佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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プログラム
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.19
         (ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス)
ブルックナー: 交響曲第9番 ニ短調

プログラム
ブリテン: オペラ「ピーター・グライムズ」から 4つの海の間奏曲
モーツァルト: ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453
         (ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス)
ベートーヴェン: 交響曲第7番 イ長調 op.92

巨匠の音楽についての雑感
  考えてみると偉大な指揮者の生演奏を聞き逃してきた。僕にとっての3大聞けなかったぜ指揮者は、カールベーム、ムラヴィンスキー、カールリヒターである。特に後者の二人はチケットまで購入しておきながら来日直前に病に倒れたり亡くなったりして聞けなかった。ちなみにポップスでは、ビングクロスビーがそれにあたる。
 フランクシナトラは聞こうと思えばきけたのだが、ホールというよりスタジアム系イベントか、ホテルの10万円くらいのディナーショーしかなかったから無理だった。それでも、サミーデイヴィスジュニアやトニーベネット、ライザミネリにジュリエットグレコ、イブモンタンまで聞けているのだから幸せ者といっていいのだろう。
 話をクラシックに戻す。クラシックの巨匠系指揮者は山ほどきけた。ベームを聞き逃したことによって学生時代の限られた小遣いの中で必死にチケット取りをして音楽を聴いた。むさぼり聞いた。
 ヘルベルトフォンカラヤン、ジョージショルティ、カールマリアジュリーニ、ジョルジュチェリビタッケ、クラウステンシュテット、レナードバーンスタイン、ユージンオーマンディ、アンタルドラティ、オイゲンヨッフム、カールクライバー、ラファエルクーベリック、ギュンターヴァント…。亡くなった指揮者だけでも結構行く。多くの人が20世紀初頭に生まれ戦争とカラヤン的という二つの嵐の中で活動し地歩を築いた人だった。
 むろん、フルトヴェングラーやブルーノワルター、ジョージセルといった大指揮者は聞いていないのだけれども、まあ、それでも聞けた方ではないか。僕がライブを聴き始めた頃は、クラウディオアバドや小沢征爾、ズビンメータもリッカルドムーティもまだ中堅で大物争いをしている頃だった。ユージンオーマンディの演奏会に行ったら、東京文化会館の1階を前後に分ける、あのVIP列席のど真ん中でフィラディルフィア管弦楽団のシェフになるムーディがオーマンディの演奏を聴きに来ていた。けれど、誰も気がつかなかったくらい。僕が休憩のときにサインをもらったら、やっとみんなが気がついてそのあとやっとサインの行列ができた。そんな時代である。
 そういう流れで見ていくと、もはや私にとって真の巨匠というのはほとんど現存していない。もちろんいい指揮者はいるけれども、カラヤンやクライバーという人たちとまさに同時代を生き指揮者としての仕事場を確保できてきた指揮者というのはほとんどいない。強いて言うのなら、昨年NHK交響楽団を振ったロリンマゼール、そして今回ロンドン交響楽団の来日公演の指揮をしたベルナルドハイティンクではないだろうか?ハイティンクこそ、最長老で巨匠時代の最後のマエストロである。
 メンゲンベルクやベイヌムというきっとハイティンクの親よりも上の世代の指揮者が強烈な演奏をしてきたオランダの名門コンセルトヘボウ管。その名門オオケのシェフに1960年代の初めになった。そのあと、華々しい内容の、いや、数のレコーディングがあったわけでもなく、このマエストロはどちらかというと静かに演奏をしてきた。例えば、いま売り出し中のドュダメルやティーレマンのように、聴衆はその演奏から曲の真髄というか神髄を聞かせてもらうというより、指揮者そのものがを演奏を通してアピールされるというものとは全く違う。音楽に真摯に向かう司祭のような立場で演奏をしてきたからこそ、いまになって無駄も個性も削ぎ取った高みまで上り詰めた。多くの同世代指揮者がいなくなって世界中がハイティンクにやっと気がついたのだ。
 ハイティンクではウイーンフィル、シカゴ交響楽団の来日演奏会や、リニューアルオープンした10数年前のロンドンロイヤルオペラでの「ファルスタッフ」など幾つかのピットでの指揮で聞いてきた。それらのライブでスコアが明確に聞こえてくることはあっても、個性が押し付けられることはなかった。
 もうひとつ付け加えさせてもらうと、その明確に聞こえてくる音楽は決してデジタル時代の演奏ではなく、何ともアナログな味わいのある演奏なのである。
 今回の演奏でのブルックナーの第9交響曲はそれは見事であった。ハイティンクではウィーンフィルやシカゴ響の7番交響曲のときと同じに、弦の合奏とハーモニー、休符を大切にするからこそ伝わる音楽の響きの美しさ、管楽器の輪郭を比較的くっきり出すことによって曲の醍醐味を伝えてくれたように思う。それは、ベートーヴェンの第7交響曲でも、9日の演奏会のアンコールで演奏だれたメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のスケルツォでも同じことが言えるのではないか。
 そして、ピリスを独奏者迎え披露されたモーツアルトの17番とモーツアルトのの音楽に近いベートーベンの第2協奏曲でもピリスの響きの美しさを大切にした演奏でもピリスが例えばベートヴェンの第二楽章で、スコアぎりぎりにたっぷりに、また音色もそれは、ベートーベン?というぎりぎりのところを彷徨っていても、ハイティンクがしっかり彼女を支え、曲の大枠は決して崩させなかった。
 このふたつの演奏会で私は音楽を聴く喜び、去り行く巨匠時代、それは音楽に誠実に向き合うということなのだが、その名残を感じながら私は大いに楽しんだ。2013年3月7日、9日@サントリーホール
 
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「ディオニソス組曲」振付:モーリス・ベジャール  音楽:マノス・ハジダキス
ディオニソス:オスカー・シャコン
ギリシャ人:マルコ・メレンダ
ゼウス:ジュリアン・ファヴロー
セメレー:カテリーナ・シャルキナ
マヌーラ・ムウ*:リザ・カノ(*ギリシャ語で"私のお母さん"の意)

タベルナ(居酒屋)の人々 ギリシャの女:リザ・カノ 上流社会の婦人:マーシャ・ロドリゲス
アナーキスト:フロレンス・ルルー=コルノ 娘:ジャスミン・カマロタ
二人の水夫:那須野圭右、ヴィタリ・サフロンキーネ 労働者:フェリペ・ロシャ ジゴロ:ローレンス・リグ 学生:ウィンテン・ギリアムス、エクトール・ナヴァロ 船長:アンジェロ・ムルドッコ ならず者:ファブリス・ガララーギュ ギリシャの農民:ホアン・ヒメネス 若者:大貫真幹
他、モーリス・ベジャール・バレエ団

「シンコペ」振付:ジル・ロマン  音楽:シティ・パーカッション
序曲:ガブリエル・アレナス・ルイーズ-エリザベット・ロス
水滴の踊り:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン キャサリーン・ティエルヘルム-ホアン・ヒメネス ジャスミン・カマロタ-マルコ・メレンダ、キアラ・パペリーニ- エクトール・ナヴァロ フロレンス・ルルー=コルノ-ウィンテン・ギリアムス
ソロ:ガブリエル・アレナス・ルイーズ
トリオ:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン-ホアン・ヒメネス
パ・ド・ドゥ:アランナ・アーキバルド-ガブリエル・アレナス・ルイーズ
パ・ド・ドゥ:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン
白衣の踊り: キャサリーン・ティエルヘルム、シモナ・タルタグリョーネ、フロレンス・ルルー=コルノ、キアラ・パペリーニ、リザ・カノ、エクトール・ナヴァロ、マルコ・メレンダ、ウィンテン・ギリアムス、ホアン・ヒメネス
パ・ド・ドゥ:コジマ・ムノス-アンジェロ・ムルドッコ
若者の踊り:ガブリエル・アレナス・ルイーズ、オスカー・シャコン、エクトール・ナヴァロ、
マルコ・メレンダ、ウィンテン・ギリアムス
ソロ:エリザベット・ロス フィナーレ:全員

「ボレロ」振付:モーリス・ベジャール  音楽:モーリス・ラヴェル
メロディ:エリザベット・ロス
リズム:那須野圭右、マルコ・メレンダ、アンジェロ・ムルドッコ、イェー・ルッセル
他、モーリス・ベジャール・バレエ団 東京バレエ団、東京バレエ学校



ベジャールは時の流れの中で残るだろうか。
 モーリスベジャールバレエ団は何回か見ている。主に来日した時が多いのだが、テルアビブでも見たことがある。ただ、演目がヘブライ語で書かれていたので何を見たのかも未だに不明だが。
 ベジャールは有名な「ボレロ」「春の祭典」「火の鳥」といったいわゆるクラシックの名曲に振付けをつけたものも少なくないが、東京バレエ団につけた「ザ・カブキ」や「M」以降は、どんどん演劇化していく。例えば「第9」に振付けをしたものをパリオペラ座の来日公演でみたが、何じゃこりゃという良くわからない作品になっていた。また、日本の歌舞伎や日本舞踊、ギリシアやインドの土着というかエスニックな文化への傾倒ぶりも顕著だった。
 今回モーリスベジャールバレエ団によって上演された「ディオニソス組曲」は元々1984年の振付け作品の一部を抽出して再編成されたものらしいが、この演劇的要素とエスニック文化への傾倒の要素が見いだされる作品となっている。
 ディオニソスとは、若いゼウスの意味であり、我々には酒の神であるバッカスとして知られるギリシア神話の神のひとりである。バッカスと若いギリシア人が対峙し思いを共有し陶酔の中で時を過ごして行く。その世界観も作品構造も鈴木忠志と似ているところがあるけれども、それを演劇でなく踊りとして、視覚的に感覚的に客席に届けようというのがベジャールのすごいところ。
 観客はニーチェ的な思索を施しながら作品に対峙するのではなく作品=踊り手の熱狂から発散されるエネルギーと自らの内在する根源的なものと反応しつつ体内アドレナリンの分泌が感じられると上演として成功ということなのだろう。
 ジュリアンフェブローのゼウスも演劇的才能も感じるマルコメレンダのギリシア人も良かったが、那須野圭右の水夫がとても良かった。この人のもつ圧倒的なスピード感と、回転する時の身体に通る軸のぶれのなさは他のメンバーを圧倒していた。発散されるエネルギーは会場中を静かに支配していくのを感じた。
 この人はこの日の最後に踊られた「ボレロ」でも同じ様に素晴らしいリズムの一員であった。ベジャールの「ボレロ」は彼の代表作であるだけでなく、歌舞伎の忠臣蔵、オーケストラの第9のように、踊ることが許されたバレエ団に取っては未だに集客力抜群の演目である。
 今回もこれ目当てで来た人もいるのだろうが、どうだろう。今回の「ボレロ」はそれほど良かっただろうか?
 映画でのジョルジュドンのそれを観た後、パリオペラ座バレエ団の来日を最初にもう20年以上もそれこそ、いろんな人があの赤い円盤の上で踊るベジャールの「ボレロ」を見て来た。
 今宵のエリザベットロスのメロディは美しいし奇麗に踊っていたが、例えばシルヴィギエムの踊る場合に発散される挑発的なエネルギーを彼女から感じることができない。
 「ボレロ」は革命である。真ん中でで独り踊り続けるメロディが発散されるエネルギーが他のダンサーに次第に伝播して全員が熱狂で終わる革命の踊りである。それが彼女からは感じられなかった。熱狂は踊り手が狂っていないと生まれない。それは、ひとことでいうと、最高の技術を持つ人が更なる高みを目指してぎりぎりやってくれないと、失敗のリスクと隣り合わせに踊ってくれないと生まれないのである。
 
 間に挟まれた「シンコペ」はベジャール亡き後、ジルロマンによって生み出された作品である。スピード感にあふれ、ユーモアもあり見ていて飽きない作品になっている。ジルロマンはベジャールの影響から逃れようと必死にもがいて生み出したという印象を得た。面白いけれど残らない。そんな作品というのが僕の感想。
 なぜか。ベジャールの2つの作品に挟まれてみると、圧倒的に何かかけているように思う。それが、これだ!と今すぐに僕は断定できない。ただいま見ていて思ったのは、ベジャールは肉体表現の新境地を切り開いた。それは、人間の身体について真正面に向い合ったからだと思う。
 ダンス表現として身体に対してジルロマンがどう対峙したのか、その軌跡を結果として感じることができなかったからではないか。つまり、彼にとっての、「肉体の定義」が提示されないからだと思う。ベジャール作品は、晩年のものなど、こんなことをやりたいのなら、ダンスでなく演劇でやった方がいいのではないか?と思う作品も少なくなく見るのも嫌になったものだが、こう並べて観るとその「肉体の定義」の深さ「ダンスの世界観」の確かさを強く感じられて興味深かった。
Aプロ 2013年3月5日@東京文化会館
山田洋次監督作品 山田洋次共同脚本





松竹映画の伝統を引継いだ21世紀の「東京物語」

山田洋次監督は小津安二郎とは全く違うと思っている。小津さんが、日本のビスコンティのような、中流家庭を扱いながらも、その美術や絵の凝り方、絵の削ぎ方が貴族趣味といっていいほど高いものに対して、山田洋次監督のものは、もっと自然体である。家庭の雑然とした世界の良さをものすごく大切にする。松竹の監督であっても別物だよなあと思っていたけれども、「東京物語」の舞台版を山田洋次さん演出で新派の芝居として見たことがあってそれは別物であるけれども、「東京物語」の核になる部分をきちんと捕えた作品に仕上げているのでとても感動した。1950年代の映画「東京物語」のオマージュでありつつ、それは21世紀の3/11以降の日本社会を背負った芝居の「東京物語」だったからだ。
 映画版も同じであった。冒頭の風景シーンなど小津映画の手法そのままで、いま小津さんならいったいどんな風景を撮るだろうか?と思っていたら、なるほどねと思った次第。カメラの位置もローアングルだったり、台詞の言わせ方なんかも小津映画の手法を意識して作品は始まる。おおよそのプロットは「東京物語」なのだが次第に小津的な要素は山田洋次監督の世界に昇華されていく。  ただ、この手法難しいらしい。名うての俳優でありながらも、特に冒頭の幾人かの俳優の芝居の下手さには驚いた。これでOKなのかと思った。演技陣では、橋爪功、吉行和子はさすがに旨い。つけいる隙のない演技を見せる。だからといって旨さを際立たせるようなことも何もしない。なりきり、さらけだし、削ぎ落としているのに見せるのである。まあ予想通り、彼らよりも感心したのは妻夫木聡と蒼井憂の演技である。橋爪、吉行に匹敵する名演技を披露する。特に妻夫木の役柄はとても難しい。それが名演。何て男だ。感心した。
 そして、落語は旨いかいいのかは分からないが林家正藏。この人の演技も見事である。先に書いた4人の演技が自然体、なりきり、さらけだし…だとすると、正蔵の演技はもう少し芝居がかっているけれども、その加減さが見事なのである。
 今回の主役は妻夫木であった。妻夫木が母と父に家族として、深く受けいられていく話であった。そういう意味で、「東京物語」とはチト違う。
 久しぶりに映画館で松竹映画を見て、この映画などはきっとDVDで十分と思う人が多い映画なのであろうが、やはり映画館で見る映画はいいなあと思った。僕がふと落涙したあとにすすり泣く声が廻りから聞こえ始める。いやそれ以前から場内の空気が共有される。いい空間であった。
 この幸福感はかつて寅さんを上野や浅草で見た時のそれと共通しているものがあった。山田洋次は、名匠小津安二郎の大切なものは残しつつも完全な山田洋次映画、そして、それは21世紀の松竹映画の代表作となる作品を生み出したのだ。それは、日本文化の財産でもある。
 2013年3月2日@渋谷シネパレス

追記: 個人的に嬉しかったのが「男はつらいよ」のレギュラー出演者でありながら、いつの間にか存在感がものすごく薄くなった寅やの店員、三平ちゃん役の北山雅康さんが出演していたこと。
監督/トム・フーパー 脚本/クロード=ミシェル・シェーンベルク、ウィリアム・ニコルソンほか
撮影 ダニー・コーエン

ジャン・バルジャン…ヒュー・ジャックマン
ジャベール…ラッセル・クロウ
ファンティーヌ…アン・ハサウェイ
コゼット…アマンダ・サイフリッド
マリウス…エディ・レッドメイン
エボニーヌ…サマンサ・バークス
マダム・テナルディエ…ヘレナ・ボナム=カーター
テナルディエ…サシャ・バロン・コーエン

舞台の映画化の欠点をついに克服。
ミュージカル舞台の映画化は失敗作のオンパレードである。数年前に「オペラ座の怪人」が映画化されるときにどれだけの期待があっただろうか?マドンナをキャスティングしたニュースは「エビータ」こそ成功するミュージカル映画だと思われた。華麗なキャスティングで見事に大コケした「ナイン」を見つつ映画ではどれだけ素晴らしいかを言いたかった人は少なくないはずである。舞台でそのミュージカルを知っているものの多くは、ああ、舞台の方が何倍もいいなと思うのである。近年成功したミュージカル映画は「シカゴ」と「ヘアースプレー」くらいである。「シカゴ」は魅力的なキャスティングで成功したのであって、カメラワークで必死にオリジナル性を出そうとしている側面よりも、舞台の演出を大幅に取り入れた演出の方が効いていて映像としての挑戦はかなり控えめだ。「ヘアースプレー」は面白いが舞台をそのまま映像化しただけである。「マンマミーア」はアバの音楽とギリシアの映像に救われた。ブロードウェイで21世紀の最大のヒット昨のひとつである「プロデューサーズ」は舞台と同じ主役を得て映像化したものの舞台でもってる爆発力はついに得ることはできなかった。
 舞台のすごさである。ミュージカル映画の歴史を振り返っても映像のミュージカル映画は、1950年代のアステア、ジーンケリーといった名うての芸人の魅力を記録したものの、映像の魅力を徹底的に見せたのは「パリのアメリカ人」のラストシーンくらいである。あれは革命的な映像美であった。それ以外では、ミュージカル映画の巨匠とはいいがたい、ロバートワイズが監督した「ウエストサイド物語」「サウンドオブミュージック」の空撮など映像でしか見ることができない徹底的な開放感によって舞台を映像化する意味合いを保っているのである。「マイフェアレディ」などは、完全に舞台の演出に敗北宣言した映画であり、オードリーヘップバーンの魅力はあっても、映像リアリズムはそこにはない。他には「シェルブールの雨傘」「ジーザスクライストスーパースター」「スイートチャリティ」といった作品があるくらいだ。
 映画史において「レ・ミゼラブル」が特筆されるのは、舞台の演出を乗り越えた映像ならではの作品になっているだけでなく従来のミュージカル映画の決定的な欠点を見事に見抜いた新しい演出を用いたことにある。それは、役者に録音に服従させて演技をさせるのではなく、演技をメインにおいたことである。この全編が歌で綴られる作品において、役者は生で唄い、それを収めているのだ。オーケストラは後で演奏されたと聞いている。それによって、演技が舞台と同じ様に生になった。気持ちがきちんと入り、それがスクリーンから観客に届く様になった。声を聞かせるのではなく、演技が歌に寄って表現される様にしたのだ。この効果は絶大だ。最近はだれ気味だった観客席の緊張感は特筆もので、何回も舞台でみたこの作品を最初から最後まで飽きずにみることができた。また、映像化されることによって、舞台ではなかなか分からなかった物語の背景や人間関係もすごくくっきりすっきりした。中にはやりすぎだなとか、CG処理か!と感じさせすぎるカメラワークにはシラケるが、この作品はミュージカルの映画化の歴史の中で特筆すべき傑作となった。
2013年2月24日@渋谷東宝シネマ5
振付/ジャンコラリ、ジュールペロー、マリウスプティパ
改訂振付/コンスタンチン・セルゲーエフ
照明/沢田裕二
美術/ヴェチャスラフ・オークネフ
井田勝大・指揮/東京交響楽団

ジゼル:ダリア・クリメントヴァ
アルベルト:ワディム・ムンタギロフ
ミルタ:堀口 純
ハンス:古川和則
クールランド公爵:マイレン・トレウバエフ
バチルド:楠元郁子
村人のパ・ド・ドゥ:寺田亜沙子 江本 拓
ドゥ・ウィリ:丸尾孝子、厚木三杏

日本のバレエカンパニーの力と課題を認識。
10日もしない間に「ジゼル」を再びみるとは不思議である。しかし、ローマと東京で見比べてその違いが明確に浮き上がった。振付けも技術も日本の群舞はローマを超えている。例えば、彼女たちは斜めにきちんとポジションを取り、カウントも音楽もよく聞いてその見事な調和は見ていて感嘆してしまう。ローマだったら、お互いが接触してしまうのではないかと思うくらいの距離感で立ち、踊ることもできる。だから、見ていて美しい。また、20年前のダンサーと違い肉体的な魅力も大いに増した。演技力も見事である。しかし、その魅力は英國やロシアのバレエ団のそれに似ていて、どちらかというと深く内向きで端整でおごそかである。放たれる光のような明るさと生命の悦びに満ちたイタリアのバレエカンパニーとは違うベクトルなのである。私はどちらも評価するのだが、どうだろう。その両方の魅力を兼ねているパリオペラ座の見事さを思い出さずにはいられないなあと思った次第。イングリッシュナショナルバレエの二人のゲストはどうだろうか?主役には、超絶技の技術力で、また、演技や持っている肉体の放つ魅力で、観客を熱狂させねばならない。今宵の二人も悪くはないが、ローマのそれと比べるとあまりに英国的であった。水墨画の魅力よりも、華やかな色を使った油絵の魅力の方が分かりやすいからという具合。
2013年2月22日@新国立劇場オペラパレス

Argo 監督/ベン・アフレック 脚本/クリス・テリオ
製作 ジョージ・クルーニー グラント・ヘスロヴ ベン・アフレック
出演者 ベン・アフレック、ブライアン・クランストン、クレア・デュヴァル、アランアーキン、ジョン・グッドマン
マイケル・パークス、テイラー・シリング、カイル・チャンドラー
撮影/ロドリゴ・プリエト 編集/ウィリアム・ゴールデンバーグ



一級のエンタティメント映画

腐敗に満ちたパーレビ国王を退陣させ、清廉潔白であるが世界秩序には歓迎される人とはいえないホメイニ師を表舞台に登場させた「イラン革命」は、その後の40年にも渡る対アメリカの始まりでもあった。1970年代のカーター大統領は人質に取られたアメリカ人を救出するために余りにも多くの代償を払った。当時の今とは全くの様相の違う時代を、でも多くの人がまだ何が正解か覚えている1970年代の映像をアフレックは見事に映像化することに成功した。ここでは、政治的なメッセージはなく、スリル、サスペンス、アクションを徹底的に楽しませてくれるエンタティメント映画になっていると同時に、現代のアメリカ政治史における傷であり、忘れたい出来事であった歴史のはずが、こんなこともあったんだぜ、やっぱアメリカスゲーと思いたいアメリカ人にとっては拍手喝采の映画であろう。オスカー作品賞はそういうドライブの掛かった受賞だと思う。もちろん、面白い一級のエンタティメント作品に仕上がっていることは事実である。2013年2月20日
監督/ジョシュ・ラドナー
出演/ジョシュ・ラドナー/エリザベス・オルセン/ リチャード・ジェンキンス/ ジョン・マガロ/マイケル・ウェストン/エリザベス・リーサー/ アリソン・ジャニー

ストーリー…仕事に行き詰った 35歳のジェシーは母校の講演に招かれ、そこで 19歳の学生ジビーと出会う。 二人は親交を深め、ジェシーはジビーから 前向きに生きる勇気を得る...



サンダンス映画祭から出て来た佳作。監督自らが出演しているわけで、低予算ながら見ていて楽しい佳作に仕上がっている。中年になって独り者になった男が、再び愛を受け入れるまで、それも自分がタブー視していたことを受け入れるまでのラブコメディ。2013年2月19日
オペラ「ラ・フーガ・イン・マスケラ」(La fuga in maschera) 
LA FUGA IN MASCHERA

作曲 /Gaspare Spontini
台本/libretto di Giuseppe Palomba
演出/ Francesco Lanzillotta
美術/ Benito Lenori

Elena: Ruth Rosique/Laura Giordano
Olimpia: Caterina Di Tonno
Corallina: Alessandra Marianelli
Nardullo: Clemente Daliotti
Marzucco: Filippo Morace
Nastagio: Alessandro Spina
Doralbo: Dionigi D'Ostuni
Orchestra del Teatro di San Carlo

完成度の低い公演を極上の宮廷劇場で
美しい宮廷劇場で展開されたのはそれにふさわしいバロックオペラであったが、美術や演出が中途半端なモダンなために集中力を保つのが大変であった。バロックをそこまでカンタービレしなくてもいいのにと思いつつ、やはりメロディを唄うイタリアで聞いているのだと思ったり、ドイツ的なストイックな演奏がバロックの正統と思ってしまっているのかもしれない。歌手はこぶりの劇場ながらなかなか聞かせてくれる人もいない。演技も中途半端。それでも憧れのサンカルロ歌劇場の公演を現地で聞けたのだから良かったとしなくちゃいけないのかもしれない。が。




2013年2月13日@ナポリサンカルロ歌劇場、王宮・宮廷小劇場


Choreography Carla Fracci
after Jean Coralli, Jules Perrot, Marius Petipa e Anton Dolin
Coreographic Assistant Gillian Whittingham
Conductor Alessandro D’Agostini
Sets Anna Anni
adapted for Caracalla by Dario Gessati
Costumes Anna Anni
Director Beppe Menegatti


Cast
Giselle Oksana Kucheruk (12)
Albrecht Igor Yebra (12)/
Myrtha Dalila Sapori (12)
Hilarion Vito Mazzeo (12)
ORCHESTRA E CORPO DI BALLO DEL TEATRO DELL’OPERA
Production of the Teatro dell’Opera

華の魅力はいろんなものを超越してしまう。
ジゼルの実演はほとんど見ていない。ただ、最初のそれがパリオペラ座の来日公演の見事な公演であった。1970年代半ばのまだ伝説の…といわれるダンサーが現役のころだ。
イタリアのカンパニーのバレエの公演に関して、最初にみた80年代のミラノスカラ座バレエ団の来日公演の印象が強過ぎてポジティブなイメージしかない。美しく華麗な美術と衣装、照明。そして、何よりもダンサーたちが美しく華やいでいる。それは、今回の公演でも同様であった。例えば、群舞では揃わないし、ソリストもミスをどんどんやらかすのであるが、生きる喜び、踊る悦びに満ちたエネルギーがステージから伝わってくるのだ。華がある公演ということであろうか。ロシアやイギリス、そして、日本のカンパニーにはない魅力なのだ。バレエの専門家、評論家がなんというかは知らない。技術的なことを考えるといろんなことが言えるのだろうが、そんなものは生の舞台芸術では言いようもない魅力を放ち観客の熱狂を得て超越してしまうのだ。
2013年2月12日@ローマ歌劇場

監督・脚本/ニコラス・ジャレッキー
撮影/ヨリック・ル・ソー
キャスト リチャード・ギア スーザン・サランドン ティム・ロス


鞘取りを意味する「アービトラージ」というタイトルを捨てていやあ安っぽいタイトルにしたものだ。リスクの高い金融取引をしている金融マンのサスペンス映画で、男は家族にさまざまな隠し事があったりするのだ。ゴージャスな生活を垣間みれる楽しみがあるが、人間関係の描き方は割と平板で、リチャードギアは頑張っているけれどもミスキャストである。ま、一度ぼんやりと見るのには飽きないしいいと思うけれども。2013年2月11日
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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