佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 音楽 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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ベートーヴェン バイオリン協奏曲 交響曲第6番 田園
指揮: Lê Phi Phi バイオリン: Nguyễn Hữu Khôi Nam



 ハノイに出かけてみるとちょうどベトナム国立交響楽団の定期演奏会が開かれていたので言ってみた。ハノイのオペラハウスは欧米にある一流のオペラハウスの音響とはまったく別次元のデッドなホールで、演奏者の実力がそのまま伝わってしまうホールだった。昔の日比谷公会堂のような音響といったらいいかもしれないけれど。
 オーケストラの団員を見るとほとんどが若い。もちろん40代以上だろうと思う人もいるけれど若い人が多い。そこに驚かされた。こんな若い人ばかりのオーケストラは何か日本の学生オケにも似た感じがしたからだ。東京にあるオケでは考えられない陣容だ。考えてみれば1975年までのベトナム戦争とその後のカンボジアとの紛争でこの国はつい25年ほど前までなんだかんだで戦争の国だったのだ。きっと音楽などをやってる余裕がなかったり、音楽をやっていても兵役に取られたりと大変だったんだと思う。このオケの歴史はもっとあるようだけれども、実際にオーケストラとして機能し始めたのはきっとこの20年あまりだろう。オケの技術は高くない。楽譜も正確に読んでいないなあと明らかに分かるところもあって、時々痛々しい。それでも、オケの熱意と合わせようという熱意はものすごく伝わって来て、そこから音楽をする心が伝わって来る。指揮者は、細かいところのミスを最小限にするためか、両曲とも早めのテンポでまとめあげようとしていた。それがベートーヴェンの真面目な音楽とマッチングしていて、演奏会の中ごろからは来てよかったと思うようになったのだ。
 協奏曲の独奏者はきっと国外で勉強された方なんだと思う。綱渡りだったけれども、この大曲をやり遂げた。いろいろの問題はあるものの、こういう積み重ねがオケの成長につながるのだと思う。後半の田園ではとにかくオケの団員の気持がまとまろう、共に作り上げようという思いが痛いほど伝わって来た。バイオリンはきっと日本のオケのそれと比べるときっと劣るものかもしれないけれど、途中からこのデッドなホールにも関わらずきちんとピッチも会うようになって良かったし、それ以上に、オーボエとフルートが歌心溢れるとてもいい演奏をしていた。この田園はベトナムの田舎の水田を思わせるような田園だった。田植えの時期に降る雨、雷、台風。収穫の稲刈り。何かそういうものを感じさせてくれたのだ。

ハノイオペラハウス
2010年12月4日
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モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K136
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K466
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595
 



 内田光子のモーツアルトの協奏曲を聴いたのは何年ぶりなんだろう。サントリーホールで開館当時のシリーズで全曲演奏があった。イギリス室内管弦楽団でジェフリーテイトの指揮。当日発売に鳴ったフィリップスのレコーディングでも話題だった。この時も何曲かは弾き振りをしたっけ。その後もサントリーホールで一度きいて、そして、今回。今回はこの2大曲を弾き振り。会場は大喝采だった。日本が生んだ世界的なピアニスト。それも欧米の音楽の頂点で深く入り込むことのできた唯一の演奏者である。他の日本人演奏者と格が違う。会場は内田光子教のような雰囲気だったのかもしれない。
 僕は今回の内田光子は好きでなかった。僕の好きなモーツアルトのコンチェルトは、27番だったらバックハウス、20番だったら、ゼルキンやグールド。ぶっきらぼうというほどさらっと弾いてしまうのが好きだ。少し前の内田光子のモーツアルトはそれとどこか似ていたと思う。もっと清楚で品があった。磨き上げられ一音一音考え抜かれ磨き上げられた音楽じゃなかったと思う。モーツアルトの協奏曲は下手をすると音楽大学に入る前の技術でも弾くことができる。それをコネクリ廻すのではなく、まる
で子供が弾くようにさらっと無邪気に、いや、素朴に弾くべきではないか。だって、すべてはモーツアルトが書いてくれているのだから。聞き手に音楽のファンタジーを楽しむ余地を与えて欲しい。内田光子のファンタジーは表現できたのかもしれないけれど、それはモーツアルトのそれとは違う。何かね、内田光子の音楽であって、モーツアルトのそれに感じられない。モーツアルトより、内田光子が前に出て来ているんです。そういう演奏を僕はあまり好きではない。
 あげくの果てにものすごいミスを27番のコンチェルトではしちゃったことも付け加えておきます。
 もうひとつ、最初の有名なディベルメントは指揮者無し、バイオリンなどは立ったままの演奏だったけれど、何であんなに急ぐのだろう?クリーブランド管弦楽団はアメリカを代表する名門オケだけれど、いい指揮者と組んだ時のNHK交響楽団はそれ以上の演奏をするんだなあと思った。今日の弦なんかN響の方がいいことが多し。この数年だけれど。
 2010年11月16日 サントリーホール



この動画の感じだったらいいのになあ。


 チャイコフスキー作曲 交響曲第4番
 遅刻で後半しかキチンと聞けなかった。東京文化会館でこの交響曲を今から30年くらい前に、オーマンディ指揮のフィラヂルフィア管弦楽団で聞いたとき、本当にスゴい演奏力だなあと唸ったことがある。今宵の演奏もアムステルダムコンセルトヘボウのスゴい実力を発揮したいい演奏だった。しかし、最後のエンディングをあれほどまでにテンポアップしなくてもいいのにと思った。しかし、今宵気になったのは東京文化会館の音響のことだ。この音楽空間に長年親しんで来たけれども今宵ほど、あまりにもデッドな、だからこそ、各奏者のそれが直接響いてくる感想をもったことはなかった。残響が少なくて、面白いのだけれどね。東京でいま音楽を聴くのに適したホールは、サントリーホール、オペラシティホール、東京芸術劇場、オーチャードホール。昔は、この東京文化会館大ホールや例えば、人見記念講堂なんかもよくコンサートホールに使われたものだけれども。今年チャイコフスキーの交響曲を聴くのはこれが始めてなのかも? 2010年11月15日 東京文化会館大ホール

 マーラー作曲 交響曲第3番
 今年の秋の演奏会でもっともゴージャスな演奏のひとつだろう。ウィーンフィル、ベルリンフィルと並ぶ欧州の傑出したオーケストラであるコンセルトヘボウ。東京文化会館の演奏もおもしろかったが、本拠地のコンセルトヘボウのサウンドもゴージャスなので、やはりサントリーホールの方が会う。
 ヤンソンスの好きなところは、いたづらに個性を出して、特長ある演奏をするのではなく、王道の演奏の究極を目指しているところだ。今宵もそうした魅力に溢れた素晴らしい演奏だった。僕は、ニューヨークでバーンスタイン/ニューヨークフィルの生演奏をきいていて(CDになっている)それを上回る演奏はないだろうなあと思っていたら、今宵の演奏はそれと並ぶ素晴らしい演奏だったと思った。というよりも、あの時の演奏を思い出したのだ。
 僕は良く分からないのだが、アルトのアンナラーソンをオケの中に配置したこと。もちろん彼女の声は響くのであるが、何かね、オケの一員みたいな感じで溶け込んでいる感じで面白かった。新国立劇場合唱団の合唱も素晴らしくヤンソンスも満足そうだった。
 2010年11月22日 サントリーホール
 
 


2010年10月13日
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、目前に迫っている日本ツアーに際し、更なる変更のお知らせをしなければなりません。病気のため、日本ツアーを降板した小澤征爾氏に代わり、アンドリス・ネルソンス氏と二人で「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン2010」を指揮する予定だったエサ=ペッカ・サロネン氏は、自身のコントロールの及ばない事情のため、急遽予定されていた一連の演奏会をキャンセルせざるを得なくなりました。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、我々が深い信頼を寄せる三人の指揮者、ジョルジュ・プレートル、フランツ・ウェルザー=メスト、アンドリス・ネルソンスの各氏が、川崎、西宮、宮崎および東京の演奏会の開催を可能にしてくださったことに心より感謝申しあげます。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 楽団長
クレメンス・ヘルスベルク


 サロネンがキャンセル。いやはや今年は最後の最後までどうなるか分かりませんが、86才のジョルジュプレートルが来日することが決まるやいなや、11月10日のチケットはプレミアムチケットとなりました。ネットでも高く売られていたり。いやはや。曲目も、ベートーヴェンの3番、英雄が入ったことで人気が出たんでしょう。その反面、割りを食ったのが、次代のホープとしてもてはやされた1978年生まれのアンドリスネルソンス。そのチケットの暴落が始まりました。仕方がないです。新世界やモーツアルトという人気曲目をいれて小澤キャンセル後にそこそこ人気がでたのですが、首都圏での演奏会がもう一回増えてしまったからです。サロネンはブルックナーやマーラーでしたから。
 11月1日、2日、5日と3回となり暴落中です。クラシック音楽の演奏会に3万円以上だして聴いてもいいやと思う人がどれくらいいるかが如実に分かりますね。大していないんです。
 
 20世紀の巨匠音楽が次々と世を去った今。実は見渡してみると、マリアカラスとの50年代からの名演が残っているプレートルや、ピアニストのチッコリーニなどフランス人には素晴らしい巨匠が残っていてくれるのですね。

2010年11月1日(月)19:00開演(18:20開場) 指揮:アンドリス・ネルソンス
モーツァルト:交響曲第33番 変ロ長調 K319
アンリ・トマジ:トロンボーン協奏曲(トロンボーン:ディートマル・キューブルベック)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 B178「新世界より」
アンコール 
ブラームス(ドヴォルザーク編):ハンガリー舞曲第20番ホ短調 第21番ホ短調


2010年11月9日(火)19:00開演 指揮:フランツウェルザーメスト
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
ブルックナー 交響曲第9番


2010年11月10日(水)19:00開演(18:20開場) 指揮:ジョルジュ・プレートル
シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D125
ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op. 55 「英雄」
※マーラー:交響曲第9番 ニ長調 から上記2曲に変更になりました
アンコール ブラームス :ハンガリー舞曲第1番 ト短調
      J.シュトラウスⅡ:トリッチ・トラッチ・ポルカ 

 

 小沢征爾が指揮するはずだったところが降板。かり出された二人の指揮者。僕はサロネンとウィーンフィルの演奏を2009年のザルツブルグ音楽祭できいている。あのときもブルックナーの交響曲6番。そしてベルグだった。ベルグがあまりにも良くて、ブルックナーの印象があまり強くない。ああ、ウィーンフィルのサウンドだよなあ〜くらい。さて、どんな演奏になるのか愉しみだ。


 モーツアルトの交響曲はこの若い指揮者が何をどうしてもびくともしない。それがウィーンフィルの伝統だ。このモーツアルトは非常に美しい。色彩感溢れるモーツアルトだった。ネルソンズはまるで若い頃の小沢征爾のように飛び跳ねるように指揮をする。決してウィーンフィルをこうしてやろうという野心はない。僕はそういう野心をもって欲しい。伝統を知らないからこそ起こせる音楽ってのが若者にはできるのだ。ドゥメダルが何で人気なのかってそこじゃないですか。自分自身の指揮者すごろくのことに興味を持つのではなく、モーツアルトやウィーンフィルと対峙して欲しかった。トマジの音楽は20世紀のフランスの作曲家なのだけれど、旋律がきちんとあって聞きやすい。トロンボーンも魅力にも溢れまた聞いてみたい曲だった。新世界は本当に美しい演奏だった。考えてみると、ウィーンはボヘミアのはずれにあるようなものだし、ウィーンフィルの音色を楽しんだ。しかしね、何か素朴さとかは感じられないんだよね。3曲とも原色で描かれた感じ。陶器の味わいって古いものにあるじゃないですか。100年前の職人によって丁寧に作られ、100年間大切に使われてきた陶器にある味わい。同じヘレンドやウェッジウッドでもそう。それがここにはない。最新の高級な陶器かもしれないけれど、そこに何かね、ないような感じがした。2010年11月1日 サントリーホール

11月9日 フランツウェルザーメストの指揮による演奏会を最初に聞いたのはいつだったか。きっと10年くらい前で、まだ20世紀の巨匠が何人か活躍している時代だったと思う。感心もせず、放ったらかしにしていた。それが、チューリッヒ歌劇場の2007年の来日公演で「椿姫」と「ばらの騎士」を振ったのをきいて、演出はヘンテコなものだったけれど、管弦楽が素晴らしく、へえ!と感心したのである。それが、今年の秋からはウィーン国立歌劇場の音楽監督だし、2011年のニューニャーコンサートのシェフも勤めるという。
 今宵聞いた音楽は大変満足のいくものだった。どこそこのホルンの響かせ方が良かったとか、弦のピッチが絶妙だったとかそういう専門的なことは分からないけれども、音楽の核心に迫ろうとしているのが良く分かった。それは、ドイツーオーストリア音楽の中心地であるウィーンの音楽の伝統に身を委ねているということでもある。2010年11月9日 サントリーホール

 そして、プレートル。ネットの記録によると前回の来日は1998年のパリ管弦楽団との演奏会らしい。それは僕もきいている。確か大宮のソニックシティ大ホールまで聞きにいったと記憶しているんだけれど、どうだったかなあ。パリ管はそれこそ1980年ごろにバレンボイムで来日したときから度々きいているんだけれども、プレートルのそれがあまりにも良くてびっくりしたことがある。氏はマリアカラスとの伝説的録音が有名でオペラ指揮者と認識されてんだよな。日本では。
 僕は見てもいないけれど、2008年と10年のニューイヤーコンサートが話題になり、今回、最後にプレートルの名前が出て来て東京中の音楽ファンは驚がくしたみたい。ネットでも高嶺がつくプレミアムチケットになった。
 パリ管との12年前の演奏会では指揮棒を細かく揺らしていたのを覚えているんだけれども、今宵はまるであのカールベームの最晩年の来日の時のようにに、指揮棒に無駄な動きは一切ない。手のひらで表情をつけたり、腕を高々と挙げ音楽の流れの極みを指示するといった。シューベルトの交響曲第2番は演奏会のために予習する為に始めてきちんと聞いたんだけれど、何てチャーミングな曲なんだろう。すっかり好きになってしまった。英雄交響曲は一生ものの演奏だった。それは、音楽の芯をがっちりつかんで揺らさないウィーンフィルの演奏だった。拡張高く過去から現在に演奏され、それが将来にも引き継がれる音楽であることを体得させる演奏だった。2010年11月10日 サントリーホール
これは事件だ!

ニコラウス・アーノンクール指揮 
ウィーンコンツェントゥスムジクス 来日演奏会


ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
オーケストラ : ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
指揮: ニコラウス・アーノンクール

サントリーホール S¥28,000 A¥23,000 B¥18,000 C¥13,000 D¥9,000
プラチナ券¥33,000

J.S.バッハ : ミサ曲 ロ短調 BWV232
     ソプラノ1: ドロテア・レッシュマン
     ソプラノ2: エリーザベト・フォン・マグヌス
     アルト: ベルナルダ・フィンク
     テノール: ミヒャエル・シャーデ
     バス: フローリアン・ベッシュ
     合唱: アーノルト・シェーンベルク合唱団
2010年10月24日 午後6時開演 NHKホール


ハイドン : オラトリオ「天地創造」
     ソプラノ: ドロテア・レッシュマン
     テノール: ミヒャエル・シャーデ
     バス: フローリアン・ベッシュ
     合唱: アーノルト・シェーンベルク合唱団
2010年10月29日 午後7時開演 サントリーホール


モーツァルト : 交響曲第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」
モーツァルト : セレナード第9番 ニ長調 K.320「ポストホルン」
2010年11月2日 午後7時開演 東京オペラシティコンサートホール




 僕が9年ほど前に、ドイツを旅行中にベルリンフィルハーモニーを現地できいたとき、指揮者がアーノンクールでした。モーツアルトの曲などをやったのかな。よく覚えていません。マチネのコンサートで名前はきいていたこの伝説の指揮者の生演奏がきけるということで喜んで出かけたのです。先ずはどんな顔のひとなのか、次の映像をごらん下さい。



スゴい顔してますよね。これがアーノンクールです。もう80才です。何十年も既存のクラシック音楽の反逆児でもありました。音楽演奏の新しい潮流を作ったひとですが、それは新奇なのではなく、原点回帰でもあります。最初にきいたとき、ききなれた古典派の音楽がどれだけ新しく聞こえたか。ローマのシステーナ礼拝堂に2006年に20年ぶりくらいに往きましたが、古い汚れがすべて洗い落とされて、見違えるようなものになっていた。同じ作品とは思えないような壁画でした。それと同じような経験が音楽でできるのです。アーノンクールは飛行機嫌いで日本に対する誤解もあり来日は何十年もありませんでした。それが、2006年に日本に来日し奇跡の演奏会と伝説となりました。もう一度来日してくれることになったのです。宣伝では最後の来日となっています。聞き逃すわけにはいきません。
 生まれて初めて、高校の時にレコードできいて衝撃を受けたハイドン「天地創造」を生演奏できけるだけでなくバッハの「ロ短調ミサ」もきくことにしました。いま予習中です。チケット代は高いですが、これは行かなくてはいけないコンサートです。






バッハ作曲 ミサ曲ロ短調
 NHK音楽祭。NHKホールの巨大な空間に宗教音楽とは似つかないものなんだけれども、満員の観客は素晴らしい音楽体験をする悦びに浸っていた。バッハの音楽が活き活きと現代に動き出し、溢れる光を放つ。ホルンの調子がちょこっと悪かったのだけれども、全体を一貫する音楽の魅力はいったいどこから来ているのだろう。他の指揮者の音楽と演奏方法や楽譜へのアプローチがどう違うのだろう。
 ほぼ10年ぶりのアーノンクールは、光り輝いていた。万雷の拍手とはこういうやつだなあ。久々に座った3階席でのコンサート。遥か遠くの演奏者を斜に構えながら聴き始めた自分を惹き込んだ81才の革命児に圧倒された。2010年10月24日 NHKホール

ハイドン作曲 天地創造
 アーノンクールの演奏するこの曲を聴いているとハイドンのそのほかの交響曲やピアノソナタなどを聴いている時には感じられないロマン派の匂いが時々してくるから不思議だ。神が天地創造をする前などは、宇宙のビックバンを感じさせる無常観溢れる演奏。アーノンクールは右手で細かくリズムを刻み、身体をくねらせてグルーブ感を盛り上げる。素晴らしい合唱に、ソリスト。僕の人生の中でこれ以上の天地創造は聴けないんだろうなあと思いつつ、生涯一回の邂逅に身を委ねた。例のロマン派は生演奏だとさらにはっきりと突き刺さるように浮き上がる。他の奏者はどうしていたのだろう。無視したのか、読み飛ばしたのか、ハイドンが意図してやったとは思っていなかったんだろうか?僕はハイドンがいなくちゃ、ベートーヴェンもモーツアルトもあそこに辿り着けなかったかもしれないと思いつつきいた。この素晴らしい演奏に、会場から盛んの拍手。しかし、高額の席に関しては6割の入り。こんな素晴らしい演奏を大量の空席で決行した主催者側にもう少し考えて頂きたいと思う。28000円のチケット代はやはり高過ぎるのだ。もう少し値ごろ感のある価格にできなかったのか。
 そして、NHK音楽祭に天地創造を持っていき、サントリーの天地創造は一回ということであれば、もう少し入ったのではないか?そう、むしろ ロ短調ミサをサントリーで2回やるほうが懸命だったような感じです。まあ、そんな下世話な話はおいておいて、素晴らしい演奏にブラボー。
 2010年10月29日。サントリーホール

 モーツアルトプロ
 前日にウィーンフィルでモーツアルトの交響曲33番を聞いていた。同じウィーンのオケなのに、どうしてこう違うんだろう。こちらのモーツアルトには音楽の、いや生きる悦びが溢れている。音は快活に活動しほら音楽ってこんなに素敵じゃないか!って話しかける。ピリオド奏法が何かは分からないが、あの音楽を奏でる為には、楽員がみんな心を併せ、同じ呼吸をしていないと、きっと難しいだろうなと思う。非常に絶妙な息の併せ方が必要なのだ。それが微妙なニュアンスで伝わる。バイオリンとチェロ、木管は違う音を奏でるのに根っこが一緒なのが分かる。そして、録音では聞こえなかった楽器の音色が聞こえてくる。どこまでも幸福な音楽の時であった。アンコールピースが終わったと同時に、もうこのアーノンクールの演奏は聴けないんだと思うと無性に寂しくなった。体調が良くなく開演の1時間半前まで辞めようと思っていたが無理した。コンサートにタクシーで乗り付けるなんて事は僕の今までの記憶ではないけれど。ああ、そうして良かった。
 2010年11月2日 東京オペラシティコンサートホール
 今年は既にカーネギーホールでのショパンプログラムもきいてるし、去年も聞いている上に、この秋はミシェルベロフやルプーなど気になるピアニストが続々来日するので、今年はパスと思っていたら、何とバッハプログラムがあるというので、またもや見参。


プログラム
ベートーヴエン ピアノソナタ 30、31、32番 2010年10月23日

J.S.バッハ : 平均律クラヴィーア曲集第1巻 BWV846~869 (全曲)11月3日(筆者病気で行けず)




 一番安いPブロックでも12000円かあ。そう思いながら久々の人民席に座ってポリーニのベートーベン。正直言うと、ベートーベンのソナタの末尾を飾る傑作について僕は聴き込んでいるわけではない。しかし、ひとつ言えることは、このベートーベンでのポリーニのそれは、もはやひとりの作曲家も調節して音楽の美しさ、響きにどこまでも身を委ねて弾いているということである。それは、非常に高次元でベートーベンというよりも、ポリーニであり、ポリーニというよりも音楽であり、音であるのだ。ピアノを叩くときのハンマー音と弦の響きが混ざり合いとても不思議な世界を創りだしていた。
 この美しさは誰にでも分かる。何だろう。モナリザのような絶対的な音楽の世界観をポリーニは確率していたのだ。数年前から僕はポリーニの現代音楽を聴いてもちっとも苦痛でも嫌でもなくなったのだが、それもポリーニマジックだからなのだと思った。もう20年を相当越えて世界のトップピアニストでいるけれども、僕の若い時にはポリーニに対抗できるピアニストがまだ何人もいた。
 ルドルフゼルキン、スヴャトラフリヒテル、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、クラウディオアラウ、エミールギレリス、僕はそういった巨匠の生演奏を聴けたことをいま本当に良かったと思っているのだ。10月23日

 3人のピアニストによるベートーヴェンのピアノソナタ32番第1楽章
 
 先ずはポリーニ


 ルドルフゼルキン


 スヴャトラフリヒテル








 かっこいい演奏だった。ヒップでポップ。グルーブ感もあって、良かったなあ。中に「硫黄島からの手紙」の曲も演奏されたんだけど1曲だけなんか趣が違っていいアクセントだった。メロディは音楽の中に溶け込み表に出て来ない。それだけに演奏者の気持や呼吸が伝わってくる。ジャズって面白いなあと思わせてくれた。僕にはとても作れない曲ばかりだった。
 2010年10月17日
 公演中止

2010年10月19日 サントリーホール

 敬愛するピアニストの9年ぶりの来日で楽しみにしていたのだが、来日していたものの急遽演奏会はすべてキャンセルされた、残念。キャンセルの発表は最初の演奏会の前日だった。


 久しぶりのジャズ、久しぶりのブルーノート。ラムゼイルイスはもう20年くらい前にニューヨークで一度生を聞いているはず。来日するたびに行こうかなと思いきや忙しかったり何なりで。
 今回のライブはドラムとべースと3人で、新作「カラーズ」のワールドプレミアを兼ねたライブ。それが素晴らしかった。季節をめぐりながら、エコロジーを考えるとあって、いろいろの表題もつけられた音楽。そして、ラムゼイルイスの音楽人生をも俯瞰するようなさまざまな音楽のジャンル。ジャズ、モダンジャズ、ヒップホップ、ブールス、ファンク。さまざまな音楽が融合しひとつの作品となっていました。ただね、表題に併せて背面にラムゼイルイスの指示で映像が流されるのですが、それがうるさくてうるさくて。音楽だけで十分です。
 すごいのは、久しぶりに1980年代のアルバムなんかもきいてみたのだけれど、音楽が進化、いや深化しているんですね。素晴らしいライブでまた、ジャズもちょこちょこ行こうかなと思った次第。

 ブルーノート東京 9月29日



マリスヤンソンス指揮
ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団

 次代の巨匠ナンバーワン候補ま間違いなくヤンソンスである。



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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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