佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 ニューヨークフィル/ヤップファンツェーデン 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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ニューヨークフィル
指揮/ヤップファンツェーデン Jaap van Zweden
マーラー作曲交響曲第1番「巨人」


「ニューヨークフィル新世代」
 オープンリハーサルであったけれども、楽章を切らずに演奏し、その後で多少の直しをして次にいくという次第だったので、この交響曲を十分に楽しんだ。オランダ出身のこの50歳を少し過ぎたまだ若手の指揮者はこの巨大な交響曲の各楽器をきちんと聞かせる事に非常にこだわっていた。そして、それがキチンと大きなまとまりを伴っている。素晴らしい演奏だった。
 この前に都響の演奏を聴いた時にも思ったのだけれども、60年代にルネサンスを迎えたと言われるマーラー演奏は常にユダヤ人の怨恨のメロディのように聞こえてきた。それが21世紀になり、純粋な管弦楽としての演奏が増えてきたように思う。
 このニューヨークフィルの演奏でさえ、僕が同じホールできいたバーンスタイン/ニューヨークフィルの演奏(ドイツグラモフォンの名盤として有名な交響曲3番のライブ録音を僕は立ち会ったのだ)と比べて、何とあっさりした、何とポジティブなマーラーなのだろうか。ワルター、バーンスタインといったユダヤ人の中のユダヤ人の呪縛の演奏から独立したって感じだ。死に向き合う人生哲学ともあまり寄り添っていない感じもした。僕はそれがとても気持ちよく聞いたのだ。
 今回そう感じたのだけれども、見ていて何となく理由も分かった。80年代終わりと比べるとニューヨークフィルに何とアジア系の演奏者が増えた事か。前はユダヤの黒い帽子=ジェイドを被った演奏者が多かったけれども、すっかり少なくなった。前回、ニューヨークフィルでマーラーを聴いたのは5番で、それもあのドゥダメルだったので、そういう変化を味合うことなく、ドゥダメル節に酔ってしまったわけだ。今回で分かった。世代は替わってマーラーは世界的にユニバーサルミュージックになりつつあるのだと強く思った。2012年4月12日@アビリーフィッシャーホール オープンリハーサル
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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