自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
作 泉鏡花
演出 戊井市郎 斎藤雅文
出演 波乃久里子 高橋恵子 市川段治郎 安井昌二 田口守 伊藤みどり 井上恭太 ほか
劇団新派を見るのは何年ぶりかな。それも三越劇場という小さな空間で拝見するのは初めてのはず。高橋恵子が美しく、どこまでも魅力的に淡々と演じるのに対し、波乃さんの情念の出し方の素晴らしいこと。見事な演出。久里子さん、どんどん勘三郎さんと生き写し(?)であります。顔の表情、台詞の調子、声のイガイガになるポイントまで似ている。三越劇場という小さな劇場では小さな仕草や息の具合まで全部大切になってくるけれども、その感じが見事。きっと計算された訓練で到達されたものも多いのだろうけれど鳴りきられている感が非常に多いと思った。それは田口守さんにもいえて、まあ常人でない役柄をウソのない感じで。へえ、新派ってこういう役者も在籍していたのかという印象である。
新派らしいのだけれども伊藤みどりさんのいいこと。ああいう演技をきちんとされる役者は昭和にはいたけれども今はいないから、拝見してすっかりファンになりました。伊藤さんの出ている三婆見て見たい。井上恭太は、大輪の花が開く予感のする俳優でした。この役者をどう育てるかによって新派の未来が影響されるのではないかなあ。そう思ったのであります。違っていたらゴメンナサイ。
1月18日 三越劇場
演出 戊井市郎 斎藤雅文
出演 波乃久里子 高橋恵子 市川段治郎 安井昌二 田口守 伊藤みどり 井上恭太 ほか
劇団新派を見るのは何年ぶりかな。それも三越劇場という小さな空間で拝見するのは初めてのはず。高橋恵子が美しく、どこまでも魅力的に淡々と演じるのに対し、波乃さんの情念の出し方の素晴らしいこと。見事な演出。久里子さん、どんどん勘三郎さんと生き写し(?)であります。顔の表情、台詞の調子、声のイガイガになるポイントまで似ている。三越劇場という小さな劇場では小さな仕草や息の具合まで全部大切になってくるけれども、その感じが見事。きっと計算された訓練で到達されたものも多いのだろうけれど鳴りきられている感が非常に多いと思った。それは田口守さんにもいえて、まあ常人でない役柄をウソのない感じで。へえ、新派ってこういう役者も在籍していたのかという印象である。
新派らしいのだけれども伊藤みどりさんのいいこと。ああいう演技をきちんとされる役者は昭和にはいたけれども今はいないから、拝見してすっかりファンになりました。伊藤さんの出ている三婆見て見たい。井上恭太は、大輪の花が開く予感のする俳優でした。この役者をどう育てるかによって新派の未来が影響されるのではないかなあ。そう思ったのであります。違っていたらゴメンナサイ。
1月18日 三越劇場
東京フィルハーモニー交響楽団は東京にあるプロのオーケストラの中でももっとも良心的で素晴らしい演奏会をしているオーケストラのひとづである。10年ほど前にふたつのオーケストラが合併して新時代を迎えた。そして、このオーケストラは事実上、新国立劇歌劇場管弦楽団でもある。ワグナ、リヒャルトシュトラウスから、プッチーニ、ヴェルディ、モーツアルトまでいろいろのオペラの、そして、バレエの演奏を担ってきた。いまや、日本ではどのオーケストラもその演奏歴には叶わない。そう音楽を詠うオーケストラでもあるのだ。
そして、このオーケストラの呼んでくる指揮者の素晴らしいこと。エッテンガーという若い指揮もそうであるが、2010/11年のシーズンも、ヘススロペスコボス、チョンミンフン、大野和士、フェドセーエフといった指揮者を迎える。既にNHK交響楽団の定期会員だった僕は、東京のオーケストラが素晴らしいのでいろいろのところをきいてきた。都響、読売日響、新日本フィル。特に新日本フィルは長く定期会員だったのだが、そこを辞めて東京フィルの定期会員になって、もう5年以上が経つ。
行けない演奏会も多いのだが、取りあえず座席を抑えておこうと思わせる魅力的なプログラミングなのだ。
チョンミンフン指揮
モーツアルト交響曲 39番 40番 41番「ジュピター」
期待以上のモーツアルト
モーツアルトの最後の三つの交響曲を東フィルがチョンミンフンの指揮でやるというので聞きにいった。チョンはロマン派以降の大曲や民俗音楽の要素が強いもの、フランスものなんかは安心していけるのだけれど、どうもドイツ物は心配。特に、難解な3曲であることは間違いない。
ところが思っていたより良かったのだ。39番の前半くらいまでは音ががざがさしていた感じが拭えなかった。バイオリンから艶やかな音が聞こえて来ることも少なく、まあ、こんなもんだよね。と思っていたら、途中からドライブが掛かったのかなあ。どんどん良く鳴っていく。作りすぎることもなく、ただのっぺりもせず、ただただ、音楽の悦びに溢れたモーツアルトの洒脱が、それも21世紀のアジア人の演奏でのそれが聞こえた気がする。へえ、こんなたいそうなことできるんだ。僕はマーラーの交響曲や先年ここでこのペアできいたトゥンガリラ交響曲よりもずーーーーっと驚いたのだった。
2010年11月25日 東京オペラシティコンサートホール
ブロードウェイ来日公演カンパニー
素晴らしい楽曲に、過激だけれども非常に現代的な内容。パペットを多用したプレゼン方法。たった7人で繰り広げられる名作。アベニューQが来日した。写真のメンバーは来日カンパニーの面々。そこそこかなあ。特に、人間として出る3人がブロードウェイやロンドンで見た時と明らかに落ちるんです。それが残念だった。あまりにも皮肉と過激な内容で客席は退きまくっていたけれども、こりゃやっぱり傑作だなあと思った2時間半でした。
韓国というところを中国にしたり、市川海老蔵のことをからかったり、来日版で少々直していたけれども、例えば、ユダヤ人といっただけでは笑えなものね。でもね、傑作なんですよ。笑いのセンスとテンポがニューヨーク。
東京国際フォーラムC
2010年12月17日
素晴らしい楽曲に、過激だけれども非常に現代的な内容。パペットを多用したプレゼン方法。たった7人で繰り広げられる名作。アベニューQが来日した。写真のメンバーは来日カンパニーの面々。そこそこかなあ。特に、人間として出る3人がブロードウェイやロンドンで見た時と明らかに落ちるんです。それが残念だった。あまりにも皮肉と過激な内容で客席は退きまくっていたけれども、こりゃやっぱり傑作だなあと思った2時間半でした。
韓国というところを中国にしたり、市川海老蔵のことをからかったり、来日版で少々直していたけれども、例えば、ユダヤ人といっただけでは笑えなものね。でもね、傑作なんですよ。笑いのセンスとテンポがニューヨーク。
東京国際フォーラムC
2010年12月17日
東京バレエ団
モーリスベジャール振付
老いを感じたダンサー達
東京バレエ団の代表作でもあるこの作品を、1993年の初演、2005年の再再演と見て来た。そして、今回も見たのだ。三島の分身を踊る1〜4の4に今回、小林十市さんがキャスティングされたのが話題。モーリスベジャールバレエ団の団員として活躍されたものの、故障で引退。ダンサーとして舞台に立つのは7年半という。その間に、俳優として舞台経験を積んだ。それが、舞台にものすごくプラスの効果を生んだのではないか。ちょっとした視線や表情、身体の使い方で、三島の世界が伝わって来る。初演をどう踊ったのかは覚えていないが、他の3人のようにもっと純粋にダンスだったと思う。
今回は前から3列目のど真ん中というちょっと贅沢な席でみた。というのも、この演目の鑑賞の総仕上げになると思ったからだ。ベジャールが三島のどこに共鳴したのか、また、作品作りとしてどう工夫したのかといったことが今回は手に取るように分かった。次々と出て来る美島作品のモチーフも今回が一番良く分かったし、聖セバスチャンが、三島のナルシズム的なものの象徴として出て来て、三島の分身がそれを見るところなど、うんうんと思いつつ見たのだ。長瀬さんという若いダンサーが踊ったのだが、これが効果的で、面白かった。それ以外のコーラスのダンサーも若いのだ。それに対して、1〜4のダンサーは初演から17年経っている。それだけ年を取った。きっと40才前後になったダンサーもいるはずで、三島が恰幅自殺したころの年齢に相当近づいたわけで、三島が自分の書いた作品から飛び出て、それらを見ている感じになり、もはや自分にはない若さといったものを見ている姿も面白いのだ。息を切らしている姿も何か効果的で。
女性ダンサーはますます身体の奇麗な人が増えて、東京バレエ団やるなあという感じ。吉岡、小出などもう貫禄も充分で、それは女であったり、母性的なものに変身したりこれまた効果的。ふむふむと思った。
初演のころは、1から4まで若すぎて、こういう効果はなかった。肉体を酷使して踊っている感じも今と比べるとなくて、酷使して大変だ〜という今回の方が断然良かった。そう、ビスコンティの「ベニスに死す」の匂いが出ていたのだ。あのダーグボガードのやった男の役を若い男がやったら面白くない、話が成立しないのと同じ。モーリスベジャールが今回の公演をみていたら、とても喜んだのではないか。 2010年12月18日 東京文化会館大ホール 1階3列目
モーリスベジャール振付
老いを感じたダンサー達
東京バレエ団の代表作でもあるこの作品を、1993年の初演、2005年の再再演と見て来た。そして、今回も見たのだ。三島の分身を踊る1〜4の4に今回、小林十市さんがキャスティングされたのが話題。モーリスベジャールバレエ団の団員として活躍されたものの、故障で引退。ダンサーとして舞台に立つのは7年半という。その間に、俳優として舞台経験を積んだ。それが、舞台にものすごくプラスの効果を生んだのではないか。ちょっとした視線や表情、身体の使い方で、三島の世界が伝わって来る。初演をどう踊ったのかは覚えていないが、他の3人のようにもっと純粋にダンスだったと思う。
今回は前から3列目のど真ん中というちょっと贅沢な席でみた。というのも、この演目の鑑賞の総仕上げになると思ったからだ。ベジャールが三島のどこに共鳴したのか、また、作品作りとしてどう工夫したのかといったことが今回は手に取るように分かった。次々と出て来る美島作品のモチーフも今回が一番良く分かったし、聖セバスチャンが、三島のナルシズム的なものの象徴として出て来て、三島の分身がそれを見るところなど、うんうんと思いつつ見たのだ。長瀬さんという若いダンサーが踊ったのだが、これが効果的で、面白かった。それ以外のコーラスのダンサーも若いのだ。それに対して、1〜4のダンサーは初演から17年経っている。それだけ年を取った。きっと40才前後になったダンサーもいるはずで、三島が恰幅自殺したころの年齢に相当近づいたわけで、三島が自分の書いた作品から飛び出て、それらを見ている感じになり、もはや自分にはない若さといったものを見ている姿も面白いのだ。息を切らしている姿も何か効果的で。
女性ダンサーはますます身体の奇麗な人が増えて、東京バレエ団やるなあという感じ。吉岡、小出などもう貫禄も充分で、それは女であったり、母性的なものに変身したりこれまた効果的。ふむふむと思った。
初演のころは、1から4まで若すぎて、こういう効果はなかった。肉体を酷使して踊っている感じも今と比べるとなくて、酷使して大変だ〜という今回の方が断然良かった。そう、ビスコンティの「ベニスに死す」の匂いが出ていたのだ。あのダーグボガードのやった男の役を若い男がやったら面白くない、話が成立しないのと同じ。モーリスベジャールが今回の公演をみていたら、とても喜んだのではないか。 2010年12月18日 東京文化会館大ホール 1階3列目
ベートーヴェン バイオリン協奏曲 交響曲第6番 田園
指揮: Lê Phi Phi バイオリン: Nguyễn Hữu Khôi Nam
ハノイに出かけてみるとちょうどベトナム国立交響楽団の定期演奏会が開かれていたので言ってみた。ハノイのオペラハウスは欧米にある一流のオペラハウスの音響とはまったく別次元のデッドなホールで、演奏者の実力がそのまま伝わってしまうホールだった。昔の日比谷公会堂のような音響といったらいいかもしれないけれど。
オーケストラの団員を見るとほとんどが若い。もちろん40代以上だろうと思う人もいるけれど若い人が多い。そこに驚かされた。こんな若い人ばかりのオーケストラは何か日本の学生オケにも似た感じがしたからだ。東京にあるオケでは考えられない陣容だ。考えてみれば1975年までのベトナム戦争とその後のカンボジアとの紛争でこの国はつい25年ほど前までなんだかんだで戦争の国だったのだ。きっと音楽などをやってる余裕がなかったり、音楽をやっていても兵役に取られたりと大変だったんだと思う。このオケの歴史はもっとあるようだけれども、実際にオーケストラとして機能し始めたのはきっとこの20年あまりだろう。オケの技術は高くない。楽譜も正確に読んでいないなあと明らかに分かるところもあって、時々痛々しい。それでも、オケの熱意と合わせようという熱意はものすごく伝わって来て、そこから音楽をする心が伝わって来る。指揮者は、細かいところのミスを最小限にするためか、両曲とも早めのテンポでまとめあげようとしていた。それがベートーヴェンの真面目な音楽とマッチングしていて、演奏会の中ごろからは来てよかったと思うようになったのだ。
協奏曲の独奏者はきっと国外で勉強された方なんだと思う。綱渡りだったけれども、この大曲をやり遂げた。いろいろの問題はあるものの、こういう積み重ねがオケの成長につながるのだと思う。後半の田園ではとにかくオケの団員の気持がまとまろう、共に作り上げようという思いが痛いほど伝わって来た。バイオリンはきっと日本のオケのそれと比べるときっと劣るものかもしれないけれど、途中からこのデッドなホールにも関わらずきちんとピッチも会うようになって良かったし、それ以上に、オーボエとフルートが歌心溢れるとてもいい演奏をしていた。この田園はベトナムの田舎の水田を思わせるような田園だった。田植えの時期に降る雨、雷、台風。収穫の稲刈り。何かそういうものを感じさせてくれたのだ。
ハノイオペラハウス
2010年12月4日
指揮: Lê Phi Phi バイオリン: Nguyễn Hữu Khôi Nam
ハノイに出かけてみるとちょうどベトナム国立交響楽団の定期演奏会が開かれていたので言ってみた。ハノイのオペラハウスは欧米にある一流のオペラハウスの音響とはまったく別次元のデッドなホールで、演奏者の実力がそのまま伝わってしまうホールだった。昔の日比谷公会堂のような音響といったらいいかもしれないけれど。
オーケストラの団員を見るとほとんどが若い。もちろん40代以上だろうと思う人もいるけれど若い人が多い。そこに驚かされた。こんな若い人ばかりのオーケストラは何か日本の学生オケにも似た感じがしたからだ。東京にあるオケでは考えられない陣容だ。考えてみれば1975年までのベトナム戦争とその後のカンボジアとの紛争でこの国はつい25年ほど前までなんだかんだで戦争の国だったのだ。きっと音楽などをやってる余裕がなかったり、音楽をやっていても兵役に取られたりと大変だったんだと思う。このオケの歴史はもっとあるようだけれども、実際にオーケストラとして機能し始めたのはきっとこの20年あまりだろう。オケの技術は高くない。楽譜も正確に読んでいないなあと明らかに分かるところもあって、時々痛々しい。それでも、オケの熱意と合わせようという熱意はものすごく伝わって来て、そこから音楽をする心が伝わって来る。指揮者は、細かいところのミスを最小限にするためか、両曲とも早めのテンポでまとめあげようとしていた。それがベートーヴェンの真面目な音楽とマッチングしていて、演奏会の中ごろからは来てよかったと思うようになったのだ。
協奏曲の独奏者はきっと国外で勉強された方なんだと思う。綱渡りだったけれども、この大曲をやり遂げた。いろいろの問題はあるものの、こういう積み重ねがオケの成長につながるのだと思う。後半の田園ではとにかくオケの団員の気持がまとまろう、共に作り上げようという思いが痛いほど伝わって来た。バイオリンはきっと日本のオケのそれと比べるときっと劣るものかもしれないけれど、途中からこのデッドなホールにも関わらずきちんとピッチも会うようになって良かったし、それ以上に、オーボエとフルートが歌心溢れるとてもいい演奏をしていた。この田園はベトナムの田舎の水田を思わせるような田園だった。田植えの時期に降る雨、雷、台風。収穫の稲刈り。何かそういうものを感じさせてくれたのだ。
ハノイオペラハウス
2010年12月4日
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K136
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K466
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595
内田光子のモーツアルトの協奏曲を聴いたのは何年ぶりなんだろう。サントリーホールで開館当時のシリーズで全曲演奏があった。イギリス室内管弦楽団でジェフリーテイトの指揮。当日発売に鳴ったフィリップスのレコーディングでも話題だった。この時も何曲かは弾き振りをしたっけ。その後もサントリーホールで一度きいて、そして、今回。今回はこの2大曲を弾き振り。会場は大喝采だった。日本が生んだ世界的なピアニスト。それも欧米の音楽の頂点で深く入り込むことのできた唯一の演奏者である。他の日本人演奏者と格が違う。会場は内田光子教のような雰囲気だったのかもしれない。
僕は今回の内田光子は好きでなかった。僕の好きなモーツアルトのコンチェルトは、27番だったらバックハウス、20番だったら、ゼルキンやグールド。ぶっきらぼうというほどさらっと弾いてしまうのが好きだ。少し前の内田光子のモーツアルトはそれとどこか似ていたと思う。もっと清楚で品があった。磨き上げられ一音一音考え抜かれ磨き上げられた音楽じゃなかったと思う。モーツアルトの協奏曲は下手をすると音楽大学に入る前の技術でも弾くことができる。それをコネクリ廻すのではなく、まる
で子供が弾くようにさらっと無邪気に、いや、素朴に弾くべきではないか。だって、すべてはモーツアルトが書いてくれているのだから。聞き手に音楽のファンタジーを楽しむ余地を与えて欲しい。内田光子のファンタジーは表現できたのかもしれないけれど、それはモーツアルトのそれとは違う。何かね、内田光子の音楽であって、モーツアルトのそれに感じられない。モーツアルトより、内田光子が前に出て来ているんです。そういう演奏を僕はあまり好きではない。
あげくの果てにものすごいミスを27番のコンチェルトではしちゃったことも付け加えておきます。
もうひとつ、最初の有名なディベルメントは指揮者無し、バイオリンなどは立ったままの演奏だったけれど、何であんなに急ぐのだろう?クリーブランド管弦楽団はアメリカを代表する名門オケだけれど、いい指揮者と組んだ時のNHK交響楽団はそれ以上の演奏をするんだなあと思った。今日の弦なんかN響の方がいいことが多し。この数年だけれど。
2010年11月16日 サントリーホール
この動画の感じだったらいいのになあ。
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K466
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595
内田光子のモーツアルトの協奏曲を聴いたのは何年ぶりなんだろう。サントリーホールで開館当時のシリーズで全曲演奏があった。イギリス室内管弦楽団でジェフリーテイトの指揮。当日発売に鳴ったフィリップスのレコーディングでも話題だった。この時も何曲かは弾き振りをしたっけ。その後もサントリーホールで一度きいて、そして、今回。今回はこの2大曲を弾き振り。会場は大喝采だった。日本が生んだ世界的なピアニスト。それも欧米の音楽の頂点で深く入り込むことのできた唯一の演奏者である。他の日本人演奏者と格が違う。会場は内田光子教のような雰囲気だったのかもしれない。
僕は今回の内田光子は好きでなかった。僕の好きなモーツアルトのコンチェルトは、27番だったらバックハウス、20番だったら、ゼルキンやグールド。ぶっきらぼうというほどさらっと弾いてしまうのが好きだ。少し前の内田光子のモーツアルトはそれとどこか似ていたと思う。もっと清楚で品があった。磨き上げられ一音一音考え抜かれ磨き上げられた音楽じゃなかったと思う。モーツアルトの協奏曲は下手をすると音楽大学に入る前の技術でも弾くことができる。それをコネクリ廻すのではなく、まる
で子供が弾くようにさらっと無邪気に、いや、素朴に弾くべきではないか。だって、すべてはモーツアルトが書いてくれているのだから。聞き手に音楽のファンタジーを楽しむ余地を与えて欲しい。内田光子のファンタジーは表現できたのかもしれないけれど、それはモーツアルトのそれとは違う。何かね、内田光子の音楽であって、モーツアルトのそれに感じられない。モーツアルトより、内田光子が前に出て来ているんです。そういう演奏を僕はあまり好きではない。
あげくの果てにものすごいミスを27番のコンチェルトではしちゃったことも付け加えておきます。
もうひとつ、最初の有名なディベルメントは指揮者無し、バイオリンなどは立ったままの演奏だったけれど、何であんなに急ぐのだろう?クリーブランド管弦楽団はアメリカを代表する名門オケだけれど、いい指揮者と組んだ時のNHK交響楽団はそれ以上の演奏をするんだなあと思った。今日の弦なんかN響の方がいいことが多し。この数年だけれど。
2010年11月16日 サントリーホール
この動画の感じだったらいいのになあ。
ヒッチコック映画特集
ファミリープロット、フレンジー、マーニー、トパーズ、山羊座の下に、迷走迷路、ダイヤルMを廻せ、泥棒成金、引き裂かれたカーテン、見知らぬ乗客、海外特派員、サイコ、レベッカ、ハリーの災難、ロープ、知りすぎた男、鳥、めまい、北北西に進路を取れ、裏窓
11月上旬
ダイハード3
11月11日
アマデウス(ディレクターカット版)
11月12日
「Twilit 」「twilight newmoon」 「スクルージ」「インセプション」
ファミリープロット、フレンジー、マーニー、トパーズ、山羊座の下に、迷走迷路、ダイヤルMを廻せ、泥棒成金、引き裂かれたカーテン、見知らぬ乗客、海外特派員、サイコ、レベッカ、ハリーの災難、ロープ、知りすぎた男、鳥、めまい、北北西に進路を取れ、裏窓
11月上旬
ダイハード3
11月11日
アマデウス(ディレクターカット版)
11月12日
「Twilit 」「twilight newmoon」 「スクルージ」「インセプション」
チャイコフスキー作曲 交響曲第4番
遅刻で後半しかキチンと聞けなかった。東京文化会館でこの交響曲を今から30年くらい前に、オーマンディ指揮のフィラヂルフィア管弦楽団で聞いたとき、本当にスゴい演奏力だなあと唸ったことがある。今宵の演奏もアムステルダムコンセルトヘボウのスゴい実力を発揮したいい演奏だった。しかし、最後のエンディングをあれほどまでにテンポアップしなくてもいいのにと思った。しかし、今宵気になったのは東京文化会館の音響のことだ。この音楽空間に長年親しんで来たけれども今宵ほど、あまりにもデッドな、だからこそ、各奏者のそれが直接響いてくる感想をもったことはなかった。残響が少なくて、面白いのだけれどね。東京でいま音楽を聴くのに適したホールは、サントリーホール、オペラシティホール、東京芸術劇場、オーチャードホール。昔は、この東京文化会館大ホールや例えば、人見記念講堂なんかもよくコンサートホールに使われたものだけれども。今年チャイコフスキーの交響曲を聴くのはこれが始めてなのかも? 2010年11月15日 東京文化会館大ホール
マーラー作曲 交響曲第3番
今年の秋の演奏会でもっともゴージャスな演奏のひとつだろう。ウィーンフィル、ベルリンフィルと並ぶ欧州の傑出したオーケストラであるコンセルトヘボウ。東京文化会館の演奏もおもしろかったが、本拠地のコンセルトヘボウのサウンドもゴージャスなので、やはりサントリーホールの方が会う。
ヤンソンスの好きなところは、いたづらに個性を出して、特長ある演奏をするのではなく、王道の演奏の究極を目指しているところだ。今宵もそうした魅力に溢れた素晴らしい演奏だった。僕は、ニューヨークでバーンスタイン/ニューヨークフィルの生演奏をきいていて(CDになっている)それを上回る演奏はないだろうなあと思っていたら、今宵の演奏はそれと並ぶ素晴らしい演奏だったと思った。というよりも、あの時の演奏を思い出したのだ。
僕は良く分からないのだが、アルトのアンナラーソンをオケの中に配置したこと。もちろん彼女の声は響くのであるが、何かね、オケの一員みたいな感じで溶け込んでいる感じで面白かった。新国立劇場合唱団の合唱も素晴らしくヤンソンスも満足そうだった。
2010年11月22日 サントリーホール
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
HP:
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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