佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 演劇 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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パラドックス定数 第28項 「HIDE AND SEEK」
作・演出 /野木萌葱
出演/植村宏司 西原誠吾 井内勇希 今里真 酒巻誉洋 小野ゆたか
加藤敦 生津徹 大柿友哉 平岩久資

江戸川乱歩と横溝正史と夢野久作。
昭和の始まり、東京下町、文学界の、異端児三人。
まるで煙管の煙のような、現実と虚構の境界線。
その狭間で繰り広げられる、これは創造を巡る物語。



「確かにパラドックスに満ちた上演」
 パラドックス定数の噂は何年も前から轟いていて、実際何回か観に行こうとチケットの予約をしたり、チケットを買ったりしたもののその都度観に行けなくなってしまったので今回が初見である。評判の作品の再演である。
 演出は安定していた。なるほど!とも思った。作品も独特の世界観と綿密な取材に基づいた作品で高く評価されるのが分かる。3人の昭和の作家とそれらが生みだしたキャラクター6人が生みだす現実と幻想が交差する万華鏡的な話。そこに編集者が絡む。なるほど!である。
 もっとも僕だったらば編集者をもっと狂言廻し的な立場に追いやっておきたかった。というのはラストで編集者は文学者に、「アマデウス」のサリエリのように食って掛かるのである。クリエイター側に受容者代表として食って掛かるのである。越えられないその境界を嘆くのである。ここは誰もが共感できる世界なのである。ここを支点にこの作品は紡がれていっていいくらいなのだ。
 しかし、それならば、もう一工夫欲しい。というのは、この作品にはその越えられないはずの境界を越えた人間が登場するのだ。横溝正史である。この作品で横溝は当初編集者として登場しているのだが、この作品では、境界を越えていく過程、編集者で終わる男との関わりの変化がほとんど書かれていないのが残念でたまらない。
 そうなると作品全体が大幅に変わるわけだけれども。
 この作品には、現在の小劇場界注目の若手俳優が大挙して出演している。しかし、それは成功したであろうか?
 僕はこの作品を見ながら、未筆の僕の作品企画を思い出した。
 一時期、この手の作品を書こうとしたことがあるからだ。
 それは自分自身のことでもある。
 ご存知のように僕は現代を代表する純文学作家・島田雅彦と共著を持つ男である。一時期、良く飲んだし、取材旅行で何カ国も旅もした。その流れで、島田の苦悩と喜び、生活者として生きていかなくてはならない側面と芸術家として生き抜きたい側面を眺めてきた。島田と出会う前から、僕は島田の作品と出会っていた。多くの人が僕を彼の世界に引き込んだ。
 出会う何年も前から作品を通して島田と相当対峙したのだ。島田は同世代の作家とだけでなく、常に夏目漱石、三島由紀夫、ドストエフスキーと正面から向き合った、向き合ってる。そして、音楽。
 僕はそれまでも読んできたけれども島田と知り合って、再度、これらの文豪の世界と対峙することになる。彼らを眺めるだけでなく、どっぷり浸かって見た。それは、島田の世界を旅するために、漱石も三島もドストエフスキーも必要だからだ。
 島田は20代から現代を代表する若き作家のアイコンとして、その美貌もあって常に注目される存在であった。芥川賞最多ノミネート作家。だがついに受賞しないまま、いまや選考委員である。加齢とともに立場が微妙に変わっていくさまも本当に面白かった。そして、島田は孤独である。島田の作品に決定的な刺激を与えてくれる暴力的な存在が廻りにいるとはいえない。廻りに絡む人々は島田から欲しがるが与える存在ではない。だから、島田の発言はほとんど変化しない。もうテレビでの発言も書くものもリフレインである。ミーハーなアレレな人ばかりの取り巻きを含めて芸術家の生き様は苦悩にも満ちていて面白い。書く材料は山ほどあったのだ。
 しかし、僕は書いていない。なぜか?僕の廻りには、それを演じられる役者がいないからだ。
 野木さんは、この作品を上演するにあたって、その問題はどうしようと思ったのか?脚本を発表するだけでなく、演劇作品として上演するにあたって、野木さんの廻りの役者で文豪を演じさせるということについてどう考えたのかだろうか?
 演技が良かった俳優はいる。例えば、酒巻誉洋、例えば、生津徹。例えば、加藤敬。例えば、…。評判のいい野木さんの作品だから、小劇場界で評価の高い役者が集結している感もあるキャスティングだ。しかし、だ。この野木さんの本は、プリズムのようにちょっと光の当て方が変わるだけで変幻自在に変化していく演技を求められる難しい台本だ。俳優は自分の立ち位置を把握するのも一苦労だろう。リアル感一本で押し通せるものでもない。何しろ、明智や江戸川乱歩、金田一耕助、横溝正史らを演じなくてはならないのだ。
 それは、野木ワールドが放つ光に頼って演じるだけでなく、自らが光を放たないと対抗できない。それを若い小劇場の役者が体現できていたのかというと、残念ながら成功したとはいえない。
 いい方を変えてみよう。過去、文豪の小説の強烈な登場人物に、映像で舞台で名優達が格闘し演じてきた(しかし、多くが敗北した)そのキャラクターに対抗できただろうか?
 僕はこの1ヶ月、日本では平成中村座や文学座、ニューヨークでも名優の演技を山ほど見てしまったので、どうもハードルが高すぎるのだろうと思うけれども、僕がこの1ヶ月で見た俳優と同じレベルの人達がやるべき役柄だと思うのだ。
 僕は自分の感性と想像力を総動員して舞台上の人物を文豪らと捉えようと試みた。が、それが、野木さんの世界を観るのに必要な切符だからだ。しかし、その幻想の世界についぞ引き込まれる事はなかった。僕はここに小劇場演劇の限界を見てしまったのだ。そして、自分は書かなくて良かったなと思った。2012年4月21日@三鷹市芸術文化センター星のホール
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「中村勘九郎は千両役者だ」
 演目を選んだのは勘三郎だろうが、勘九郎は見事にこの大役を成し遂げていた。本当に若く真面目に演技に取り組む姿には頭が下がる。僕は大ファンになった。
 最初の一声では、あれ誰だろうと思ったのだ。僕は小笠原騒動についてはほとんど知らない。前に見たのかどうかも覚えていないくらい。この悪漢を勘九郎は見事に演じ、もう一役、善人の役との演じ分けも見事。橋之助と2人でこの舞台を支えていた。昼は勘三郎が座長、夜は勘九郎が座長を立派に勤めている。中村屋の家系はこうして見事に引き継がれた。正直言うと、僕はクソ真面目に芝居に取り組む勘九郎の方がご贔屓になってしまったくらい。
 ただ、串田和美という素晴らしい演出家のいる昼の部と比べると、現代性という意味合いで、テンポやダイナミズムがイマイチで4時間の長尺はちょっとだれるのだ。平成中村座は定形幕が白、茶、黒で江戸時代はいろんな一座があっていろんなのがあったんだろうなと思いを馳せた。2012年4月17日@平成中村座特設劇場
ジュリータイラー演出
ボノ 音楽


「まるでアミューズメント施設のアトラクション」
 傑作映画「スパイダーマン」1作目の舞台化、それもミュージカル化である。アクロバットのシーンでけが人が出て作り直しと報道もされた。2年ぶりのニューヨークで大変楽しみにしていた作品だ。そして、がっかりした。
 着ぐるみやサーカスのようなアクロバットも、フライングも確かにすごいのだが、それが演劇的空間として成立しているのかというとポジティブに語れない。まるでアミューズメントパークのアトラクションなのだ。仕掛けはスゴいが、演劇としては一流ではない。これが僕の結論だ。僕は始まって10分もたつとすっかり飽きてしまった。高いチケット代(160ドル)を払って観るもんじゃねえと思った。話題作なのでいい席を抑えたのに、なんじゃよコレと強く思った。
 ボノの音楽もダンスもイマイチ。ダンスもアクロバットはあるのだが、ミュージカルの中のダンスはただ踊ればいい。ただ激しく踊ればいいというわけではなく、登場人物の心が投影されていなくてはダメで、どのダンスもそうはなっていないのだ。
 期待していただけにがっかり感は果てしない。フライングで飛びまくるスパイダーマンに子どもたちは大喜びだ。でも、それはやっぱりアミューズメントパークのアトラクションのノリなのだ。

2012年4月14日@フォックスウッズ劇場
ジュディガーランド、最後の日々の物語
作/Peter Quilter
演出/Terry Johnson
出演/Tracie Bemmett


「見事な演技と歌唱。まさにそこに降りてきていた」
 トレースベネットの演じるジュディガーランドは、彼女の私生活などは全く分からないけれども、それが人間として透徹されていて見事としか言いようがない。さらに歌唱場面での彼女の声やしぐさが、話し方、唄い方、何から何までそのままで驚いてしまう。それは最初の一言で、最初のワンフレーズの唄い方で観客の心を虜にしてしまう。
 ジュディガーランド、彼女は当時47歳の女性として孤独やセックスにもみくちゃにされていたのかもしれないけれども、この若くして死んだ彼女の芸へのこだわりとか、次に何をしたいと思っているのかといったこと。そういう要素が台本に少なかった。
 「おしっこいった?」とか「私はベットではものすごくいいのよ」といった下ネタばかりが多すぎてちょっとひいてしまう。僕は彼女の女としても興味はあるが、アーチストとして、キャリアを積んできたその最後に、どう芸能人として歌や演技に取り組んでいたのか向き合っていたのかをもう少し見てみたかったのだ。彼女のあの唄い方、あの演技のアプローチは彼女の私生活のどういう部分が影響していたのか?
 この本では彼女の歌や演技に対する深い愛情と執着をあまり感じられないのだ。やりたいことができない葛藤やもどかしさもあまり伝わって来ない。そこをもっと強く出していかないと彼女が薬や酒につぶされていった過程も弱くなる。そういう意味でこの作者と興味の方向性が違うんだろうなと思った。
 まあ、そうやってケチをつけることもできるけれど、素晴らしいトレシーベネットの歌唱を聞くだけでこの作品は見る価値が十分にある。観客に取って素晴らしい夜になる。ミュージカルというよりも歌入りの芝居として完成度高い作品だ。


2012年4月12日@ブロードウェイ ベラスコ劇場
作/THERESA REBECK 演出/SAM GOLD
出演/ JEFF GOLDBLUM, JUSTIN LONG,
     ZOE LISTER-JONES, JERRY O'CONNELL and HETTIENNE PARK


「映画と舞台の演技の違いを感じた次第」
 ブロードウェイでは珍しい1幕もの95分のブラックコメディ。ライターとして食っていけるようになりたい若手4人が数千ドルという高額の授業料を払って文壇の権威に特別講義を受ける。そのやり取りを楽しむというもの。そのやり取りから人生が透けて見えてくるから芝居として非常に質が高い。
 ジェフゴールドブラムは例によって彼独特の演技で勝負する。今回見ていて思ったのは、間合いの取り方などやはり高い技術の裏付けが彼の個性を引き立たせる背景にあるのだと思った。「ダイハード4」で主演のひとりだったジャスティンロングはやはり若手の中ではダントツのうまさだ。演技がしなやかなのだ。ライブ感も多くあって映像が活動の主体であることを強く意識した。ほかの3人もうまいのだが、やはりこの二人に目が言ってしまう。4月3日からキャストが相当入れ替わってゴールドブラムとジャスティンロングというキャストになったために見たのだが、面白かった。ちょっと英語が難しくてわからないところも多かったけれども。もっとお客が入っていいのに、隣で「セールスマンの死」を上演しているのが相当損している理由だと思う。


2012年4月11日@ブロードウェイ ゴールドマン劇場
DEATH OF A SALESMAN

Written by Arthur Miller
Director Mike Nichols


Willy / Philip Seymour Hoffman
Biff/ Andrew Garfield
Linda/Linda Emond

Charley Bill Camp
Happy Finn Wittrock
Stanley Glenn Fleshler


Uncle Ben John Glover
Miss Forsythe Stephanie Janssen
Bernard Fran Kranz

「マスターピースの上演史に刻まれる名演」
 今回のアメリカ行の目的のひとつが、この上演を見ることだ。日本で予習をし万全の態勢で出かけたこともあり、この稀にみる名演を堪能できた。フィリップシーモアホフマンは、この10年弱の間にハリウッドのトップクラスの俳優として君臨する名優となった。それはほぼデビュー作でもあった「トルーマンカポーティ」1作でアカデミー賞主演男優賞を奪取したことでも明らかだ。それも誰もがその受賞を疑わない圧倒的な名演であった。
 ホフマンは若いころのアルパチーノやデニーロのように、役にのめりこむタイプの役者である。舞台上の彼は演技をしているというよりも、ただそこに存在している。台詞のうまいこと、表情の豊かなこと、肉体の存在の見事なこと。ただ椅子に座っている。ただ歩いている。ただ人を見る。そのひとつひとつが、資本主義国アメリカでアメリカンドリームを実現できなかった男の哀しみを体現しているのだ。
 僕はブロードウェイとロンドンで本当に多くの名優たちを生で見てきた。ダスティンホフマン、ケビンスペイシー、アンソニーホプキンス、デンゼルワシントン、ジュリールイス、ケヴィンクライン、ローワンアトキンソン、3回みたマギースミス、バネッサレッドグレープ、キャサリンゼタジョーンズ、ジェシカラング、マイケルガンボン、マーティンショート、ジョシュハートネット、バーナデット・ピータース、イーサンホーク、ジェフゴールドマン、ネイサンレイン、アルバートフィニー、ジョンリスゴー、グレングローズ、クリスチャンスレーター、ダニエルラドクリフ、マドンナのストレートプレイを見てるし、そして、ジャックレモン。今回も「エビータ」のリッキーマーティンに始まって、前に「ピローマン」を演じたのも観劇した2回目のジェフゴールドマン、若手の演技派ジャスティンラング、そして、キャンディスバーゲン、アンジェラランズベリー、ジェームズアールジョーンズ、ジョンラケット、5回目のマシューブロデリックと山ほどハリウッド映画のスター達を生で見ているのであるが、本当にうまい。しかし、今日のホフマンの演技はそんな名優たちの中でも特筆だ。
 普通スターというのは持って生まれたオーラ、キャラクターから来るオーラというものがある。それはそれで素晴らしい。しかし、このフィリップシーモアホフマンという俳優は普段はきっと普通のアメリカ人のおじさんとしてカメレオンのように大して目立たない。しかし、一度演技を始めるとその演技自体がオーラを放ち魅力となるのだ。キャラではなく演技そのものが輝いている。それも押しつけがましいのではなく、普通にただ存在しているだけなのに。そういう意味で、前述のスター達とはまた違った次元にいる俳優なのだと思った。
 日本にいまこれほど素晴らしい俳優がいるだろうか?男優で?
 共演したリンダエモンド、アンドリューガーフィールドも丁寧な役作りでものすごくうまいのだが、ホフマンの前ではかわいそうなくらい目立たない。演技をしているという感じから抜け切れていないからだ。
 そして、もうひとつ付け加えたいことがある。ブロードウェイは確かに悪い意味での資本主義に染まっている。特に9/11以降はチケット代が本当に高くなった。昔はなかったプレミアムシートで、このセールスマンの死も最高席は400ドルである。通常席のS席(1階席と2階席の2/3)は140ドルくらい。最後列2列くらいが水曜のマチネだけ60ドルといった具合。僕がここで芝居を見始めたころは最高席でも60ドルくらいで、ミュージカルでなければ50ドル以下だった。本当に高くなったものだなあと思う。
 例えば、この「セールスマンの死」は16週間の限定である。シーモアホフマンが演技をしているから見るのであって、ミュージカルのようにでは次のキャストというわけにはいかない。いろんな問題がある。今日見た劇場はミュージカルでない良心的な名作、意欲作を上演することが多いエセルバリモア劇場。5~7年くらい前に、ここで見た「ガラスの動物園」も素晴らしかった。ジェシカラングとクリスチャンスレーターをデビッドルヴォーが演出していた。
 こういった素晴らしい演技を経済的に余裕がない若い演劇人、若い人たちに見てもらう方法はないのだろうか?

公演後歩いて帰るホフマン(笑)

2012年4月11日@ブロードウェイ エセルバリモア劇場
脚本/ゴア・デビル 演出/マイケルウィルソン
出演 ジェームズアールジョーンズ(「博士の異常な愛情」「レッドオクトーバーを追え」「パトリオットゲーム」「フィールドオブドリームス」「ルーツ」ダースベイダーの声)、キャンディスバーゲン(「砲艦サンパブロ」「風とライオン」「結婚ゲーム」)、ジョンラクロット(「JFK」「リッチーリッチー」)、ケリーバトラー(「ツインズ」「アナザーワールド」「30ロック」)エリックマコーマック、アンジェラランズベリー(「ナイル殺人事件」「ジェシカおばさんの事件簿」) ほか トニー賞、オリビエ賞、アカデミー賞の常連ばかり!

権力、野心、政治上の秘密、過酷な大統領選の舞台劇。ゴア・ビダールのThe Best Man(ザ・ベストマン)の舞台設定は大統領選挙の予備戦中の党大会で、二人の候補者が指名獲得争いに凌ぎを削っている。泥仕合に騙し合い、三重の言い抜け、と
「名優、スターのきらびやかな競演を満喫」
 とても面白かった。同時に日本での上演は考えられないなと思った。きらびやかなスターたちが、きちんと政治家に見える。政治家の台詞を話すのだ。日本では会社員、経営者、政治家、弁護士、医者に見える俳優がどれほど少ないか。だから、この俳優でやるのかと思うキャスティングになる。例えば、今度やる「エンロン」。僕なんか一番見たい種類の芝居なのだが、また、あの市村節で芝居をやられるのかと思うとわざわざ金を払ってまで行きたくなくなってしまうのだ。怪人やエンジニアは良いのだが、政治家、医師、経営者、弁護士、ジャーナリストとかを、いつものあのテンションで市村さんのセリフでやられたらどれもこれもぶち壊しだと思うのだ。
 この作品は1960年の民主党の指名争いの党大会の話だ。実際に指名されるケネディは出てこない。3人の候補が最後のしのぎを削っているという設定だ。
 壮年で病気を隠し、妻との冷え切った関係の候補。若く野心があるが軍隊時代にホモ疑惑を持つ若い候補は、壮年候補の秘密を握って今にもマスコミに公表して逆転してやろうと必死だ。一方、壮年候補も若手候補のゲイ疑惑の秘密を握る。
 大統領は壮年候補を支持。しかし、末期癌で痛み止めを飲みながら選挙戦の行方に絡んでくる。最後に二人の候補は取引をしようとするが…。
 といったストーリーである。 ブロードウェイで芝居を見ると、どうしてもミュージカルの比重が多くなる。英語の台詞の理解度に不安があるので、音楽、歌、ダンスでも楽しめる作品に手を出しがちだ。しかし、今回の芝居はあらすじも知らなかったし、何も知らずにとにかくスター総出演というのに惹かれてみたのだが、これだけ英語の台詞がきちんと分かる芝居も珍しいなあと思った。
 この芝居はブロードウェイものでは珍しく3幕仕立て。そこで、どうしてだろうと思いながら3幕を見ていたら、なるほどと思った。わざとらしくなく、微妙に重要なキーワードをきちんと際立たせるように自然に台詞を話しているのである。特にアクセントをつけたり、間をとったりするのではないのであるが、言葉を大切にしている。伝えている。これでキーワードを聞き逃さずに聞けるから話がどんどん分かるのである。名優の技術ってこういうところに出るのだなと思った。そういえば、日本でも昔の新劇の名優はそうだったし、今でも現代口語ではない歌舞伎を見ても何を言ってるのかがわかるのは、歌舞伎の俳優はそういう技術を伝承しているからだ。
 大統領選挙戦のいま、大変面白い芝居を見れて大満足なのであった。



2012年4月10日@ブロードウェイ ジェラルドシェーンフェルド劇場 Gerald Schoenfeld Theatre
ジョージガ−シュイン音楽
マシューブロデリック キャサリンオハラ 主演
Estelle Parsons Judy Kaye Michel McGrath Jennifer L Thompson Robyn Hurder



「名うてのコメディアンの競演!」 新作ではあるが話はあまりにも古い。骨董品。「Me&Mygirl」や「Anything goes」と同じ成功を狙うプロダクションだ。
 舞台は禁酒法時代の1927年のロングアイランド。金持ちのバカ息子のたわいのない恋と結婚の物語である。ガーシュインの名曲をたっぷり使って単純なおばかな設定の中で今ではありえない語が繰り広げられる。ストーリーに突っ込みを入れてはならない。この舞台を見ると決めたとたんから、ストーリーはどうでもよくなる。そこから解き放たれて、そのたわいのない話をものすごく腕のある役者陣の名演を楽しめばいいのだ。驚いたことに彼らが思った以上に遊びまくる。まだ幕が開いたばかりだろうから、毎日が発見なのだろう。脚本のジョーディピエトロはメンフィスの脚本で2010年にトニー賞をとったばかりの勢いの人である。そして、演出のアキャサリーンマーシャルは振付も兼ねている。こちらは2011年にエニシングゴーズの再演でトニー賞。まあ名うての喜劇役者にゆだねる部分も多いだろう。そんな作品である。
 舞台上で遊びながら新しい発見をしながら芝居を完成の極みに作り上げているのだ。
 マシューブロデリックは共演者の演技を本当に楽しそうに見ていた。この人の力の抜き方は大したものだ。上に書いた役者は僕は知らない人も、見ているけれども顔と名前が一致しない人もいるが、調べてみるとものすごい人ばかりだ。そして、うまい。みんな自分の見せ場が分かっていて、お客さんを楽しませることを喜んでいる。観客の年齢層は高めであるが、これこそ日本で上演するのにふさわしい作品かもしれないと思った。 
 しかし、この作品のブロードウェイでの上演はトニー賞でもとらない限り、1年も続かないだろう。というのも、この舞台、話で見せるものではなく、これだけの超一流の喜劇人の芸を見せるものだからだ。そして彼らは同じ舞台を1年以上は続けないと思うからだ。芸を見るものだから、この面子がいなければ成立しない。
 僕はマシューブロデリックをブロードウェイで見るのは5回目。1995年の「努力しないで出世する方法」シリアスな「夜は確実にやってくる」ネイサンレインと組んだ傑作2本「プロデューサーズ」と名作「おかしな二人」に続くもの。ブロデリックも年齢を感じさせ、童顔で永遠の青年役という設定はそろそろきかなくなってきている。今後どう展開するのだろう?
 ブロードウェイで作品の良しあしよりも、名うての喜劇役者の名人芸を見たい人にオススメ。



2012年4月9日@ブロードウェイ インペリアル劇場
How to succeed in Business without really trying
演出・振付/ロブ アシュフォード
出演/ ニックジョナス ボーブリッジス マイケルウリエ ステファニーローセンベルグ




「努力の末に極みに至った『努力しないで出世する方法』」
 努力をしないで出世する方法を初めてみたのは小学生のころだった。淀川長治さんがホストを務めていた日曜洋画劇場でズタズタにカットされた短縮版を見たのだった。なんだこれ、面白いぞ!それが1967年版の映画版「HOWTOSUCCEED」だった。これは1952年の芝居を1961年にミュージカルにし、1967年に映画版となって長く埋もれてきた作品である。
 わかりやすくいうと、クレイジーキャッツ・植木等の原型がここにあるのだ。C調で人間関係をうまく泳いで出世するというお気楽ストーリーの原型だ。まさに1960年代だ!
  ビデオもレーザーディスクでもDVDでも日本では再発されない。それが1995年にブロードウェイでマシューブロデリック(ハリウッド映画で山ほど出ている天才俳優)で再演された。それを見たのだ。どうも、それにはブレイク前のサラジェシカパーカーも出ていたらしい。
 
音楽がいい。ストーリーが面白い。こんなことありえないようなと思わずに現代のおとぎ話と思ってみればこんなに楽しい気持ちになれる作品はないだろう。マシューの演技も見事でこの作品でマシューはトニー賞の主演男優賞を受賞するのだ。
 あまりにも強烈でもう15年もたってしまったのかと思ったけれども2011年3月27日にその作品がさらにブラッシュアップ。1995年のプロダクションに磨きをかけ、使われなかった楽曲も足して、ハリーポッターのダニエルラドクリフで再演。
 正直、マシュー版にはかなうまいと思って見ようと思っていなかったのだが、今回のニューヨーク滞在は長くなんと16本の舞台を見られるので、見てみた。
 俳優のお目当てはタフガイの役柄を映画でやってきたボーブリッジスであった。

 驚いた。素晴らしい。マシュー版をも上回る大成功のプロダクションだ。
 演出も振り付けも1995年版とベースは同じである。しかし、細かいところをものすごく工夫している。一番の工夫は悪役バドプランプ役を単なるライバルではなく、もっと強くしコメディ要素を足したことである。1995年版ではマシューブロデリックひとり舞台の感じがあったが、今回は総合的なアンサンブルで成功しているのが分かる。
 驚いたのは主役のニックジョナス(Nick Jonas)である。全く知らない俳優だが、歌、踊り、演技がうまい。何よりもコメディのセンスが抜群だ。調べてみると何と19歳。信じられない。「キャンプロック2」というディズニー映画の主役をやってるらしいので見てみようと思う。「ヘアースプレー」などにも出ているが、なんと「レミゼ」のガブロッシュ、「美女と野獣」のチップを演じているというのだから10歳になるかならないかという年齢から舞台と映画、テレビで育ってきた芸人なのである。とにかく信じられないほどうまい。
 彼の演技は見事である。ベースは、たとえば話し方からして、マシューブロデリックの影響をものすごく受けている。しかし、完全にニックのものにしているのだからいいのだ。俳優は他人から芸を盗んで大きくなるのだから。とにかく、この男。見事。



 そして、バトフランプ役やったマイケルウリ(Michel Urie)のコメディアンぶりが一歩も引かず見事。演技の基本はミスタービーンの踏襲であるが、これが見事でオリジナルの演技となっている。観客の拍手もものすごくもらっていた。彼はブロードウェイデビューである。アグリーベティに出ているらしいが、あまりにも見事なので身震いした。
 初のブロードウェイが大役で、出演者の中では無名なのに見事に演じ切り観客の支持も得た。すごいな、スター誕生である。時間と空間の把握が見事すぎて。でも昔の日本にはこういう俳優もいたよなあと思うと残念。今はいない。対抗できるとしたら、西田敏行さんくらい。あとは無理。
 これらと比べると、目当てだったボーブリジッスは、先月見たジョージクルーニー主演の「ファミリーツリー」でもいい味を出しているが、こういう若い才能の前では見劣りしてしまう。
 振付も演出も美術も新しいが1995年版の影響が強くある。1995年版では使われなかった楽曲もありほんとに楽しかった。もう1回見てもいい。僕は口をあんぐり開けて驚いて何か盗めないかとみていた。
 しかし、この成功は、50年に渡ってこの作品を大切に育ててきたアメリカのエンタティメント界の勝利である。ひとつのもので作り上げたない。努力の末にたどり着いたエンタティメントの高き頂きである。日本ではこの作品は1995年版を宝塚がやった。違うんだよなあ。見てないけれど、そういうんじゃないと強く思った。

 もしも、ニューヨークでミュージカルを見るのであれば、まずは最初にこの作品を選んでいただきたいです。


ダニエルラドクリフ版(トニー賞受賞テレビ番組でのパフォーマンス)


マシューブロデリック版(トニー賞授賞式テレビ番組でのパフォーマンス)


映画版(1967年)ロバートムーアによるもの


2012年4月8日@アルハシューフェルド劇場
作曲/Alan Menken 作詞/Jack Feldman
脚本/Harvey Fierstein 演出/Harvey Fierstein 振付/Christopher Gattelli



「日本で上演するのならジャニーズで」
 とにかく10代から20代の若手俳優が山ほど出ていて、アクロバットのたくさんある激しいダンスを踊っている。歌もたくさんあるし、舞台の小道具セットのセッティングなどもどんどん使われていてディズニー厳しいなあと思ってみていた。主役の青年の靴ひもが緩かったらしくちょっと躓き、歌いながら直していたり、新聞紙を破ってそのうえで踊るシーンなど新聞がどうしても残る。その上にダンサーが足を乗せたら滑って最後である。ひやひやしながらも見ていた。プログラムでは悪役の新聞王はピューリッアー賞のピューリツアーになっているが芝居上では名前をあまり言わないように要らない配慮もあったりした。
 話は映画版を基礎にしているが、話を絞り込み、出演者を絞り込む工夫が随所にされていて、楽曲も映画ではなかった曲も入ったオリジナルな作品となっていた。例えば新聞記者役を男から女に変え、主役ジャックの彼女となるようにしたといったことなどだ。
 日本でやるなら、東宝や四季などが買い取らずに、ジャニーズがそのまま買い取って自らのプロダクションでやるのが唯一の方法だと思った。アクロバットができて踊れる若い男の俳優が20人以上必要で、それも、ジャニーズプロダクションにとっては、歌とダンス、演技の実践の場として通常のレビュー系のものだけでは対応できない厳しい乗り越えなくてはならない山が山ほどあるし、主役は20代後半~30代でよく、短いながらの多くの出演者に芝居どころがあり、歌も歌えるといったことからも向いているのではないかと思った。



2012年4月@ニューヨークブロードウェイ ネダーランダー劇場 Nederlander
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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