佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 音楽 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11
ニューヨークフィル
指揮/ヤップファンツェーデン Jaap van Zweden
マーラー作曲交響曲第1番「巨人」


「ニューヨークフィル新世代」
 オープンリハーサルであったけれども、楽章を切らずに演奏し、その後で多少の直しをして次にいくという次第だったので、この交響曲を十分に楽しんだ。オランダ出身のこの50歳を少し過ぎたまだ若手の指揮者はこの巨大な交響曲の各楽器をきちんと聞かせる事に非常にこだわっていた。そして、それがキチンと大きなまとまりを伴っている。素晴らしい演奏だった。
 この前に都響の演奏を聴いた時にも思ったのだけれども、60年代にルネサンスを迎えたと言われるマーラー演奏は常にユダヤ人の怨恨のメロディのように聞こえてきた。それが21世紀になり、純粋な管弦楽としての演奏が増えてきたように思う。
 このニューヨークフィルの演奏でさえ、僕が同じホールできいたバーンスタイン/ニューヨークフィルの演奏(ドイツグラモフォンの名盤として有名な交響曲3番のライブ録音を僕は立ち会ったのだ)と比べて、何とあっさりした、何とポジティブなマーラーなのだろうか。ワルター、バーンスタインといったユダヤ人の中のユダヤ人の呪縛の演奏から独立したって感じだ。死に向き合う人生哲学ともあまり寄り添っていない感じもした。僕はそれがとても気持ちよく聞いたのだ。
 今回そう感じたのだけれども、見ていて何となく理由も分かった。80年代終わりと比べるとニューヨークフィルに何とアジア系の演奏者が増えた事か。前はユダヤの黒い帽子=ジェイドを被った演奏者が多かったけれども、すっかり少なくなった。前回、ニューヨークフィルでマーラーを聴いたのは5番で、それもあのドゥダメルだったので、そういう変化を味合うことなく、ドゥダメル節に酔ってしまったわけだ。今回で分かった。世代は替わってマーラーは世界的にユニバーサルミュージックになりつつあるのだと強く思った。2012年4月12日@アビリーフィッシャーホール オープンリハーサル
PR


「これは聞かないと損をする!」 最初にニューヨークに来てから、25年近く経つ。住んでいたこともあるのに、ジャズクラブで行くとなったら、ブルーノート、ビレッジバンガード。そして、リンカーンセンターのそばにイリディウムがあったころに行っただけ。バードランドの名前は高校のときには知っていたのに初めて来た。滞在しているところから3ブロックぐらいの近さにあることと、金曜日午後5時からのバードランドビッグバンドの公演はニューヨークで一番お買い得な音楽だとの宣伝に惹かれてしまった。ぽっかり空いた時間にやっていたのだ。
 行ってみると、満員。テーブル席は25ドルのミュージックチャージに、10ドルのミニマムチャージ。バーカウンターは20ドルのMチャージに、何か頼んでもらえれば…という具合。
 公演は途中30分弱の休憩が入るが2時間たっぷり。16人くらいの編成の音楽を堪能させてもらった。こういうヒップな感覚を残しフリージャズの香りのするビッグバンドの公演はほんとにいいものだ。休憩中は客の中心の中年男がこの日のリーダー に気軽に声をかけている。そういえば演奏中の間の会話も楽しく、リクエストにも応じているみたいで会場中がノリノリだ。いわゆる観光客向けにやる中途半端な公演でないのがいい。オーラスにバードランドのテーマを聞いたとき、ああ、これ小林克也さんのテーマ音楽みたいなものだと思った。子供のころから聞いていたあのメロディを堪能。秋からはワールドツアーもするというバンドだが、確かに実力者ぞろい。
 長年ニューヨークに来ているのにまだまだ行かなくちゃいけない場所は多いなあと思った次第。金曜日の夕方5時。ブロードウェイの劇場街のすぐそばにあり、ライブが終わってから十分にお目当てのショーも見られる。これからのニューヨーク訪問の定番になること確定だ!これは行かないと損をしますよ!

2011年4月6日@ニューヨークジャズクラブ バードランドにて
指揮:エリアフ・インバル
メゾソプラノ:イリス・フェルミリオン
テノール:ロバート・ギャンビル
マーラー:亡き子をしのぶ歌 /交響曲「大地の歌」


「死後100年でシオニズムから解放されたマーラー演奏の新たな到達点」
 15年以上聞いて来なかった東京都交響楽団。最近の評判があまりにもいいので、プリンシパルコンダクターインバルとの演奏に出かけた。驚愕した。2012年。マーラーの死後101年で、この作曲家の現代に生きる人類のためのシンフォニーはアジアの片隅でやっとシオニズムから解放されて音楽本来の魅力に溢れたものとなっていた。
 私は過去30年以上素晴らしいマーラー演奏をきいてきた。
 もちろん最初は録音である。
「大地の歌」を小生が最初にディスクで聞いたのはバーンスタイン/ウィーンフィルのFディスカウが唄う名盤で出会った。東京は練馬区大泉学園の自宅から、自転車で高校1年の頃、家から一番近かった、石神井公園の図書館まで自転車を走らせて借りた。LPレコードだった。最初のトランペットの咆哮を聞いた時に打ちのめされた。そして、ブルーノワルターのニューヨークフィルとのステレオ録音、これらの演奏が余りにも素晴らしく、普段は手を出さないモノラル録音まで手をだした。それは、ワルターのモノラル録音の名盤。カスリーンフェリアーを独唱に迎えてのウィーンフィルとの古い録音だ。もうこの曲の演奏は、これらの名演奏を頂点としたピラミッドの中で評価するしかなかった。
 これは僕だけの評価軸ではなく世界の一致した見解だ。マーラーと深い親交のあったブルーノワルター。マーラールネサンスと言われる時代が来るまでマーラーの伝道者であった。そして、ワルターの愛弟子であるバーンスタイン。この2人のユダヤ人によってマーラー演奏の規範は欧米に確立された。
 そして、生演奏も素晴らしいものをどれだけ聞いただろう。
 バーンスタイン/イスラエルフィルの伝説のマーラー9番。ドイツグラモフォンのライブ録音として名盤の誉れ高い3番は、バーンスタイン/ニューヨークフィルの録音された演奏をアビリーフィッシャーホールできいていた。マーラー演奏の規範となったショルティ/シカゴ交響楽団の5番。5番なら、シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団のサントリーホール開場記念の名演も忘れがたい。シカゴ響なら先年ハイティンクとの6番も素晴らしかった。他にもアバド/ベルリンフィル、さまざまな指揮者でのウィーンフィルのマーラー。テンシュテット/ロンドンフィル、ベルティーニ/ケルン放送響、若杉弘、マゼール、シャーイー、メータ、バレンボイム、ヤンソンス…。キラ星のような指揮者とオーケストラの忘れがたい名演をきいてきた。
 これらはマーラーの死後、すぐに始まる人類の悲劇。つまり、欧州を中心とする2回の大戦とユダヤ人迫害。そして、イスラエルを中心とした流血の日々の影がいつもつきまとうものである。
 それは昨年末演奏されたN響/デュトワの第8番の「千人の交響曲」でも同じだった。これも見事な演奏であった。従来のユダヤの悲劇が色濃くでていた。
 今でさえ、マーラーはユダヤ人の作曲家として、常にワーグナーやリヒャルトシュトラウスの作品と常に比較しながら語られる。しかし、今宵の都響の演奏はユダヤ人の歴史とのかかわり合いが少ないアジアのオケだからこそできるこうしたシオニズムの影から解放された名演だった。それは楽曲、そのものの美しさで彩られていた。
 マーラーのスコアには既にユダヤの、シオニズムのメロディが色濃くでている。大地の歌はいわゆる欧米の中国メロディが次々と登場するが、それもユダヤ的にフィルターがかかって誕生したものだ。それなのに、欧米の楽団の演奏は、それだけでない日本のオーケストラのマーラー演奏でも、マーラーのスコアの上に、演奏でシオニズムの小節をこれでもかと上塗りする。輪郭をくっきり出すことに固執してきた。
 だから、今宵の都響のマーラー演奏で明らかになった、スコアの美しいピアニシモ、そこでふわっと拡がっていくマーラーの宇宙的な美しさ、普遍の美しさといったことが大編成で奏でられるマーラーの小節とオケの怒鳴り声にかき消されてきた。
 今宵の都響。まるで老境の哲学者が静かに思索するようにマーラーの美しいスコアが提示されるではないか!マーラーの宇宙観や心の揺らぎを叫びではなくピアニシモの中に室内楽的に広がるサウンドで聞かせてくれたではないか!
 都響は見事であった。「大地の歌」では、いつもの欧米のオケのマーラー演奏とおなじくらいに増強された大編成にも関わらず、例えば弦のセクションは見事に透徹された一つの音の美学に向かって全員の方向性が一致し、まるで一人で弾いているような音になる。東京カルテットがその最上級の演奏をするときのような音なのだ。それが、各声部と有機的に絡み轟き合うからスゴい。そこに管楽器、打楽器が丁寧に丁寧に加わっていく。
 インバルと都響のマーラーはもう20年近く前に新宿文化センターの開場何周年かの記念演奏会で8番を聞いただけであるが、全く演奏技術のレベルが違う。見事、まさに見事なのである。

 インバルはイスラエル生まれのマーラーを特にレパートリーとする70代後半の指揮者である。きっとこの老マエストロにとっても都響とのマーラーは特別なものだろう。つまり、彼がポストを持っているフランクすると放送響とでは、ユダヤ人に対する加害者としての、チャコフィルならユダヤ迫害の目撃者、迫害に加わったものとしてのマーラー演奏から避けられない。都響もそうした演奏をしてきたのだろう。ベルティーニやインバルとマーラーのシンフォニーの全曲をそれこそ繰り返し繰り返し演奏してきた。インバルも各オケと演奏してきた。

 そして、何回ものマーラーとの対峙、マーラーの交響曲を透徹する旅路の末に今宵の演奏と出会ったのだ。アジアの日本人の日本文化の影響で育ったメンバーがほとんどの都響と新しい演奏の立ち位置にたどり着いたのだ。フランクフルト放送響ともチェコフィルとも違う新たな立ち位置である。
 都響がアジアでマーラーを多数演奏してきたオケであり、それが、新たなチクルスを目前にして、インバルという人生をかけてマーラーを探求してきた指揮者と出会ったからこそ到達したマーラー像だ。
 アジアの東京でシオニズムの小節をことさらに上塗りするのではなく、音楽家マーラーのスコアから浮かびあがる世界観を大切にした、新しい最上級の演奏だ。きっと世界のマーラー演奏史に大きな影響を与えるであろう。
 マーラーの交響曲に対峙することは、それが音楽を聴く観客にとっても、人生と真正面から向き合うことを求められる。特に「大地の歌」と9番交響曲は死と真正面に向き合わなくてはならない。今回の演奏は、李白を初めとした中国の思想家のアジアの死生観とマーラーが向き合った演奏となっていた。
 我々は死を怖れ避けようと必死にもがくだけでなく、いつか人生の意味を悟り受け入れることをしなくてはいけない。今宵の演奏はそうした思想の高みまで達した演奏だったのだ。
 しかし、今宵の都響とインバルの演奏は全く違う頂きを提示したのだ。繰り返しになるが、それはシオニズムの呪縛から解放されたマーラー演奏の新たな境地である。マーラーのスコアをユダヤ人作曲家という一点に視点をおいて演奏するのではなく、人間グスタフ・マーラーとして彼のスコアに対峙した名演奏なのである。
 驚愕である。2人の独唱者も素晴らしかったことを付け加えておきたい。秋からのマーラーチクルスが本当に楽しみになった。2012年3月29日@サントリーホール
NHK

指揮|カール・ハインツ・シュテフェンス
ピアノ|キム・ソヌク
ウェーバー / 歌劇「魔弾の射手」序曲
ベートーヴェン / ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
シューマン / 交響曲 第4番 ニ短調 作品120
アンコール モーツアルト/ディヴェルメント

「懐かしい東京文化サウンド」
 サントリーホールができるまで外来オーケストラの最高峰のサウンド空間は東京文化会館だった。今は外来オペラとバレエの最高峰の空間として未だに健在だけれどもオーケストラ単独公演では都響定期などで使われるくらいで頻度は大きく落ちた。それは、この空間の残響が短く豊麗なサウンドに聞こえにくいということもあるのだが、オーケストラの生の音が耳に飛び込んでくるのもそうだ。
 実は昨年サンクトペテルブルグフィルの来日の際、珍しいのだが3つのホールで聞く事になり、特にサントリーホールと比べてここでのサウンドがあまりにも違いすぎるのに愕然とした。今回、都民芸術フェスティバルで20年以上ぶりに東京文化会館でN響をきいた。指揮は、2007年まではベルリンフィルの首席クラリネッと奏者だった人。今宵の音は僕が本当に若い頃にきいた外来オケの音だなあと思った。
 最初の「魔弾の射手」。悪くはないが弦の音がいつもと比べると(NHKホールと比べても)粗く聞こえる。さらに重要な4人のホルン奏者は音がひっくり返ったり自信なさげに主旋律を危なげに演奏する。あれれ、N響〜?と思うくらいだった。しかし、曲の最後には音は豊かになっていく。きっと奏者が出す音をホールに合わせ微調整したのかもしれない。そういえば、昔きいた外来オケもそうだった。コンサートの冒頭とそのあとで違う音が良くするものだった。だから、例えば、オーマンディ指揮のフィラディルフィア交響楽団もゲオルグショルティ指揮のシカゴ交響楽団も印象は後半の曲が強く残っているわけだ。N響もそれからは順調に飛行を続けた。
 シュテフェンスの指揮はもっとこういう音が欲しいと身振りが大きく、オケはそれに十全に答えている感じはしないが、2曲目の協奏曲からはフレーズを大切にしメロディを良く唄わせる演奏になった。ベートーヴェンのピアノ協奏曲3番は、引き締まった演奏が聴かれた。独奏のキムソナクは22歳らしい見事な技術力がある上に、音の粒がきれいにたっていてきれいだった。いたづらに叙情に流されず、むしろぶっきらぼうとも言えるようなフレージングの終わり方で、僕はこの曲を聞く時に若い頃に聞いていたウィルヘルムバックハウスの演奏を思い出したくらいだ。
 今宵のメインはシューマンだった。同じフレーズの繰り返しと変化が繰り返される交響曲のイメージなのだが、そのひとつひとつを大切に演奏する見事なものだった。管弦楽は見事にこの交響曲をプレゼンテーションしてくれた。リズムの楽しさも感じさせてくれさすがN響という演奏。指揮者の力もあるだろうがオーケストラがもっている底力発揮という感じだ。アンコールのモーツアルトのディベルメントは弦楽合奏のみの曲だがここでも美しいN響サウンドを聴かせてくれた。

2012年3月14日@東京文化会館
読売日本交響楽団 名曲シリーズ
指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(読売日響桂冠名誉指揮者)
《オール・ベートーヴェン・プログラム》
ベートーヴェン/序曲〈レオノーレ〉第3番 作品72b
ベートーヴェン/交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
ベートーヴェン/交響曲 第5番 ハ短調 作品67〈運命〉

「枯れていないスクロヴァサウンド」
 この日S席なのだが、座席は選べなかったので実質1階3列目(当初は1列目だったが空いていたので自主移動)で聴くはめになってしまいオケの粗さが耳に飛び込んで来てしまう。例えば、コンマスのデヴィッドノーランのバイオリンとそれ以外のバイオリン奏者のフレージングの終わりのタイミングが微妙と違ったり、ボーイングが違ったり、そういう音の結果が耳に飛び込んできてしまう。やはり座席は選ばなくてはならないなと思った。
 スクロヴァチェフスキは既に88歳で、何年か前のザールブリュッケンフィルの来日の時に聞いたのだが、イマイチで、N響で聴く機会はことごとく失ってしまっていて、今年もN響で秋には聞けるのだが、今宵はベートーベンだし聞いておこうと思って出かけた。遅れたためレオノーレ以降から聞いた。
 ベートーヴェンの4番交響曲で上述の音が気になってしまった。管楽器の安定性が欠けるときもあった。しかしスクロヴァの演奏は若い。そして、重々しくどっしりとした感じでもない。そして、この愛すべき4番を爽やかに聞かせてくれた。
 運命の交響曲も基本的に同じだった。終楽章にかけて登頂するように音楽は高まっていき特に4楽章は魂の燃焼とも言える高揚感を与えてくれた。
 スクロヴァの音楽は高齢だからと枯れていない。むしろ若々しさを感じたりする。躍動している。面白いなあ。
 

2012年3月12日@東京オペラシティコンサートホール
  

 友人が事務局に入ったのでお祝いで、読売日本交響楽団 2012/13 名曲シリーズの年間会員になりました!まあ、全部はいけそうもありませんが、今のところ以下のものには行く予定。日程が赤字ものものはほぼ確実にいきます。

第549回サントリーホール名曲
5月10日(木) 19:00
指揮=下野竜也
ヴァイオリン=クリストフ・バラーティ
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
≪下野竜也・ドヴォルザーク交響曲シリーズⅦ≫
ドヴォルザーク:交響曲 第2番 変ロ長調 作品4

第550 回サントリーホール名曲
6月13日(水) 19:00

指揮=ゲルト・アルブレヒト
ピアノ=若林顕
ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68

第552回サントリーホール名曲
9月23日(日) 18:00
指揮=スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ

クラリネット=リチャード・ストルツマン
ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
スクロヴァチェフスキ:クラリネット協奏曲(日本初演)
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(デ・フリーヘル編)

第553回サントリーホール名曲
10月18日(木) 19:00
指揮=シルヴァン・カンブルラン
合唱=新国立劇場合唱団
ラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロワ」(全曲)
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)

第554回サントリーホール名曲
11月24日(土) 18:00
指揮=ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス

≪マエストロ・セレクション・ポピュラー作品集≫
グリーグ: 「ペール・ギュント」第1組曲から「朝」「アニトラの踊り」
シューベルト:軍隊行進曲 ニ長調 D.733
ストラヴィンスキー :サーカス・ポルカ
J.シュトラウスII:ワルツ「南国のばら」作品388
シベリウス:悲しきワルツ 作品44-1
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
チャピ:サルスエラ「人さわがせな娘」前奏曲
アルベニス:「スペイン組曲」から「グラナダ」
ファリャ:「火祭りの踊り」
ヴェルディ:歌劇「椿姫」第3幕への前奏曲
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
ビゼー: 「アルルの女」組曲から「メヌエット」「ファランドール」


第557回サントリーホール名曲
2月12日(火) 19:00
指揮&ヴァイオリン=ライナー・ホーネック
ロッシーニ:歌劇「泥棒かささぎ」序曲
シューベルト:劇音楽「ロザムンデ」から「間奏曲第2番」「バレエ音楽第2番」
ベートーヴェン:ロマンス第2番 へ長調 作品50
ドヴォルザーク:スラブ舞曲 作品72-2
ブラームス:ハンガリー舞曲 第1番
J.シュトラウスII:喜歌劇「こうもり」序曲
J.シュトラウスII:エジプト行進曲 作品335
ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「遠方から」作品270
J.シュトラウスII:ワルツ「加速度」 作品234
J.シュトラウスII&ヨーゼフ・シュトラウス:ピチカート・ポルカ
ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「休暇旅行で」 作品133
J.シュトラウスII:ワルツ「南国のばら」 作品388
J.シュトラウスII:トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214


第558回サントリーホール名曲
3月18日(月) 19:00
指揮=シルヴァン・カンブルラン

マーラー:交響曲 第6番 イ短調 「悲劇的」

指揮|ジャナンドレア・ノセダ
チェロ|エンリコ・ディンド

ショスタコーヴィチ / チェロ協奏曲 第2番 作品126
ラフマニノフ / 交響曲 第3番 イ短調 作品44

「至福の一夜。N響頂点時代を満喫」
 ノセダは、オペラの来日公演の時に指揮者として聞いている。今までもN響の定期の指揮者に招かれることはあった。しかし、わざわざ聞かなくてもいいやと思ってパスすることが多かった。しかし、昨年、尾高さん、アシュケナージをきいたことや、ここのところのN響の驚異的な演奏をきいて、できるだけ何でも聞いてやろうと思っていた。例えば、今宵のショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲2番。20年以上前に1番の協奏曲をロストロポーヴィッチと小澤征爾/新日本フィルで聞いて、面白いなあと思ったけれども、その後、いろんなチェリストで聞いても何かつまらなかった。ましてや2番は…という曲だった。
 ところが、二人のイタリア人は、この音楽から僕でも分かる様に楽想をプレゼンテーションしてくれた。豊かな音楽がそこにはあった。特に不安定な状況をチェロの豊かなメロディで何回も締めくくる感じが、1楽章の終わりの弱音のホルンの魅力、管楽器の砲悦的なアンサンブル…。なるほどなるほどと感じながら聞き入った。ディンドは一つのフレージングの中にある音階の魅力とリズムの魅力を丁寧に情感込めて演奏するから聞く側の集中力がキレない。
 アンコールのバッハの無伴奏ソナタの  も素晴らしかった。
 後半のラフマニノフの3番交響曲。出かける前に予習をしていったのだが、とんでもない。録音ではその魅力はひとつも分からなかった。素晴らしい音楽絵巻がそこにはあった。録音では、このシンフォニーの魅力は収まりきれないだろうなと思いながら聞いた。N響すごいなあ。2012年2月22日@サントリーホール
指揮/アントニ・ヴィット
ピアノ/ 中村紘子

モニューシュコ:歌劇「パリア」序曲
Moniuszko: "Paria" Overture
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11( ピアノ:中村紘子)
Chopin: Piano Concerto No.1 in E minor, Op.11
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
Beethoven: Symphony No.5 in C minor Op.67

アンコール
ブラームス/ハンガリー舞曲5番 プロコフィエフ/古典交響曲第3楽章
ルトスワフスキ/小組曲からポルカ 


「大時代がかった演奏も時にはいいものだ」
 ワルシャワフィルは10年以上前にこのヴィットの指揮で確か北とぴあで聞いた事があって、何を聞いたのかも覚えていないけれどもいい印象はなかった。また、ワルシャワでも一度聞いた事があると思う。いづれにせよ、10年ぶりくらいに聴くオーケストラである。今宵出かけた理由は中村紘子の協奏曲を20数年ぶりに聞いてみたくなったからだ。彼女は一昨年あたりでデビュー何周年かとかで大きなコンサートを精力的に開いたりしているが、最近の日本のクラシック音楽会は、20代前半までの若い演奏家が世界的な賞を取って、一気に協奏曲の市場を奪ってしまう。
 若く美貌のある演奏家ばかりになってしまって、40歳以上のソリストの活躍の場所はほぼ壊滅状態である。国内のオケでも日本人ソリストは若く美貌のコンクール覇者ばかりである。中村紘子は20年以上前は女王だった。いろんなオーケストラの定期演奏会のソリストに呼ばれていたものだが、最近は自ら演奏会を主催しないと協奏曲は弾けていないのではないか?まあ、それがマーケットだから仕方ないのだが、僕はそのような状況に目を白黒させてきたわけだ。
 その中村紘子をソリストに迎えてショパンのピアノ協奏曲1番というのだから聞いてみようと思った。中村の演奏で記憶に残っているのは既に25年前の、ソビエト国立管弦楽団、確かスビャトラーノフが指揮だった(調べたら1987年5月24日神奈川県民ホール、グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲 チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/中村紘子) ショスタコーヴィチ/交響曲第5番)で、ソリストを務め、それが物凄いド派手な演奏だったと記憶している。それ以外は聞いたのかなあ?彼女のリサイタルは行った事がないから。中村のショパンの1番協奏曲を聞くのは始めたのだが、技術の衰えがあるのだろう。時々音の粒が奇麗に聞こえない。オケの伴奏のないところで、テンポを物凄く動かしたり(リタルダントっていうレベルでなく)して色合いをつけようとしているようだった。彼女は技術的にはそれほどでない、遅いテンポのピアニシモなどは年齢相応の枯れたいい演奏をするのだが、派手なところでオケと張り合ったりするから、破綻ギリギリまで追い込まれてしまう。女の性を感じた演奏だった。もう一度言うけれども、彼女はネスカフェなどテレビコマーシャルも山ほど出ていた日本ピアノ界のスターであり、女王であったからね。
 まあ、そこそこのショパンの協奏曲。でも、今宵の拾い物、驚いたのは、オケ自身だった。時々管楽器がバランスを崩すくらいがなり立てる音を立てたりしたのだが、おおむね素晴らしい「合奏」で、このヴィットという老指揮者をオケが敬愛し、集中して音楽に取り組んでいるのが良くわかる。素晴らしいアンサンブルだ。
 運命の交響曲などでは、時にロマンチックすぎる音を奏でるし、大音量で迫ってきたりもして、何か1960年代前の大指揮者時代の演奏を聴いているようだった。そうレコードでしか聞いたことのない演奏なのだ。現代のクールな演奏とは全く別の時代がかった演奏だが、時にはこれもいいもんだなあと思った。こういう演奏が少なくなったから稀少です。
 ルトワフスキ。アンコールで出て来て聞き入ってしまった。こんなにすぐにまた聞けるとは思っていなかった。いい作曲家だなあ。
 今宵は久しぶりに最安値の4000円というチケットを手に入れて聞きにいったのだが、結構ガラガラだったので、誰も座っていない3階正面席で聞いた。その席が音のバランスや響きがとても良くて気に入ってしまった。オペラシティのコンサートホールは3階もいいね。
 2012年2月21日@東京オペラシティ タケミツメモリアルホール
指揮|ラドミル・エリシュカ

スメタナ / 交響詩「ワレンシュタインの陣営」作品14
ヤナーチェク / シンフォニエッタ
ドヴォルザーク / 交響曲 第6番 ニ長調 作品60

「ラドミル・エリシュカは老成しているが青年だった」
 現在80歳のほぼ無名だったラドミル・エリシュカが日本で注目されたのはこの5年ほどである。私はもちろん初めて聞く人だし、実は人身事故で電車が止まり、2局目の途中からしか聞けなかったのだが、彼がこれほどまで話題になっているのが良くわかった。素晴らしい。N響からこのような無駄な装飾がなく深みのある、でも美しく人生を謳歌している若者の持つポジティブな若く溌剌とした音と造形美。見事なアンサンブルが引き出されたのは脅威だ。あのブロムシュテットをも上回ると言ってもいいかもしれない。
 まだ足腰もしっかりしているので、あと何回か来日してもらえるのだろうか?チェコの音楽もいいが、古典派の音楽もこの指揮者からきちんと聞いてみたい。この指揮者にとってみてもチェコフィルなどの例外を除いて理想的な機能をもった最高峰のオーケストラを振るのは非常に嬉しいものだろうと思う。今回の来日でラドミル・エリシュカは決定的な評価を得ただろう。あとは神が彼にどれだけの時間を与えるかだ。祈ろう。もう一度、いやもう二度三度聞きたいのですと。2012年1月14日@NHKホール


指揮|レナード・スラットキン
ロッシーニ / 歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
ルトスワフスキ / チェロ協奏曲(1970)
ショスタコーヴィチ / 交響曲 第10番 ホ短調 作品93
チェロ|ジャン・ギアン・ケラス

「コンサートならではの宝物」
 スラトキンとN響の幸せな組み合わせが帰って来た。1年ほど前にスラトキン来演の発表があったときに心が躍ったのはなぜだろう。10年以上前に来演したときの記憶はほとんど残っていない。しかし、今宵の演奏をきいて自分の期待は間違っていなかったと。ロッシーニの「どろぼうかささぎ」は最近富みに力を増しているN響の美しい弦のセクションであるが、美しさと溌剌な、それも非常に知的でね、コンサートの1曲目。短めの曲が用意されるのは、ディナーのアミューズのようなもの。そして、オーケストラの真の意味でのチューニング的な意味合いがあるはずなのだが、もう最高の料理が出て来た感じ。心の中に美味しいシャンパンが流れ込んで来たみたいだった。
 さて2曲目は1970年に作曲された現代?音楽。もちろん初めて聞く。ルトスワフスキというポーランドの作曲家のチェロ協奏曲。これが素晴らしかった。最初は序奏で始まるのだが、チェロの淡白な音から豊かな音が広がる。曲はロストローポーヴィッチが作曲家に依頼して生みだされたものらしいけれども、その淡白なチェロの音の素晴らしさ。共産主義体制下で生みだされたこの曲は、まるで芸術家の心の叫びとそれが波紋を呼び共鳴を呼んでいくという感じなんだけど、まあ、そういうことは別として純粋な音楽として本当に美しい。一瞬も気持ちを緩められない極度に集中して音楽を聞いていること。自然にそうなる。CDに決して収まりきれない音楽の伽藍がそこにあった。ジャンギランケラスという40代のチェロ奏者は非常にフラットな純粋に音楽に尽くすタイプだと思った。好きな演奏者のタイプだ。
 例えば、ポリーニのシュトックハウゼンの演奏をきくと、面白くてワクワクするが、別に録音で聞きたいとは思わない。そして、この手の音楽は本当に超一流でないと聞けたものではないものでもある。瞬時の音楽的な弛みは許されない。崩壊につながるからだ。いやあ、良かった。
 そして、最後はショスタコーヴィッチの交響曲10番。この作曲家とは距離をおいていたカラヤンも録音した曲だ。が、僕もどんな曲だったのか全く残っていなかった曲。まあ、このN響とスラトキンのような黄金コンビでないと聞きたいと思えない。が、こちらも曲が始まるとホント夢心地。
 このところのN響の定期は僕にとって本当に楽しみなものばかりで、言ってみればNHK交響楽団の定期演奏会を聞く為だけに生きる価値があると思うくらいだ。
2012年1月19日@サントリーホール


NTT東日本 N響コンサート
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲作品56a
モーツァルト フルート協奏曲第1番ト長調K.313
ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調作品92
フルート:高木 綾子

「ドイツものも抜群だったスラトキン」
 Bプログラムの演奏が余りにも素晴らしかった。Cプロの演奏曲目をみて、何かないなあと思ったのがドイツものの曲目だ。そうしたら、特別演奏会もあるらしいのでそちらにも出かけてみた。この日はアンコールにバッハのG線上のアリアまでやったから、本当にドイツ/オーストリアもので固められた演奏会だった。
 最初のブラームスで変に重たくならないけれども、重厚な木目の味わいで聞かせてくれたアンサンブルは、モーツアルトで軽やかになる。申し訳ないが高木という美人フルーティストの出てくる幕はほとんどなかった。N響のアンサンブルが素晴らしすぎた。軽やかでユーモアに溢れ、そして良く唄った。
 ベートーベンの7番は本当によく演奏する。2009年の9月の定期ではホグウッド、2010年9月の定期ではマリナーと。どちらも良かった。今宵も負けじと良かった。違いはN響のアンサンブルの音の密度がさらに深くなったこと。スゴいです。
 スラトキンとドイツものっていうイメージはなかったけれども、大満足で本当に来てよかったと思う。スラトキンはいったいどこにこだわったんだろう。きっとフレージングやお互いにもっと聞き合うってことじゃないのかな?聞き合わないと作れない音を作ったのではないかしら?と吉田秀和的な終わり方をしてみる。
 そう、僕はごきげんなのだ。
2012年1月23日(月)@東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル





ペルト / フラトレス(1977/1991改訂)
バーバー / ヴァイオリン協奏曲 作品14
チャイコフスキー / 交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
ヴァイオリン|ナージャ・サレルノ・ソネンバーグ

「世界に誇れる名演」
 一度僕の家に来てもらえば分かるが、1980年代の半ばから世界中から来日する一流オーケストラのほぼ全てを聞いて来た。僕が音楽を聴き始めた頃は、まだ巨匠が山ほど生きていた。僕が聞いただけでも、カラヤン、オーマンディ、バーンスタイン、ヨッフム、クーベリック、ジュリーニ、チェリビタッケ、テンシュテット、ショルティ…。アバドやムーティ、クライバーでさえ中堅と言われた時代だった。小澤はまだ若手だったかもしれない。母が上京した頃にN響のハープ奏者、山畑さんに世話になったことがあったらしく、子供の頃からNHK交響楽団の名前をきいていた。高校になり、実際に自分でチケットを買ってコンサートに行き始める。最初にいったのは、小澤征爾/ボストン交響楽団の演奏会。ブラームス。普門館という音響の悪いホールでの演奏だったけれども豊かな弦の合奏に心を震わせたものだ。
 一方高校の友達に誘われて高校二年の時に出かけたのがN響のプロムナードコンサート。小松一彦と小林研一郎の指揮で1回づつ、宮沢明子がショパンの2番コンチェルトをやった事だけを覚えている。がっかりしたのだ。弦は第一バイオリンはキーキーいうし、金管はガンガンひっくり返る。日本で一番のオーケストラかもしれないが、酷いなあと思ったものだ。しばらくして、N響の定期には時おり通いだす。理由は簡単。有名指揮者やソリストの生演奏を聴きたかった。サバリッシュ、シュタイン、ノイマン、コシュラー、スイットナー。プロムナードコンサートで聞くよりは良かったけれど、同時期に聞いていた来日オケの音色とは比べ物に成らなかった。
 それがこの10年で変わった。いや、この数年で格段に良くなった。なぜだかは分からない。千葉馨さんなどの名演奏家はほとんど退団してしまったし、客演する指揮者が急に変わったわけでもない。ホールは同じNHKホールとサントリーホールだ。
 サントリーホールが出来てN響を聞いたとき、サウンドの仕上がりがNHKホールよりも格段に良かったので、嬉しくなったものだが、それでも欧米の超一流どころとは大きな溝があったように思う。

 今宵の演奏を聴いて、今日までのことを思い出していた。なぜなら、今宵の演奏は世界に誇れる名演だと確信するからだ。スラトキンはこのあとソウルフィルでタクトを振るらしいが、どうなんだろう?この日本のオケの素晴らしさを再認識するのではないかと思う。
 現代音楽も組まれたプログラムで、観客の大半は、それは僕も含めて後半のチャイコフスキーを聞きに来たのだと思う。それが一曲目のベルトの「フラトレス」でやられてしまった。打楽器と弦楽器のやり取りで展開する現代のレクイエムだ。そんな曲ではないかもしれないが、この曲には鎮魂する力がある。それを見事な弦楽合奏で、それは昔、初めて東京カルテットを聴いた時の衝撃にも似ている見事なもので、10分間の演奏が終わってしまったとき、もっと聞きたいと思った。生まれて初めてこの演奏を録音したCDを休憩のときに買おうかなと思ったくらい。
 2曲目のバーバーの協奏曲も聞き慣れたものではない。それが何と言う躍動感。ソリストのナージャはその半生の出来事も加わってカリスマ性のある演奏家らしい。まるでロックを演奏するようにノリノリで、ソウルで演奏するのが分かる。それがオケがノリノリで、それも高度な技術に裏打ちされた濃密な音で迫ってくる。ナージャを焚き付ける演奏をするものだから、彼女の顔がどんどん嬉しそうになってくるのが分かる。それは聴衆にも伝わって、なんて素敵な曲を聴いているんだと思わせてくれる。僕はポリーニでシュトックハウゼンを聞いたときに思ったのだけれども、現代の音楽は微妙な響きがとても大切で、それらまでコンサートホールで体験できるような音楽体験をいよいよ録音できない代物だと思っている。一流の演奏で現代の音楽を聴くと19世紀の音楽が本当に色あせてしまうほどなのだ。この2曲の名演でそれを確信した。
 もうお腹いっぱいだ。このあと、あの手あかの付く程きいた「悲愴」を聞いてこの感動を上回るものはないだろうなと思っていた。しかし、スゴい演奏だった。テンポはやや遅めで、例えば1楽章なども、あのネスカフェのCMで使われる「悲劇の爆発」のところでも、スラトキンは決して音量に寄りかかって演奏しない。それは濃密な魂の心の叫びにこだわるのである。どうして、心の叫びなどという抽象的な言葉を使うかというと、音が胸に突き刺さるからだ。
 N響は一糸乱れない。お互いがよく聞き合っているのだろう。こんな素敵なアンサンブルで芝居ができたら素敵だろうなあと思うとともに、僕は期待を大きく裏切ったカラヤン/ベルリンフィルをこのホールできいた80年代のことを思い出していた。
 あの演奏を遥かに凌ぐものだなあと僕は驚いていた。去年9月のチャイコフスキーの5番をブロムシュテットで聞いた時もスゴいと思ったし、5番ならミュンヘンフィル/チェリビだっけの糞名演も聞いている。80年代にオーマンディ/フィラディルフィア管弦楽団でチャイコフスキーの4番を聞いた時もピチカートに胸を射抜かれたのも覚えている。悲愴もいい演奏は聴いている。そして、今宵の悲愴交響曲の演奏は
忘れられないだろう。いや、コンサート全体を通して驚愕すべきもので、これは世界に誇れる名演奏会だし、NHK交響楽団の演奏会としても特筆すべきものだと思う。
 終楽章の弦楽合奏、あの弦楽セレナーデのような響き。分厚く深いサウンドだった。そして、それは今宵の最初の曲目「フラトレス」に回帰するような印象も受けてコンサートの最後の曲の最後の始まりも今宵全体を締めくくるのに見事だった。
 今宵残念だったのは演奏が終わったあとに訪れた静寂を客席後方からわめき声でぶっ壊す痴れ者がいたこと。ウォーーーーーと数分も叫び続けた。ぶん殴りたかった。

2012年1月28日@NHKホール






シューベルト Schubert

ピアノ・ソナタ ホ長調 D157 Sonate E-Dur, D157
12のドイツ舞曲 D790 Deutsche Tänze, D790
3つのピアノ曲 D459a Klavierstücke, D459a
ピアノ・ソナタ 変イ長調 D557 Sonate As-Dur, D557
即興曲集 D899 Impromptus, D899



「心に沁み入る理想的な一夜」
 ベルリンフィルやウィーンフィル、超一流オペラハウスの来日公演のような大型の来日公演で3万円とか6万円といったチケット代を払う。家でCDで何回もきいた音楽を生で追体験する。熱狂の大拍手は、この音楽をこの演奏者で生で聞いたという充足感で満たされ熱狂する。それが理想的なコンサートと思っている人が多くないか。いや私もそういうコンサートを心のどこかで求めている事がある。
 しかし、ゲルハルトオピッツのコンサートはそういうコンサートとは趣きが大きく違った。4年に渡って毎年2プログラムづつ、シューベルト作曲のピアノ曲を演奏する連続演奏会の3年目の3回目。オピッツは、協奏曲のソリストとして聞いた事はあるが、ソロコンサートは初めてだ。最後の即興曲集以外は普段聞くような曲でもない。だから、コンサートでこの誠実でドイツ音楽の王道の演奏によって聴衆は音楽と出会う。何と幸せな出会いだろう。ふたつのシューベルト初期のピアノソナタ、舞曲といった音楽を、ひとつひとつの音を異様なほど磨き挙げたり、粒を際立たせたりせずふんわりと大きく包み込むような、普通の演奏を淡々と演奏するオピッツの演奏で出会えたのだから。
 ピアニストのソロコンサートでも、ポリーニやアルゲリッチ、ボゴレリッチ、キーシンといった超人気ピアニストや、ランランを始めとする人気のアジア人ピアニストの演奏と違って、60になろうとするこのオピッツの演奏は良質な普段着の良さがある。おいしく毎日食べても飽きないし安心できる家庭料理というか。
 会場も異様な期待の中で始まるといった趣きではなく、素敵な音楽と普通に出会い心が緩んでいく幸せを感じる事のできる一夜だった。
 これってきっとヨーロッパの地方都市で開かれる音楽会の趣きじゃないのか。どうもパシフィックコンサートマネジメントの演奏会はこのような演奏会が多い。今回も5000円という手頃な価格ということも関係しているのかな。ポリーニのようにソロピアニストの演奏会に25000円という価格は確かに異常だものな。
 無料で配られる簡単なプログラムの最後に来年と再来年のこのコンサートの日程が書いてあった。僕は手帳に書き込んだ。
2011年12月13日 東京オペラシティコンサートホール
最新記事
(11/03)
(10/04)
(09/19)
(09/19)
(08/28)
(06/25)
(06/10)
(12/30)
(02/21)
(12/31)
(09/28)
(06/09)
(05/12)
(12/31)
(09/08)
(06/02)
(02/09)
(01/10)
(12/31)
(10/17)
(10/13)
(08/02)
(04/11)
(12/31)
(10/10)
プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
カレンダー
09 2019/10 11
S M T W T F S
1 2 3 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[08/24 おばりーな]
[02/18 清水 悟]
[02/12 清水 悟]
[10/17 栗原 久美]
[10/16 うさきち]
最新TB
バーコード
ブログ内検索
カウンター
忍者ブログ [PR]