佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 猫☆魂  耳 jikan 観 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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作演出 西永貴文


 小劇場の芝居をみたり、小劇場関係の人と話していると、たいてい思う感想は、ああ、お芝居が好きなのだということなのだ。当たり前だ。貧乏生活を強いられてやり続ける芝居。芝居が好きでなければやれるわけがない。しかし、そこには大きな落とし穴がある。芝居をするために芝居を作ってしまうということなのだ。役者はまだいい。しかし、劇団で1年前に小屋を抑え公演をしている連中からすると危険そのものだ。芝居をするために、どんな芝居ができるかを考えるのだ。
 そこに、猫☆魂の西永貴文の芝居の違いがある。西永はまだ若く、作劇の手法については、まだまだ技術という面でのりしろが十分残された存在だ。僕が西永作品に対して好感を持つのは、その作品には、西永の表現したいものが先に会って、その表現手段として演劇という媒体が使われていると感じられるからだ。もしかすると、小説や、音楽や、絵画、バレエでもいいのかもしれない。先ずは西永が、世の中で感じていること、それも、浅薄でなく、人間として生きるときの大切な本質的な地殻変動についてのモノの味方があって、それに対して、どういう時にそれを感じ、どういう風に考えているか。そして、自分はそれに対してどう対峙してきたか。いきたいか。そういったものがキチンと土台にあって、作劇がされている。それも、一部の若手の劇団にあるような、自らの内側に閉じたそれではなく、きちんと世の中、そう、世界に向かって開かれたものなのである。
 表現したいことがある。世の中と真剣に向かい合って生きている。それだからこそ生まれる作品には時代性を強く感じるのだ。西永は決して器用にそれを処理しているわけではない。自らの葛藤もすべて舞台の上にあげている。それが、リアリティであり、根底にそれがあるからこそ、人々をゆさぶるのだ。
 劇団員にも小器用な役者がいるわけではない。どちらかというと、ハートで演技するタイプの俳優が多いように思える。嘘な演技、技術だけで見せる連中はいないような気がする。
 音楽の使い方がとても上手く毎回感心するのだが、今回もそうであった。
 耳観という言葉とその意味合いを最後に、東京タンバリンの森啓一郎が、さらりと言ってのけた。こういうのが本当に難しいのだ。
 演劇をするために演劇をするのではなく、自らを表現するために演劇という手段を使う。アーチストと職人の違いがそこにあるような気がする。
 
 


2008年5月16日
シアターグリーン ボックスinボックス
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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