佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 音楽 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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セミヨンビシュコフ指揮
ケルン放送交響楽団
田村響 ピアノ



ブラームス作曲 ハイドンの主題による変奏曲
モーツアルト作曲 ピアノ協奏曲第23番
ドヴォルザーク作曲 交響曲第8番

 ビシュコフを最初にきいたのは1991年のパリ管弦楽団との来日演奏会で、「ファウストの劫罰」を聞いた時だった。巨大で華麗な音楽をどかーと操る腕に、なるほどカラヤンの影響を強く受けているなあと感じたものだ。ロシア系の指揮者である。
 しばらく聞く機会がなく、2001年の5月にウィーンに出かけた時に、ウィーン国立歌劇場で「トリスタンとイゾルデ」を聞かせてもらった。この曲は今年のパリオペラ座の来日でもビシュコフの指揮できけた。山ほど演奏会に行っているので、他にも聞いているかもしれないが、すぐに思い出すのはこれくらい。全部巨大な作品ばかりなのだ。そして、それが素晴らしい。ワーグナーがとても良かったのを忘れない。
 例えば、この1年の彼の活躍の場を見ると、ミュンヘンフィル、シカゴ交響楽団、ロイヤルオペラでの「ローエングリーン」、パリオペラ座での「トリスタン」。そして、このWDRケルン放送交響楽団が中心だ。そして、他のものと比べると明らかにこのオケは格が落ちる。今日も最初のブラームスなどをきいていると、この数ヶ月きいたオーケストラの名演と明らかに差があって、がっくりしてしまう。ブラームスなどは明らかに自分の集中力が切れてしまった。ケルン放送交響楽団の来日は今までも何回かあって、大した記憶がないのだ。正直ドイツの二流オケである。バンベルグやゲヴァントハウス、北ドイツ放送といったドイツの無骨な音をきかせてくれるドイツ節の特長もあまり感じさせてくれないし、ベルリンフィルのように国際的な洗練さもないどっちつかずのオケなのだ。
 わざわざ来日演奏会を聞く価値がどれだけあるのかなあと思った次第。それでもビシュコフが聞きたくて出かけた。聞いていて思ったのだが、ビシュコフは指揮で団員を鼓舞するのだが、団員は結構冷めていて、反応が薄い。そして、何か守りの演奏ばかりしているように感じた。特にブラームス。解放された自由に流れる音に感じられないのだ。第一バイオリンなどはひ弱な音しか聞こえて来ない。
 ブラームスよりは、アマチュアオケにも取り上げられることのあるドヴォルザークは、ずーっと良かった。管楽器はちょっと哀愁込め過ぎだと思うくらいに泣く音を出す人もいてちょっと驚いたし、ちょっと曲自体にどよんとする場所のある2楽章などは緊張感が薄れるのだが、全体的にはいい演奏だった。モーツアルトもオケとしての難しさはない。これもきちんと聞けた。そしえ、昔の日本人のようなステージングマナーの田村さんが、音楽でもそのまま無骨な演奏を聴かせてくれた。今の若いピアニストにとって技術的には何ら困難な場所のないモーツアルトだけに、音の一粒一粒が厳密に聞かれてしまうピアニスト泣かせの曲である。下手な情感を込めたり、テンポを動かさず、音楽の奥にある美しさをそのまま誇張せずに再現してくれればいいなと思っていた。やりたくなってしまうもののだ。色づけを。しかし、この若いピアニストはそういうところがなかった。ちょっと無骨すぎるぞと思うくらいの抑えた演奏で、大好きなバックハウスのモーツアルトのようだった。
 田村さんはメンデルスゾーンのソロを、オケはブラームスの舞曲を2曲アンコールにもってきてくれた。めちゃ忙しいときに出かけて聞く価値があったのかと言われると、うーんないですねと言いたくなる演奏会。悪い演奏ではないが、わざわざ外国にまでやってきて披露する価値があるのかと言われれば、ない。特に東京には素晴らしいオケが山ほどあるのだから。
 地元の人たちに、地元のホールで、主に定期演奏会の会員によって毎月聞いてもらう、そう、コーヒーとか、パンのように毎月毎月聞かれていればいいオケなのである。

 ビシュコフは音楽家成功すごろくの中で上手く立ち回り、回り道せずに頂点に駆け上がっていきそうな人ではない。ちょうど、録音メディアがビジネスとして成立しなくなった時でカラヤン流のビジネスモデルが通用しなくなった時の人だということも関係しているのかなと思う。しかし、今日の指揮ぶりと結果をみていてやはり一流の指揮者だということも再認識した。そして、この二流オケを合格水準まで導いたのだからいい指導者でもあるのだろう。

 さて、ビシュコフは2010年の2月に少なくとも6回の演奏会をNHK交響楽団と行う。日本のオケを振るのは初めてのことだろう。しかし、ケルン放送交響楽団よりは格段に技術的にも柔軟性にもとむNHK交響楽団だけに、その組み合わせがどのような結果をもたらすのかとても楽しみになった。
 今回の来日で細かい演奏曲目なども最終的に決定されたであろう。楽しみだ。僕にとって、今日の演奏会は、NHK交響楽団との演奏を比較するにはいい体験だったかもしれない。 


サントリーホール
2009年3月5日

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ベルナルトハイティンク指揮
シカゴ交響楽団演奏会
シカゴ

 今年80歳となるハイティンクがシカゴ交響楽団と来日した。今月はニューヨークでニューヨークフィル。日本でシカゴ交響楽団と東京フィルハーモニーとオーケストラ三昧だったなあと思いつつ、あまりにも素晴らしい演奏でおったまげた。シカゴ交響楽団を最初にきいたのは2回目の来日、1986年にショルティの指揮でモーツアルトのハフナー交響曲とマーラーの5番交響曲。東京文化会館の1階席の一番後ろできいたのを今でも覚えている。当時のシカゴは金管のシカゴといわれるくらい華やかなホーンセクションが有名で、まるでかぶり付できいているように音が迫って来たように思えたのだ。その後、ロンドンではショルティで本拠地シカゴでショスタコービッチの珍しい交響曲を若い指揮者できいた。名前は思い出せない。来日演奏会では、1997年のブーレーズや前回の来日2003年のバレンボイムなどときいてきた。僕はバレンボイムの指揮は好きな方なので期待して行ったのだが、チャイコフスキーの第5交響曲などは、何か美味すぎて面白みがないなあと思ったり、ブルックナーの交響曲7番も空虚な音が鳴り響いているような感じがして仕方がなかった。
 究極のオーケストラ演奏ではあるのだけれど、心に迫って来ないのだ。

 上手い演奏よりも 感動できる演奏を聴きたい。

 心が揺さぶられることによって生きている実感が湧くわけです。
 僕は音楽も芝居もなにもかにも、求めるものはそこに尽きる。

 29日にきいた東京フィルのベートーヴェンの第4交響曲。ベートーヴェンの交響曲じゃ地味だ。でも、とても愛らしい演奏でああいうのがいい。

 ハイティンクという指揮者は大指揮者だ。あまり来日していないし、なかなか上手く巡り会わせもせず、初めて生をきいたのは1997年のウィーンフィルとの来日演奏会。ブルックナーの交響曲第7番だった。1980年代にきいたオイゲンヨッフムのブルックナー以来、本当に素晴らしいブルックナーの生演奏を聴けたと心より喜んだものなのです。
 それは、あまり自分がない演奏です。自分の個性を出そうといきりたった演奏ではなく、音楽に奉仕する。楽譜がありながらも、楽員があたかも、その場でたまたまそういう演奏をした。そういう音を出したというものなんです。
 自発的に湧いて起きた音楽っていうのでしょうか。そういう音楽だったのです。少年の頃、テレビでしか見られなかったカールベームの演奏のような、それです。バーンスタインやカラヤンと対極の演奏という感じかなあ。

 その後で、ロンドンのロイヤルオペラのオペラハウスの改修工事が終わったあとの幕開けがヴェルディの「ファルスタッフ」で、その時もハイティンクの指揮で素晴らしかった。音楽が躍動しているのだ。歌手は楽しそうに唄い演じ、死の床にあったヴェルディが生涯唯一残した底抜けにおかしい人生讃歌のオペラ!素晴らしかった!

 さて、31日の演奏会の感想です。

 モーツアルトの交響曲41番。オーケストラの演奏の上手さがちょっと出過ぎていたかなあという感じがしました。モーツアルトの演奏には、どこか、素朴な幼稚性というか、パロディの匂いを感じさせる部分があって欲しいんですね。ひと言でいうと遊びの部分。それが、ちょっと欠けていた。全体が素晴らしすぎる。スリリングさがない。
 でも、それは、ミシュランの三つ星フランス人シェフにおいしい目玉焼きを作って下さいというようなもので無理なのかもしれません。第一バイオリンの高音がこれほど美しく聴けることはあまりないでしょう。見事なアンサンブルでした。高級ホテルの朝定食の味気なさと同じです。これは、街の定食屋のそれのほうが上手いというわけです。好みの問題なのですが。 

 しかし、後半の英雄の生涯はスゴかった。英雄の生涯自体が何曲だし、僕自身も生の演奏では、それほど出会ったことがありません。巨匠級の演奏では、サバリッシュやメータの生演奏をきいたくらいだと思うのです。しかし、今宵のそれはスゴかった。管弦楽の壮麗な醍醐味と、交響詩らしく物語の英雄の悦びと哀しみが音楽によって見事に表現されていた。
 そして、バレンボイム時代の空虚な技術をひけらかすような音でなかった。こういう何か精神的な表現をするのは嫌なんですけど。一音一音が丁寧にひとつの方向性を向かっているような気がするんですね。ハイティンクがそれを見事に裁いていた。本当に良かったです。




2009年1月31日 モーツアルト作曲 交響曲41番「ジュピター」
        リヒャルトシュトラウス作曲「英雄の生涯」  横浜みなとみらい大ホール

 ハイティンクと来日しているシカゴ交響楽団。マーラーの交響曲第6番の演奏をきいた。1階席21列の20番台。最高にいい席だった。
 ハイティンクという指揮者は、何か異様な個性をもって音楽を牛耳ていくタイプではなく、スコアに書かれた音楽を忠実にしかし丁寧に仕上げていくタイプの指揮者です。今日のマーラーも、マーラーの揺らめく音楽と非線形な感情のぶれのある音楽を、まるでいままさにマーラーの脳の中で鳴り響いているがごとく演奏します。ここで、何でこんな爆発音があるのか、ここで何で急にピアニシモになるのか。今まで流れていた主題は捨て去られ全く違った様相の楽想となる。そういうことがマーラーの音楽では起こるのですが、それがいままさに起こっている感情のぶれ、それは狂人に近いものかもしれませんが、それが再現された時に、マーラーの魅力はあぶり出されてくるのだと思うのです。
 それは19世紀から20世紀へ、現代科学によって神が死んでいく時代の世紀末の音楽であり、思想でもありますし、綿々と積み重ねられて来た音楽家の集積でもあります。そして、もちろん中欧ヨーロッパ、特にボヘミアの高原や山と森と川といった自然と人々の生活もにじんでいる。
 非常に多面的多元的な魅力をもった現代の交響曲の時代を切り開いたのであります。その感情の振れ方にピッチもハーモニーも併せて演奏するのは尋常ではありません。しかし、シカゴ交響楽団の弦セクションの素晴らしさは想像を遥かに上回り、管楽器も打楽器も技術を前面に出さずにさらっとやってみせるのです。
 ハイティンクの指揮は自分を出そうと出そうという音楽でない。音楽に対してものすごく謙虚です。それは、今月聞いたドゥダメル指揮のニューヨークフィルのマーラーとは違うものでした。だからこそ、多くの人に受け入れられるのでしょう。私はこの交響曲も何回かきいているのだが、今日のように深くこの曲に寄り添いながら聞けたことはなかった。

 謙虚でなかったのはチケット代です。この80分の交響曲をきくために、今回は最高のプレミアシートは45000円。S席40000円、A席34000円と信じられない金額となっています。本当はボイコットしたいくらいの価格なのです。最近の来日オケの高額化は異常です。ベルリンフィルやウィーンフィルといった超人気管弦楽団のチケットがどんどんあがり、それにつれて上がっていくのですが、こんな素晴らしいコンサートでさえ、チケットが売れ残るようになって来ている。チケット代の設定はもう少し考えてもらいたいなあと思いました。高額のチケットを買って会場に入ると、廻りに見かけるあまりにも多くの招待券の文字。いったいどういうことでしょう?
 この80歳の名匠のもう二度と聞くことのできないかもしれない名演を、音楽を愛する高校生や大学生がきけないでしょう。若く普通に働く人も無理でしょう。音大生も聞けません。素晴らしい音楽が、音楽を本当に聞きたい人ではなく、お金がある人、招待を受ける人だけが聞けるってのはおかしな話です。少なくとも当日売れ残りは半額にするなどして本当に聞きたい人が聞けるような環境をぜひ作ってもらいたいものです。梶本音楽事務所は素晴らしい音楽事務所です。僕がこうして一度の来日で10万円以上のお金を使うようになったのは、1977年のボストン交響楽団の来日公演、あのルドルフゼルキンと若き小澤のブラームスのピアノ協奏曲第一番を2000円で聞かせてくれたからです。 同じ梶本音楽事務所の公演で、ポリーニの演奏会は舞台上に多くの学生を3000円で招いて聞かせています。あの青少年たちは3000円で、ポリーニの演奏を間近にきいて、これからの人生を歩んでいくのだ。もしかしたら大音楽が出てくるかもしれないと思うと、本当にうれしい。そういう配慮をお願いしたいし、若くなくても音楽をききたいと思っている人は少なくない。そういう熱意のある人が努力すれば手の届くような金額にチケット代を設定してもらいたい。一番いいのは、当日割引だと思うのですが。どうでしょう。ぜひお願いしたいです。


 マーラーの6番は、ロンドンで一度きき、そして、数年前にアバド/ルツェルン祝祭管できいただけ。でも今日のが良かったなあ。

 youtubeで見つけました。ハイティンク指揮、マーラー交響曲第6番の映像。その一部をごらん下さい。




2009年2月1日 マーラー作曲 交響曲第6番「悲劇的」 サントリーホール 

ハイドンは現代のピリオド奏法みたいなものではなく、古典的な演奏でありますが、テンポの設定やフレーズの唄わせ方に独特な味があっていいですね。そして、ハイティンクは間の取り方が本当にうまい。
 そして、最後のブルックナーは本当に素晴らしかった。ショルティ時代のブラスセクションの吠えるような音は姿を消して音楽のために音が鳴るのである。ホルンのための音楽でなく、音楽のためのホルンなのだ。その通常の音の美しいこと。弦のアンサンブルは低音も高音も美しい。木管のハーモニーの美しさ、微妙に変わっていく音楽の流れ。
 幸せな音楽は、ブルックナーが生きた緑豊かなドイツオーストリアの中欧の教会文化の中で芽生えた。20世紀前半に青春を過ごしたハイティンクだからこそ、ブルックナーのスコアを真に受け入れて演奏する。シカゴ交響楽団がそれに万全に応える。世界のトップの演奏家が情熱を傾けて演奏するときの凄さよ。この水準の演奏は本当に少ない。このレベルの水準の演奏を聴けたのは何回あったんだろう。オイゲンヨッフムの名演を思い出す素晴らしい演奏会だった。
 チケット代はあまりにも高く驚くばかりだし、この恍惚感は聞いている1時間あまりのものなのだし、儚いものなのだが、心から充実感を感じさせてくれた。ありがとう。ハイティンク。シカゴ交響楽団。ハイティンク、80歳。もう一度どこかで聞くことができるだろうか?

2009年2月3日 ハイドン作曲 交響曲101番「時計」ブルックナー作曲 交響曲第7番
サントリーホール
ペーターシュレイダー指揮

ベートーヴェン作曲 交響曲第4番
ワーグナー作曲 ニーベルングの指輪より



 こういうコンサートを出会うのが楽しみで演奏会通いをしている。
東京フィルはいまや新国立劇場のオケピットに入る仕事も多く、まさに新国立歌劇場管弦楽団でもあるのだ。そのオケが、ウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、メトロポリタンオペラハウスといった世界の超一流オペラハウスの指揮者として長年の経験を積むペーターシュナイダーを指揮者に迎えた。ペーターシュナイダーは1986年のウィーン国立歌劇場来日公演のときに「ばらの騎士」を聞いたのが初めてだった。公演を告げるチラシには新進の素晴らしい天才指揮者といったように書かれていたと思うのですが、同じ時に来日時に「マノンレスコー」を指揮したジョゼッペシノポリーがあまりにも鮮烈で、なんて凡庸なんだと思ったのを覚えています。クリスタルートビッヒなどの名歌手の歌だけを聞いていたのですが、長くて途中で退屈してしまったんだと思います。銀行員の激務の中での鑑賞だったのでちょこっと寝てしまったことを覚えています。
 ということで、シュナイダーというと退屈というイメージがついていたのですが、その次にきいたのは、それから10年以上は経ってからだと思います。ハンブルグかバイエルンで生をきいて、手堅い!と思ったのを覚えているのです。音楽家はどんどん進化していくのだから一度で決めてしまってはダメだなあと思うのです。
 そして、昨年の初台の新国立歌劇場での「ばらの騎士」。東京フィルから、素晴らしいリヒャルトシュトラウスの音色を紡ぎだしていました。僕は本当に驚いた。東京フィルの定期演奏会の会員になったのは、こういう演奏をこのオーケストラから聞けるのだと知ったからです。
 
 ところが、シュナイダーはオペラの指揮では活躍していますがコンサートの指揮者としてはほとんど無視された存在です。しかし、ヨーロッパの指揮者の王道は、若い時からオペラの指揮者として経験を積み、コンサート指揮者になるものと言われています。シュナイダーも70歳。きっといろいろの思いがあるんだと思うのです。しかしながら、1980年代の初めにブレーメン交響楽団というドイツの地方の二流オケの音楽監督以外の経験はありません。その地位を捨てて、ウィーン国立歌劇場にデビューしたわけです。

 先ずは今宵のメインであり十八番のニーベルングの指輪の演奏は素晴らしかった。新国立劇場はニーベルングの指輪の初演の時にはNHK交響楽団が演奏しましたが、今年と来年は東京フィツとエッティンガーという東フィルコンビがピットに入ります。シュナイダーを指揮者に仰いだときの東京フィルの見事なワーグナーの演奏。世界中のどのオペラ歌手も満足して彼らの演奏で唄うでしょう。そして、驚くでしょう。アンサンブルも、ワーグナーとしての地響きのようなうねりも感じられた。これもシュナイダーの指揮で演奏していることによる迷いのなさだと思うのです。東フィルのメンバーが指揮者を完全に信頼し音作りを任せ彼に言われたことは躊躇なくスパーッと演奏する。
 シュナイダーも一生懸命演奏する彼らに非常に喜んだことでしょう。エッティンガーも楽しみですが、新国立歌劇場は次回のニーベルングの指輪の時にはシュナイダー&東フィルの演奏で上演すべきだと強く思います。

 今宵の僕のメインは別にありました。40分に満たないベートーヴェンの第4交響曲を聞くことなのです。そして、僕はこの70歳の指揮者がすっかり好きになりました。それは、カールベームの演奏につながる音楽への奉仕の精神に溢れていたからです。バイオリンなどのピッチは今月聞いたニューヨークフィルやシカゴ交響楽団のそれと比べると聞き劣りするし、管楽器も初歩的な音がひっくり返るといったようなこともあるのですけれど、シュナイダーの指揮には嫌らしいところがない。スコアに書かれたことを書かれたままに普通にやろうじゃないかという演奏なのです。
 サイモンラトルやロリンマゼールに聞かせたいですね。それよりもチョンミュンフンとか、あいつあいつだ。ゲルギレフ。ゲルギレフはこの前のプロコフィエフは良かったけれど。この素朴な演奏があなたにできますか?って聞きたい。
 きっと今回も練習時間の大半をワーグナーに注いだのだと思います。ベートーヴェンにもっと時間をかけてくれたら、そういった技術的なミスも少なく本当に素晴らしい名演になったのだと思うのです。東京フィルにお願いです。どうかどうか、ペーターシュナイダーを毎年呼んでください。そして、ドイツ物のシンフォニーや交響詩を演奏して下さい。毎年の楽しみになりますから!!!
 聞き逃したみなさん。日本のオケはとても安いチケット代で音楽を楽しめます。どうか、こういう演奏を聴いてもらいたいなと思います。

 


東京オペラシティシンフォニーホール
2009年1月29日
あのウディアレンがクラリネットを吹いている伝説のジャズバンド。

 70分の演奏は名曲揃い。ユーモアたっぷりのニューオルリンズジャズを7人編成できかせてくれる。高級ホテルのカーラライルカフェの150人くらいのお客の半数以上は音楽をききにきているよりは生ウディアレンを観に来ていた。カメラのすごいこと。でもフラッシュは…と思いながら見ていた。最後の20分は我慢できなくなって僕も写真をフラッシュなしで撮っていたけれど。何か今宵はおまけらしく、ウディアレンの生歌もきけた。音楽も生アレンも堪能した。




2009年1月19日
カーライルカフェ(ニューヨーク)
指揮 グスターヴォドゥダメル
バイオリン ピンカスズッカーマン

曲目 Oliver Knussen作曲 バイオリン協奏曲
   マーラー作曲    交響曲第5番




 ズッカーマンの前半は滞りなく進んだ。後半のマーラー。第一音からオケに走る緊張感が違う。この指揮者はテキストを浮き上がらせ、美しいパッセージを強調してみせる。ラテンらしく音楽の音色とテンポに絶妙の濃淡をつける。おそろしく生命力に溢れたマーラーだった。最後の一音が消えたあとの聴衆の熱狂ぶりはすごかった。本当にすごいブラボーコールで、外人もここまで騒ぐんだといいたいくらいの凄さだった。人々はバーンスタインのマーラーとの比較をしていた。大成功の27歳の指揮者がロスに撮られたことも悔やんでいた。アランギルバートが2010年からシェフになるわけだが大変だなあと思った。




1981年べネスエラのバルキシメント生まれ、2004年の第1回グスタフ・マーラー指揮者コンクールに優勝し、世界の檜舞台に躍り出た25歳の俊英、グスターボ・ドゥダメル。以降、フィルハーモニア管、マーラー・チェンバー・オケ、イスラエル・フィル、エーテボリ響、ローマ聖チェチーリア管、ヴェルビエ・フェスティバル管、カメラータ・ザルツブルク、ロイヤル・ストックホルム・フィル、フランス放送管、ロサンゼルス・フィル、バーミンガム市響、ドレスデン国立管、ロイヤル・リヴァプール・フィル、フランクフルト放送響、スカラ・フィル、ケルン・ギュルツェニヒ管、ボストン響、ベルリン国立歌劇場、スカラ座を指揮。2007年の予定は、ロス・フィル、ナショナル・アーツ・センター管(カナダ)、バーミンガム市響、フィルハーモニア管、バンベルク響、チェコ・フィル、シカゴ響、イスラエル・フィル、エーテボリ響、ロッテルダム・フィル、ウィーン響、ウィーン・フィル、ベルリン国立歌劇場、フランス放送フィル、ゲヴァントハウス管、ニューヨーク・フィル、他。
2007/8年シーズンからエーテボリ交響楽団の首席指揮者に就任、また、2009/10年シーズンからサロネンの後任としてロサンゼルス・フィルの音楽監督就任も決定。

 2009年1月16日
 アビリーフィッシャーホール(ニューヨーク)
リッカルドムーティ指揮
トーマス・クヴァスホトフ バリトン
 



 オープンリハーサルに出かけた。ムーティのこだわりがスゴく良く分かった。音のパッセージと強弱のメリハリにスゴくこだわっていた。面白かった。


ハイドン作曲 交響曲88番 オペラ「アルミーダ」「オルフェとエウリディーチェ」からアリア
ブラームス作曲 セレナーデ1番

2009年1月22日
アビリーフィッシャーホール(ニューヨーク)

サイモンラトル指揮
ベルリオーズ作曲 宗教裁判官
シューマン作曲 交響曲3番&4番 



 パリの滞在で楽しみにしていた演奏会。パリで管弦楽を聴くのは初めてだ。それも伝説の劇場。シャンゼリゼ劇場。あの春の祭典の初演の劇場だ。20世紀初頭のパリでストラビンスキーのその現代の息吹あふれた作品は聴衆の強烈な拒否反応を受けたという。その劇場も楽しみ。もはやベルリンフィルのシェフとして以外は日本ではなかなかきけないであろうサイモンらトルの指揮。それも、シューマンの交響曲をやるというのも。
 先ずは劇場の感想から。音がデッドで残響がほとんどなくオケのざらざら感ばかりが目立ってしまった。日本、特に東京のコンサートホールは世界でも指折りの名ホールなんだなあと改めて感じた。こんな酷い音響のホールでパリの人たちは演奏をきくのかと思うと本当に可哀想だ。
 シューマンに先立て短いベルリオーズの管弦楽が演奏されたが、これがサイモンラトルの指揮する管弦楽団なのかと愕然としたくらい。第一バイオリンはバラバラだし、管のバランスも良くない。でも、それはオケというよりもホールが悪く、お互いのハーモニーを作るのに必要な曲と時間だったのだ。
 シューマンに入ってからはオケの調子も上がり、よい演奏会になったとは思う。しかし、サイモンラトルは丁寧に音楽作りをするのだが、1990年ごろ、ミュンヘンフィルがチェリビダッケとともに来日した時にきかせたシューマンの交響曲の面白さを凌駕するものではなかったなあ。まあ、シューマンの交響曲を楽しくきかせてくれたというだけでも嬉しいし、先日の日本でのブラームスの交響曲全曲を聴かせてくれて、ラトルの技量というのも良く分かった感じで。まあ、そんな感じ。
 この夜のベルリオーズはなかったことにしてあげたい。


エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団
1986年、イギリス古楽器界の精鋭たちが協同で出資し、自主運営のオーケストラとしてエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団(OAE)を結成。結成後たちまち頭角を表わし、さらに1992年、フランス・ブリュッヘンとサー・サイモン・ラトルを客演常任指揮者に迎え新たな栄光への道を歩み始める。ブリュッヘンとラトルは、ともにOAEの方向性を「古楽器が作られたその時代の正統性と、我々が生きる現代における価値を結合させること」と定義している。それは国際的な指揮者たち-マッケラス、ノリントン、クリスティ等-と頻繁に共演することによって更に堅固なものとなるほか、また古楽器ではあまり聴かれないロマン派の作品を演奏することからも象徴される。OAEはロイヤル・フェスティバル・ホールのアソシエート・オーケストラと、ブリスドルのセイント・ジョージ・ホールのレジデント・オーケストラを務めるほか、1989年ラトル指揮による「フィガロの結婚」に招かれて以来、グラインドボーンでも定期的に演奏を重ねている。バーミンガムのシンフォニー・ホール、パリのシテ・ドゥ・ラ・ミュージック、ニューヨークのリンカーン・センターでも定期的に活動を行なう。ツアーはすでに17カ国を越え、2002年初頭にはパリ・シャトレ劇場にてクリスティ指揮「ロデリンダ」を、さらにラトル指揮で「フィデリオ」を上演。1999年のザルツブルグ音楽祭では、ラトル指揮によりラモーの「ボレアード」を演奏し話題となった。(他のサイトより引用)

シャンゼリゼ劇場(パリ)
2008年12月22日

指揮 ヴァレリーゲルギエフ
ピアノ アレクセイバロディン
チェロ タチアナヴァシリヴェア 
    
 ゲルギエフは僕にとっては終わった指揮者だった。メリハリ、灰汁の強さだけが目立って音楽に対して真摯で丁寧な作り方をしていないと思ってしまうからだ。やっつけ仕事って感じが強くしていた。通常であれば出かけることもない。過日のオセチアのテロ直後のウィーンフィルとの特別演奏会での「悲愴」、先日のマリンスキー劇場との来日公演でのワーグナーで本当にもういいやと思った次第。しかし、今回はなかなかきけないプロコフィエフの交響曲をチクルスでやるというので少し聞いてみようと思ってチケットを何枚か買っておいた。会場のサントリーホールはガラガラで来日演奏会としては寒いくらいだったけれど、演奏されたものは、ゲルギエフの初来日のまだキーロフオペラと呼んでいたときの衝撃的な曲作り。それは、スペードの女王にも思ったけれど。あのときの思いが蘇った。
 スコアは綿密に読まれ、聴衆に対してそれが浮かび上がるように演奏して行く。もちろん灰汁の強さもメリハリもありありなのだが、それがとても説得力、個性につながっているようなのだ。それは、世界でも有数の技術力をもつロンドン随一のロンドン交響楽団が懸命になって演奏しているからかもしれない。そして、プロコフィエフはこんなに面白いのか!と思わせるような演奏だったのだ。
 今年はオーケストラの当たり年だったけれど、ひとつ選べと言われれば、僕はこの演奏会のことを書かずにはいられないだろう。



 12月3日 交響曲第2番 交響的協奏曲(チェロ協奏曲2番)交響曲第7番 サントリーホール
 12月4日 交響曲第3番 ピアノ協奏曲3番 交響曲第4番(改訂版)   サントリーホール
 12月8日 ロミオとジュリエットより ラフマニノフピアノ協奏曲第3番  東京文化会館
 
ラサール石井、山口良一、小倉寛久ほか


3人が100人も入ればいっぱいのライブ会場でベンチャーズの曲を中心にトークライブをするという贅沢な企画。おじさんバンドの楽しさがあった。歌には味があるし、バックの演奏は超一流。音楽をする楽しさ、仲間の楽しさが良く出てた。 





2008年9月8日
初台
指揮リッカルドムーティ
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
9月16日 ブルックナー作曲 交響曲第2番 ハイドン作曲 交響曲67番
9月18日 ヴェルディ作曲 オペラ「ジャンヌダルク」序曲/「シチリア島の夕べの祈りから」四季
      ニーノロータ作曲 トローンボーン協奏曲/映画「山猫」から

 ウィーンフィルハーモニーを聞く悦びは最上の音楽に身を浸す悦びです。ブルックナーやハイドンのあまり演奏されない曲目に加え、何とニーノロータ!ウィーンフィルで聞くことができるのはこれが最初で最後でしょう。愛するニーノロータとウィーンフィルが結実する。悦びの極地です。


 16日 徹夜の仕事をしたあとで、正直申し上げると体調は最悪だった。眠らなきゃいいけどなあと思うほどの事態。1階のセンター後方の座席に座って仮眠をとるくらい。浩宮さまのご臨席ということもあり華やいだ雰囲気もある。しかし、渋い選曲だなあと思っていた。
 そんな杞憂もハイドンの交響曲の最初の一音で消し飛んだ。やはりウィーンフィル。ダメな時もあるんだけれど、最上の演奏をする時には恐ろしい馬力を発揮する。いや、馬力というよりもふわーっと広がる薫りみたいなものなんです。素晴らしいアンサンブル、時には音が壊れることもあるけれど管セクションの品の良さ至上の音楽体験となった。
 ブルックナーの2番もまあ最初で最後のウィーンフィルでの演奏でしょう。堪能させて頂きました。音楽を愛してきて幸せだなあと感じた一夜であるとともに、僕の知ってる多くの若者に聞かせて上げたかったと思った演奏会でもありました。

 16日がオーストリアプロだとすると、こちらは完全にイタリアプロ。しかしね。渋い曲が並んだ。前半はヴェルディ。「ジャンヌダルク」序曲「シチリア島の夕べの祈りからバレエ曲」って、バレエシーンは普通カットだし、俺だって一回しかみたことのない作品だし。ヴェルディの世界なのだけれど、通俗的なものを取り去った感じがした。後半はニーノロータだよ。有名なビスコンティの「山猫」とかもちろん初めてきくトローンボーン協奏曲とか。しかしね。何かムーティがノリに乗って演奏しているんだよね。いやあ良かったです。アンコールはプッチーニのマノンレスコー間奏曲。先日のミラノスカラ座フィルでの演奏もきいたが、こちらの方が数段上。色気と品格があった。



サントリーホール
2008年9月16日/18日

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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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