佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 ナイロン100℃「社長吸血鬼」 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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『多様な笑いを発見するドストエフスキーの匂いのする作品』

 ナイロン100℃「社長吸血鬼」。
 いま、御岳山の噴火、台風18号、19号、広島土砂災害、政治経済のできごとも含めて、いろんな重いニュースがある。しかし、観劇して一週間以上立つのに、この芝居をみたあとから、何かが、まだまだ心の中にしみ込んでくる。感想をまとめようと思ってるのに、それが心の中にどーんと居場所をもっていて、それがまだ形も大きさも色合いも変わっていくのでまとめきれない。でももう一週間も立ったのだから何か書いてみようと思う。
 ドストエフスキーが、現代日本に生きていて、戯曲を書いたのなら、その色合いはこんな感じだったのではないか。そんな感じである。チェホフではない。ゴーリキーでもない、ましてや、シェイクスピアさんでもない。ドス君である。

 ケラさん、社長シリーズのことに触れていたはずだ。そう、森繁や、三木のり平や、加藤大介が出ていたあのプログラムピクチャーのこと。ケラさんは、作品を誰よりも知っていて、いや実際、それに言及してるのを目撃(Twitterとかだったので、読んだというより目撃)したこともあったはずだ。
 そういう作品をどこかベースに作るのだろうと想像していたら、夏前に「社長吸血鬼」ってタイトルになっていて、結構おどろおどろしいチラシだったり、ご覧のようなコウモリな感じだったので、どんな話だろと思って会場にいったら、ペラ紙の参考資料の中に、豊田商事事件があったので、うんぐと思ってしまった。美術も重量感を感じた。
 こっそり「社長放浪記」という舞台を伊東四朗さん主演で作った三谷幸喜作のことを意識してるのかなと思った。それも至芸を見せてもらったのだけれど。三谷さんは、森光子の「放浪記」を意識してるのかなと思いつつ。。。
 この物語にも社長は直接出てこない、話の重しになる社長はどこかに消えてしまって(放浪して)出てこないし、芝居が始まりしばらくすると、社員もお客のことも吸い尽くす吸血鬼であることも分かる。え!こんなにストレートなタイトル…か、でむしろ驚いた。
 エンタティメント性は高い。それに、出ている役者さんは上手いので2時間半は短いし、その時間のスピート感も、会場の空気もどんどん入れ替わりながら進んでいく。照明を変える事も、舞台装置が変形していくのもあれだけれど、役者が空気をどんどん入れ替える。重量を変える。スゴいのである。
 で、残るのは、何かケラさんの今の世の中、社会に対するストレートな吐露である。戦争は良くない、政治家はもっとしっかりしろ、そんな当たり前の、作品として底の低いものじゃなくて、今の日本を覆い尽くす空気への想いなのである。今の世の中の、何か重苦しい、広がりのない、どんよりとした、ダークな、社会を覆う空気を舞台で再現してみたような感じがする。
 こういう出てくる人がみんな問題があるっていうか、ダークな人ばかりの芝居は大好きだ。いい意味で、逃げ場がない。
 もちろんエンタティメント性は高いから、笑いは巻き起こる。面白いのだ。だが、会場から起きる笑いはどっ!というものもあるけれど、笑いの質は同質でない。が、今回ほど、一人で大声で笑う客がいろんなところで、いろんな人がいたなんて珍しい。それもいろんな笑い声が聞こえてきたのだ。声に出さないものも含めて、自分自身も笑いながらも、怖くなる、重くなっていく。笑いながら、重くなっていくのであるが、それは、自分自身に向き合っているのである。
 そんな芝居なのである。笑いにいろいろとあって、自分の中で巻き起こる笑いも、この芝居はいろんなスイッチをオンオフしてくれる。それが、何かね。対峙させられちゃってるのが分かって、自分自身とね、自然とね。対峙させられてしまって、ね。不思議な芝居である。
 芸人のかもめんたるが出演していた。僕は知らないお笑いの人なんだけれど、ナイロン100℃の俳優と互角に演じていた。見事である。
 ドストエフスキーが現代日本に生きていて、でも、小説というよりも戯曲家だったら、こんな芝居を書くのではないか。この作品は、イギリス人、ロシア人、フランス人も、好きそうな芝居である。
 それは、現代の若い日本の戯曲家にありがちな、個人の内面ばかりみたり、単に物語を追ってみたり、社会の問題を新聞的に描いてみたりという芝居とは根本的に異なる。
 個々の内面の問題であり、社会に向き合い、開かれている作品であり、演劇ならではの作品なのである。とてもパーソナルであるのに、時代を超えていくPowerを持つ作品であった。
 ちょっと思ったんだけれど、時々、映画の「ダークナイト」を見た時の空気とリンクするなあ。
2014年10月6日@本多劇場
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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