佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 その他/美術 建築  忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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2013年8月4日@大原美術館(倉敷)
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2013年8月2日@松江市 島根県立美術館


今年、最も必見の展示。ベーコン回顧展
ベーコンは1992年に亡くなった20世紀を代表する画家であるが独特のフォルムの崩し方はそれ以前のどの画家とも断絶した個性をもっていると思う。この展覧会では1949年から晩年までを30数点の傑作、ベーコンの全容を概観するのにまさにうってつけの作品群で構成されている。見事な企画だ。数もとてもいい。多すぎない。そして、3作で構成される3幅対、スフィンクス、教皇といった強烈なキーワードの作品に関しては1点だけで終わらせずに、きちんと比較しずしんと見るものの感性と知性に挑んでくる展覧でもある。去年のポロック展に続き春の東京国立近代美術館は、その年のもっとも注目すべき展覧会をやるのだなと強く思った。この展覧会をみずして都内の展覧会の何をみるというのだ!
 ベーコンは、例えばぶれた写真から、対象の中心をつかみとる。境界を作ってみたと思ったら、逆にわざと描かないことで、見るものに挑んでくる。そして肉体とはなんだろう?存在するということはどういうことだ!と問いかける。しゃれこうべのような顔に白とそれに属する色を微妙にぬったようなもの。教皇という追い込まれた対象へ挑んでみたりもする。タイトルに習作と書きつつ、肝に値する部分以外は削いでみせて完成作品以上の効果を放射する。形をゆがめるたり、浮かんだものを画面に暴力的に入れ込む事で見えてくる調和というものが心に浮かんだりもする。圧倒的な展覧だ。それも現代的、くどくど全部集めない。だらだら見せない。エクシビション自体がベーコン的なのだ。2013年4月13日@東京国立近代美術館

「もう少し真面目に取り組んでもらいたい」
 インカ文明にまつわる採掘品を集めたらしいが、数も品もオドロクようなものはなく、インカ文明の全体を見渡すものでもなく、マチュピチュ遺跡に迫るものでもなかった。3Dの映像だけが面白かった。ひどい。これで1400円か。。映像以外はデパートのワンフロアで催すような内容だと思った。がっかり。
2012年5月17日@国立科学博物館

「パトロンと芸術家のダンスは人間的で」
 19世紀の終わりにパリに住んでいた中流でも豊かだった、しかし、上流でもないスターンというユダヤ人ファミリーは当時の若い美術家と深い交流を持っていた。
 会場に入ると、まずこのどでかい地図が掛かっていて、スターンの住居と当時のアーチストたちの住まいや重要なスポットが記されている。そう、これはパリの芸術家たちとのちにパトロン?投資家?になるユダヤ人家族の交流の展覧会なのだ。
 スターンファミリーは、マチスやピカソを初めとして印象派の多くの画家たちとの交流があり、当初は本当に応援する感じで始まった収集はそのうちきちんとした投資になっていき、この家族がカリフォルニアに移って大金持ちなった流れを、コレクションの流れとともに見つめる事ができるというわけ。
 これだけの収集となると、単なるサポートとか応援という言葉では括れない。お互いに意識はし合っていたとしても、人間の腹の底というか、黒さも垣間見えるのである。というのも、この展覧会、スターンが力を入れたけれども全く売れなかった画家の作品があまりにも少ない。そういうのをもっと見せてくれないと…。

 愛情がなくても、打算で関係を持つ事があるように、もしくは愛情から始まった関係に打算や悪意が挿入される事もあるように、このしたたかさなユダヤ人ファミリーと芸術家の関係は単なるおとぎ話で片付けられないはずなのだ。
 芸術家のパトロンと芸術家の間にどんな物語、葛藤があったのだろうか?輪舞曲はどう演奏されたのか?それは、集めた作品からだけでは伺い知れないが、想像するのは面白い。フリックコレクションのように既に亡くなり評価もほぼ確定した画家の作品と対峙し、評価の定まったものを収集するよりもきっとエキサイティングだったのだと思う。スターンの集めた作品群のスゴさでクラクラしてしまった。
 これらはメトロポリタン美術館だからこそできたわけだけれども、日本でも石橋さんなどの収集家の歴史を追ったものを見たくなった。そこに、明治開国以降の日本と欧米との関わり、まなざしをきっと観る事ができるだろう。

2012年4月12日@メトロポリタン美術館
ブルックリン美術館 キースへリング Keith Haring1978-1982 展




「キースへリングの初期を概観」
 キースへリングの版画を一枚持っている。89年の作品で彼は90年2月に亡くなっているから最晩年の作品のひとつだ。画商から買ってくれと言われて他の作品と比較する事もなく買ってしまった。直筆サインを見てにやにやしてる。
 彼は日本でも原宿の店を全て彼の描いたもので覆ってしまうというほど、注目されたアーチストであった。ちょうどバブルの頃に。あの作品はどうしたんだろう?横浜の東横線のガード下にはキースへリングに影響されたと思われる美しい落書きで覆われ、歩きながら鑑賞したものである。
 このブルックリン美術館の展覧会はキースへリングがまだ広く世の中に認められる前の、いわゆる初期の作品を概観するものセックスに関する表現を露に執拗にしていたりして、いろんなことがむき出しで面白い。伝説として聞いていた地下鉄の壁にした落書き?アート、街の壁にチョークで作品を残していったことは知っていてもどんなものなのかこの目で見る事ができた。巨大な壁画のようなものも見た事がなかった。アーチストは一度マーケット的な価値を持ち始めると世界がガラガラと変わる。キースへリングもそうだ。
 金の稼げるアーチストとして大成する前の彼を概観してみせる希有な機会だった。ただ、それらがどう有機的に結びつき発展していたのか、影響し合っていたのかは、展覧作品を見るだけでは分かりにくい。そして、初期の作品だとしても、それが後期の、彼の人生の最後の8年の作品にどう受け継がれていったのかを示す資料の展示があると良かったのにと思った。
 しかし、こうした展覧会を見た後には、ニューヨークの街にある落書きやオブジェといったものに次世代のキースがいるのではないかと思ってマジマジと観るようになるだろう。時には心をとらえるものもあるはずだ。街を新たな視点で観られるようになれる通過儀礼をしたい人向きかも?
 そして次のスターンファミリーのようになる人が出てきてくれればいいのに。
 つまり作品を集めてくれたのはいいけれど、集めただけに終わってしまったように思える。ブルックリン美術館は今回初めて出かけたのだけれども、マンハッタンから至近なのに、来場者は少なく、アジアや中東の美術のコレクションも見事。また、19世紀から20世紀にかけての印象派などの作品もあって(特にセザンヌが豊富)それも人のほとんどいないところでじっくり観られるのは良かった。
 

James Franco on WhoSay2012年4月11日@ブルックリン美術館


「美術収集家の目的と限界」
 日曜日の午後1時まではドネーションで入場できる鉄鋼王フリックの私邸を美術館にしたフリックコレクション。それこそ20年以上ぶりに入った。アッパーイーストの5番街70丁目。フリックコレクション=鉄鋼王フリックの私邸のアドレスである。ニューヨークでも最高級の場所である。そして、僕はここからワンブロックのところに半年ほど住んだ経験もある。それも20代後半のころに。

 美術館の展覧会を日本で開催しても、美術館そのものは持ってこられない。フリックコレクションは3枚のフェルメールをはじめとして素晴らしい逸品があるのだが、建物そのものが美術であり、一番の美しさは概観、中庭を含めたこの建物だ。
 19世紀から20世紀の事業家の美術への鑑識眼の限界も含めてここにはアメリカ資本主義の、ヨーロッパへの劣等感の混じる憧れと自尊心の尊大さを感じさせる。
2012年4月の旅行で20世紀初めのユダヤ人スターン一家のモダンアートに対するコレクションも見たが、新しい時代の美術を観る力まではフリック自身は持っていなかった。だから、古い欧州の美術のメジャーで集めてしまう。
 彼が何でこの作品を金を出して買ったのかという視点で見ていくととても面白い。
 ニューヨークに出かける人で日曜日の午後1時までいこの美術館に来られる人はぜひ寄ってもらいたい。なぜなら、その時だけ任意の入場料で入れるからだ。つまり、1ドルでも10ドルでも払えばみせてくれる。そして、所蔵品の日本語ガイドは無料で貸してもらえる。13時前に入ればいいのであるが、それ以降は少し入場者数が減るので、むしろ午前中よりも空いてていいかも?

 で、肝心の中身。フリック氏、バルビゾン派の絵までは堂々と集めていたようだ。
中心は、フェルメールから始まる古典の評価の確定した大家の作品が多い。

 今回はボストン美術館やオルセーから借りた数点とともにルノアールの作品が10枚くらい特別展示されている。ところがルノアールでさえ、この屋敷に飾ってあると浮いて見える。彼はルノアールにも追いつけなかった。ドガの踊り子の絵を自分の寝室に飾っていたらしいが、それを客間に飾る事はなかった。
 彼のコレクションは20世紀の初め当時に欧米であった美術の価値基準にそって集めたのであり、欧州への憧れと氏の財力の誇示でもあったのだ、そんな鉄鋼王のコレクションと彼の限界を残酷な視点でゆっくり見るのもいいものです。ソファーもありますからどうぞゆっくりと。
2012年4月8日 フリックコレクション ニューヨーク
生誕100周年記念 ジャクソンポロック回顧展
 
「実存を実感できる素晴らしいアート空間」
 美術展はどれを観に行けばいいのか難しい。もちろん自分がみたいアートが来日していたら別に構わず観に行けばいいのだが、もう少しアートを網羅的に少しガツガツみたいと思っているものにとっては、近年の不景気が美術界、それも美術展にも影響を与えていることを感じるだろう。
 美術館に行って、美術の教科書や新聞で話題になったような作品を知識と本物を見たという経験を積んでいくだけでは物足りないという者にとって、東京で開かれる美術展の選び方はふたつあると思う。
 例えば、オルセー美術館展みたいな複数の作家の展示であるならば、ある時代の例えば印象派の作品をいろいろとみせてもらうというのも(作品の選択が良ければ)悪くない。あるアートシーンが、誰によって生まれ、どう引き継がれ発展していったかが分かったりする。
 ちゃんとした予習もせず、単純に今回はこれこれの有名な絵を自分の目で見るんだくらいで観に行くのではおバカさんの枠を越える事は出来ない。やっぱり、企画の意図をちゃんと把握し、自分なりに対峙するテーマを決め、少し予習もして、アート空間に身を沈める方が断然価値がある。
 その点、ひとりのアーチストの回顧展は企画意図が分かりやすいので見やすいし予習もしやすい。ある作家の誕生と発展と衰退を見てくればいいからだ。しかし、日本で開かれるものの多くは印象派ややはり美術の教科書に載ってそうな「大物」のそれが多くて、いや数年前に見た、東山魁夷展もロートレック展も面白かったけれどもね。まあ、最近は自分がこれは行きてーと思うものが少なかった。
 ところが、ポロック回顧展の企画をきいたときに驚いた。
 ポロックはニューヨークの近代美術館やグッゲンハイム美術館、さらに、メトロポリタン美術館でも確か、その異才ぶりに大いに驚いたはず。日本にMOMAなんが美術館展なんかやるときも、20世紀のアメリカ美術を代表する巨人の作品として一枚は持ってくるから知ってる人も少なくないと思う。
 カンバスに容器からそのまま塗料を垂らしたり、飛沫をかけたりしてしまう。ポーリングという手法で有名な人で、日本で今まで見られたポロックの作品もそれらの作品ばかりだった。
 今回はイラン革命のためにテヘランにありながら門外不出だったポロックの代表作(上記画像参照)などポロックらしい代表作も見せてくれるけれども、そのポーリングと出会った1942年前後、そして遥か以前からの作品も多く展示されてる。そこには、アルコールなどで肉体も精神もドロドロになりながら、20世紀のアートに影響され自らを確立できなかったポロックの苦悩の軌跡もある。1930年代の作品には極めて具象的だったり、キュービズムやそれ以外の時代の先端を走った美術家に翻弄されるポロックの姿をみることができる。これもポロックだと思うと驚く。
 そして、ポーリングに出会って、数年間の格闘のあと、花開く1950年代。変奏曲。そして、ポーリング自体に押しつぶされるように苦悩していくポロック。
 この美術展は絵画にきちんと対峙していけばポロックのアーチストとしての苦悩と喜びを彼の作品とともに追体験できるように見事に構成されている。
 こうした展示を経験する事は自分の中にポロック鑑賞の座標軸が据わることになる。ポロックが据わる事によって、ポロックが亡くなった1956年も意識しておけば、現代アートを見る時の視点の支点にもなる。いやあ、本当に素晴らしい展示会だ。
 さらに、(主催者側は幾分残念かもしれないが)僕に取ってはラッキーだったのが、平日午後の会場は閑散としていて外国の美術館にいるような感じで体験する事ができたのも嬉しい。
 ゴッホ展とかルノアール展とか、ホント混雑だけで嫌になってしまうから。
 ポロック展を見るとアーチストはいつでも孤独だということも感じるなあ。しかし、このアート空間を2012年の日本で体験できるのはポロック生誕100年という節目のときだからですよね。いやあ良かった。ポロックの作品を見ていくだけで、ポロックの人生の重要なことが見えてくる。それは映画や文学を読むときの感動にも似ていて、最後には自分がいまこの世の中に実存している事まで実感できる。数年でもう一度、このような大規模なポロック展ということはありえないので、この展示会だけは是非行かれる事を強く薦める。ソリッドに生きることの厳しさとそれ故に深く感じることのできる実存をこの展覧会は鑑賞者に突きつけ、また感じる事ができるのだ。美術が鑑賞者の人生に深く入り込んでくる経験をしてもらいたい。
 5月6日まで開催。2012年3月14日@東京国立近代美術館
ゴールデンドーム ニューハーフショー


「こんなに退屈したのは久しぶり」
 久しぶりにバンコクでニューハーフショーを見てみた。払った金も900円くらいだからあまり文句も言えないが、こんなに退屈したショーをみたのは久しぶりだ。舞台装置は豪華で美しい、衣装も素晴らしい、出演しているニューハーフには何人かハッとするほど美人もいる。しかし、踊れない。立って歩いたり、ニコニコ口パクして、時々くるりと廻るだけ。その繰り返し!美貌に驚くのは最初の15秒だけなんだよ!これ、基本。ダンスの稽古をしなさい!基礎鍛錬しなさい。こういうショーにつきものの笑いどころも一人だけ。その、ひとりだけの、化け物顔で笑いの人、一人でボケも突っ込みもできない。技も同じで、2回目に出て来たときはシラケてしまった。全然ダメ。バンコクで5年ほど前に3本ほどニューハーフショーを見たのだが、中には面白い部分もあった様な記憶があるのだけれど、だいたいはつまらない。ショーとしてきちんと構成されていない。客が楽めるように作られていない。せっかく自前の劇場を持ち、一日に3回もショーをやるのなら、もう少し構成をきちんとし、出演者は美貌を磨くだけでなく、パフォーマーとしての最低限の技術を身につけてもらいたい。

 20年ほど前にTBSのバラエティ番組の関係で大阪の「ベティのマヨネーズ」というニューハーフのショーパブの、10年ほど前には、福×和也さんに連れて行ってもらって新宿5丁目の「白い部屋」でショーを見せてもらったが、もう日本の方が全然上、言葉とか文化の差の違いじゃないよ。圧倒的な差がある。出ているパフォーマーさんの美貌はタイが圧倒的に上。素材がいいんだから!負けていいのか?男だろ!
 2012年2月11日@ゴールデンドーム劇場 バンコク


 モディリアーニ展に行って来た。初めて国立新美術館にも行って来た。その感想。
乃木坂駅ってのは、僕の学生時代には、ホントの遊び人くらいしか用事のない駅だった。乃木大将の家があったり、カフェグレコ本店があったりするくらい。六本木や赤坂で遊んだ人間が作るコミュニティみたいな駅だった。そんな千代田線の駅が一変していた。この美術館は日本で初めて?地下鉄の駅に直結した素晴らしい美術館だった。しかし、東京に公立の美術館をあと幾つ作るのだろう?日本に幾つだ!人はよく道路建設の無駄ばかり言うが、美術館も何とかホールももっと要らない。維持費を考えたら古いものはぶち壊し、民間に売却してしまうべきだと考えている。
 まあ、そういうことはおいといて。
 やっと世界に誇れる、MOMA級の、ポンピドーセンター級の美術館だなと思った。素晴らしいフォルム。高い天井、広い展示室。カフェなどの充実ぶりも素晴らしい。そして、そこでの企画展示も素晴らしいものだった。どうせ、どこかの大回顧展を買ったのだくらいに思ってみていたら、90%以上が個人所蔵の作品で、一枚一枚丁寧に借り受けて来たのが分かる。中には50年ぶりの展示みたいな作品もあり、そして、モディリアーニの美術像全体が見渡せるようになっていて素晴らしかった。
    


 何か量で押し切る美術展があったりするが、そういうものではなく、きちんとプランされて、見所もあって良かった。
 モディリアーニが何に触発されて(アフリカや東南アジアの美術)、あのようなフォルムを書き始め、同時代の美術家の影響を受けまくり、短い35年の人生ではあったが、晩年は、その山ほど受けた影響を一枚一枚はがして行ったら自分が残っていた。画家と画家が対した被写体が浮き上がり、人間に対する深い洞察がそこにあったのだ。
 ある絵では、その鼻筋に、うなじに、瞳に、画家の興味の中心があることが明確で、じっくり見ていると、キャンバスの向こうに被写体が見えてくるようだ。そして、ここに100年もしない前にモディリアーニ本人が立って僕が今見ている被写体とは何だろう。何でこの人物は自分を惹き付けるのだろうと思い描く状況だったのだろうなあと思ってみたのだ。
 女性像では自信満々のジャンヌエピテルヌ、無垢な少女のユゲットだったり、僕の大好きなスーティンが描かれていたりして、それは、まだ売れていない頃のスーティンでいらだちが出ていたり、モディリアーニの画商には照れ笑いも見られたりして。
 

 大変面白かった。外国人も多く観に来ていたのだが、これだけ素晴らしい展覧会は、世界の美術館でもそう多くが出来るものではないのだから、当たり前だと思った。ただ、日本で美術を見る時に僕が困るのは、来ている他の鑑賞者の日本語がわかってしまうことである。フランスやイタリアでは分からないからとても助かる。
 今回も、ああ、この人と不倫してたんだとか、この絵のここを見てご覧よという素人美術評論家とか山ほどいた。それが、ヤケにうるさいのだ。
 僕に言わせれば、もっと絵と自分ひとりで向き合って欲しいということだ。
 おしゃべりをして、きれいな絵を眺めているだけなの?この素晴らしい美術をデートに使っているだけ?
 美術は美術と鑑賞者が対峙しなくてはつまらないと思うのだ。決して恋人との仲を深める起爆剤でも、友情深める接着剤でもない。そういう媒介にするだけだったら自宅で画集を開いて好き勝手やれば!と言いたいのだ。
 何々展を見たよというような、有名美術の巡礼者でもないだろう?そんなスタンプを幾つ集めても美術の真髄には近づけないことを知って欲しい。
 ああ、別に近づきたくないんだ。そうだ。近づけたいのは恋人との距離なのだから。

 2008年5月4日


モディリアーニ展の公式ホームページ
http://modi2008.jp/
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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