佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 読売日本交響楽団定期演奏会(名曲)2012年6月 アルブレヒト 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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指揮 ゲルトアルブレヒト
ピアノ 若林顕
ブラームス ピアノ協奏曲第2番/交響曲第1番




「老齢な指揮者への移行について」

 読売日本交響楽団はいつのまにか一流のオーケストラになっていた。これは続けて聞く価値があると今年初めて定期会員になった。もちろん実際に会場に足を運べるのは半分くらいなのであるけれども。
 今宵の演奏会も全体としては極めてレベルの高い満足すべきものであった。
 これは、ウィーンフィルやシカゴ響を聞くのと同じものを求めていいのだと思って書く感想。
 
 今宵はかつての音楽監督であり、日本でも高い評価を得ているゲルトアルブレヒトである。曲目もブラームスプロ。
 1曲目のブラームスのピアノ協奏曲。ソリストは日本を代表するピアニストのひとりの若林。中堅のピアニストである。世界的なコンクールでも上位入賞した逸材である。しかし、天下のブラームスのピアノ協奏曲。私はこのピアニストの強みと弱みが如実に出てしまった演奏だと思った。
 ひとつひとつのパッセージを聞くとそれは美しい。私はこの中堅のピアニストに
録音で何百回もきいたバックハウスのような、もしくは実演できいたルドルフゼルキンのような演奏を求めているわけではない。しかし、私は思ったのだ。技術的には世界の超一流のピアニストまで上り詰めたと言っても、おかしくないこのピアニストが、基本的には日本国内のローカルピアニストで留まっている理由はどこにあるのだろうかということだ。私が心を動かされてきたピアニストと比べると、何か若林としての重しがない。若林流のピアニズムを感じないのだ。もっと違う表現をすると、この大曲に向かう姿勢が定まっていないのである。ある部分はバックハウス的だったり、ある部分はポリーニ的だったり、何か揺らぐのである。フォルテとピアニシモ、速いパッセージと叙情的な部分と何かつながっていないのである。そう聞こえてしまうのだ。きっと若林は勉強家でいろんなピアニストの名演も聞いたのではないか、どうも、そのつぎはぎに聞こえてしまう。僕は、ランランというピアニストがあまり好きでない。しかし、彼が受ける理由は分かる。自らのピアニズムが確立されている。それは、きっとこれから年を重ねていくうちに変わっていくのだろうけれども、少なくとも現時点のランラン流のピアニズムがあるのである。
 それが若林には感じられない。技術も部分的もいいけれど、全体をきくと、で、あなたはこの大曲に対してどう立ち向かったのかが見えて来ないのである。
 だから、例えば2楽章の冒頭のパッセージが決まって聞こえないのだ。
若林がひとつのパッセージが終わると頻繁に座り直し、燕尾服の尻尾の部分を直しているのが彼の音楽を象徴しているようだった。
 オーケストラは素晴らしかった。
 3楽章のチェロのソロの美しかったこと、それがバイオリンに引き継がれていくところのブリッジ部分など日本のオケかと思うばかりだった。
 アルブレヒトは96年にハンブルグオペラの来日で、確か「タンホイザー」を聞いて以来の実演である。16年ぶりということで、相当齢を重ねた感がある。私たちはこのベテランだけれども、決して大スターでない指揮者に何を求めるのであろうか?私は、ヘンテコな表現だけれどもドイツ流でないものを見つけ出し正していく検察官、ドイツ警察のような役割を期待する。アルブレヒトはアルブレヒトならではの強い芸術的個性を持ち合わせるというよりも、ドイツ=オーストリア芸術の伝統の流れの中で語られる指揮者であろう。そこに、カルロスクライバーが演奏したような個性を求めているわけではない。
 ブラームスの作曲したスコアの美しいハーモニーがきちんと表現されているか、オーケストラの息づかいがひとつになり動いていくか、それがドイツ的であるかを見てもらいたいと思っているのだろう。
 結果もその流れである。音質などは非常にドイツ的でさすがにアルブレヒトだなあと思った。けれども、小さなミスやキズが散見されるのである。例えば、バイオリンの高音部の強音になると音が汚くわめく感じに成ってしまう。出だしが揃わなかったり、例えば、4楽章のフルートソロの音量がでか過ぎてバランスを崩すといったこと、4楽章もあの有名なテーマが感動の極みのようなハーモニーを奏でたのに、管のセクションの音量がやはり大きすぎるといった具合。
 このような老齢の指揮者の演奏の場合、例えば晩年のカールベームの指揮のように、もう肉体を使ったものでも何でもない、いるだけの指揮でいいのである。それは、共演を重ねたオーケストラが自発的に、指揮者の意図を自ら読み解いて作り上げていく音楽でいいのだ。アルブレヒトはそこに気がついていない。老人の指揮者としての移行が終わっていないのだ。だから、オーケストラがアルブレヒトの指示によって演奏するという部分が残りすぎているのだ。アルブレヒトが、ダメだし出来なかった、本当は気がつかなくてはいけない、バランスとか音色とか、大きなところでキズが残ってしまうのだ。
 この歳なのだから、オーケストラの全てを統率すべきでない、それはノーランほか名うての演奏家が自らやればいいのであって、ただ、アルブレヒトは、座って指揮棒をあげて、自分の求めるものでない演奏をした連中を見てやればいいのだ。そういう指揮をするようになれば、アルブレヒトの指揮する演奏はもっと面白くなるだろう。若い頃の細かいところまで全部自分で見るというよりも、そういうことはできないよと自ら宣言して演奏に望むほうがいいのではないか?
 老成するということの難しさを感じさせてくれた演奏会だった。 2012年6月13日@サントリーホール
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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