佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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第二部
一、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
  浜松屋見世先の場より滑川土橋の場まで
          弁天小僧菊之助  菊五郎
             南郷力丸  左團次
            赤星十三郎  時 蔵
             忠信利平  三津五郎
             岩渕三次  錦之助
           浜松屋宗之助  菊之助
             関戸吾助  松 江
            狼の悪次郎  市 蔵
            木下川八郎  團 蔵
            伊皿子七郎  友右衛門
           浜松屋幸兵衛  彦三郎
          青砥左衛門藤綱  梅 玉
             鳶頭清次  幸四郎
           日本駄右衛門  吉右衛門


二、忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)  将門
       傾城如月実は滝夜叉姫  玉三郎
           大宅太郎光圀  松 緑

新歌舞伎座へ初見参
 あたらしい歌舞伎座は華やいでいた。歌舞伎座、新開場後、初見参。第2部を2階席から満喫。いやあ菊五郎が良かった。幸四郎丈は苦手なのだが昨日は良かった。きっと初役で緊張して取り組んでいるのだろう。台詞も動きも美しい。玉三郎が妖艶、松緑ってどんどん良くなるなあ。何か真面目なんだ。きっちりやる。菊之助は人の芝居をじゃましない品の良さ。ああ、歌舞伎はいいね。歌舞伎座、東銀座駅と直結で、夏冬は開場を待つのにも大変助かるなあ。エスカレーターも完備でこれからだんだん歳を取る僕には大変心強い。中に入ると松竹の人々が改築をすごく悩んだのが分かる。だって、ああここもあそこも前の歌舞伎座を残そうと工夫した跡が残っているんだもの。名俳優のブロンズ像や川端龍子の大作を3年ぶりに見て、ああ戻ってきた戻ってきたと思う。近代的だが気持ちの通った劇場だ。そして、歌舞伎座での歌舞伎は違う。やはり演舞場とは違う

第三部
 近江源氏先陣館 一、盛綱陣屋(もりつなじんや)
            佐々木盛綱  仁左衛門
               篝火  時 蔵
               早瀬  芝 雀
             伊吹藤太  翫 雀
             信楽太郎  橋之助
             竹下孫八  進之介
              四天王  男女蔵
                同  亀三郎
                同  亀 寿
                同  宗之助
          高綱一子小四郎  金太郎
          盛綱一子小三郎  藤間大河
           古郡新左衛門  錦 吾
               微妙  東 蔵
             北條時政  我 當
           和田兵衛秀盛  吉右衛門


 歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
            武蔵坊弁慶  幸四郎
              源義経  梅 玉
             亀井六郎  染五郎
             片岡八郎  松 緑
             駿河次郎  勘九郎
            太刀持音若  玉太郎
            常陸坊海尊  左團次
            富樫左衛門  菊五郎

第2部 2013年4月4日@歌舞伎座
第3部 2013年4月15日@歌舞伎座
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2013年5月16日@東京オペラシティコンサートホール

一、将軍江戸を去る(しょうぐんえどをさる)
徳川慶喜 市川染五郎 山岡鉄太郎 中村勘九郎 天野八郎 市川男女蔵 高橋伊勢守 片岡愛之助

二、藤娘(ふじむすめ)藤の精 中村七之助

三、鯉つかみ(こいつかみ)
滝窓志賀之助実は鯉の精 滝窓志賀之助実は清若丸 片岡愛之助 


2013年5月7日 @明治座

鈴木雅明(指揮)、バッハコレギウムジャパン(合唱・管弦楽)、
ジョアン・ラン(ソプラノ)、青木洋也(アルト)、
ゲルト・テュルク(テノール/福音史家)、ドミニク・ヴェルナー(バス/イエス)

今日から僕のバッハ巡礼が始まった。
 僕はバッハにあまり興味がない。子どもの頃、インベンションでこりごりした。若い頃にはヘルムートヴァルヒヤのオルガンの録音を聞いたり、ヘルムートリリングの演奏会にいったり、それどころか、僕自身が唯一クラシック音楽の演奏者となった、東京インターナショナルシンガースの演奏会ではバッハのカンタータのソロを一曲歌わせてもらった。二期会の方がソプラノ、僕がバリトン。お客さんが涙ぐんでいるのを見て、音楽家はいいものだなあと思った。それでも何かバッハを聴く気はなかったのだ。不思議だな。先年、アーノンクールの来日演奏会できいたバッハのロ短調ミサなどには感激したものの、もう来日しないということでバッハには縁がないなあと思っていた。昨年ニューヨークに行き、いつものようにアヴィリーフィッシャーホールの入り口でパンフを見ていたら、鈴木雅明さんが2013年に定期演奏会で指揮をする(4回くらいのコンサート)と知って驚いた。あのニューヨークフィルの定期演奏会に出演である。鈴木さんの名前は前から知っていたがそんなに高く評価されている方とは知らなかった。で、外国で評価された日本人を日本人は諸手を上げて評価するという逆輸入型の受け入れ方は本当に恥ずかしいのであるが、行く事にした。2013年の定期会員になってみた。でも、その前に、やはり大曲「ヨハネ」を聞いておこうといったのだ。
 驚愕した。なんて繊細で美しい演奏をするのだろう。チェロがなんてうっとり歌うのだ。フルートが天上の音を奏でる。ソプラノのソロも天国的な軽やかさで天国の声がぴんぴん決まる。ソリストはエバンゲリスト以外は合唱も歌うそのやり方が、僕がソロを歌ったときと同じなのでまた驚いた。日本人らしいものすごく繊細な演奏で、僕はカールリヒターの来日演奏会も、直前に急逝されたので、きいていないのだけれど、この演奏は間違いなく世界一級だ。こんな近いところに世界の頂点のバッハ演奏をする団体があったとは。申し訳ないが、日本のクラシック演奏家で間違いなく世界のトップにいる人だ。
 今日から僕のバッハへの巡礼が始まった。
2013.3.29.[金] —聖金曜日—@東京オペラシティ コンサートホール タケミツ メモリアル

一、夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)

  序 幕 住吉鳥居前の場
  二幕目 難波三婦内の場
      長町裏の場
  大 詰 田島町捕物の場

      団七九郎兵衛/徳兵衛女房お辰  市川海老蔵
               一寸徳兵衛  中村亀 鶴
               玉島磯之丞  中村種之助
                傾城琴浦  中村米 吉
              三河屋義平次  市川新 蔵
                釣舟三婦  片岡市 蔵
             三婦女房おつぎ  市川右之助
              団七女房お梶  市村家 橘



二、口上(こうじょう)
三、高坏(たかつき)

                次郎冠者  市川海老蔵
                 高足売  中村亀 鶴
                太郎冠者  市川新十郎
                 大名某  片岡市 蔵

 仁義亡き戦い、歌舞伎若手俳優編(仁義あるかも?)

 ル・テアトル銀座 で歌舞伎をやるのは珍しい。それも市川海老蔵が亡くなった中村勘三郎の十八番をやる。これは見ておきたいと思って、チケットを購入したらいけなくなって無駄にして、それでも歌舞伎通のというか、歌舞伎評論家の、というか、Nさんが見ておいた方がいいと言っていたので見に行った。確かに面白かった。
 話は知っているのでどうでもいいのだが、海老蔵の歌舞伎役者としての商品価値というか、将来性というかがとても面白く思った。
 「夏祭浪速鑑」という2時間半4場の大歌舞伎の芝居の中に、海老蔵は現代口語演劇とも思える発声や心持ちの芝居を山ほど放り込む。ナイロン100℃の役者がやるようなナンセンスなリアクションを取り込んだりする。俺はいちいち、なんじゃこれ〜!である。しかし、このルテアトル銀座という歌舞伎をやるには小さな小屋。海老蔵座長というすべてを背負える機会。いろいろと実験的なことをやるのはいい機会。それも、面白がってやってる姿も面白い。拍手喝采である。
 実は、この態度、この歌舞伎愛こそが、すなわち勘三郎精神なのではないだろうか。現代における歌舞伎とはなんだろう。歌舞伎の可能性はどこまであるのだろうと、再生演劇だけにとどまる事を拒む心持ち。うるさい先輩がいなくなったからか。好きに試しているようにも思える。
 こういうやんちゃブリなら若様、存分にお好きにやりなされ!

 そして…。。。

 見には行ってないが、本家本元の公演であるはずの新橋演舞場の花形歌舞伎公演がガラガラで、半額券がばらまかれているらしいが、そんな状態で見に行った客席の熱気のない芝居は面白いはずがない。行かなくて正解。再生演劇なんだろうと想像。そんなの、先輩達の方がもっと上手かったんだよ。客は行かずに彼らにヤキを入れる。

だから…。。。
 それよりは、客の入りも評判もいいのがTBSの赤坂ACTシアターで公演されている、中村勘九郎座長の「怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)」。その噂話が絶えない。
 こちらも勘三郎のおなじみの作品。最後にみたのは数年前の納涼歌舞伎だった(泣)。
 主役はもちろん勘三郎。早変わりに大仕掛けで面白かった。沢瀉屋じゃこうはならないんだよなあと思いつつ、ああ、これこそ歌舞伎、かぶく、日本の芝居は世界で愛される理由だよと思った。そして、若い貧乏俳優と駆け出し女優を連れてきてあげれば良かったと後悔した。会場中は拍手喝采。幕が引かれても、客席は熱気むんむん。そのまま、夜の東銀座に繰り出すことになる。そんな芝居。納涼にならない(笑)。
 
 勘九郎にしてみれば、亡き父の十八番を海老蔵が銀座でやってるのだから、負ける訳にはいかない。切符の売れ方も尋常でなく立ち見券が売りに出されているという。やるな、若様。中村屋にはこの人がいるといいたい僕のごひいき、亀蔵も出演して面白いのだろう。だろうな。でも、僕には早すぎる。まだお父さんの残像がくっきりしすぎていて見られない。
 まさか勘三郎さん、亡くなるとは思ってなかった。昨年の4月5月の平成中村座、昼も夜も本当に面白かった。ブログに書いたけれど、勘三郎のすごさは見ればみるほど強くなっていった。でもね、去年はこうも思った。勘三郎ってすげえ、いいなあと思うと同時に勘九郎がすごい、すごくなったってこと。こんなに上手い俳優になったんだと思った。どんだけ頑張ったんだろう。すごいねえ。生まれてからすぐに、フジテレビがずーーっと追いかけてきたから、ホントに子どものころから世間にさらされて、そんな人がこんな大俳優の道を歩むようになったのかと感慨ひとしお。陰で血みどろの努力をしてるんだろうなあ。
 そして、僕の髪の毛を20年以上やってくれている宮藤さんは、実は中村屋さんもごひいき。店で勘九郎さんや七之助さんが髪の毛をきってもらっているのも見た事があるし、僕の大好きな新派のあの方も、昔、四谷に店があったときにはよく拝見した。それに…。。。まあ、いいや。何かね、ちょっと親近感があるわけです。

 この数ヶ月の同じ冬の季節に勘三郎と団十郎という歌舞伎界のトップスターの実父を亡くした若い二人の俳優。その二人の歌舞伎愛を証明するための、歌舞伎界の頂上決戦の火ぶたが切られた感じがする。若き男よ、ライバルとして激しくトップスターの座を争ってほしい。素晴らしき火花散る歌舞伎戦争の開戦だ。
 となると、俺なんか江戸っ子ではないけれど、火事とけんかの見物が大好きな下世話な野次馬とすると、見せてもらおうじゃないのという感じになる。面白いぜ、あんんたもどう???若い血気盛んな花形役者が、舞台の上で戦うってよ、仁義なき戦いかどうかは分からねえが、面白い事は間違いない。いつからだって、そりゃ序盤戦は今月始まっちまったけど、いよいよだよ。いよいよ4月2日から。

 いよいよ4月2日が近づいて、3年ぶりの歌舞伎座の開戦、いや開幕だ。素晴らしい重鎮俳優を5人も失い歌舞伎はどうなるか本当に心配だが、僕も野次馬見物券(チケット)購入しましたので見に行きます。お客は正直ですね。本当なら真っ先に売れてもいい第3部が売れ残り。団十郎がいない勧進帳なんか見たくないということなのでしょう。こけら落とし公演なのにね。4月は第3部のみ売れ残り。何とかしろよ。KとS。分かる?誰だか??? ちなみに見物料は4000円から。

 さ、けんかだ、けんかだ。見に行こうぜ!
2013年3月@ルテアトル銀座
カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 
マーラー作曲交響曲第6番 悲劇的


悲劇的で決定的になった読響の黄金時代
マーラー交響曲第6番はマーラーの交響曲の中でも複雑で、しかし色合いは終始破滅的で悲劇的であり、聞いている方は逃げたくなるくらいの追い込まれる。読響との相性もいいカンブルランは、綿密で細かな音の色彩を微妙に変化させて行くことで、見事な演奏を披露した。カンブルラン/読響は間違いなく上のステージにあがった。これから黄金時代を迎えるであろう。2013年3月18日
小林紀子バレエ・シアター/「コンチェルト」出演:島添亮子、ほか 演奏:菊池洋子(ピアノ)
東京シティ・バレエ団/「コッペリア」第3幕から 出演:志賀育恵、キム・セジョン、ほか
東京バレエ団/「春の祭典」
橋本清香(ウィーン国立バレエ団ソリスト)、木本全優(同準ソリスト)「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」
中村祥子(ベルリン国立バレエ団プリンシパル)ヴィスラウ・デュデック(同)「白鳥の湖」から「黒鳥のパドドゥ」
吉田都、ロバートデューズリー(ニューヨークシティバレエ団プリンシパル)「ラプソディ」から
指揮・大井剛史/東京フィルハーモニー交響楽団

華やかで残酷な舞台
 東京バレエ団の「春の祭典」が予想通り圧倒的だった。カーテンコールで、ソリストだけは特別扱いされるわけだけれども、東京バレエ団の2列目、3列目のダンサーの実力の方が圧倒的だよと思うところもあって、ああいうところではどのように思うのかなと思った次第。後で書くけれども小林バレエ団が酷すぎたので、東京シティバレエ団は詰まらなかったら寝てしまおうと思っていたら、思った以上のレベルで良かった。東京バレエ団のように作品に余裕をもって表現するレベルではないけれども、このステージにかける意気込みが十分伝わってきた。ソリストに関しては、やはり吉田都が中心になるはずなのだけれども、何しろ登場時間が短すぎる。素晴らしい技をみせるようなものでもなかったからちょっと肩すかし。それならば、トリを務めたベルリン国立バレエの中村の演技力や技術の方が見応えがあった。あのような有名な演目を出してきた事からも自信があるのだろう。全幕見てみたくなった。
 ウィーンの二人は見ていてすがすがしい。大輪の花ではないが、技術も舞台支配力もあった。
 開幕の小林紀子バレエ団はとにかく酷かった。コールドバレエが全く揃っていないし、揃う気もないように思えた。縦も横もバラバラ。その上、グランパドウシャは脚がほとんど開けていない。こういうガラパフォーマンスは出演者の競争でもあるのだから、このレベルだったら出ない方が得なのにと思った。

2013年3月16日@NHKホール


プログラム
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.19
         (ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス)
ブルックナー: 交響曲第9番 ニ短調

プログラム
ブリテン: オペラ「ピーター・グライムズ」から 4つの海の間奏曲
モーツァルト: ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453
         (ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス)
ベートーヴェン: 交響曲第7番 イ長調 op.92

巨匠の音楽についての雑感
  考えてみると偉大な指揮者の生演奏を聞き逃してきた。僕にとっての3大聞けなかったぜ指揮者は、カールベーム、ムラヴィンスキー、カールリヒターである。特に後者の二人はチケットまで購入しておきながら来日直前に病に倒れたり亡くなったりして聞けなかった。ちなみにポップスでは、ビングクロスビーがそれにあたる。
 フランクシナトラは聞こうと思えばきけたのだが、ホールというよりスタジアム系イベントか、ホテルの10万円くらいのディナーショーしかなかったから無理だった。それでも、サミーデイヴィスジュニアやトニーベネット、ライザミネリにジュリエットグレコ、イブモンタンまで聞けているのだから幸せ者といっていいのだろう。
 話をクラシックに戻す。クラシックの巨匠系指揮者は山ほどきけた。ベームを聞き逃したことによって学生時代の限られた小遣いの中で必死にチケット取りをして音楽を聴いた。むさぼり聞いた。
 ヘルベルトフォンカラヤン、ジョージショルティ、カールマリアジュリーニ、ジョルジュチェリビタッケ、クラウステンシュテット、レナードバーンスタイン、ユージンオーマンディ、アンタルドラティ、オイゲンヨッフム、カールクライバー、ラファエルクーベリック、ギュンターヴァント…。亡くなった指揮者だけでも結構行く。多くの人が20世紀初頭に生まれ戦争とカラヤン的という二つの嵐の中で活動し地歩を築いた人だった。
 むろん、フルトヴェングラーやブルーノワルター、ジョージセルといった大指揮者は聞いていないのだけれども、まあ、それでも聞けた方ではないか。僕がライブを聴き始めた頃は、クラウディオアバドや小沢征爾、ズビンメータもリッカルドムーティもまだ中堅で大物争いをしている頃だった。ユージンオーマンディの演奏会に行ったら、東京文化会館の1階を前後に分ける、あのVIP列席のど真ん中でフィラディルフィア管弦楽団のシェフになるムーディがオーマンディの演奏を聴きに来ていた。けれど、誰も気がつかなかったくらい。僕が休憩のときにサインをもらったら、やっとみんなが気がついてそのあとやっとサインの行列ができた。そんな時代である。
 そういう流れで見ていくと、もはや私にとって真の巨匠というのはほとんど現存していない。もちろんいい指揮者はいるけれども、カラヤンやクライバーという人たちとまさに同時代を生き指揮者としての仕事場を確保できてきた指揮者というのはほとんどいない。強いて言うのなら、昨年NHK交響楽団を振ったロリンマゼール、そして今回ロンドン交響楽団の来日公演の指揮をしたベルナルドハイティンクではないだろうか?ハイティンクこそ、最長老で巨匠時代の最後のマエストロである。
 メンゲンベルクやベイヌムというきっとハイティンクの親よりも上の世代の指揮者が強烈な演奏をしてきたオランダの名門コンセルトヘボウ管。その名門オオケのシェフに1960年代の初めになった。そのあと、華々しい内容の、いや、数のレコーディングがあったわけでもなく、このマエストロはどちらかというと静かに演奏をしてきた。例えば、いま売り出し中のドュダメルやティーレマンのように、聴衆はその演奏から曲の真髄というか神髄を聞かせてもらうというより、指揮者そのものがを演奏を通してアピールされるというものとは全く違う。音楽に真摯に向かう司祭のような立場で演奏をしてきたからこそ、いまになって無駄も個性も削ぎ取った高みまで上り詰めた。多くの同世代指揮者がいなくなって世界中がハイティンクにやっと気がついたのだ。
 ハイティンクではウイーンフィル、シカゴ交響楽団の来日演奏会や、リニューアルオープンした10数年前のロンドンロイヤルオペラでの「ファルスタッフ」など幾つかのピットでの指揮で聞いてきた。それらのライブでスコアが明確に聞こえてくることはあっても、個性が押し付けられることはなかった。
 もうひとつ付け加えさせてもらうと、その明確に聞こえてくる音楽は決してデジタル時代の演奏ではなく、何ともアナログな味わいのある演奏なのである。
 今回の演奏でのブルックナーの第9交響曲はそれは見事であった。ハイティンクではウィーンフィルやシカゴ響の7番交響曲のときと同じに、弦の合奏とハーモニー、休符を大切にするからこそ伝わる音楽の響きの美しさ、管楽器の輪郭を比較的くっきり出すことによって曲の醍醐味を伝えてくれたように思う。それは、ベートーヴェンの第7交響曲でも、9日の演奏会のアンコールで演奏だれたメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のスケルツォでも同じことが言えるのではないか。
 そして、ピリスを独奏者迎え披露されたモーツアルトの17番とモーツアルトのの音楽に近いベートーベンの第2協奏曲でもピリスの響きの美しさを大切にした演奏でもピリスが例えばベートヴェンの第二楽章で、スコアぎりぎりにたっぷりに、また音色もそれは、ベートーベン?というぎりぎりのところを彷徨っていても、ハイティンクがしっかり彼女を支え、曲の大枠は決して崩させなかった。
 このふたつの演奏会で私は音楽を聴く喜び、去り行く巨匠時代、それは音楽に誠実に向き合うということなのだが、その名残を感じながら私は大いに楽しんだ。2013年3月7日、9日@サントリーホール
 

「ディオニソス組曲」振付:モーリス・ベジャール  音楽:マノス・ハジダキス
ディオニソス:オスカー・シャコン
ギリシャ人:マルコ・メレンダ
ゼウス:ジュリアン・ファヴロー
セメレー:カテリーナ・シャルキナ
マヌーラ・ムウ*:リザ・カノ(*ギリシャ語で"私のお母さん"の意)

タベルナ(居酒屋)の人々 ギリシャの女:リザ・カノ 上流社会の婦人:マーシャ・ロドリゲス
アナーキスト:フロレンス・ルルー=コルノ 娘:ジャスミン・カマロタ
二人の水夫:那須野圭右、ヴィタリ・サフロンキーネ 労働者:フェリペ・ロシャ ジゴロ:ローレンス・リグ 学生:ウィンテン・ギリアムス、エクトール・ナヴァロ 船長:アンジェロ・ムルドッコ ならず者:ファブリス・ガララーギュ ギリシャの農民:ホアン・ヒメネス 若者:大貫真幹
他、モーリス・ベジャール・バレエ団

「シンコペ」振付:ジル・ロマン  音楽:シティ・パーカッション
序曲:ガブリエル・アレナス・ルイーズ-エリザベット・ロス
水滴の踊り:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン キャサリーン・ティエルヘルム-ホアン・ヒメネス ジャスミン・カマロタ-マルコ・メレンダ、キアラ・パペリーニ- エクトール・ナヴァロ フロレンス・ルルー=コルノ-ウィンテン・ギリアムス
ソロ:ガブリエル・アレナス・ルイーズ
トリオ:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン-ホアン・ヒメネス
パ・ド・ドゥ:アランナ・アーキバルド-ガブリエル・アレナス・ルイーズ
パ・ド・ドゥ:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン
白衣の踊り: キャサリーン・ティエルヘルム、シモナ・タルタグリョーネ、フロレンス・ルルー=コルノ、キアラ・パペリーニ、リザ・カノ、エクトール・ナヴァロ、マルコ・メレンダ、ウィンテン・ギリアムス、ホアン・ヒメネス
パ・ド・ドゥ:コジマ・ムノス-アンジェロ・ムルドッコ
若者の踊り:ガブリエル・アレナス・ルイーズ、オスカー・シャコン、エクトール・ナヴァロ、
マルコ・メレンダ、ウィンテン・ギリアムス
ソロ:エリザベット・ロス フィナーレ:全員

「ボレロ」振付:モーリス・ベジャール  音楽:モーリス・ラヴェル
メロディ:エリザベット・ロス
リズム:那須野圭右、マルコ・メレンダ、アンジェロ・ムルドッコ、イェー・ルッセル
他、モーリス・ベジャール・バレエ団 東京バレエ団、東京バレエ学校



ベジャールは時の流れの中で残るだろうか。
 モーリスベジャールバレエ団は何回か見ている。主に来日した時が多いのだが、テルアビブでも見たことがある。ただ、演目がヘブライ語で書かれていたので何を見たのかも未だに不明だが。
 ベジャールは有名な「ボレロ」「春の祭典」「火の鳥」といったいわゆるクラシックの名曲に振付けをつけたものも少なくないが、東京バレエ団につけた「ザ・カブキ」や「M」以降は、どんどん演劇化していく。例えば「第9」に振付けをしたものをパリオペラ座の来日公演でみたが、何じゃこりゃという良くわからない作品になっていた。また、日本の歌舞伎や日本舞踊、ギリシアやインドの土着というかエスニックな文化への傾倒ぶりも顕著だった。
 今回モーリスベジャールバレエ団によって上演された「ディオニソス組曲」は元々1984年の振付け作品の一部を抽出して再編成されたものらしいが、この演劇的要素とエスニック文化への傾倒の要素が見いだされる作品となっている。
 ディオニソスとは、若いゼウスの意味であり、我々には酒の神であるバッカスとして知られるギリシア神話の神のひとりである。バッカスと若いギリシア人が対峙し思いを共有し陶酔の中で時を過ごして行く。その世界観も作品構造も鈴木忠志と似ているところがあるけれども、それを演劇でなく踊りとして、視覚的に感覚的に客席に届けようというのがベジャールのすごいところ。
 観客はニーチェ的な思索を施しながら作品に対峙するのではなく作品=踊り手の熱狂から発散されるエネルギーと自らの内在する根源的なものと反応しつつ体内アドレナリンの分泌が感じられると上演として成功ということなのだろう。
 ジュリアンフェブローのゼウスも演劇的才能も感じるマルコメレンダのギリシア人も良かったが、那須野圭右の水夫がとても良かった。この人のもつ圧倒的なスピード感と、回転する時の身体に通る軸のぶれのなさは他のメンバーを圧倒していた。発散されるエネルギーは会場中を静かに支配していくのを感じた。
 この人はこの日の最後に踊られた「ボレロ」でも同じ様に素晴らしいリズムの一員であった。ベジャールの「ボレロ」は彼の代表作であるだけでなく、歌舞伎の忠臣蔵、オーケストラの第9のように、踊ることが許されたバレエ団に取っては未だに集客力抜群の演目である。
 今回もこれ目当てで来た人もいるのだろうが、どうだろう。今回の「ボレロ」はそれほど良かっただろうか?
 映画でのジョルジュドンのそれを観た後、パリオペラ座バレエ団の来日を最初にもう20年以上もそれこそ、いろんな人があの赤い円盤の上で踊るベジャールの「ボレロ」を見て来た。
 今宵のエリザベットロスのメロディは美しいし奇麗に踊っていたが、例えばシルヴィギエムの踊る場合に発散される挑発的なエネルギーを彼女から感じることができない。
 「ボレロ」は革命である。真ん中でで独り踊り続けるメロディが発散されるエネルギーが他のダンサーに次第に伝播して全員が熱狂で終わる革命の踊りである。それが彼女からは感じられなかった。熱狂は踊り手が狂っていないと生まれない。それは、ひとことでいうと、最高の技術を持つ人が更なる高みを目指してぎりぎりやってくれないと、失敗のリスクと隣り合わせに踊ってくれないと生まれないのである。
 
 間に挟まれた「シンコペ」はベジャール亡き後、ジルロマンによって生み出された作品である。スピード感にあふれ、ユーモアもあり見ていて飽きない作品になっている。ジルロマンはベジャールの影響から逃れようと必死にもがいて生み出したという印象を得た。面白いけれど残らない。そんな作品というのが僕の感想。
 なぜか。ベジャールの2つの作品に挟まれてみると、圧倒的に何かかけているように思う。それが、これだ!と今すぐに僕は断定できない。ただいま見ていて思ったのは、ベジャールは肉体表現の新境地を切り開いた。それは、人間の身体について真正面に向い合ったからだと思う。
 ダンス表現として身体に対してジルロマンがどう対峙したのか、その軌跡を結果として感じることができなかったからではないか。つまり、彼にとっての、「肉体の定義」が提示されないからだと思う。ベジャール作品は、晩年のものなど、こんなことをやりたいのなら、ダンスでなく演劇でやった方がいいのではないか?と思う作品も少なくなく見るのも嫌になったものだが、こう並べて観るとその「肉体の定義」の深さ「ダンスの世界観」の確かさを強く感じられて興味深かった。
Aプロ 2013年3月5日@東京文化会館
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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