佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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井脇の見事なキトリと菅野の底抜けに明るいバジル
若手の台頭著しい東京バレエ団で木村和夫の楷書なバジル



 二日続けてバレエを見た。1本目は東京バレエ団の横浜ベイサイドバレエ。象の鼻パークという横浜の山下公園のそばというよりも大桟橋埠頭のそばにある公演に特設ステージを作っての野外バレエ。ちょうど1ヶ月ほど前にイタリアのベローナで、野外オペラを始めてみたのだけれど、今度はバレエだ。チケットを買った時には8月だから暑くてたまらんだろうなあと思っていたら、涼しくて助かった。夕刻から始まるので最初の演目「タムタム」などは暮れ行く横浜を行き交う客船などの姿もあって楽しい。
 タムタムはアフリカのリズムに合わせて踊るものだから、祭典の始まりの演目としても素晴らしい。バレエというよりもダンスに近いのだが、東京バレエ団はパリオペラ座バレエ団と並んで、いろんなタイプの踊りをレパートリーに入れているカンパニーなのでお手のものである。岸本秀雄という若いダンサーがソロを踊るのだが、白い衣装を身にまとっているのだが、薄暗い中で手足が長くて日本人離れしているなあと思った次第。この東京バレエ団も1980年代の半ばから見ているのだが、昔はホントに体躯に関してはデコボコだったから。
 群舞が大切なのだが、ここでやはり吉田蓮のことを言わずにはいられない。この人は数年前の子どものためのバレエで「眠り」の猫の役柄をやって出て来て、それがね、もう楽しそうで楽しそうで、相手の女の子を完全に引張っていて、すごいなあと思った次第。群舞でも悪目立ちしているわけでもないのに、すっと目に入って来てしまう吉田蓮であります。「タムタム」面白かった。



 次は明るいスペインのバルセロナの朝である。ドンキホーテの一幕からキトリとバジルを中心に明るい恋の駆け引きに、笑いを誘うサンチョパンサが加わって最高に楽しい作品である。1年前に東京バレエ団でも観たのだが、こうして野外で見ても楽しい。上野水香がキトリ、そして、もう半ば引退した重鎮の木村和夫がバジルである。
 バレエの技術のことは何も分らないが、上野のキトリは踊ることの楽しさがこちらにも伝わってくる。上野キトリを活き活きと踊る姿は見ていて嬉しくなる。木村バジルは楷書のよう。ひとつひとつの動き、トメを丁寧に愛おしく思って踊っているようだ。そして、このカンパニーの今や最長老の現役先輩がメインの舞台を共にするのを、後輩達がすごく喜んで踊っているのも手に取るように分る。そして、最近思うのだけれど、今回も奈良春夏の品のいい踊りは何回見てもいいなと思う。品がいいのだ。エスパーダの森川は堂に入って立派。氷室はサンチョパンサも、がマーシュも見事に踊れるだろうから、次はガマーシュも見てみたい。そして、今宵のガマーシュは岡崎。今の日本の若いダンサーはこうした個性的なダンスも見事にできるようになったんだなあ。でも、まだ岡崎は若いのだから超絶技巧も見せて欲しい。「ドンキ」1幕より 楽しかった



ボレロは今宵がメロディデビューの柄本弾。この人は、普通のノーブルな役柄よりもこういう偶像系の役柄の方が向いている。もしくはちょっとクセのある役。どうも、東京バレエ団の女性と踊るとサイズが合わないと感じる事も多い。渡辺や上野とは役柄によってはいいんだけど。普通のバレエでいいなあと思ったのはロミオ。ロミオって狂気だからね。そして、去年のエスパーダ。気持ちよく踊っていた。今年のソロルは他の予定で見られなかったから。上野水香がベジャールから古典まで何を踊っても見事だけれど。で、感想。今日のはちょっと守りのメロディだったように思う。もうこのボレロをいろんな人で見て来たけれど、東京バレエ団の男だったら後藤の狂い方が良かったな。
 強烈なカリスマが世の中を革命して行く、ジョルジュドンを上回ったと言われるようになるか!要はもっと狂気というか、陶酔感というかね。クールすぎた。ま、これから何十ステージも10年以上踊るのだろうから、弾メロディが成長して行くのも楽しみである。

翌日観たのが、井脇バレエカンパニー Iwaki Ballet Comnpany(初見)の「ドン・キホーテ」。1ステージしかやらないのが勿体ないくらい高い水準のもので驚いた。
 申し訳ないけれど、通常はこの手の公演は、バレエ教室の発表会的な要素が強いものも少なくなく、客席も関係者だけで埋め尽くされる。今回、東京バレエ団で数々の名舞台を踊った井脇がキトリを踊るというので、そして、井脇のキトリは見た事が無かったので出かけた。
 バジルは新国立劇場バレエ団の菅野英男だったが、今日の菅野は、僕が初台で舞台で見ていた菅野と違う。初台では、何か守りのバレエというか、国立の劇場らしい重々しさ、それは、歌舞伎座と国立劇場の公演にも言える事なんだけれど、を感じてしまう。もちろん個々のダンサーが打破してくれたりすることもあるのだけれど、全体を覆う「安全パイ」な雰囲気は否定できない。今日の菅野バジルは若々しく、自由で踊る喜びに溢れていた。終幕でのマネージュ、ピルエットアラスゴンド。びしっと決まる。俺はもっと先にいけるぜ!みたいに踊ってくれるので見ていて、迫力あるし緊張感あるし面白い。挑戦するのを楽しんでいるのだ。一流のダンサーが自分の肉体と自問自答している感じ。
 キトリも舞台を知り尽くしたベテラン井脇ならではの、見事なもので、若いというよりも、熟したスペイン女の恋の駆け引きを見事に演じていて、それはそれで面白い。技術的に衰えたかな?と思って意地悪く見るのだが、先のシーンだけいっても、グランフェテ、アントゥールナン
 最後に軸がちょいとずれるかなと思ったら踏みとどまって、ほっとして、嬉しくなった。こんなギリギリまで挑戦して踊っているのだ。それは、客席に伝わらないわけはない。ピケも、ブラボーなのです。
 主役だけでなく、吉田和人、小笠原亮という東京バレエ団出身者が、ガマーシュとパンサ。吉田ってこういう役もこんなに見事に演じるのだと思って驚いた。小笠原亮は元々技術も演技力も凄いのだから当たり前だけど。他にも宮本祐宣など、東京バレエ団出身者が何人も出ていた。今日の男性陣はとにかく水準が高かった。群舞がビシビシ決まるのが心地よい。会わせることに気を使うというよりも、ギリギリ感を持って踊っている。踊り自体も合ってはいるのだけれど、それ以上にギリギリ感を攻めてる気持ちがひとつなんです。俺はもっと踊りたいんだ!踊れるし!踊るから!その気持ちがひとつ。
 一流のダンサーでもカンパニーを去るととたんに踊る機会が減る日本の舞台事情。今日は、水を得た魚のように、この舞台で全力を出し切る一流のダンサー達だ。
 それは、このカンパニーの他のコールドの人達にも十分伝わっていい化学変化を生んだ。
 1幕のバルセロナシーン。街の人がほとんど女性でアレレ!となってはいるがそれはご愛嬌。みんな舞台に立つ喜びを全身で表現してくれていて、何かね、いいんですよ。夢の場でのコールドも緊張感があって綺麗だったなあ。他の水準が高いからね、ここで私だけが落ちるわけにはいかないってことなんでしょうか?分らないけれど、ひとりひとりが美しいお嬢様たちでした。
 他のソリスト、江本のエスパーダ、工藤加奈子の踊り子も見事。亀田の森の女王も美しい。ということで、きっとまだバレエを勉強中という方も混ざっている公演だったはずなのに、昨晩の東京バレエ団の第1幕と遜色ない出来で驚いた。
 強いて言うと、メイン以外の衣装は東京バレエ団の方が良かったが、舞台美術も照明も美しく楽しんだのでありました。
 会場には高岸直樹が来ていた。来年当たり、出演かな?

しかし、井脇さん。こうやって自ら公演をする苦労は想像を絶する。俺も前に小劇場の舞台やったからね10回も。しかし、こうやって、もう見られないかもしれないと思っていたダンサーのすごさも分る素晴らしい舞台を作ってくれて感謝したい。
 希望としては、小笠原亮にもっと技術的に難しいダンスの見せ場のあるものを見たい。そして、高橋竜太にも踊ってもらいたいと思った。東京バレエ団をやめた女性達も招いてあげて欲しいと思った、まあ、女性で踊りたい人は山ほどいて、上手い男性は比べると多くないだろうからこうなるのは分るのだけれど。 

 東京バレエ団 横浜ベイサイドバレエ 2015年8月29日 横浜象の鼻パーク特設ステージ
 井脇バレエカンパニー「ドン・キホーテ」 2015年8月30日 五反田ゆうぽうとホール
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極みまで削ぎ落とし悲劇としての作品の本質に肉迫した舞台は、日本の表現手法を駆使したもの。83才の渡辺美佐子は「化粧」と並ぶ代表作を生み出した。

 最初に申し上げておきたいのは、よく芝居を作る人たちの中に、今回の芝居のテーマはなんていう人や質問したりする人がいて、まるで、それを伝えることが芝居の目的の様に思ってる人がいるが、私に言わせればお笑いぐさだ。言いたい事があったら、直接言えばいい。回りくどい方法でテーマを伝えるなんてバカバカしい。特に戦争反対とか、親子愛とか、もちろん、英霊に感謝なんてテーマの芝居もアレレなのである。
 例えば、ソビエト時代のショスタコーヴィチは、当局からソビエト共産党のプロパガンダ的テーマで作曲を強制されてあたかもそれに乗っかったような作品も書いた、と言われるが、本質は多面的、多層的で、表面上のそんな仕草は浅薄な感性と知性しか持ち合わせない人の為のもので、もう少しきちんと作品に当たる人間は、何とシニカルな〜!くらいにしか思わないものである。
 芸術なんて高邁なことを言わなくても、すべての作品は、造り手と受け手の協業によって成立するものだ。受け手によって作品は万華鏡のように変化する。それでいいのだ。
 芝居にテーマなんか必要ない。いいたい主張もいらない。ストーリーなんかもっと要らない。ただ、そこに表現があり、嘘でない人間ドラマが創出していればいいのだ。あとは受け手の問題である。…ちょっと言い過ぎたかな。
 
 さて、言わずとしれたシェイクスピア悲劇の代表作である。
 今年の始めに大病から復活した江守徹の「リア王」を観た。よほど不安だったのだろう。上演をキャンセルしても大けがにならない文学座の稽古場での上演。耳にはイヤホンが入っていて、プロンプ万全体制での上演。何だよ!ではない。これが良かったのだ。江守徹そのものが狂気の王とだぶったからだ。ずるいのだが演劇は利用できるものは何でも利用していい。

 私のリア王観劇歴は幾つかあるが、書いておかなくてはならないのはロイヤルシェイクスピアカンパニーの役者と真田広之、蜷川幸雄演出での「リア王」だ。ナイジェルホーソンというリア王を演じる為に生れてきたような老俳優を使っての上演。こういう体制を作って上演すると、もう誰も批判できない。誉め称える新聞評で埋め尽くされた。僕はそんなにスゴいのだろうか?と思ったけれど。さらに、リア王は、例えば黒澤明が「乱」という映画に、ハーウッド作「ドレッサー」などスピンオフな名作も山ほどある。
 その演劇の権威の極みのような作品を佐藤信は切り刻んだ。上演すると3時間ほどかかる作品を1時間15分にした。作品を解体し再構成したのだ。浮き上がってきたのは作品の本質だった。もう見尽くしたと思っていた作品の本質がやっと見えてきたのだ。

 世界中で上演される「リア王」はシンデレラのように上演される。親不孝な2人の娘の老人いじめ。唯一親を大切にする三女は死に、老人も狂って死んで行く。おお、何と悲劇なのか!そう多くの人が思う。「歳は取りたくないものね」。そんな作品なんだろうか?それじゃホームドラマだ。渡る世間…になってしまう。そういう私も、老いることとか、人は欲得で生きてるもんだから、親娘だからといって、全部領地を渡しちゃなあ〜、ああやられるよ、みたいな、ホームドラマの感覚でこの悲劇をみてしまう。っていた。
 ところが、佐藤信は台詞以外もミニマムにした。登場人物の造形も徹底的に削ぎ落としたのだ。道化も娘達もまるで能か狂言の登場人物のごとく。色がついていない。こうして、私はこのリア王の物語を始めて先入観を捨てフラットな立場で見られたのだ。
 そうしてみると、娘達の主張もそれなりに筋が通っているし、リア王の身勝手さも見えてくるし。何だろう。登場人物との距離感が均等になった。何より、私には、リア王こそが道化よりも、道化に見えてしまったのだ。
 老いてなおも人間の本質をつかんでいない。自分中心にものごとを見ることしかできない。そして、敢えてヘンテコな意地を貫く為に墜ちていってしまう。そんなことよりも、もっと大切なものはあるはずだったし、だいたい廻りの人まで巻込んでしまった。それなのに、自分のことばかりを嘆く。娘のことを嘆いている様で自分は何て不幸なんだという視点でしか生きられない、悲劇を見いだした。
 ホームドラマ的な視点から、リア王の悲劇が初めて見えたのだ。悲劇は廻りの人たちによってもたらされたのではなく、リア王自身によって引き起こされかき回され収束して行ったのだ。そして、最後までそれに気がつかない、悲劇。
 舞台は削ぎ落とされているからこそひとつひとつが浮き彫りにされる。
会場に入ると黒である。わざわざ光が差し込んでいるがごとくの、揺らぎの映像。最後まで使われない椅子が向こう側においてあったりする。そこに、観客がいるような空気が出てくる。黒い島のような舞台があり、そこにも椅子がある。玉座のようであるが、向こう側の椅子と同じなので観客のようでもある。物語をぐるりと囲んで見ているような錯覚がある。
 物語が始まると、向こう側には椅子が次々と落ちてくる。死がつきまとう芝居なので三途の川の石のようでもあり、バリケードのようでもある。照明は決して押し付けるような強さを持たずに極めて慎重に色合いを変えて行く。これらの美術、照明、映像が見事なのである。
 渡辺美佐子の演技は、いや渡辺は復活したと言いたいくらいに強烈である。台詞はフラットで、そこに意味合いのある感情を上塗りしたりしない。そのまま、台詞を届けることしか彼女はしない。彼女の代表作の化粧を20代のころ。もう30年以上前に見て、芝居ってすごいなあと思った。それ以来、渡辺の舞台はいろいろと見たけれど、化粧を上回るもの、化粧に肉迫できるものはひとつもなかった。今回のものはスゴい。渡辺は俳優人生の後半、83才ににして、やっと次の代表作に出会ったのだ。
 今回はキャスティングも見事だった。女性の渡辺にリアの役。おどけることとは無縁の普通の常識人のような田中壮太郎に道化。男の植本潤(この人は、花組芝居を代表する女形である。普通の男が女を演じる人である。女の役柄なのにスキンヘッドというのもいい)。つまり、老王とも、娘達とも、道化とも、元々は無縁の名うての俳優たちに、演じさせたのである。面白い。だからこそ、私は等距離で、ヘンテコな役に対するイメージを削ぎ落として、見ることができたのである。
 暴風雨はリアの心の中でのそれの方が、荒野の嵐よりも圧倒的だったはずだ。だから、そんなものはこの舞台にはない。
 もう一度申し上げるが、芝居は万華鏡というかプリズムのようなもので、受け手によって、その感想はそれぞれでいいと思う。劇評を仕事にする人たちは勝手に評価して、いいとか悪いとかすればいいが、観客はそんなものは要らない。私の隣のオバさんは、5月にしては暑い中劇場に来たからか。心地よい空調の中で眠っていた。ほとんど見ていないが、渡辺さんは元気でスゴいわねえと言っていた。それも、また事実であり、そういう観劇があってもいいと思うのだ。
 
 切り刻まれたシェイクスピアは、何と言ってるだろうか、ニヤッとして、なるほど、これもありだなあ。ワシの書いた作品はスゴいなあと自画自賛しているのではないか。この能やら歌舞伎やらさまざまな日本演劇のエッセンスがあるからこそできる、シェイクスピア劇であるけれども現代日本演劇の、日本的表現を駆使した作品。
 あのね、野田さんも蜷川さんも三谷幸喜もいいけれど、こういう作品こそ税金を使って、ロンドンとパリとベルリンとモスクワの人に見せてもらいたいと思う。それが国策ってもんでしょ。
 欧州の教養のある人たちは思うはずだ。日本の文化は奥深い。今度歌舞伎や能をみてみようか、盆栽も生け花も日本庭園も知りたい、着物を生活に根ざした美術作品なのではないか、日本食は哲学である、となるはずなのだ。
 佐藤信の「リア」はヨーロッパの文化の中心部と融合した、極めて日本的な作品なのだから。文化庁さん、国際交流基金さん、お金を出すべきなのはこれです。

2015年5月31日 座高円寺1


補足;舞台は1時間20分弱で3部構成になっている。2幕だけ渡辺は舞台に出ていない。渡辺の小休憩の意味合いもあるのだろうと思う。そこでは、2人の男優が劇中劇なのか、芝居はしているが、テンションをリセットするための心の休憩なのか、リアと関係あるけれども、役柄から抜け出して、ほとんど俳優というよりも素の人間に近いところで演じる時間がある。自由で軽くていいと思う人もいるかと思うけれど、私はあまり好きでない。ちょっとやり過ぎな感じがする。あれなら、10分間の休憩の方がいいのではないかと思うくらい。まあ、好き嫌いなので。

見事な東京バレエ団の踊りとマラーホフ存在感だが

50周年記念、そして、アーチスティックアドバイザーに就いた マラーホフ自身の振付けである。プティパの振付けももちろん山ほど残っているが、マラーホフのアイデアいっぱいのものである。いいか悪いかは分からないが、少なくとも東京バレエ団ひとりひとりの気合いがいつも以上。そりゃあ、マラーホフとじっくり作り上げるのだからそうなるだろう。それがひしひしと伝わってくる踊りであり演技であったことを先ずは申し上げておきたい。
 上野水香のオーロラ姫などは、彼女のひとつひとつの舞台にかける思い、この舞台を最高のものにする、との決意がひしひしと伝わってくる。一幕のローズアダージョの場面等は、恥じらう若い姫というよりも、4人の王子の誰よりも力強く、くっきり踊るので、あれじゃ誰とも結婚できないやと笑ったくらい。いや、それほどスゴいのだ。
 眠れる森の美女の、難しいところは30分もあるプロローグだ。その間は主役は一切出て来ない。1幕が始まって15分くらいして、やっとオーロラ姫が出てくるという次第。つまり、最初の3分の1をどう飽きさせずに見せるかというのが難しいのだ。それを、プロローグおしまいにマラーホフが登場すること、カンパニーのテンションの高さで乗り切った。見事である。
 上野オーロラに対して、デジレ柄本弾であるが、もうすっかりこのカンパニーの男性ダンサーの第一人者として堂々とした演技であるが、安定感ありすぎ。若いのだからもっとヤンチャにやって欲しいなあと思う。オーロラとのフィッシュダイブなどを、安定感ある中で見事に決めまくるのはブラボーなのだが、例えば、ひとりでグランジュデ?で舞台を廻って行く時などは、安定感よりも追い込み感が欲しいのだ。そういう演技を見ている方が客はワクワクする。もっと高く、もっと強く飛んでくれよ、弾のように、主役なんだぜ、頼むぜ!と思ってしまう。ギリギリ感。もしかしたら、失敗するかもしれないギリギリまで追い込んでいる感が欲しいのだ。その点、青い鳥を踊った梅澤紘貴などは、跳躍する喜びを感じさせる。俺はもっとできるかも?もっと、もっとと追いつめている感じが伝わり楽しい。相手役の沖はコケティッシュに決めてお上手。 
 予想以上に良かった奈良春夏のリラの精は、真面目で華麗なバレエの醍醐味を感じさせる見事な演技で、上野、奈良は世界のどの舞台でこの役柄を演じても大喝采を受けるだろう。
 第3幕の宝石たちも、見事に決めて行く。この人たちは全幕もので主役を務める級でやるわけで、特にダイヤモンドの渡辺は、もっと大きな役で見てみたいと思わせるもの。
 そして、今回は3階の1列目で見ていたのだが、やはり、あの男。吉田蓮は目を引いた。ソロではないので悪目立ちをするようなことはしないし、皆と見事に合わせるが、非常に楷書の美しい踊りを見せる。この人のダンスへのテンションはいつも高い。この吉田さんをいいなあと思ったのは、数年前の子どものためのバレエ「眠れる森の美女」で、猫を踊ったときだった。今回は、演技力抜群、クセのある役なら俺に任せておけ系の氷室友が踊ったのだが、振付けがちょっと保守的だった。パドシャに関しては、結婚披露宴でのお祝いのダンスでありながら、途中から脱線して行くオモシロさが会った方がいいと思うのだが、マラーホフ様の振付けだから、誰も文句は言えない。氷室にあった役柄なのに、その良さは封印であった。残念。カラボスのマラーホフを見て、すげえなあと思ったのはどれほどいたのだろう。超難技は一切ないのだが、通常の眠りの出番の50%増くらいの扱いで舞台を見事に引っ張ったのだ。カラボスの廻りにいた悪党?どもなど、もう命がけで踊っていた。でも、この扱いだと、マラーホフがいないと成立しない振付けだなあと思った。毎回、マラーホフを呼ぶわけにもいかないだろうし、このプロダクション、、、使い捨て?のわけないはずなのになあと。しかし、公演全体に関しては使い捨てにした方がいいかもしれないと思った。責任はワレリーコングロワの美術と衣装にある。

 眠りの森の美女のバレエを何回か見ていてストーリーを知っている人ならまだしも、初めて観る人にはアレレであり、見事な東京バレエ団のダンスの足を引っ張ったと言いたい。
 先ずは装置。舞台を王宮の庭のローズガーデンにした。それを森の中にも転用するのは無理がある。ストーリーを知らない人は何が起きているのか分からない。2幕など、初見者は森の中とは思わないだろう。特に城全体が眠りに落ちる時に、みんなオーロラを置いてきぼりにしてどこかに消えて行く設えになってしまって、あれれ????となるのだが、それもこの装置のおかげである。さらに、色が良くない。全部中間色なのである。主役もソロもコールも。フラワープリントの衣装らしいが、客席からはシミにしか見えない。各衣装の色が曖昧で何色も使う。右半身、左半身で微妙に違う。だから、見ていてバランスが良くない。強い色と弱い色が衣装に混ざっているのだ。バレエ衣装の素晴らしい、パリ、ミラノ、ローマなどでは絶対にやらない愚行である。ロイヤルやロシアのカンパニーでもあんなバカなことはしない。
 宝石たちにも、いろんないろんな色を使うので、強さがまったくない。ルビーは赤、エメラルドは緑 一番美しい赤と緑を捜してきて、それ一色で攻めるのがバレエ衣装の王道である。あとはダンサーに任せればいいのである。ソリストが曖昧色で、混ざるとコールドとも区別がつかず、コーラルの良さも際立たない。どんな色だろう、どんな模様だろうと衣装に注目させたいのか?一瞬にして、登場人物を説明尽くすものでなくては衣装はいけないのである。せっかくメリハリのある踊りをしても、曖昧な色合いの衣装が足を引っ張るのである。また、女性衣装の丈がイマイチなので、ぱたぱたして見えるし、スタイルが良く見えない。全く何であんなのにしたのか分からない。それも、舞台が薄汚れたグリーンである。もう、衣装をキレイに見せることは見えない=ダンサーが美しく見えない仕組みなのである。
 デジレ弾も何か蝶ネクタイした曖昧な姿で王子の衣装ではない。もう一度言う。初めて観る人は2幕が森の中だとか、オーロラの幻想をデジレが見ているとか、妖精たちが出て誘っているとは全く見えない。衣装や舞台が全部曖昧だからだ。そうそう、猫にも虎の毛皮のようなものを着せていた。なんじゃあれ!
 休憩中に若い女性が、マラーホフの演技をみて、全盛期は過ぎているからねえと言っていた。何か華麗なバレエの技を披露する?とでも思っていたらしい。カラボスはああいう役柄なのである。私はマラーホフの存在感のスゴさに驚いた次第。
 全体の感想をまとめます。ダンス一流、衣装装置、独りよがりで残念なものでした。あの装置と衣装は大劇場のグランバレエでやるものではありません。中劇場までにして下さい。最後にピットのオケについて。オブジャニコフはいつもは良い仕事をしているが、今回はリズムをくっきりさせることに終始し、演奏に繊細さが欠けていた。東京シティフィルはもっとできるオケであります。
 2015年2月7日@東京文化会館

江守徹のリア王は、文学座最高の俳優陣の名演で演劇史上に残る必見の名舞台

 文学座アトリエにて、文学座公演「リア王」を観劇。鵜山仁演出。小田島雄志翻訳版。やはり注目は大病でしばらく舞台から遠のいていた名優・江守徹がリア王を演じるということだ。江守のリア王を見るのは初めてだし、だいたい日本でプロの劇団がリア王を演じることはあまりない。それほど深く難しい作品なのだ。私は、蜷川幸雄がロイヤルシェイクスピアカンパニーを埼玉に招き、道化に真田広之をキャスティングして上演した「リア王」が好きだ。リア王はマクベスとは違う。絶望の中でもがき狂い死んでいく男の話なのだ。ナイジェルホーソンというサーを持つ名優が死の直前にリアルに演じた。1999年の上演だ。  
 江守徹は、きっと一時よりは相当回復し、良くはなったのだとは思うけれど、かつて彼がもっていた俳優としていろんなものをもぎ取られていた。滑舌、リアクションなどそれは哀しいほどだった。耳にはイヤホンが埋め込まれている。抜けた台詞のプロンプのためなんだと思われる。
 しかし、そうではあったけれども、江守徹の今をここまでさらけ出し、舞台に当たった事が却って、リア王の哀しみや絶望、怒りなどを見事に表現する肉体になっていたのだ。舞台の終幕で殺された3女を抱きながら嘆き長台詞など見事のほかない。むしろ、江守の持っていた演劇人としての多くの技術のほとんどが削ぎ取られ、演じる本質だけが残っているのだ。それだからこそ、この老王の悲劇を演じるのにふさわしい肉体になっている。皮肉なことであるが、涙なしではみられない超名演である。アトリエの限られた空間でこれがみられる贅沢さ!これは、日本演劇上演史に残る名舞台が誕生したといいたい。
 こういうのこそ、NHKは舞台中継して、ドキュメンタリーも作成して演劇を盛り上げて欲しいなあと思うくらい。
 そして、廻りの演技陣の素晴らしいこと。同じく絶望のどん底に突き落とされるグロスター候は坂口芳貞。相変わらずの若い感性と若い俳優がやってしまう、シェイクスピア劇ってこう語るんでしょ、こう演じるんでしょという何もない空虚な型を追う演劇から、完全に自由。くだらないものが全て削ぎ落とされた演技は見事というほかはない。それは、別役ものなどで名演を披露し演劇人として絶頂期にある(何で映像や他の舞台がもっとオファーしないのか分からない)金内喜久夫の道化もそうだった。真田広之がアクロバティックな動きで魅せたのと対象的に、道化の内側に迫り、この名作になぜシェイクスピアが道化を登場させたのか、この演技をみてなるほど!と膝を叩いた。
 そして、ケント公の外山雄二の品格のあること。3時間の冒頭から最後まで通して悲劇の目撃者として見事な役回りを演じるのだ。それは、比較的小さな役であったが、高瀬哲朗にも言える。この俳優が上手下手にたち、舞台中央の俳優の作り出す物語を見ている、聞いていると、観客は、まるで映画のように、役者の演技に集中し、まるでクローズアップの演技を見ているような効果をもたらす。比較的若手では浅野雅博が良かった。外部公演でも、ジムキャリーのように芝居ごとに見事に変身してしまう浅野であるが、今回も同様。エドガーを演じた。演じ分けすぎた感じもあったが…。エドマンドを演じた若い俳優は、この浅野エドガーによって大いに助けられていた。コーンウォール公を演じた俳優の名前は分からないが良かった。その他の俳優陣も、古典劇の台詞を一度根本から洗いなおして、魂から発せられた言霊として、人間の性質の当然の行為として再現、いやいまそこに起きている事件として、あった。素晴らしい演技であり上演だった。
 女優陣は、少し古典劇、朗々と謳い揚げるタイプの演技に走りがちな部分もあったが、これだけ文学座の名うての男優陣が存在感があると、あそこまでやらないと負けちゃうなとも思った。コーディリアの岡崎はいいキャスティング。
 せっかくの江守リアなのだから、もう少し大きな劇場でとも思ったが、なるほど、これはアトリエ公演がふさわしい。チケット代が4000円では安すぎる感じはあるが。。。
 アトリエ公演で、シェイクスピアの芝居らしく、ほぼ何もない白い空間に王宮の、戦場の、人生の、無限大の虚無感が広がっていく。前売り券は完売らしいが、演劇ファンなのであれば、何としてでもチケットを手に入れて観に行くべき、なかなか見られない代物である。必見。日本演劇上演史に残る名舞台なのだから。それも、リア王で!
 2015年1月9日@文学座アトリエ
2014年1月
1月 5日 スリランカ・キャンディアンダンス@キャンディカルチャーセンター(スリランカ)
1月11日 N響&ヴェルデニコフ+コー チャイコV協、眠りの森の美女抜粋@NHKホール
1月12日 立川談慶独演会「文七元結」「天災」松元ヒロ@国立演芸場
1月22日 劇団新派「明治一代女」@三越劇場
1月25日 N響&ルイージ オルフ「カルミナブラーナ」@NHKホール
1月28日 Stペテルブルグフィル/テミルカーノフ@サントリーホール

2月
2月7ー8日 東京バレエ団「ロミオとジュリエット」@東京文化会館
2月8日  N響&尾高 シベリウスプロ@NHKホール
2月15日 N響&ネヴィルマリナー ドヴォルザーク7&8番@NHKホール
2月20日 アメリカンバレエシアター「くるみ割り人形」@オーチャードホール
2月22日 文学座公演「お気に召すまま」BY シェイクスピア @あうるすぽっと
2月26日 ローリングストーンズコンサート@東京ドーム
2月27日 アラジン@ニューアムステルダム劇場(ニューヨーク)
2月28日 ウィーンフィル+メスト「ヴォツエック」(演奏会形式)@カーネギーホール

3月
3月1日  愛と殺人についての紳士のための指南書@KEER 劇場(ニューヨーク)
3月1日  ウィーンフィル+ネルソンズ「サロメ」(演奏会形式)@カーネギーホール
3月2日  ブックオブモルモン@ユージンオニール劇場(ニューヨーク)
3月3日  MET「ウェルテル」@メトロポリタンオペラハウス
3月4日  ポールサイモン+スティングコンサート@マジソンスクエアガーデン
3月15日 パリオペラ座バレエ団「ドンキホーテ」@東京文化会館
3月17日 黒柳徹子カンパニー「想いでのカルテット」@EXシアター六本木
3月23日 パリオペラ座バレエ団「椿姫」@東京文化会館
3月24日 コルンゴルト「死の都」@新国立劇場オペラパレス
3月29日 東響&スダーン+オピッツ 皇帝、シューベルト2番@サントリーホール
3月31日 ボブディラン・ライブ@Zepp DiverCity


4月
4月10日 ナイロン100℃『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』@青山円形劇場
4月11日 文学座「夏の盛りの蝉のように」@三越劇場
4月12日 NHK交響楽団×ヤノフスキ ブル5@NHKホール
4月13日 新国立劇場「ヴォツェック」@新国立劇場オペラパレス(疲労のため断念。チケット無駄に…)
4月18日 リトアニア国立交響楽団 ニコライアレクセーエフ指揮@コンサートホール(ヴィルリニウス リトアニア)チャイコフスキーピアノ協奏曲一番、ショスタコ バレエ組曲2番、9番交響曲
4月27日 東京交響楽団×ジョナサンノット@東京オペラシティ
4月28日 和田憲明×ふかわりょう「死神の浮力」@本多劇場

5月
5月2日  団菊祭昼の部「勧進帳」ほか@歌舞伎座
5月2日  新日本フィル+ハーディング@サントリーホール  
5月4日  団菊祭夜の部「極付幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)」@歌舞伎座
5月10日 NHK交響楽団+デスピノーザ+マティアスゲルネ@NHKホール
5月16日 文楽・住太夫引退興行昼の部@国立劇場小劇場
5月16日 「クロードと一緒に」@青山円形劇場
5月17日 NHK交響楽団+ヘススコボス@NHKホール
5月18日 ポールマッカートニー OUT THERE JAPANツアー@国立競技場
      (↑公演中止)
5月20日 ローマ歌劇場来日公演「ナブッコ」@東京文化会館
5月22日 新国立劇場「アラベラ」@新国立劇場オペラパレス
5月25日 ローマ歌劇場来日公演「シモンボッカネグラ」@東京文化会館
5月27日 ローマ歌劇場来日公演「シモンボッカネグラ」@東京文化会館

6月
6月7日  NHK交響楽団+アシュケナージ@NHKホール
6月19日 NHK交響楽団+アシュケナージ@NHKホール
6月14日 東京交響楽団+ノット@サントリーホール
6月18日 アルドチッコリーニ ピアノリサイタル@東京芸術劇場
6月24日 ハンガリー国立フィル+コチシュ@武蔵野文化会館
6月29日 東京都交響楽団+フルシャ@東京芸術劇場コンサートホール

7月
7日  リヨン歌劇場来日公演・大野和士指揮「ホフマン物語」@オーチャード
17日 ミュージカル「ブラックメリーポピンズ」@世田谷パブリ・シアター
18日 N響「夏」2014 指揮レオフセイン 舘野泉(p)@NHKホール
23日 歌舞伎座 七月大歌舞伎 夏祭浪花鑑ほか 玉三郎・海老蔵@歌舞伎座
24日 柳家権太楼 独演会@紀伊国屋ホール
31日 ジョンソン&ジャクソン「窓に映るエレジー」@シブゲキ

8月
7日  東京バレエ団 めぐろバレエ祭@めぐろパーシモンホール (チケット無駄に)
10日 納涼歌舞伎第3部@歌舞伎座(チケット無駄に)
13日 「スラバ スノーショー」@シアター1010
16日 劇団四季「リトルマーメイド」@四季劇場「夏」
18日 納涼歌舞伎第2部@歌舞伎座(チケット無駄に)
21日 青年座『台所の女たちへ』@青年座劇場(チケット無駄に)
28日 ルミネ・ザ・吉本 夜の部
30日 東京バレエ団50周年ガラ@NHKホール


9月
11日 NHK交響楽団定期+ブロムシュテット@サントリーホール
13日 テリーリンキャリントン・ライブ@ブルーノート東京
14日 ヤクブフルジャ指揮 東京都交響楽団@サントリーホール
15日 美輪明宏ロマンチック音楽会@東京芸術劇場 
19日 東京バレエ団「ドンキホーテ」@ゆうぽうとホールl.
20日 NHK交響楽団定期+ブロムシュテット@NHKホール 
23日 柳家喬太郎・林家たい平二人会@サンパール荒川
24日 ウィーンフィル+ドゥダメル@サントリーホール
25日 ウィーンフィル+ドゥダメル@サントリーホール
26日 ジュリエットグレココンサート@オーチャードホール(チケット無駄に)
27日 NHK交響楽団定期+ブロムシュテット@NHKホール



10月
3日 バッハコレギウムジャパン@オペラシティコンサートホール
4日 劇団四季「マンマミーア」@四季劇場「秋」
5日 新国立劇場オペラ「パルシファル」@オペラパレス
6日 ナイロン100℃「社長吸血鬼」@本多劇場
10日 モントリオール響+ケントナガノ+五嶋龍@東京芸術劇場
11日 新国立劇場オペラ「パルシファル」@オペラパレス
14日 マリンスキー管+ゲルギレフ+Nフレイレ@サントリー
15日 立川談四楼独演会@下北沢 北澤八幡神社 参集殿
17日 マリンスキー管+ゲルギレフ「サロメ(演奏会形式)」@NHKホール
18日 東京交響楽団+ウルパンスキ@サントリー
24日 近藤喜宏ピアノリサイタル@和光市民センターアゼリア
25日 NHK交響楽団+ノリントン シューベルトプロ@NHKホール
28日 文学座 近未来能・天鼓@紀伊国屋サザンシアター
29日 イスラエルフィル+メータ マーラー5@NHKホール


11月
1日 劇団新派「鶴丸鶴次郎・京舞」@新橋演舞場
5日 米国ツアーキャスト「雨に唄えば」@シアターオーブ
7日 ローマサンタチェーチーリア国立管+パッパーノ@サントリー
8日 ベジャール・東京バレエ・IPO/メータ「第九交響曲」@NHKホール
12日 ローマサンタチェーチーリア国立管+パッパーノ@東京芸術劇場
14日 猿之助歌舞伎公演@明治座
15日 NHK交響楽団+マリナー @NHKホール
22日 NHK交響楽団+サンティ @NHKホール
27日 米国ツアーキャスト「ONCE」〜ダブリンの街角で@EXシアター六本木

12月
4日 ボリショイバレエ団「ラ・バヤデール」@文化会館
5日 N響+デュトワ「ペリアスとメリザンド(演奏会形式)」@NHKホール
10日 ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィル「ブラームスチクルス」@オペラシティ
11日 ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィル「ブラームスチクルス」@オペラシティ
13日 NHK交響楽団+デュトワ 新世界@NHKホール
18日 NHK交響楽団+デュトワ@サントリー
20日 東京バレエ団「くるみ割り人形」@ゆうぽうと
26日 NHK交響楽団 第9演奏会@NHKホール

「落語をきく楽しみがここにあったと思う」

 始めに断っておくが、私は落語の事は分からない。年に数回聞きにいくだけ。これで、今年は4回、5回目くらい。ほとんど聞いていない。31歳のころに生まれて初めて落語をきいて、20年以上になるが、生できいたのは150回に満たない。だから、いつも以上に批評でなく感想です。
 今回は、立川談四楼独演会、である。3年前に志らくさんの演劇の時に、共演者として大変世話になって、必ず聞きに伺いますとか調子良くいって、3年もかかってしまった。この会を逃すと、来年になっちまう。実はこの日、これも一度は生を聞きたい桂歌丸師匠の会が新宿であって、そのチケットを買っていたのだが、調べたら、立川談四楼師匠の会があって、そりゃ順番が違うだろということで、歌丸師匠はまた別の機会にということで、こちらに伺う事に。
 北澤八幡神社。二礼だけして、いざ会場へ。
 受付で佐藤さんですね?って、会員価格にしときますねって。安いな〜、2000円だって。
 どのくらいの大きさかは分からないけれど、ちゃんと緞帳つきの舞台がある和室に座布団多数。到着した6時30分ごろには、後ろにある椅子席に座る方と、前の方のかぶりつき席に15人くらい。会が始まる19時ごろには、40人いや、60人くらいになっていたかなあ。
 3人の前座さんたちの噺は15分くらいづつ。だん子さん「子ほめ」。談笑さんの弟子の笑笑(わらわら、って居酒屋みたいですね)さん「まんじゅうこわい」、そして元編集者の寸志さん「豆売り」と続く。前座さんの中では、寸志さんの熱量が半端なかった。まあ、妻子ある中で一流出版社の編集者の職をなげうっての遅くの入門だからね、そりゃ違うよね。初めて聞くが、落語愛の深さを感じた。冒頭に数々の物売りの、金魚や、豆腐屋とかを、少し長めに話して、本題の世界に引き込もうと。この人は声がいいね。通る声。えーーってのがちょいと多すぎだけど。下げのテンポは絶妙でござんした。寸志さん、笑笑さん、憶えさせて頂きました。
 さて、いよいよ登場の談四楼師匠。2席「目黒のさんま」と「抜け雀」。
 最初に、弟子のことを思ってか、いろいろと語る。先物買いして下さい。お客さんの前でやることが大切なんです。前座っていってもいろいろあるでしょ?正直、下向いて明らかに嫌な顔して、早く終われみたいな顔している人もいて、まあね、僕も人前で話したり、最近は、ないけど演じたりもしたので、ね。ま、若い人の、ちょいと気持ちは分かりますね。
 まあ、こんな性格なんで、何人入って興行収入はこんくらい、ゲストで呼んだシンゴさんという太鼓たたきに払うギャラや、会場費など諸々考えると、これは、談四楼師匠が、落語愛で開いている会だなあと思う次第です。
 興行ってのは、自分の好きなとこだけで判断するのではなく、全部、総合で見ないといけない。宣伝や予約受付、会場受付から興行は始まっているのです。掃除してない汚い会場だったら、客の気持ちも落ちるって具合で。総合的なものなんですね。
 この会。2000円しか払ってない客が、前座さんたちに、お前は下手だ、ツマラナイっていう顔する、そういうのってね、どういう了見かね。も少し暖かい感じでさ接してもいいのになって思うな。

 さて「抜け雀」はなぜか、少ない落語鑑賞歴の中で、しょっちゅう出合う演目で、これ、もういろんなのを聞かせてもらった。喬太郎、たい平、談慶などなど。主役の相模やっていう宿屋夫婦の会話に重きを置く噺家さんが多い中、談四楼師匠は、冒頭のスポットを絵描きに当てた。相模屋がボロいとか、夫婦の半金もらってこいといったところでなくである。時おり、そういうサイドの部分をねっちょりやる噺家さんもいて、それはそれで面白いのだが、抜け雀の話は止ってしまう。
 談四楼さん、何と言うか、やり過ぎない。だから、テンポがいい。噺がすすすーっと進んでいく。ギャグを入れるにしても、サイドディッシュに抑えておく品格がある。
 飛んでいく雀をしつこくやらない。驚く宿屋の親父や、泊まりにきた人、殿様をひとつひとつねっちょりやって、噺を止めない。
 実は、僕は落語に大爆笑を求めてはいない。一番欲しいのは、落語の作り出す世界と空気。それを楽しみ、人間の可笑しさ、世の中の理不尽さに、ニヤっとさせてもらったり、吹き出したり、にこやかにしてもらったりしたいだけ。大笑いしたけれど、どんな話だっけ?って笑いを求めてはいないのだ。
 もちろん談四楼師匠も、時と場所により作り方はいいジャズのようにアレンジされるのかもしれない。でも、考えてみると、この畳敷きの広間に座布団を並べ、そこで前座さんの話や、ここでしか見られないような芸人さんの一芸を見せてもらって、品のいい楽しくハッピーにさせてもらう談四楼さんの落語2席。
 なんかね。ああ、来て良かった。落語を聞く楽しみってこうだよな。談四楼さんの噺だけでなく、会場の選び方から、雰囲気、受付、演目、出演者。もろもろ全てが暖かくていい。そして、お代は2000円。談四楼さんは、前座さんの噺を受けて、養成場みたいなことを言ってたけれど、落語ファンを作り育てる場でもあるなあと思った。若手を競わせ、人前でコテンパンに貶めるという会もあるけれど、ここではそんなことはない。落語をやってる、落語を愛するものを愛しく思ってる空気があった。きっと若手の噺家の中には、ありがたい現場だと思ってるのではないだろうか。そういう場を作ってるのだなあと。6時に始まり、終わったのは9時。たいしたもんだ。
 会の後には、懇親会までやるという。お客さんもお疲れさまというわけだ。まあ、僕は、久しぶりなので、ご挨拶だけして、ほんわかした気持ちで会場を後にした。目黒のさんま の噺をきいて、さんまが無性に食いたくなって居酒屋に駆け込んだくらい。
 自分も放送人、ちょっとしたモノを書くことを生業にしているが、なんかね、このほんわか空気を作り出せるようにないたいなと思った。
 2014年10月15日@北澤八幡神社参集殿

『多様な笑いを発見するドストエフスキーの匂いのする作品』

 ナイロン100℃「社長吸血鬼」。
 いま、御岳山の噴火、台風18号、19号、広島土砂災害、政治経済のできごとも含めて、いろんな重いニュースがある。しかし、観劇して一週間以上立つのに、この芝居をみたあとから、何かが、まだまだ心の中にしみ込んでくる。感想をまとめようと思ってるのに、それが心の中にどーんと居場所をもっていて、それがまだ形も大きさも色合いも変わっていくのでまとめきれない。でももう一週間も立ったのだから何か書いてみようと思う。
 ドストエフスキーが、現代日本に生きていて、戯曲を書いたのなら、その色合いはこんな感じだったのではないか。そんな感じである。チェホフではない。ゴーリキーでもない、ましてや、シェイクスピアさんでもない。ドス君である。

 ケラさん、社長シリーズのことに触れていたはずだ。そう、森繁や、三木のり平や、加藤大介が出ていたあのプログラムピクチャーのこと。ケラさんは、作品を誰よりも知っていて、いや実際、それに言及してるのを目撃(Twitterとかだったので、読んだというより目撃)したこともあったはずだ。
 そういう作品をどこかベースに作るのだろうと想像していたら、夏前に「社長吸血鬼」ってタイトルになっていて、結構おどろおどろしいチラシだったり、ご覧のようなコウモリな感じだったので、どんな話だろと思って会場にいったら、ペラ紙の参考資料の中に、豊田商事事件があったので、うんぐと思ってしまった。美術も重量感を感じた。
 こっそり「社長放浪記」という舞台を伊東四朗さん主演で作った三谷幸喜作のことを意識してるのかなと思った。それも至芸を見せてもらったのだけれど。三谷さんは、森光子の「放浪記」を意識してるのかなと思いつつ。。。
 この物語にも社長は直接出てこない、話の重しになる社長はどこかに消えてしまって(放浪して)出てこないし、芝居が始まりしばらくすると、社員もお客のことも吸い尽くす吸血鬼であることも分かる。え!こんなにストレートなタイトル…か、でむしろ驚いた。
 エンタティメント性は高い。それに、出ている役者さんは上手いので2時間半は短いし、その時間のスピート感も、会場の空気もどんどん入れ替わりながら進んでいく。照明を変える事も、舞台装置が変形していくのもあれだけれど、役者が空気をどんどん入れ替える。重量を変える。スゴいのである。
 で、残るのは、何かケラさんの今の世の中、社会に対するストレートな吐露である。戦争は良くない、政治家はもっとしっかりしろ、そんな当たり前の、作品として底の低いものじゃなくて、今の日本を覆い尽くす空気への想いなのである。今の世の中の、何か重苦しい、広がりのない、どんよりとした、ダークな、社会を覆う空気を舞台で再現してみたような感じがする。
 こういう出てくる人がみんな問題があるっていうか、ダークな人ばかりの芝居は大好きだ。いい意味で、逃げ場がない。
 もちろんエンタティメント性は高いから、笑いは巻き起こる。面白いのだ。だが、会場から起きる笑いはどっ!というものもあるけれど、笑いの質は同質でない。が、今回ほど、一人で大声で笑う客がいろんなところで、いろんな人がいたなんて珍しい。それもいろんな笑い声が聞こえてきたのだ。声に出さないものも含めて、自分自身も笑いながらも、怖くなる、重くなっていく。笑いながら、重くなっていくのであるが、それは、自分自身に向き合っているのである。
 そんな芝居なのである。笑いにいろいろとあって、自分の中で巻き起こる笑いも、この芝居はいろんなスイッチをオンオフしてくれる。それが、何かね。対峙させられちゃってるのが分かって、自分自身とね、自然とね。対峙させられてしまって、ね。不思議な芝居である。
 芸人のかもめんたるが出演していた。僕は知らないお笑いの人なんだけれど、ナイロン100℃の俳優と互角に演じていた。見事である。
 ドストエフスキーが現代日本に生きていて、でも、小説というよりも戯曲家だったら、こんな芝居を書くのではないか。この作品は、イギリス人、ロシア人、フランス人も、好きそうな芝居である。
 それは、現代の若い日本の戯曲家にありがちな、個人の内面ばかりみたり、単に物語を追ってみたり、社会の問題を新聞的に描いてみたりという芝居とは根本的に異なる。
 個々の内面の問題であり、社会に向き合い、開かれている作品であり、演劇ならではの作品なのである。とてもパーソナルであるのに、時代を超えていくPowerを持つ作品であった。
 ちょっと思ったんだけれど、時々、映画の「ダークナイト」を見た時の空気とリンクするなあ。
2014年10月6日@本多劇場
誰が見ても笑えて面白い作品は、紛れもない才能の結実。

「窓に映るエレジー」@CBGKシブゲキで鑑賞して来た(7月31日夜)。2時間あまりの作品はバラエティに富み面白かった。ブルー&スカイがメインで作っているのだろうが、ちょいと違う。それが大倉孝二の味なのだろうか。 ジョンソン&ジャクソンいづれにせよ、ブルー&スカイと大倉孝二という紛れもない現代演劇界の才能の科学反応は大変素晴らしく、ボッシュの絵画、ウディアレンの映画のように変幻自在に楽しめるようにできた上質のコメディであり、劇場作品であった。
 冒頭は中2レベルの下ネタから入る。ここで、会場の緊張が緩む。そして、さて芝居が進むかと思うと、ウェルメイドな音楽が演奏されたのには驚いた。さて物語は…と、ここで少々、あらすじを書いてもいいのだが、つまらない新聞の劇評と同じようになってしまうし、これから見る人には邪魔だし、見ない人にはどうでもいい話なので書かない。ただ言えることは全編笑いである。笑いでありナンセンスである。ナンセンスで物語は紡がれて行く。節約、仕事、格差、リア充。幸せを必死に求めて、確実に不幸になって行く人間を笑い飛ばすだけでなく、社会と現代そのものも笑い飛ばして行く作風に舌を巻く。誰が見ても面白く笑える。そして2時間の劇場作品として一流のそれに仕上がっていた。
 会場の笑いは大倉孝二や池谷のぶえが作り出す分かりやすく一級の笑いに反応しているのだが、村岡希美が真面目に必死に生きている女を演じていることがこの作品の軸となっており、ときどき笑いに走るかなというところで踏みとどまる池田成志の抜群のバランス感覚のある名演で芝居は締まり、人間のむだな懸命さが愛おしくなってしまうことに観客は気づいていないかもしれない。笑いながらも哀しい。そんな作品なのである。ブルー&スカイ自身も役者として演じるが、その抑えた演技は素晴らしい。やり過ぎや無駄な主張は常に演者のための高揚感であり作品や観客にとって喜ばしい自体ではないからだ。
 物ごとの表現は常に削ぎ落とすことによって純化していく。観客との繋がりは、削ぎ落とされた部分に観客の心が共鳴することによって埋まって行くからだ。
 ブルー&スカイという作家は同世代でも特別な才能である。他がドリフターズやひょうきん族などのテレビでのコントに大きな影響を受けて、作品をバラエティショー化して演劇だと言い張っている時代に、前述のような作品を生み出して来た。ナンセンス、ばかばかしさ、その先には常に人間そのものを笑い飛ばしてきたのだ。
 多くの人の理解を得たのかどうかは分からないが、まさに一級品なのだ。
 演劇の公演でグッズなど買わない僕が、なぜか買ってしまっていまでもちゃんと持っているものがひとつある。それは割り箸だ。演劇弁当ネコニャーがどんどん追い込まれて、中野のウエストエンドで公演を打った時に買ったもので、確か500円。五膳だから、1膳100円。こんなに高い割り箸は買ったことがない。
 だいたい演劇弁当という名前を劇団の名前の前につけたのも、みんな食うのが大変だから弁当屋やってバイトしながら演劇するためにつけたとフライヤーで言っていたけれど、芝居だけでなく自分も劇団も笑いの対象にしてた。面白い。劇団としては無くなったとしても、この割り箸は、将来きっと価値がでると思って買い求めたのだ。
 というように、ブルー&スカイは若い時から不思議な世界観、空気感を作れる作家であり演出家だなと思った。きっと世の中のメインストリームになるだろうなあと思った。時代が追いつく、もしくは、もっと年を取れば老成していろんなことを知ってちょうど良い売れる作品を作り出すようになるかもしれぬ。それはもちろんある程度自分というものを残しながらなのだけれども、作り出すだろうなと思っていた。もう10年くらい前の話だ。
 どうなんだろう。そんな作家になるのかもしれないし、ならないのかもしれない。何か無理してでも売れてやろうという気迫ばかりが演劇の作家からは感じることが多いが、ブルー&スカイはもっと独自の道を歩むのかもしれない。例えば、イッセー尾形のような、いやイッセー尾形ならいいのだが、マルセ太郎だと食うのに困る。 まだまだ見てみたい才能なのである。大倉孝二という俳優についてはもはや私なんぞが語る必要がないだろう。一度、松竹の映画作品、それもプログラムピクチャーで見てみたい俳優だ、とだけ言っておきたい。
 作品は2時間をふと思い出しながら、必死に演じて笑われた登場人物が客席をずーっと見続ける形で終わる。それは、観客自身の姿であることを分かってねという感じなのかな。いや、そこまでは言ってないのかな。でも、それがエレジーであることは間違いない。
 2014年7月31日@CBGKシブゲキ
 100年近く前の時代を背景にかかれた作品を現代に上演するということはどういうことか。それを考えさせてくれたのがケラリーノサンドロヴィッチ潤色、演出のナイロン100℃『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』である。大正の終わりから昭和一桁に書かれた岸田國士の作品を上演した。7年ほどまえにも岸田作品の一幕ものを上演している。今回もさまざまな作品をひとつの作品として絡めてコラージュしている。それでもきちんと区切りもつけるために、作品の終わりごとに、原作名と出演者と演者を紹介する。
 3時間10分の作品を通して古さは感じられない。原作を読んだわけではないのだが、作品を再演するということはこういうことなのではないか。
 日本での古典での上演は、特に新劇系の、もしくは宗教的に作品と作者を信奉するグループの作品に見られるように、まるで博物館、史料館を訪れたような気分になってしまう上演が多い。
 ケラさんの作品にはそれがない。今までこの世に産み出された素晴らしい作品を心から愛するケラさんではあるが、それを神棚にあげて奉るような失礼な事はしない。現代の視点できちんと見つめ、作品の本質をつかんで上演する。だから見ていて古さは何にもないのだ。
 ケラさんは自分の思いを伝えたくて伝えたくてたまらない。劇場に入ると、多くのやじろべえというかモービルのオブジェが下がっている。そして、舞台上にはやじろべえのように、何とかバランスを保っている人間やじろべえが創出される。やじろべえは手で故意に触れるとグラグラと揺らぐ。でも、まあ元の鞘に納まって行く。その揺れ具合を舞台で創出している。舞台のど真ん中の頭上に大きくあるのはシンプルなやじろべえ、その先には XX XY と書かれている。岸田の時代にはまだ解明されていない染色体である。男と女。うーーーん、分かりやすい。流れる音楽は、この時代の少しあとの昭和を彩ったエノケン。舞台にある美術はまるでカンディンスキーである。色使いも線も。ワシリーカンディンスキーはロシア出身の画家で、ピカソやミロやいろんな画家に影響を与えた19世紀の人。その作品もよく分からないものがひとつのキャンパスに創出されるが、不思議とバランスが取れているものだ。
 ナイロン100℃の上演の魅力のひとつはその俳優陣であることを否定する人はいないだろう。僕はテレビや映画で大人計画出身の俳優達が山ほど出ているのに対し、こんなに魅力的なナイロン系の俳優陣がイマイチなのが残念でたまらない。ケラさんは自分の劇団の俳優を、いや俳優そのものを愛している。ナイロン100℃の若手にもきちんと爪痕を残せるような役回りを作った台本には俳優への深い愛情を感じるはずだ。べらぼうにうまい松永玲子や味わいのあるみのすけ。出演者が多いのでケラさんが理解している事をどれだけ分かってやってるのかな?と思う役者もいるし、でかい役をもらっている人も、ああ、ここは得意なんだ。ここは綱渡りなんだ。あれ、あれ?みたいなところもあるし。ちょっと悪目立ちだなあと思う瞬間もあったりするのだが、やじろべえのように、何か上手ーーく落ち着くところに落ち着くのだ。
 ひとつだけ、俳優さんのこと。緒川たまきさんの立ち姿が美しい。あれ、自然に見えているが大変なのである。まるで歌舞伎俳優のように舞台に立ち向かうのであった。
 円形劇場、どこから見ても面白い。不思議な演劇やじろべえをご覧あれ。
2014年4月10日
 はじめてみる芸術作品の傑作の数々を前にして、私は、感動するよりも何よりも、存在しうるかぎりの神々に誓った。死んでも作品の解説(批評)はしない、と。
 芸術作品とは、仲介者なしで、それと一対一で向い合い、作者が表現しようとしたことを虚心に受けとめるべきものだと感じたのである。

         …塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」より


 このブログは、上記の言葉を忘れずに行こうと思う。
 僕がしたいのは、このブログを読んだ人が、今よりももっと、劇場に、コンサートホールに、映画館に足を運びたくなるような文章を書くことなのだ。
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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