佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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さいたまネクスト・シアター第3回公演
『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』
演出 蜷川幸雄


「蜷川カンパニーの底力」
 ああ、ものすごかった。ああ、面白かった。ここまで無名の俳優を使って、シェイクスピアのハムレットを3時間半。本当に飽きもせず面白く見せてくれた。正直申し上げると20年くらい前に観た蜷川さんの演出で真田広之主演の「ハムレット」@銀座セゾン劇場より数段面白かった。美術はお金はかかっているけれどもシンプルで本質的。基本は素舞台、奥の深い空間を使って物語の空気を一瞬にして作っていく。スピート感のある演出なのだ。
 蜷川さんは無名の役者をハムレットという聖書のようなテキストに立ち向かえという。逃げられない空間に放り出す。何しろ三方をローマの劇場のように階段状に客が囲み見下ろしている。そこで、若い無名の俳優は高みと勝負しなくてはならない。
 マジにローマ帝国時代の競技場で猛獣と戦わなくてはならない連中のようだ。

 今回の最大の収穫は蜷川演出に常に思って来た側面を否定できたこと。それは…前にある著名な世界的な外国人演出家(トニー賞もオリビエ賞も受賞)と話した時に「蜷川の作品はビジュアルばかりの演出で…」と悪口を言われた。確かに蜷川演出の特徴として言われることが幕開けのインパクトある演出だ。気になっていた。
 先日みた「下谷万年町物語」でもそうだった。
 しかし、今日の作品の感動の源泉はビジュアルではない。もちろん美術、衣装、照明、音響など素晴らしいが、素舞台に立つ役者の作り上げる空気、人間関係、台詞で構成されたものであることは確かだ。
 この恐ろしい空間で戦った俳優。特にハムレットをやった川口覚、ガートルードの深谷美歩など、こちらの期待を遥かに上回る演技をみせた俳優もいた。特に川口は、他の役者が最初からいわゆるシェイクスピアの台詞廻し、テンションも声量も分かりやすい最高潮のところで芝居を始めている中、ひとりだけ深いところでテンションを高め、感情のコントロールが見事。そこで始めたからハムレットの狂気がストレートに伝わる。イマイチの役者もいたが、蜷川演出のマジックにかかったのか、決して嫌ではなかった。でも自分の実力なんかと思うなよと申し上げたい。
 最後に、こまどり姉妹の起用は成功であるが、若い世代にはなかなか分からないだろうと思った。もちろん彼女らの唄う歌の歌詞をじっくり聞いてくれれば言わんとすることは伝わるはずなのだが。
 とにかくこの芝居を4000円で見せてくれたことには感謝。今後楽しみな役者の事実上の初舞台を観られたことも良かった。
 出演者の方へ。ここで育った役者は速く売れて、それでも埼玉県に住み続けて住民税など埼玉県にガンガン地方税を払って欲しい。税金でこのような素晴らしい環境を作ってくれ、あなたたちを俳優として生みだしてくれた故郷に恩返しをしてください。2012年2月25日 @彩の国さいたま芸術劇場
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作/井上ひさし 演出/鵜山仁

「多少のことでは、びくともしない井上戯曲」
 この戯曲のことは大半忘れていたが印象だけは鮮烈だった。85年頃に市原悦子が初演して大評判を取り、翌年の再演のチケットを取って観に行ってすっかり井上戯曲のファンになったことをよく覚えている。市原悦子に会いすぎて、さて大丈夫かなと思って見にいった。
 高畑淳子の中村梅子はモダンすぎてちっとも旅回りの役者には見えないし、台詞廻しや仕草がやり過ぎで冒頭からひいてしまった。もっというと吹雪の中の芝居かもしれないが、吹雪がスゴすぎて、冒頭のレコードの楽曲が耳にはいってこない鵜山演出にもおやおやと思った。高畑さんの演技がでかすぎるので、他の出演者の演技もでかい。僕は最後列に近いところで見ているのにでかいと思うのだから、さてこれ失敗なのかなと思ってみていた。正直、冒頭は役者の台詞がかみ合っていない印象も受けた。しかし、村田雄浩の元国鉄のオカマの俳優が、観客を和ませていき井上戯曲の世界に引きづり込んだ。すると、山田まりやや宇宙らの、しつこいほど土下座で頭を下げるのも気にならなくなって来たから不思議だ。
 キムラ緑子、そして、元ずうとるびだが、今や演技派の俳優としてすっかり評価を固めた新井康弘、ベテラン金内喜久夫、ミュージカルくささを全く感じさせない清新な演技を披露した今拓哉などが一幕後半位から見事に融合し始めた。
 正直いうと最後まで昭和の終戦直後の旅回り一座の空気は最後まで感じられなかった。食うものにも困っている悲壮感もなかった。けれども、この芝居、やっぱり面白かった。その理由を考えた。で、僕の今のところの答えは、腕のある役者が揃えば、時代の流れとか、多少のあれこれでは、びくともしない強固な土台の台本なのである。井上戯曲、さすがである。2012年2月23日@紀伊国屋サザンシアター
ブラック・スワン Black Swan
監督 ダーレン・アロノフスキー
脚本 マーク・ヘイマン/アンドレス・ハインツ/ジョン・J・マクローリン
原案 アンドレス・ハインツ
出演者 ナタリー・ポートマン ヴァンサン・カッセル ミラ・キュニス
音楽 クリント・マンセル 撮影 マシュー・リバティーク



「召し上がれ、ナタリーポートマンの名演技、そして美」
 なるほど、大人気を採ったのが良くわかる。ナタリーポートマンの演技はものすごい。きっと彼女もこの映画の主役ニナのようにこの役に没頭していたのだろう。
 僕も恥ずかしながら演じるということをする。この映画のナタリーポートマンのようでなくても、役に没入してその役と同化する瞬間を感じられたとき、人から褒められる演技をしているものなのだ。ただ、演じるときには役に同化している自分をどこか遠くの自分が見ているものだと思う。
 例えば、この映画をみたのと同時期であれば、ボリショイのアレクサンドロワの踊りに共鳴してしまうのは、多くのダンサーが立っている舞台の中でこのポートマンと同じような部分を一番感じられるのが彼女だったりするからだ。
 そういう意味で、演じるということ、アーチストであることは、ある意味、狂人になのかもしれない。自分を追い込んで高みへと登っていくのは本当に心身ともに大変なことなのだ。だから、追い込むことに快感を覚えるくらいでないと身体も心も持たない。そういう意味でMでないとやっていけないのかもしれないね。いや、SとMの要素がなくてはダメなのかもしれないです。この映画は歴史に残る名作でしょう。ただ、自分の好きな映画ではないです。2012年2月22日 DVD
指揮|ジャナンドレア・ノセダ
チェロ|エンリコ・ディンド

ショスタコーヴィチ / チェロ協奏曲 第2番 作品126
ラフマニノフ / 交響曲 第3番 イ短調 作品44

「至福の一夜。N響頂点時代を満喫」
 ノセダは、オペラの来日公演の時に指揮者として聞いている。今までもN響の定期の指揮者に招かれることはあった。しかし、わざわざ聞かなくてもいいやと思ってパスすることが多かった。しかし、昨年、尾高さん、アシュケナージをきいたことや、ここのところのN響の驚異的な演奏をきいて、できるだけ何でも聞いてやろうと思っていた。例えば、今宵のショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲2番。20年以上前に1番の協奏曲をロストロポーヴィッチと小澤征爾/新日本フィルで聞いて、面白いなあと思ったけれども、その後、いろんなチェリストで聞いても何かつまらなかった。ましてや2番は…という曲だった。
 ところが、二人のイタリア人は、この音楽から僕でも分かる様に楽想をプレゼンテーションしてくれた。豊かな音楽がそこにはあった。特に不安定な状況をチェロの豊かなメロディで何回も締めくくる感じが、1楽章の終わりの弱音のホルンの魅力、管楽器の砲悦的なアンサンブル…。なるほどなるほどと感じながら聞き入った。ディンドは一つのフレージングの中にある音階の魅力とリズムの魅力を丁寧に情感込めて演奏するから聞く側の集中力がキレない。
 アンコールのバッハの無伴奏ソナタの  も素晴らしかった。
 後半のラフマニノフの3番交響曲。出かける前に予習をしていったのだが、とんでもない。録音ではその魅力はひとつも分からなかった。素晴らしい音楽絵巻がそこにはあった。録音では、このシンフォニーの魅力は収まりきれないだろうなと思いながら聞いた。N響すごいなあ。2012年2月22日@サントリーホール
金子修介監督作品



「若手ががっつり芝居をして…」 
 渡辺プロの若手二枚目が大挙して出ている。この手の作品では、若手の廻りを個性も演技力もある俳優で固めて映画としてみられるものに仕上げるというのが定番のやり方だ。芝居はイマイチな若手俳優と芸達者な人が絡んでも火花は散らない。役割が違うからだ。ところが、金子作品はちょっと違う。逃げない。こうした若手だけで勝負する。金子修介監督は例えば「メサイア」でも若手の演技で勝負した。時にはアレレなこともあったが、この作品は分かりやすく言えばスポコンものの構造だから、これ巧く言ってるのだ。若手の俳優も芸達者な人に頼る事はできない。映画からは若い俳優のいい部分がきちんと伝わってくる。金子監督たいしたものである。
 2012年2月21日 DVD
英国王のスピーチ The King's Speech
監督 トム・フーパー 脚本 デヴィッド・サイドラー
出演者 コリン・ファース ヘレナ・ボナム=カーター ジェフリー・ラッシュ
音楽 アレクサンドル・デプラ 撮影 ダニー・コーエン





「素晴らしい作品だけど、評価高すぎないか?」
 素晴らしい作品だ。話はユニークだし、コリンファースを初めとする現代最高の俳優の演技も見事だし、1930年から40年代を再現した美術も美しい。音楽もセンスがいい。結果アカデミー賞の主要4部門を受賞するという2011年を代表する映画となった。
 非常に高い評価を受けただけに、ものすごく楽しみにしていた。で、見たのだが、それほどではなかったというのが正直な感想なのだ。こういう作品は、映画通の一部にあの映画良かったよな〜と言われるくらいの存在であったほしかった。いわゆる名作とか佳作の作品としてである。アカデミー賞の長い歴史の中で、例えば、アラビアのロレンスといった真の名作と同列には並べられないなという感じなもので。 

2012年2月19日 DVD
指揮/アントニ・ヴィット
ピアノ/ 中村紘子

モニューシュコ:歌劇「パリア」序曲
Moniuszko: "Paria" Overture
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11( ピアノ:中村紘子)
Chopin: Piano Concerto No.1 in E minor, Op.11
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
Beethoven: Symphony No.5 in C minor Op.67

アンコール
ブラームス/ハンガリー舞曲5番 プロコフィエフ/古典交響曲第3楽章
ルトスワフスキ/小組曲からポルカ 


「大時代がかった演奏も時にはいいものだ」
 ワルシャワフィルは10年以上前にこのヴィットの指揮で確か北とぴあで聞いた事があって、何を聞いたのかも覚えていないけれどもいい印象はなかった。また、ワルシャワでも一度聞いた事があると思う。いづれにせよ、10年ぶりくらいに聴くオーケストラである。今宵出かけた理由は中村紘子の協奏曲を20数年ぶりに聞いてみたくなったからだ。彼女は一昨年あたりでデビュー何周年かとかで大きなコンサートを精力的に開いたりしているが、最近の日本のクラシック音楽会は、20代前半までの若い演奏家が世界的な賞を取って、一気に協奏曲の市場を奪ってしまう。
 若く美貌のある演奏家ばかりになってしまって、40歳以上のソリストの活躍の場所はほぼ壊滅状態である。国内のオケでも日本人ソリストは若く美貌のコンクール覇者ばかりである。中村紘子は20年以上前は女王だった。いろんなオーケストラの定期演奏会のソリストに呼ばれていたものだが、最近は自ら演奏会を主催しないと協奏曲は弾けていないのではないか?まあ、それがマーケットだから仕方ないのだが、僕はそのような状況に目を白黒させてきたわけだ。
 その中村紘子をソリストに迎えてショパンのピアノ協奏曲1番というのだから聞いてみようと思った。中村の演奏で記憶に残っているのは既に25年前の、ソビエト国立管弦楽団、確かスビャトラーノフが指揮だった(調べたら1987年5月24日神奈川県民ホール、グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲 チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/中村紘子) ショスタコーヴィチ/交響曲第5番)で、ソリストを務め、それが物凄いド派手な演奏だったと記憶している。それ以外は聞いたのかなあ?彼女のリサイタルは行った事がないから。中村のショパンの1番協奏曲を聞くのは始めたのだが、技術の衰えがあるのだろう。時々音の粒が奇麗に聞こえない。オケの伴奏のないところで、テンポを物凄く動かしたり(リタルダントっていうレベルでなく)して色合いをつけようとしているようだった。彼女は技術的にはそれほどでない、遅いテンポのピアニシモなどは年齢相応の枯れたいい演奏をするのだが、派手なところでオケと張り合ったりするから、破綻ギリギリまで追い込まれてしまう。女の性を感じた演奏だった。もう一度言うけれども、彼女はネスカフェなどテレビコマーシャルも山ほど出ていた日本ピアノ界のスターであり、女王であったからね。
 まあ、そこそこのショパンの協奏曲。でも、今宵の拾い物、驚いたのは、オケ自身だった。時々管楽器がバランスを崩すくらいがなり立てる音を立てたりしたのだが、おおむね素晴らしい「合奏」で、このヴィットという老指揮者をオケが敬愛し、集中して音楽に取り組んでいるのが良くわかる。素晴らしいアンサンブルだ。
 運命の交響曲などでは、時にロマンチックすぎる音を奏でるし、大音量で迫ってきたりもして、何か1960年代前の大指揮者時代の演奏を聴いているようだった。そうレコードでしか聞いたことのない演奏なのだ。現代のクールな演奏とは全く別の時代がかった演奏だが、時にはこれもいいもんだなあと思った。こういう演奏が少なくなったから稀少です。
 ルトワフスキ。アンコールで出て来て聞き入ってしまった。こんなにすぐにまた聞けるとは思っていなかった。いい作曲家だなあ。
 今宵は久しぶりに最安値の4000円というチケットを手に入れて聞きにいったのだが、結構ガラガラだったので、誰も座っていない3階正面席で聞いた。その席が音のバランスや響きがとても良くて気に入ってしまった。オペラシティのコンサートホールは3階もいいね。
 2012年2月21日@東京オペラシティ タケミツメモリアルホール
監督・脚本: J・C・チャンダー 製作: ザカリー・クイント
出演: ケヴィン・スペイシー、ポール・ベタニー、ジェレミー・アイアンズ、ザカリー・クイント、ペン・バッジリー、サイモン・ベイカー、メアリー・マクダネル、デミ・ムーア、ス タンリー・トゥッチ



「リーマンショックの起こる日を淡々と見せる秀作」
 2008年に起きたリーマンショックはその後もアメリカ経済を苦しめ続けている。そのリーマンショックが起きる前日から起きた日までを淡々と描いた作品。少しでも金融に興味があれば物凄く面白いし、あそこで何が起きたかを知りたければ、この作品は真実であるかどうかは別としても、こういう類いのことが起きた事はほぼ間違いない。見ておいて損はない映画だ。その後、アメリカは変化を求めて彷徨っているが、この作品はまるでギリシア悲劇のように、同じ事はまた起きる。今までも同じようなことが起きて来たと繰り返し台詞で強調される。
 ちなみにタイトルのマージンコールとは、先物など証拠金取引(分かりやすくいうと借金して取引すること)などで損失が一定になったときに、裁定のために必要な資金を入れてくれと催促されること。レバレッジの高い(危険度の高い)取引をしていると、このマージンコールがかかりやすいのだ。
 出演者も豪華であることはお分かり頂けるだろう。会社の重役には映画界の大スターを配し、若手にはテレビドラマで成功した俳優を使っているのも旨いなあ。俳優の演技、それも映画における演技とはこうあるべきだというお手本を見せてくれる。
 それから、この映画の美術は特筆もの。ウォール街で働いた事もある自分が言うのもあれだけれど、あそこら辺の金融機関のビルの内部を緻密に再現している。美術すごい。現代の、それも日本に生きる私たちがぜひとも見ておきたい映画だ。
 80点 2012年2月18日
ローランプティ 振付
モーリスジャール 音楽
イブサンローラン 衣装
Dガルフォース指揮 東京ニューシティ管弦楽団

Mアレクサンドロワ/菊池研/中家正博/逸見智彦




「ボリショイの華、アレクサンドロワの圧倒感」
 何しろアレクサンドロワが圧倒的だった。バレエの舞台でこれほど美術も衣装にも凝ったもので素晴らしかった。しかし、期待していたモーリスジャールのオリジナルの音楽も含めて全てはアレクサンドリアが持って行った。
 何しろ彼女は成りきっているのだ。技術も、美貌も、演技力も、この舞台の中で誰も適わない。圧倒的な存在感だ。
 冒頭で群衆のダンスがあるのだが、何か学芸会を見ているような感じがした。誰もパリの人達に見えない。何か「トゥーラントッド」の冒頭かよ!とか思ってしまった。パリよりも北京という感じだ。それは、何か、体操のように見えるのだ。こういう振付けだからこう動いてます!みたいなね。心にパリの、身体に革命前夜の空気が何もないのだ。東京バレエ団の20年前のレベルだなあと思った。
 期待したモーリスジャールの音楽もイマイチ。映画音楽のような物は書かないぞっていう意識が強すぎて彼の良さが出ていない。頼んだ方も、アラビアのロレンス やら ドクトルジバゴ を知って頼んでいるはずなのに。管弦楽は彼が映画のために書いた域内にとどまり、メロディや魅力はそれ以下だった。ひとつ心に残るメロディか何かが欲しかった。菊池研のカジモドは健闘していた。アレクサンドロワが出ていなければ素晴らしかった!と言っただろう。出て来た瞬間にせむし男になっていた。ただね、エスメラルダへの愛情が内省的なものにとどまりすぎていて、もう少し発散させなきゃと思ったです。アレクサンドロワはちゃんと他の出演者に投げかけているし、他のダンサーを受けて踊っているのになあと思った。他の二人のメインのダンサーにも言えるけれど、技術は素晴らしいけれども、今ひとつ演じるというところではアレクサンドロワのすごさから盗んで欲しいなあと思った。演じるとは、演じるのではなく成るものなのです。
2012年2月18日@新国立劇場オペラハウス
立川らく太「かつぎや」/立川らく里「ヤブ医者」/立川志ら乃「錦の袈裟」
中入り
立川志らら「親子酒」/立川こしら「反対俥」/立川志らく「抜け雀」


「笑い山に登る男たち」
 志らく一門はみんな落語に真面目だなあと感じた。らく太さんは謙虚にきちんと作品を四隅まできちんと演じられる。稽古を重ねたのも感じられて、この人のもってるキャラクターや口跡の良さを感じると、期待と好感を持たざるをえない。らく里さんは、テンションが高く、立ち上がる人間が見え始める。演じ分けがもっと見事になるのは、志ら乃さんからである。客をリラックスさせる力まで持ち、世界への引きづり込み方が旨い。マクラにはファミレスのバーミアンでの出来事。中入り後の志ららさんは、一門会の会場で録音していた人の話を出す。立川談志さんではないが、話に皮肉や毒が入り始める。それが、こしらさんになると会場に来ている野末陳平のことまで出して、毒の入り方が物凄い。
 それが、立川志らくになると、マクラではなく、話そのものに毒が入る。演じる人間に毒と愛情が入るのだ。5ヶ月ぶりにきいた志らくさんの落語だが、やはり見事だ。落語家さんの旨い下手は分からないが、志らくさんの話は見事だということは分かる。こしらさんが巧いのも分かる。今宵の一門会をきいていて、噺家が志らくさんをひとつの山頂として、登山をしているように思えた。何しろ、だんだん巧くなる。志ら乃さんからの3人は、味わいの違いと言った方がいいのかもしれないが…
 2012年2月16日@内幸町ホール
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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