで聴いて、それが特に印象に残っていた。ムーティの来日では聴いたのかな?忘れてしまった。いづれにせよ、今宵のエッシェンバッハのそれはとても印象に残った。極めて遅いテンポで進めるし、緊張感はピアニシモのときから極限となり、それがクレッシェンドになったりすると、解き放たれ感は極限となる。それは聴衆にも圧倒的に伝わってくる。各声部の唄わせ方は極めて丁寧で好感を持った。
 ゲルネとのマーラーも名演で、ここではエッシェンバッハは自らを主張するというよりもゲルネに相当合わせて演奏していように思う。ゲルネの声は、フィッシャーディスカウの知性とヘルマンプライの明るさと、いいところを持ちあわせている感じでじっくりと浸る事ができた。
 2つの交響曲を中心にエッシェンバッハの知性と美感を再発見する印象深い演奏会だった。そして、今回のウィーンフィルの演奏はいつにもなく緊張感を持った演奏会で、震災と原発でどん詰まりのわが国の聴衆を大いに慰めてくれたと思う。アンコールのウィンナワルツも含めて心から感銘を受けた演奏会だった。来年も来てくれるのかな。
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ヴェルディ作曲
東京フィルハーモニー管弦楽団
指揮 :ピエトロ・リッツォ Pietro Rizzo 
演出 :ウルリッヒ・ペータース Ulrich Peters
レオノーラ/タマール・イヴェーリ Tamar Iveri マンリーコ/ヴァルテル・フラッカーロ Walter Fraccaro ルーナ伯爵/ヴィットリオ・ヴィテッリ Vittorio Vitelli
 アズチェーナ/アンドレア・ウルブリッヒ Andrea Ulbrich フェルランド/妻屋 秀和 老ジプシー/タン・ジュンボ イネス/小野 和歌子



「新国立劇場の水準は高い」
 外来オペラを聴きまくった9月から10月にかけて最後にきいたのがヴェルディ中期の3大オペラのひとつ。トロヴァトーレ。初めは初日に行こうと思ってチケットを買ったのだが「ナクソス島」でめちゃくちゃいい席が手に入り妹に譲渡。こちらの幕が空いてからの評判が良くて千秋楽に間に合った次第。こちらはレオノーラが当初のタケシュメシェ・キザールが来日したものの体調不良で帰国、ルーナ伯爵も当初のゲオルグガクニーゼが原発問題で出演降板ということであったのだが…。4人の歌手の水準が十分に高くてこのオペラの魅力は十分に発揮された公演であった。僕は最初に見たのは1987年藤原歌劇団のそれで、バブル時でカネボウが相当金を出したらしく出演者も豪華であった。アズチェーナ : フィオレンツァ・コッソット  レオノーラ : 林 康子 マンリーコ : ジョルジョ・ランベルティ  ルーナ : マウロ・アウグスティーニ フェランド : イヴォ・ヴィンコ アルベルト・ヴェントゥーラ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団。アズチェーナがコソットである。もうコソットが全部持って行った感のある公演だったのだ。そのあとで印象に残っているのがやはり1990年前後にニューヨークで見た公演。パバロッティ、コソット、そして、ジョンサザーランドだった。
 ということで、この水準が僕にとってはこのオペラをみるときの基準になってしまう。それが決して悪くなかったのだが、アンサンブルの水準が非常に高かったからだ。先ずは東フィルのオケが素晴らしい。特に2幕の2場くらいからは絶好調で、日本のオケなのに、まるでカラヤンが求めるような音を出すなあと思った。演出は黒のルーナと赤のマンリーコと色を分けたのが分かりやすく、割とシンプルなドイツ的な舞台装置(大階段が真ん中にあって…)も分かりやすかった。終幕など鉄格子の前で唄われると、何でこんなに国賊と思ってる奴とアクセス自由なんだよ!といつも思っていたが、閉じ込められた牢獄の前で唄われるとそうだよなあとなるわけだ。
 それから照明が美しかった。2幕の青いシルエットとなる照明など、戦うことのバカらしさ愚かさを辞める事のできない人間の哀しさが伝わって来た。ところが、1幕は上手側の箱のような囲いが4面紗幕で囲まれていてそこで、レオノーラやイネスは2重唱を披露する。これが、どうも唄に悪影響。紗幕がなくなってからのレオノーラの声はきちんと響き良かったのだが、ここだけは何かイマイチインパクトに欠けるし、イネスなどは全く聞こえて来ないのだ。歌手泣かせな演出だったと思う。
 ザランカーロを初めとするメインの歌手、コーラスなども十分に唄ってくれて3時間のヴェルディのドロドロの愛憎劇を楽しむ事が出来た。過去の超名演には及ばないが、普段着で行ける気軽さのある新国立劇場でこれだけのレベルの演奏を普通に聴けるようになったのは幸せなことだと改めて思った。B席3階サイド。
 2011年10月17日 新国立劇場オペラパレス
劇団レトロノート 本日のお日柄は

戯曲:小林佐千絵 演出:中村公平
<劇団レトロノート>
前澤航也 碓井将仁 福田修司 中村公平
<ゲスト> 生井歩 オカドミキ 冨田裕美子 横関咲栄 野村修一 冠仁
棚橋幸代 渡部将之(円盤ライダー) 深沢邦之(TAKE2)



「素晴らしい脚本と見事な演技」
10年以上の上演歴があるというらしいが、全く知らない劇団だった。出演者からの招待をしてもらい見せて頂いた。こういう作品の場合、華のある存在、今回ならtake2の深沢さんが舞台を引っ張っていくんだろうと思っていた。本来の登場までに冒頭に出ていたので「やっぱし」とも思った。しかし、それは全く違った。分かりやすい喜劇なのだが、役者さんが達者でチームワークがよく、無名の俳優達が徐々に観客を包み込んでいく。家族愛や兄弟、友情といったことを物語の軸におくときに小劇場が苦労するのは俳優の年齢である。どうしても、各カンパニーが同じような年齢の人達ばかりで上演するものだから、例えば親子と行った話を書くのに苦労したりするのだが、レトロノートは同じような年齢の人達ばかりで、その欠けがちの部分も見事にカバーしていた。中盤で深沢さんが出てくる頃には客席も十分暖まっていているから、深沢さんが持って行くところはさらに上のところになる。こうして上質の喜劇の上演は作り上げられたのだ。タイトルからして分かるように結婚に絡む話なのであるが、いやあ勉強になりました。劇団レトロノート。来ていたお客さんの多くが懐かしい昭和の空気のある暖かい芝居を見てポカポカになって帰路についたのは間違いないと思う。2011年10月15日@中野ザポケット
陛下に届け
出演 小岩崎小恵, サイショモンドダスト★, CR岡本物語 他
脚本/演出 吹原幸太


「お客さんは大いに喜んでいた」
 吹原君は前からの知り合いで事務所に属してからメディアに台本を提供する事も少なくなく今回は絶対の自信作ということで見せてもらった。どうもありがとう。バラエティのような展開で、途中でバツゲームがコーナーとして入っていたりして構成が極めて上手い。お客さんはTVのバラエティ番組を見る感覚で見ていたのではないか。ケラケラ笑っていた。最後に泣かせられたという感想がネット上に多かったのだが、そこまでか〜と思った。きっとこの芝居のファンになっていれば、どかーんと感動の坩堝に…ということだったのだと思う。僕が感心したのは前説。サイショモンド★ダストさんという俳優が担当したのだと思うのだが、これが超テンションが高く面白い。ここまで前説で客席を暖めたことは非常に公演の成功に追い風になるものだ。スゴい。正直いって俳優さんの演技のレベルはいろいろで、吹原君は演技指導をしてというよりも、きっと持っているものを上手く使っていくタイプの公演にしたいのだろう。プロだなあと思った。もうひとつ感心したのがオープニング映像。幾らの予算を組んだのかは分からないがそれは見事。ティムバートンの世界を思わせるそれでセンスもテンポも非常にクォリティが高い。アニメーションは吉田ハレラマさんという人らしいが是非名前を覚えておいた方がいい。

2011年10月16日@下北沢Geki地下Liberty
マルクヤノフスキ指揮
ベルリン放送交響楽団演奏会

ブラームス交響曲第3番/第4番

 「太陽の下にさらされたブラームスのロマンチック」
 ポーランド出身のヤノフスキの評判が極めていい。この1939年生まれのポーランド出身の指揮者も72才となり円熟の時期を迎えたのか。僕は何回か聞いているのだがあまり記憶がない。昔、ワーグナーの録音がいいなあと思ったくらい。1階の本当にいい席を手に入れたのに今宵も遅れてしまい後半の交響曲4番とアンコールのロザムンデ間奏曲を聞けただけ。残念。それでも十分にこの指揮者の魅力は伝わったと思う。数年前にベルリンフィルがサイモンラトルとサントリーホールでブラームスの4つの交響曲を披露した。それが何の印象も残っていない。すごい演奏でも心に残るそれではなかった。ベルリン放送交響楽団はベルリンの中でも3番手4番手のオケである。それが何と魅力的な演奏をしたことか。飛び抜けているのはくっきりと踏んでいくリズムと全体の「ノリ」ブラームスをくすんだ曇り空の下に閉じ込めずに明るい太陽の下に曝した感じだ。2楽章の弦のピチカートが活き活きと響いたかと思うと、たっぷりとレガートを楽しませてくれて、チェロへフルートへ紡がれていく。美しい弦楽合奏の喜び。幕切れまで緊張感を持ったまま聞かせてくれた。ああ、ブラームスっていいなあと久々に思った。オーケストラが素晴らしいシェフを持つといい演奏をする典型だ。ヤノフスキ。また聞いてみたい。

2011年10月14日 オペラシティコンサートホール
演劇プロデュースユニットMoratorium Pants旗揚げ公演
作 谷川俊太郎 佐野洋子
出演 橋本昭博 野田久美子
谷川俊太郎(詩人)×佐野洋子「100万回生きた猫」の幻の戯曲


「なるほどね!これはありだなあ」
谷川俊太郎のテキストを基にした30分の芝居と、トーク、ゲスト歌手、ダンスといったバラエティ色豊かな2時間。それも芝居以外は日替わりで変えていく。公演場所も移動していくという公演の形式。この企画力は面白い。肝心の芝居は、橋本ならもっと上を目指して欲しいと強く思った。
2011年10月13日 六本木
西田シャトナー/作演出
大山真志、平野良、渡邊小百合、保村大和、原田麻由、高崎翔太、土屋研二、藤沢瀬里菜、中津五貴、青木一世、三木崇史、兼崎健太郎 出演


 「情熱と知性」
 西田シャトナーさんの演劇ならではの世界が今回もそこにはあって、若い俳優達や土屋研二や保村大和などのベテランに混じって大活躍。見ていて元気の出る芝居だった。スケールのでかいストーリーと閉じこもる若者の内側と外側を描き、誰もが次への一歩を踏み出すため大きな後押しにもなる。
 こうした作品に挑戦する俳優は生半可では対応できない。それこそ心血を注がないと舞台で死んでしまう。そこから放たれるエネルギーは観客を包み込んでいく。そして、いつの間にか、何もない舞台に全てのものが見えてくる。それが西田ワールドなのだ。時おり台詞が不明瞭になるところがある。役者にとっての表現は台詞だけではないのでそれは受け入れられるのだが、時おり説明台詞でそれがあるのが残念だった。劇団たいしゅう小説家の企画の上演。キティフイルムプレゼンツ。若い俳優にとって西田作品に出る事は間違いなく俳優としてのスケールを拡げてくれるだろう。できれば満員の観客に見守られるとさらにいいのになとも思った。
2011年10月8日@前進座劇場
ネヴィル・マリナー指揮 
シプリアン・カツァアリス ピアノ

モーツアルト 交響曲第32番
モーツアルト ピアノ協奏曲第21番
ブラームス交響曲 第1番


「余りにも期待が高すぎて」
 NHK交響楽団への期待値がものすごく高くなっている。定期演奏会での名演に圧倒されているからだ。9月はブロムシュテットとの3回の演奏会はどれもが心に残るものだった。さて、ネヴィルマリナー。2010/11のシーズンはこの87才のイギリス人指揮者と開幕した。1年とちょっとぶりの再会。最近お気に入りの1階サイドブロックで聴いたのだが、今宵の演奏はイマイチな感じ。
 最初のモーツアルトの32番交響曲は3楽章で9分弱の短いものだが、モーツアルトのエッセンスを楽しめる作品である。この10月はアンドレプレヴィンが3種の定期演奏会を振ってくれるからとても楽しみにしている。NHK交響楽団から魅力的なモーツアルトを「僕に取って」始めて引き出してくれたのはプレヴィンだった。弦のアンサンブルは完璧なのに自然にやってのけてるように聞こえる。フレージングまで皆の息があってるのに心から弾いていると行った感じのそれ。今宵はそこまではいかなかった。まるで10年〜20年前のNHK交響楽団のアンサンブルのレベルだ。時おり素腹いい音も出てくるのだけれど、まるで蜃気楼のように消えてしまった。
 続いてピアノ協奏曲。この有名な曲でも不満は残る。カツァリスのピアノも自らのテクニックの完璧さに時に酔ってしまっているように聞こえて。
 でも期待はブラームスだった。確か昨年のシーズンで、オーチャード定期でマリナーと演奏して評判になった。行けなかったので聴きたかったのだ。しかし、ここでも9月にブロムシュテットと聴かせたような超一流の音はなかなか出て来ない。これくらいのN響なら、もう20年前から聴いている。弦は荒い。特に第一バイオリンが高音を奏で始めると聴きづらい。金管や打楽器はきちんと演奏しているのだろうけど、音が大きすぎたり、アクセントをつけすぎで、なんかアンサンブルとしてハーモニーを奏でる感じでない。変な音が飛び出して聞こえたりしてしまうのだ。
 最近のNHK交響楽団の名演のレベルの音が聞こえ始めたのは終楽章に入ってからだった。あの素晴らしいメロディで弦がやっと納得できる音を聞かせてくれた。しかし、それでも他の金管などとのバランスは悪いまま。こうして演奏は終わった。
 もっと上に行けたはずだよなあと思わせる演奏会だった。
  
2011年10月6日@NHKホール


 何回目の来日なのでしょう。第2回目の来日から、20年以上、ミュンヘンにも何回かでかけ聞いていて思うのは、ドイツオペラの最高峰ということ。今回もレベルの高いパフォーマンスが期待されています。新しい芸術監督がケントナガノであること、そして、ドイツ演劇の影響を受けた現代的な演出も楽しみです。






ドニゼッティ作曲「ロベルト・デヴェリュー」全3幕
Gaetano Donizetti ROBERTO DEVEREUX  
指揮 :フリードリッヒ・ハイダー 演出:クリストフ・ロイ

エリザベッタ:エディタ・グルベローヴァ
Elisabetta Edita Gruberova
ノッティンガム公爵:デヴィッド・チェッコーニ
Herzog von Nottingham Devid Cecconi
サラ :ソニア・ガナッシ
Sara Sonia Ganassi
ロベルト・デヴェリュー:アレクセイ・ドルゴフ
Roberto Devereux Alexey Dolgov


「グルベローヴァは全盛期を過ぎたけれども」
二人の代役の男性も頑張ってはいたけれども、今宵は女性二人の歌手がさらっていった。存在感、演技力、そして、全盛期より若干落ちるが、すべての音域の歌唱が見事に構築されていたグルヴェローヴァはさすがと言わざる終えない。最初の登場で空気が変わってしまう。すごい。まあ、彼女のすごさは多くの人が語るだろう。私は、ソニアガナッシが、グルヴェローヴァに負けじと頑張っていた事を強調しておきたい。嫉妬と悪意に負けてしまう女の感情も歌に見事に入れ込んでいたと思うのだ。そして、技術も最高水準だった。
 現代企業の女社長に読み替えた演出は、まあ、それで?という感じだが、合唱の人の動かし方が、ボローニャのそれと比べると段違いでそれが気になって仕方なかった。オーケストラは悪くなかった。
2011年9月27日 東京文化会館


「ナクソス島のアリアドネ」
Richard Strauss ARIADNE AUF NAXOS  
Oper in einem Aufzug nebst einem Vorspiel

指揮:ケント・ナガノ
演出 :ロバート・カーセン

音楽教師:マーティン・ガントナー Ein Musiklehrer Martin Gantner
作曲家:アリス・クート Der Komponist Alice Coote
バッカス / テノール歌手:ロバート・ディーン・スミス Bacchus / Der Tenor Robert Dean Smith
下僕:タレク・ナズミ Ein Lakai Tareq Nazmi
ツェルビネッタ:ダニエラ・ファリー Zerbinetta Daniela Fally
アリアドネ / プリマドンナ:アドリエンヌ・ピエチョンカ ariadne / Primadonna Adrianne Pieczonka


「緻密なアンサンブル、素晴らしい演出 So What?」
1階のど真ん中ブロック5列目の通路際という最高の席で鑑賞。今回の来日は福島原発事故、東北大震災の影響もあって、多くのカンパニーのメンバーが来日を拒否したといわれる。その数は80人とも100人とも言われる。一部の人がオケのレベルや合唱が良くないといわれたりするのはいわゆる代役のエキストラがドイツのそこそこオケから駆り出されていたからだろう。しかし、この作品は室内楽にもにた小編成でおこなわれるものだから、そういった部分での不満はなかった。ケントナガノの指揮がすきかどうかと問われるとまだ分からないというのが正直なところだけれども、今宵のリヒャルトシュトラウスからも何かあの独特のこぶし?が聞こえなかった。スコアは透徹され見直されくっきりと浮き上がってくるけれどもだ。
 演出はボローニャ、バイエルンで見た6つの作品のなかで最も良かった。無理な読み替えはないし、現代的な味付けはされていたし、人間の関係性が良くわかる演出だった。開幕前、バレエのレッスン場となっている。ミュージカル「オリバー」の自信をもってなどのポピュラーの楽曲のピアノ伴奏でダンスが踊られているのだ。そこに作曲家の教師が現れ物語は始まる。舞台は現代。ほぼ素舞台に近いところに無数の鏡が「コーラスライン」のようにあり、それらが動いて場面を作る序章。舞台全体をほぼすべて黒い箱で覆い尽くし、終幕に奥が割れて光が入ってくるだけの1幕。それでもとても良く出来ていた。歌手もチェルビネタを中心に悪くはない。
 しかし、ここには、グルヴェローバやポータの様な圧倒的な声の持ち主はいない。カリスマ性のある歌手もいなかった。アンサンブルで見せる作品だった。関心したけれど、感動しない。そんな上演だった。
 オペラには理屈を超えた何かがないといけないのだ。
 2011年10月5日 東京文化会館






Richard Wagner ローエングリン LOHENGRIN  
指揮:ケント・ナガノ 演出:リチャード・ジョーンズ
ハインリッヒ王:クリスティン・ジークムントソン
Heinrich der Vogler Kristinn Sigmundsson
ローエングリン:ヨハン・ボータ
Lohengrin Johan Botha
エルザ・フォン・ブラバント:エミリー・マギー
Elsa von Brabant Emily Magee
フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵:エフゲニー・ニキーチン
Friedrich von Telramund Evgeny Nikitin
オルトルート:ワルトラウト・マイヤー
Ortrud Waltraud Meier


「ワーグナーを聴く喜びにあふれた名演」
ヨハンポータは確か前にもきいたことがあると思うのだけれど、強い印象が残っていない。かつて80年代を中心に、ルネコロやペーターホフマンの全盛期を山ほどきいている私にとっては、たとえ、ドミンゴがワルキューレを唄っても、過去にきいたそれらの名テノールの声が心のどこかにこだまして満足ができないものだった。しかし、この日のポータはどうだろう。全ての音域を完璧に発声し、最強音も自らのコントロール下におき見事に唄いきったのだ。この日のポータの名唱は、ガツンと私の記憶の中に残り、またヘルデンテノールの魅力を再認識させてくれ、ルネコロが抜けた虚脱感をやっと埋めてくれた。
 確かに、ルックス的にはカウフマンには適わないだろうし演技力も落ちるだろう。しかし、3800人を収容するNHKホールの最後列のお客にまでワーグナーをきく喜びを伝える事がカウフマンにできるのだろうか?いづれにせよポータで良かったと言わざる終えないのだ。そして、マギー、ジークムントン、ニキーチンも最高峰のワグナー体験をさせてくれた。演技力や存在感はあるし、見事な歌唱を聴かせる事もあるのだが、すでに20年以上のキャリアのマイヤーが見劣り、いや聞き劣りするくらいなのだ。マイヤーは全盛期のそれではないものの、1990年代から、それこそルネコロらと一緒に唄っていた人だ。今日も第一線で唄っていること自体が奇跡なのだ。
 日本のファンのために、最後に小さめの箱である新国立劇場で唄って欲しい。きっとそんな遠くない未来に引退されるだろうけれども。今宵はマイヤーの黄昏を感じた。
 ナガノの指揮は、もう十分にドイツ音楽の真髄の音を鳴らすこのオケから明瞭でくっきりとしたスコアの音を引き出していた。重々しくなく、しかし、ワーグナー的な見事な演奏だった。合唱もすばらしく。文句なし。演出が家が建ち、それを自ら燃やしという部分とあとはその間を幕前の歌唱という、まあちょっとイマイチだし変わったものだったけれど、合唱の動かし方などもすごく考えられていた。

2011年9月29日 NHKホール



2011年10月 東京文化会館 ほか
監督: 金子修介/脚本:黒田洋介/原案:高殿円/出演:荒井敦史、井上正大、木ノ本嶺浩、 陳内将


 最近お話をさせてもらうようになった金子修介監督の新作の特別上映会に監督自ら誘って頂いたので出かけた。池袋シネマサンシャイン。正直いうと、何かイケメンだけ出てくるヘンテコな映画かなあと思っていたのだ。有料上映会の会場も女子ばかり、一部腐女子。さて、上映が始まるとこれが意外と面白い。学園ドラマかなと思いきや、話がどんどん膨らんで。決して特撮がドカドカ入ってくる作品ではないが、スケールが大きい作品だった。でも青春映画の王道はきちんと抑えていた。さすが、金子修介監督である。きっと今年のキネマ旬報ベスト10とかに入る映画ではないが、この映画を見た人の心には残る作品ではないか。
 
 この映画、最近親子の会話が少なくなった高校生くらいのお子さんをお持ちのご家族で、ちょっと倦怠期の若いカップルのデート映画にぴったりである。



 2011年8月29日 池袋シネマサンシャイン
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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