佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 都はるみ 特別公演 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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 都はるみの座長公演は25年ぶりのことだという。昭和の大歌手があのだだっ広い新宿コマ劇場で数かすのショーを行い、多くの人を和ませてきた。まぎれもない事実。その新宿コマ劇場は舞台こそ華やかだけれど、客席から天井をみれば、すすけて一部は塗料がはがれてきており老朽化していることはごまかせない。立て替えが予定されているコマ劇場での最後の公演として都はるみは舞台に立ったのだ。
 僕が観たのは後半の歌謡ショーの部分。テレビやラジオ、録音で聞き親しんだ都はるみの歌を聴けるものだと思った。しかし、アンコ椿は恋の花から、ちょっと違う。大阪しぐれも北の宿からも好きになった人も、録音できいたそれとは違うのだ。そこには、録音を再現すればいいという歌手の姿はなかった。
 都はるみと言えば小節である。唸りである。それは存分に聞かせるのであるが、時にジャズのように軽く流してみたり、シャンソンの歌のそれのように語って聞かせたり、音量を極端に落としてみたり、兎に角いろんなことをしながら唄っている。僕のように日本を代表する歌手だから聞いてみようと言う適当な客でなく、この人のファンならそれにうんと気がついたはずだ。
 途中のトークで「北の宿を出した時には賞を総なめし、唄いすぎて唄い方を忘れたくらいです」と語っていた。恩師市川昭介と辿り着いた歌唱法があるはずなのだ。しかし、それが違うのだ。
 僕は勝手に思っているのだが、彼女はさらに歌の極みに達してみたいともう何千回と唄った歌の違う側面、もう一歩先はないものかと模索しているのではないかと思う。いい意味で遊んでいるのかもしれない。決して唄い流している感じはしないのだ。そこに、芸の極みを往く孤独な歌手の姿を観たのは僕だけだったのだろうか?
 
 



2008年3月17日
新宿コマ劇場
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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