佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 新国立劇場バレエ ロメオとジュリエット 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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ジュリエット/リアン・ベンジャミン<英国ロイヤルバレエ> 
ロメオ/セザール・モラレス<英国バーミンガム・ロイヤルバレエ> 
マキューシオ/八幡顕光 ティボルト/輪島拓也 ベンヴォーリオ/菅野英男
振付 : K.マクミラン 音楽 : S.プロコフィエフ 監修 : D.マクミラン
舞台美術・衣裳 : P.アンドリュース 指揮 : 大井 剛史 管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団


「日本のバレエ団が克服しなくてはいけないこと」
 プロコフィエフの音楽は昔から好きだった。生の舞台をみたのは5年以上前のこと、ロンドンのロイヤルバレエの公演だった。音楽をきいたのはもう20年以上前、ロンドン交響楽団の来日公演、マイケルティルソントーマスの指揮だったと記憶している。そして、今回はマクラミンの振付け、2人の主役もロイヤルバレエ団とバーミンガムロイヤルバレエ団と本当に英国づくしだなあと思いつつ鑑賞。
 多くの振付け演出作品を見ている訳ではないので、感想ということで書かせてもらうが、マクラミンの振付けはバレエの華麗なテクニックを前面に出すのではなく、このロメオとジュリエットという作品をバレエで表現した時の内面の表現をとても重視した作品に思えた。つまりテクニックが不要とは言わないが、演技力がとても必要とっされているのだ。二人の主役は見事である。リアンベンジャミンは若く純真な14歳の少女の一途の恋心を見事に演じていた。可愛いのだ。セザールモラレルは先日みたバーミンガムロイヤルバレエ団の来日の時とは違って今度は若い青年の思いをうまく表現していた。純粋でそれだけ狂気に近い生き方なのである。技術もあるのだろうけれども、それが前面に出て来ない。対する新国立劇場バレエ団もソリストは十分に対抗していた。例えば、一幕で相手をからかうように踊る男性は誰か分からないのだけれどもテクニックにユーモアもある。例えば2幕の第3場、街の広場で起きる悲劇。ティボルトがさされ、マキューシオも死すシーンでは、ティボルトの福田圭吾は、死ぬ悲壮感がなく体操のような動きだった。一方でティボルト役の輪島拓也は、悔しさや生への渇望を残しつつ死ぬところが見事。それを嘆くキャピレット夫人(?)の湯川麻美子も見事だった。
 3人の娼婦を踊った寺田亜沙子ほかの3人もダイナミズムがあった。問題はコールドバレエや演技力の必要とされる役だと思う。例えば、ロレンス神父の石井四郎は、堂々とした若い二人が命を託す神父には全く見えない。乾物屋の親父くらいにしか見えないのだ。ヴェローナ大公の内藤博も街の権力者として一生懸命手を広げたり演じるのだが、威厳が全くない。まあ、若い人が演じなくてはならない悲劇と言えば悲劇なのだけれど、それだけか。キャピュレット卿を踊った森田健太郎は以前は主役級を踊っていた人だが、今回は踊りよりも演技力の必要とされる役。他の人よりは重心も低く上手く演じているが、きっと世界のトップのカンパニーに入るとヘンテコになってしまうだろう。
 これは、先日観た東京バレエ団の「白鳥の湖」でも感じたことなのだが、バレエの舞台にもっと40代50代の威厳とか重みのある人が立つようにならないと、せっかくのドラマが盛り上がらないと思う。これは日本のバレエ界の大きな欠点だ。
 一方で東京バレエ団が克服したのに対して、新国立劇場バレエ団に残された大きな課題はコールドバレエの水準だと思う。先ずは揃わない。音楽をきちんと聞いているのかと思うくらいに揃わない。これは、カウントで踊る人の悲劇だ。カウントはもちろん大切だが、音楽が身に滲みるほど入っていなくてはならない。何百回も音楽を聴かなくてはいけない。きっとそれをしていない。
 それから、優雅さやエレガンスな身体の動きがない。型をなぞっているけれども、それが動きだけであって、内面から溢れた動きになっていない。これは東京バレエ団ではないことである。今宵のコールドの水準は20年以上前の日本のバレエ団の水準から進歩していないと感じさせた。
 バレエの世界はヨーロッパの世界であり、日本の通常の世界ではあり得ない心や動きが多くある。これを克服する為には欧米での経験が多く必要だと思うのだけれども、そうはいっても無理で、現実には、欧米のバレエ団の公演をどれだけ観たかで決まってしまうのだと思う。東京バレエ団は、世界の超一流のバレエ団を招聘するNBSが積極的にバレエ団の団員に観る機会を与えているし、世界の一級の踊り手と共演することも、毎年のように何ヶ月も欧米での公演を重ねて、欧米の経験、欧米の観客の批評を得てきている。だからか、東京バレエ団のコールドは見事である。
 来年2012年のパリオペラ座のプログラムを見ていたら、来年もパリで6公演を行うようである。きっとまた、ベジャールの作品を持って行くのだろうが、そろそろ欧米の作品を向こうで披露してもいいレベルになっている。東京バレエ団が「ジゼル」や「白鳥の湖」などでどのような評価を得るのか聞きたいものだ。新国立劇場バレエ団はそういう機会がないのが可哀想でならない。優雅さや心からの演技は指導で身に付く物ではない。心から自発的に出て来ないとダメなのだ。
 日本のバレエの踊り手、特に新国立劇場の踊り手は身銭を払って、もっと世界の一流のバレエを観るべきだ。日本のバレエの会場には、この人はバレエはやってないだろうという人ばかりで(自分も含めて)埋め尽くされている。しかし、本当に観なくてはいけないのは、このバレエ団の人達だ。何とか観て欲しい。山ほど!山ほどだ!
それがないと、日本のバレエは東京バレエ団ばかりが先にいって他はおいていかれるだろう。
 最後に、今宵の東京フィルハーモニー管弦楽団の演奏は見事の一言だった。控えめながら曲の急所を決めて行き、微妙に緩急をつけた音楽の流れも、弦のピッチも、とにかくオケが自信に満ちあふれ良くなっていた。歌っていた。
 たとえ舞台が散々だったとしてもオーケストラの演奏をきいているだけで十分満足できる演奏だった。指揮者は全く知らない人なので、休憩中にプログラムを見せてもらったら、大井剛史という1974年生まれの若手で、未だにアマチュアオケも振る人らしい。注目して行きたい。
 
2011年7月1日 新国立劇場オペラバレス
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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