佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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ユーリー・テミルカーノフ指揮
サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団
2011年10月31日 チャイコフスキー/交響曲第5番 プロコフィエフ/ロミオとジュリエット組曲
2011年11月1日 ロッシーニ/セヴィリアの理髪師序曲 メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ストラヴィンスキー/春の祭典
2011年11月12日 ラフマニノフ/交響曲第2番 チャイコフスキー/交響曲第4番

今年の秋のクラシック音楽シーン。ベルリンフィル、ウィーンフィルと来日も注目されているが、私が密かに最高に注目しているのが、このロシアの古豪。


「とうとう聞いた。サンクトペテルブルグフィル」
 チャイコフスキーの5番はとてつもなくゆっくりとしたテンポで始まった。速いテンポで一気に全曲を駆け抜けるカラヤンの演奏とは真逆の演奏だ。かといってゲルギレフのように脂ぎった演奏でもない。ロマンチックだしメロディをきちんと唄う。プーシキンやチェホフの戯曲を読んでいるような気がした。それは、プロコフィエフにもいえて、僕はこのオーケストラがレニングラードフィルと呼ばれていた頃の演奏を一度も聞いていないのがやはり残念に思えた。ムラビンスキーは80年代にも来日公演が予定されチケットまで手に入れたのだが、来日中止となってそのまま亡くなってしまった。ソビエトのオーケストラは何度もきいたし、ロシアのオーケストラもオペラもきいてきたけれど、何かね残念。このオーケストラの変化を体感したかったなあ。
 テミルカーノフがレニングラードフィルの第二オーケストラの首席だったとか、いろんな歴史があったのを知ったのも今宵のパンフだったんだけれども、僕がこの指揮者の演奏をきいたのは、何の予備知識もなく、ただニューヨークで、ニューヨークフィルのラッシュコンサートで1時間の演奏会(演奏会後に隣のメトロポリタンオペラも聴けるので、ね)で「春の祭典」を聞いて、わあ、いい指揮者だなあと思ってから。その後、読売日本交響楽団で聞いたのだけれども。その時も良くて。いつかちゃんと聞きたいと思いながらも来日のたびに、他の用事でまったくきけていなかった。5年以上もの片思いがやっと適った。今宵のテミルカーノフは他のオケと違ってすごくリラックスして演奏していたような気がした。
 こうして、初サンクトペテルブルグフィルは、東京文化会館の残響が決して長くない実力が手に取るように分かるホールで聞いたのだった。
2011年10月31日 東京文化会館大ホール

「ポップな曲だった。むしろ、ロックン春の祭典」
 「セヴィリアの理髪師」序曲は凡庸だった。というより集中力もなくふわっと聞いてしまった。「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」はもちろんオケは悪くないのだが、もう庄司紗矢香の伴奏してるっていうのは言い過ぎだけれど、スゲー音だなあとか感じることはなかった。じゃあ庄司さんの独奏はどうだったか。一楽章は線が細いなあと思ったけれど、2楽章から細やかに唄う。それが3楽章の爆発を呼び起こして、お上手と思った。東洋人ソリストブームだから、ミドリに続いてサヤカも世界中で売れるのだろうか。真っ赤なロングドレスを着た女性は150センチ台で、年齢上に若く見える。廻りの客席で可愛い可愛いとオペラグラスで観るお客樣方。それは、オケのメンバーの暖かいまなざしにも共通するものを感じたな。好かれるってのは強いものだ。好かれるために見栄えってのも大切なんだ。分かってるけどね。
 僕の今宵のメインは「春の祭典」。
 しばらく「春の祭典」思いで話が続くので飛ばして下さい。
 初めて外国で聞いた曲が今から25年以上前のサンフランシスコ交響楽団の定期演奏会でシャルルデュトワ。テミルカーノフを最初に聞いたのも上述したようにニューヨークでのこの曲。この曲はジェケ買いしたのだよね。高校に入って俄然クラシック音楽を聴くようになって、学校の帰り道。荻窪駅の線路沿いに月光社という中古レコード屋があって、お金はないけどとにかく数が欲しい僕は頻繁に利用させてもらったのだ。中古レコード屋は出会いの世界だから日参した。そこで、出会ったのがピーエルブレーズの「春の祭典」と「ペトルーシュカ」、クリーブランド管のレコード。カップリングで2曲聞けてお得。その上、ジャケットがカッコ良かった。レコード選びのときに参考にしていた志鳥さんのクラシックレコード案内本でも推薦してた。ということで購入。買ってみてぶったまげた。何だこの曲は!!!!甘ったるい曲も多いクラシック音楽の中で現代の薫りプンプン。っていうか聞いてて心地よいとこってないじゃん。くらいの衝撃だった。
 高校が中野富士見町にある都立富士高校。地下鉄丸の内線の2つ先には方南町があり、そこに立正佼成会の普門館っていう講堂みたいなホールがあって、当時はクラシック音楽の公演が時々行われた。カラヤン/ベルリンフィルも使ったし、僕が最初に最初にきいた外来オケのコンサート。ボストン交響楽団/小澤征爾/ルドルフゼルキンもここだった。で、高校のときに当時のメディアの寵児でもあった、大家政子さんが、パリオペラ座バレエのチケットを配ってくれたんだ(そのかわし、パリオペラ座のパレエが始まる前になぜか大家政子さんが幕が上がる前の舞台に出て来て何かしゃべってた。今じゃ考えられんわ)。それで「ジゼル」を見た。ポントワがまだ踊っていたはず。その時かその次の来日かで、見ちゃったんだよな。ベジャールの「春の祭典」。面白かったなあ。というのも、コリンヂヴィス指揮アムステルダムコンセルトヘボウ管の「春の祭典」が物凄く話題になっていて、そのジャケ写真がベジャールのバレエの1シーンだったんだよね。で、見たくなったわけ。
 それだけじゃなく、高校3年のときの体育祭の時に、学年対抗の応援合戦をするんだけど、その演出をまかされちゃってさ。なぜか。八岐大蛇に立ち向かう古代日本人の若者っていうのにしたんだけど。まあ、自分でおろちの頭をやって。立ち向かう古代日本人の若者の振付けを自分でやったんだよ。そのときに使った音楽もなぜか「春の祭典」。というわけで、「春の祭典」はなぜか縁があるんだよね。

 で、今宵の演奏なんだけど、おったまげた。というのも、スコアを見てもらうと分かるんだけど、この曲は変拍子とか、転調とか、まあ、リズムの取り方が難しいのであります。それじゃなくても通常の曲よりも大編成のオーケストラで演奏されるし、トロンボーン、サックスを始めとして通常のオーケストラ曲にはない管楽器なども多いので、先ずは拍子をきちんと合わせて演奏するのが大変なはずなんですよ。
 指揮者は細かくリズムを刻み、きっかけを出す。あのイスラエルフィル/ズービンメータで聞いたときも動く動く動く。先年聞いたデュトワ/フィルハーモニア管弦楽団、それは、モントリオール交響楽団の来日でもそうだったけれど、細かく指示するんだよね。見事な演奏でも、合わせてる感がスゴくあるんですよ。
 ところがね、今宵のはそうじゃないんですな。ライブ!これこそライブ!って感じでさ。テミルカーノフはあんまし細かく指示をださない。それよりは曲の根底に流れる変化や流れに指示をだすくらいでさ。それはオケのメンバーが曲もメロディもリズムも身体に染み付いている感があった。ピッチも息もぴたーっとあってて、いや実は1カ所だけ崩れそうになったところはあるが…、いや、思い切りリスクを取って演奏している感じなんだ。ストラヴィンスキーのスコアが変拍子だからでなく、各奏者がそういう風に演奏したかっただけ!みたいな、いま音楽が生まれてるっていうか。
 合わせてるのではなく、各パートが好き勝手に演奏してみたら、たまたまこんなに上手く行っちゃったよみたいなライブ感があるんです。時にテミルカーノフはドライブを掛けにいったりするんだけど、それが小気味いいんだよなあ。オケがぎりぎりのとこに追いやられていくのが分かる。集中力が物凄く高まる。だからもっと合う。全ての音は必然性があって生み出されている。だから、変拍子にも、不協和音にも聞こえない。ジャジーでロックな魂にあふれた「春の祭典」だった。自分は本当にお行儀のいい優等生の「春の祭典」ばかりを聞いて来たんだなあと。いやあ、面白かった。これ一生忘れられないよ。
2011年11月1日  サントリーホール


「豊麗なサウンドの饗宴…でもちょい飽きた」
 初めての文京シビックホール。地下鉄の出口直結で大変便利。そして、ホールの容積がものすごく大きい。音が豊麗になる。内装もシックでとても気に入った。でも東京はいいホールが多すぎる。維持費だけで幾らかかるんだろうと思う。
 さて、秋のテミルカーノフ祭りの大団円である。ラフマニノフは、1時間のこの長大な交響曲を豊かな音量でたっぷり唄ってみせた。ちょっとどきつい仏蘭西料理のような味である。いやロシア料理か。弦のアンサンブルがぴしっと合うのは気持ちいいし、音楽性も似ているか。誰にでも分かりやすい、どこまでも豊麗なサウンド。
 それはチャイコフスキーでも同じで、5番と同じようにゆっくり目なテンポで始まるが途中でメリハリ聞かせて早いテンポになったりね。豊かだなあ。それに、きっとこのサウンドはドイツやフランスの、もちろん日本のオケにも出せない何かがある。
 サンクトペテルブルグフィルを今回3回聞けたのは嬉しかったのだが、豊かなサウンドにちょっと飽きた。嫌いじゃないのに、2週間に3回はあれだって。贅沢だなオレ。2011年11月12日 文京シビックホール
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作演出 ケラリーノサンドロヴィッチ
出演 みのすけ 温水洋一 三宅弘城 ほか


「ふわっと思い出した初演のこと」
 2時間45分の長尺ものなのに、俳優さんたちは一瞬の隙もなく見事に演じきる。再演もので出演者もほとんど同じということで10年前はどんなだったんだろう。比較してみたくなった作品。ケラさんが純文学ロシアものとかに行く前の作品でありんす。10年前にきいたメインタイトルの主題歌や劇中歌「泳げたいやき君」とか音楽でふわっと思い出すのが不思議。音楽の力ってスゴいな。
2011年11月13日 本多劇場
泉鏡花 作
白井晃 演出
出演 篠井英介 奥村佳恵 平岡祐太 坂本健児 小林勝也 田根楽子 江波杏子 ほか 


 モダンな感覚で見事につくりあげた美しい日本美に溢れる名舞台

 美しい、ひたすら美しい。そして豪華でモダンな見事な舞台だ。
 篠井英介はダイレクトメールの挨拶文の中で富姫を演じるのはこれが最後になるだろうと書いていた。この泉鏡花の作品でも幽玄な世界を中心に取り入れた作品で不思議な作品だ。新国立劇場中劇場の奥行きと舞台機構を徹底的に使った見事な美術である。それもモダンなのに日本的な美しさに溢れていて、僕は何か日本の歴史の中に、日本のさまざまな工業プロダクツの美がその歴史の中にあることをすごく実感した。衣装も美しく、近代日本洋画家の美感が出ていた感じがした。音楽は録音か?生演奏がいいなあ。
 篠井英介は例によって見事。玉三郎のそれとは違うのだが、自らの富姫を堂々とプレゼンテーションする。江波杏子はすすき役である。この幽玄の世界を取り仕切る役柄に彼女はベストキャストだろう。田根楽子、小林勝也の存在感と演技力もこの世界を高めていく。驚いたのは坂本健児の朱の盤坊で迫力もあり、見事な身のこなしで、LIONキング坂本の能や狂言も見てみたいと思ったくらいだ。アンサンブルも見事でつまり細かいところまで行き届いた見事な舞台なのだ。殺陣も決まるしなあ。
 で、最も驚いたのは平岡裕太が良かったこと。ジュノンスーパーボーイだから姿はいいのは当たり前だが、この泉鏡花の台詞を見事にものにしていた。すげえなあ。

 日本の舞台芸術の水準を底上げする美しい見事な舞台だ。こういう舞台こそ、新国立劇場で税金を使ってやるべき作品で、納税者としても納得のいく見事な作品だった。 

2011年11月9日 新国立劇場中劇場
作/岸田國士 演出/西川信廣
『明日は天気』大原康裕 浅野雅博 藤側宏大 片渕 忍 ほか
『驟雨』本山可久子 石井麗子 名越志保 若松泰弘
『秘密の代償』菅生隆之 斉藤祐一 塩田朋子 渋谷はるか



「秘密の代償」に客席は多いに湧いた!
 休憩を入れて2時間半。金はかけているがシンプルなスタイリッシュな美術であるが、そこには日本の和を感じさせるもの。奥にはクリムトの接吻をモチーフにした絵画の断片も。残念ながら会場からいびきが聞こえた。ひとつではない。幾つも。文学座にしては散漫な感じがしたのも事実。そして、舞台がシンプルだけでなく空間を役者が作らなくてはならない。着物はきちんと着ているように見えるが、例えば、歩き方ひとつでその人物にならなくてはならないし、今回の芝居はすべてに階級がある人間関係(主人と手伝い、泊まり客と仲居といったように)であるので、そこに何らかの空気がなくてはならない。もちろん、それを意識して壊してしまうというのもあるのだけれど、何人かの出演者にそういう意識の低さを感じさせた人もいた。
 小津映画などを見てしまっているのでそういうところをスゴく感じた。
作品としては休憩後の「秘密の代償」に客席が沸いた。みんなエロとか嫉妬とかが好きなんだなと思った。「フィガロの結婚」のような話で面白い。菅生さんは重厚なのにユーモラスな年配の男を見事に演じ、塩田さんは美しい所作を持ちながら、それを上手く壊したり、笑いにつなげたりとお見事。若い渋谷も見事。斉藤は芝居は上手いのだが、若く見えないのが残念。イメージでは幾つの設定なんだろう。20才くらいじゃないのか?

2011年11月7日 紀伊国屋サザンシアター
野良猫連盟 第2回公演 雨と血、そしてささやかな祈り
作・演出 小金井篤  
出演  嚴樫佑介 内田斉一郎 小金井篤 宍戸裕美 渋谷恭子 月野原りん 奈良京蔵 矢田部美良

「小金井篤は、きちんとした手腕の持ち主である。」
 燐光群に長く在籍した小金井らしいしっとりとした作品だった。限られた手札の中で作品としてきちんと作り上げる手腕は高くしていいのではないかと思う。戸惑いが残っていたのか、もっとさらっと終わった方が効果的だったのではと思うところもあったけれども。嚴樫佑介は燐光群時代の演技には見せなかったところも披露し面白かった。

2011年10月28日 SPACE雑遊
 真の巨匠、最後の巨匠級ピアニスト。アルドチッコリーニ(85歳)が来日してくれる。佐藤治彦にだまされたと思って是非出かけてみて下さい。クラシック音楽をきいたことのない人でも、その深い感動に衝撃を受けるはずです。このお歳です。まもなく永遠に聞けなくなってしまいます。


トーマス・カルブ[指揮]
新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽]
曲目 モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
          ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
10月27日






「この演奏は幸福感と辛さが入り交じったものだった?」
 モーツアルトの20番コンチェルト。第一楽章はミスタッチが多かった。それはどうでもいい。しかし、オケと微妙にずれていくのはとても残念だった。きっと長いパッセージでの着地の時の微妙なずれが後に響いていくのだと思う。チッコリーニはテンポを微妙に変えることも影響しているのかもしれない。時にテンポにギアを入れるとオケが遅れてしまうのだ。2楽章は淡々と主題を初めてチッコリーニの良さが大変出ていた楽章だと思う。しかし、ここでもテンポの揺れがオケとの微妙なすきま風を感じさせてしまう。チッコリーニのピアノだけ聞いていれば、珠玉の音なのだけれども、協奏曲とすると残念ながら傷ものだ。3楽章は幾分良くなったが、一番聞いていていいのは、各楽章のカデンツアだ。チッコリーニの音だけが響いている時がちゃんと世界として完結しているのだ。
 23番のコンチェルトはずっと良かった。特に2楽章は枯れた味わいが本当に良かった。しかし、今宵の演奏で一番良かったなあと思ったのはアンコールだ。
 スカルラッティのソナタホ長調K380をやってくれたのだが、それはそれは幸福な時間だった。チッコリーニのリサイタル。他の予定をどうしても変更できず行けそうにもない。とても残念だ。きっとリサイタルの方が格段に聞いていていいはずだ。それは、ソロである限り、チッコリーニの世界がそこで完結されるからだ。




2011年10月27日 すみだトリフォニーホール
バナナ学園純情乙女組


 「公的資金に頼らないでやるのなら僕はいいと思う。」
約50分の間、約50人の男女が踊り続けるという作品。客は全員がカッパを着る。それは、大量の水が客席にばらまかれる。物も飛んでくるからだ。嫌だったのは男子が口ぶ含んだ水を大量に何回も客席に向かって、その飛沫を掛けること。通路側に座った自分を恨んだ。阿鼻叫喚の世界とはこのことか。前に一度、招待で見せてもらったことがあり、今回はお金を払ってみてこの劇団についての自分の思いを決めたいし、僕の芝居に出てくれた女優や、出てくれる男優が出ていたから、でかけた。平日マチネで時間もあっていた。
 芝居ではないし、レビューでもない。新ジャンルではないが見せ物として「これはあり」だと思う。劇バカの今人さんのようなちゃんとした(30代?)ダンサーも楽しそうに暴れていたのが面白いし、若い俳優で面白そうな人は何人もいた。が、ちゃんとした台詞も見せ場もないので分からない。何しろ出演者全員が絶頂シーン続きで大変なのだ。息を切らして頑張っているのだ。そこにウソはない。だから、僕は嫌いではないが、これだけ好き勝手にやるのなら、公的資金を使わないでやって欲しい。もちろん自分で頑張ってスポンサーを見つけてやるのはいいのだが、何か、好き勝手、だけど、公的なものに頼るってのが違うと思う。そういう種類のものだ。
 それから、口に含んだ水を飛沫にするのは生理的に耐えられない。人づてに聞いたら、この劇団では良くあるらしい。そうか、それは辛くてもう無理だな。そう思ったわけである。2011年10月26日 池袋BIGTREETHEATER

Aプロ
ブラームス / ドイツ・レクイエム 作品45
指揮|アンドレ・プレヴィン
ソプラノ|中嶋彰子
バリトン|デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン
合唱|二期会合唱団
2011年10月15日 NHKホール
 「プレヴィンを聴く至福」
 プレヴィンはブラームスをくすんだ音に閉じ込めない。レクイエムであってもひとつひとつの音が明瞭で音楽本来の美しさを追求する。そして、それが静謐な音の中で繰り広げられる。二期会の合唱も、ジョンソンらの独唱も素晴らしい水準で、暖かく迫力もありお見事。前にきいたサバリッシュ指揮のフィラディルフィアやバイエルンの演奏よりも心に残る。プレヴィンは昨年は自ら歩いたが今回は歩行器での登場、20センチくらいの指揮台に登るのも大変そうだし、着席での指揮。指揮棒は時おり止まったように見え、若干の戸惑いがオケの中に広がるかとも思えたけれども。破綻はまったくないままだった。プレヴィンとNHK交響楽団との至福な演奏を楽しみたい。

Cプロ
メシアン / トゥランガリラ交響曲
指揮|アンドレ・プレヴィン
ピアノ|児玉 桃
オンド・マルトノ|原田 節

「20世紀の名曲の魅力を明らかにしたプレヴィン」
 日本での初演は50年ほど前でNHK交響楽団だった。プレヴィンがこのオーケストラとの共演を望んだ20世紀の名作は、つい先年に東フィル/チョンミンフンで大いに楽しんだが、この日はさらに深くダイナミズムと何よりも音の美しさに酔いしれた幸せな時間となった。僕はまるで後期ロマン派の曲を聴くときのような陶酔感に浸った。僕は1階のR側の席からきいてピアノの影にプレヴィンの指揮はほとんど見えなかったが、先週のドイツレクイエムと同じように、いやそれ以上にNHK交響楽団はこの老巨匠が晩年になって到達した世界に向き合っていた。そして、僕は思った。この曲は、きっとモーツアルトやラベルと同じように100年後も200年後も演奏される名曲なんだと思った。メシアンは音楽史に残る人なのだ。
2011年10月22日 NHKホール

Bプロ
ショスタコーヴィチ / ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77
モーツァルト / 交響曲 第36番 ハ長調 K.425「リンツ」
R. シュトラウス / 歌劇「ばらの騎士」組曲
指揮|アンドレ・プレヴィン
ヴァイオリン|チェ・イェウン
「極上のピアニシモ、最高のモデラート」
 今日のプレヴィン氏の体調はどうだろう。やはり10センチ強の指揮台に上がり下りするのに1分ほどかかる。椅子に座るのは良しとして、中央に真っすぐにすわれない。何か哀しい事を想像してしまう。もしかしたら、プレヴィンとN響を聴く最後の機会かもしれないと。
 1局目のショスタコーヴィッチはソロのチェイェウンの超絶技とダイナミズムに応えオケも若々しく鋭敏な音を発散させた。プレヴィンの醸し出す音楽は衰えていないのだ。そして、「リンツ」と「ばら」。プレヴィンの音楽の魅力のひとつはピアニシモで弦楽合奏をさせること。微妙なトーン、色合いの返歌を彼らに求めること。これはすなわち一流の演奏者がその耳でじっくりと他者の音を聞く事になる。大きな音の中に自らの音を紛れ込ませる事ができない。最新のデリケートな演奏を求めるのだ。その品のいいこと。これは早すぎず、遅すぎず、モデラートな演奏の魅力。これこそまさに王道だ。リンツを聞いていて思い出したのは、僕が高校生のときにきいたブルーノワルターのレコードだ。カラヤンの壮麗さも、ベームの頑強さも受け付けなかった僕が巡り会ったのが、ブルーノワルターの晩年の録音だ。
 せっかく音楽を聴くのなら最低限の音質の良さが欲しい。ブルーノワルターは20世紀の3大指揮者である、フルトヴェングラー、トスカニーニと並んで称される巨匠で、唯一ステレオ録音をした人である。CBSレコードが1950年代の終わりに普及し始めたステレオ録音で高齢のブルーノワルターにレパートリーを録音しましょうと。西海岸にいたワルターのためにハリウッドの映画の伴奏なんかもする人達を集めてワルターの録音の為だけのオケを創設。それがコロンビア交響楽団。そこに録音したモーツアルトやシューベルト、ベートーベン、そしてマーラーの演奏は不朽の録音として愛されている。そして僕もそのひとりだ。例えば田園交響曲を、モーツアルトのシンフォニーを誰かに誰の演奏で聞くのがいいと思う?と聞かれたら迷わずワルターと応える。それは、決して派手でも個性が強いわけでもなく中庸の暖かい演奏をしている。そこに通じるものがプレヴィンにはあるのだ。何か根っこがね、ワルターと共通するような思いがした。
 「ばら」は大抵、あの壮麗な管弦楽のスコアに指揮者もオケも酔って演奏する。それは、エロスの色合いが物凄く濃いわけで、それはそれで聞いていて気持ちいいものだ。しかし、今宵のプレヴィンのそれは、もっと繊細でもっと哀しい音楽だった。元帥夫人がきっと感じているであろう、時代と人生の移ろい行く思い、終わりの始まりを自覚する哀しみの側面が物凄く表現されていたと思うのだ。
 それは、決してフレージングでクレッシェンドもデミニエンドも強烈でなく、モデラートな振り幅の中で揺れ動く繊細な「ばらの騎士」だった。何と言う品格。なんというセンスの良さ。
 アンドレプレヴィン、あなたはミスターミュージックだ!
 どうか、奇跡よ起きて欲しい。また来年の秋に、僕が一年いろんな音楽をきいてあなたの音楽の素晴らしさをもっと分かった段階で、またあなたの音楽に触れたい。
 20代の終わりにあなたのドボルザークやシュトラウス、モーツアルトをロンドンのロイヤルアルバートホールでウィーンフィルと聞いた時、へえ、映画音楽の人がきちんと音楽やるんだ〜くらいにしか感じられなかった。ウィーンフィルだから聞きにいっただけの観客でした。それから、何十年も経って、あなたは僕の傍に来てNHK交響楽団と演奏を聴かせてくれた。でももっともっと聞きたい。どうか、どうか、奇跡よ起きろ。来年も再来年もプレヴィンさんをNHK交響楽団が迎えて素晴らしいコンサートを開いてくれますように。
 

2011年10月26日 サントリーホール



実券チケット購入していたのだが、披露のため行かず。
「次なる展開を大いに期待」
 ゴジゲンは第6回公演「チェリーボーイ・ゴッドガール」第7回公演「ハッピーエンドクラッシャー」チケットは買って吉祥寺シアターで遠いなあと行かなかった前回を挟んで3回目。2枚チケットを買っていて上記のように行かなかったのだが、結局行く事に。辻修や村上航という名う手の出演者を得て松居ワールドはどうなるのかなと思っていたら、あまり変わらなかった。何しろ設定が「チェリー…」の時と同じく、なぜか集って過ごしているモテない男がひとりのそこそこ可愛い女を部屋から覗いているというかストーカーしているという設定が同じだったからだ。
 もちろん辻修といった役者を得ているのだが、どうもそれは松居の仕掛けではなく、出演者のアイデアによるものだろう。松居ワールドはエチュードで作られる部分も非常に大きいからだ。社団法人日本劇団協議会の制作で作られた今回の芝居。どこもかしこも金も人も無くて困っている中で20代でこれだけの演劇環境を与えてもらった松居さんが次にどのような展開をしてくれるのかを大いに楽しみにしている。
 しかし、辻修ってのは面白い役者だ。改めて思った。
2011年10月20日(平日マチネ)@下北沢駅前劇場



2011年10月9日下北沢駅前劇場
クリストフエッシェンバッハ指揮

2011年10月12日
シューマン作曲 ピアノ協奏曲 独奏ランラン
ブルックナー作曲 交響曲第4番「ロマンチック」
@みなとみらい大ホール

アンコール 
ランラン リスト/コンソレーション2番 ショパン/エチュード作品25−2
オーケストラ ヨハンシュトラウス/美しき青きドナウ

2011年10月19日
ブラームス作曲 悲劇的序曲
シューベルト作曲 交響曲第7番「未完成」
マーラー作曲 「少年の魔法の角笛」から
バリトン;マティアスゲルネ
@サントリーホール

アンコール
マーラー『少年の魔法の角笛』から「不幸なときのなぐさめ」
J.シュトラウスⅡ ワルツ『美しく青きドナウ』 op.314
J.シュトラウスⅡ ポルカ『雷鳴と稲妻』

 

「エッシェンバッハの魅力を再発見」
 ウィーンフィルの来日公演も震災、いや原発問題は大きな影響を与えている。ウィーンフィルのメンバーのことも詳しい人は、既に引退した人なども総動員して今回の来日公演を行った事を記している。それだけに、今回の来日はウィーンフィルの中でも今の日本の現状をふまえて是非来日したいという人だけで構成されていたということを先ずは記しておきたい。今回は2回の演奏会にいった。昨年の来日の後でエッシェンバッハと発表された時には正直がっかりしたものだ。エッシェンバッハの演奏は数年前にパリ管弦楽団との来日で久しぶりに聴いたのだが何の印象も残っていない。僕はエッシェンバッハではなく、マティアスゲルネのマーラー、そして、ウィーンフィルのブルックナー4番が聴きたくて出かけたのだ。
 12日の演奏では、ランランのますます冴え渡るあっけら感としたスケールの大きさに若さを感じたものだ。リストの世界にそのまま身を預けているのは分かるのだが現代の演奏として何を彼が考えているのか分からない。華麗な音楽のエロスを感じる以外に何もなかった。若いころのキーシンと比べてみたが、何か彼にはね、深みというか暗さが若い頃からあった。まあリストのピアノ協奏曲自体はそれほど演奏回数も多くないので良かったんだけれど。さて、ブルックナー4番。エッシェンバッハはテンポを遅めに取る。現代の演奏らしく一音一音大切にしながら進めていくのだが、曲の中に起きる変化の部分は特に慎重にことを進める。面白い。
 それは、未完成交響曲でも同じで、僕はこの曲をウィーンフィルとは1988年のシーズンにカーネギーホールでカラヤン指揮のそれで聴いて、それが特に印象に残っていた。ムーティの来日では聴いたのかな?忘れてしまった。いづれにせよ、今宵のエッシェンバッハのそれはとても印象に残った。極めて遅いテンポで進めるし、緊張感はピアニシモのときから極限となり、それがクレッシェンドになったりすると、解き放たれ感は極限となる。それは聴衆にも圧倒的に伝わってくる。各声部の唄わせ方は極めて丁寧で好感を持った。
 ゲルネとのマーラーも名演で、ここではエッシェンバッハは自らを主張するというよりもゲルネに相当合わせて演奏していように思う。ゲルネの声は、フィッシャーディスカウの知性とヘルマンプライの明るさと、いいところを持ちあわせている感じでじっくりと浸る事ができた。
 2つの交響曲を中心にエッシェンバッハの知性と美感を再発見する印象深い演奏会だった。そして、今回のウィーンフィルの演奏はいつにもなく緊張感を持った演奏会で、震災と原発でどん詰まりのわが国の聴衆を大いに慰めてくれたと思う。アンコールのウィンナワルツも含めて心から感銘を受けた演奏会だった。来年も来てくれるのかな。
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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