佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 音楽 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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エサ=ペッカ・サロネン指揮 
フィルハーモニア管弦楽団来日演奏会
レイフ オヴェ・アンスネス ピアノ独奏


べートーヴェン作曲 「シュテファン王」序曲&ピアノ協奏曲第4番
マーラー作曲    交響曲第1番「巨人」



20年以上の期間、3度目にしてやっとサロネンの面白さに気がついた。
コンサートに通う楽しみとはこういう公演に出会うためである。今宵はメインディッシュ2本だてという様相の公演だった。アンスネスというピアニストは音がきれいなだけでなく、音楽の構成の仕方の重心がしっかりしていて、ベートーヴェン演奏史の系譜のいまの中心に据えることのできる演奏者なのかもしれない。下手な小細工は一切捨てて音楽に向って行く姿は清々しい。どこか根底でバックハウスやルドルフゼルキン、ケンプといって演奏者とつながっている。僕にとってはポリーニやアルゲリッチよりも何倍も聞いてみたいピアニストになった。
マーラーの巨人はスゴい演奏だった。冒頭の弦は音になるかならないかの掠れているのではないかという音色から始まる。それに色と生命が宿って行く様はたまらなかった。2楽章までは、まるで春が到来し、春が爆発していく感じだった。よく細部まで良く聞こえる演奏といった表現を使う人がいるが、管楽器も打楽器も独立し個性豊かなのに有機的に結びついている旨さはたまらない。俯瞰でみてもクローズアップで迫っても面白いのだ。弦も例えば2楽章の中音域の美しさといったらたまらない。都響のマーラーでも感じられたが、ここでもマーラーというか、ユダヤ節は極力排されていて純音楽演奏の魅力がある。こういう演奏は、マーラーとはこういうものだ。ブルックナーはこういうものだと指揮者による演奏の振り幅が少ないウィーンフィルなどではできない演奏家もしれない。元々は録音オケとして結成されたフィルハーモニア管弦楽団だからできる演奏だと思う。ああ、言って良かった。サロネンは、90年代の初めにロスアンジェルスでロスフィル。2010年にザルツブルグ音楽祭でウィーンフィルと聞いた時にサロネンのこの溢れる才能に気がつかなかった。今宵の演奏で皆が騒ぐ理由が分かった。2013年2月8日@サントリーホール
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デビッドジンマン指揮


Cプロ マーラー/交響曲 第7番 ホ短調「夜の歌」
2013年1月12日@NHKホール
Bプロ ブゾーニ/悲しき子守歌~母の棺に寄せる男の子守歌 作品42
   シェーンベルク/浄められた夜 作品4
   ブラームス/ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83
          ピアノ:エレーヌ・グリモー
2013年1月17日@サントリーホール



ジンマンはじんわりとN響を引き上げた。
ジンマンといえば、多くの人と同じ様に彼が90年代に録音したベートーベンの交響曲全集(これは新興レコード会社のもので全集なのに3000円くらいだった)の清新な演奏で注目した。N響との共演をきくのも今回が初めて。N響はとにかく巧い。Cプロのマーラーの7番はあまり演奏されない曲だ。マーラーの分裂気味な精神をそのまま現れた作品だ。これをしっかりと聞かせてくれた。
Bプロでは、ブゾーニの美しい世界を、シェーンベルグの名曲。このふたつの室内楽的な作品が逸品だった。これで合奏の基礎がさらに強まったからか、後半のブラームスの響きは圧倒的でグリモーがどうやろうと確固たる世界がオケから表出されお見事。N響といえばサバリッシュ時代のドイツものが忘れがたい人もいるだろうが、申し訳ないがこう言いたい。あの頃より、今のN響の方がすごい。ただ、今回の演奏でジンマンとはこういう指揮者だというものまでは僕には見えなかった。でもこれだけは言える。普段からスゴいN響であるが、じんわりとその力腕を上に引き上げた。60点から70点になるのは割と楽なものだが、95点から96点にあげるのは血みどろの努力がいるものだ。
ベートーベン作曲 交響曲第9番

指揮:ロジャー・ノリントン
ソプラノ:クラウディア・バラインスキ
アルト:ウルリケ・ヘルツェル
テノール:トーマス・モア
バリトン:ロバート・ボーク
合唱:国立音楽大学

魅力的なノリントンの演奏

名演。ノリントンのピリオド奏法をN響は見事に向い合って演奏する。この奏法はデジタルなのである。アナログな楽器をデジタルの様に演奏する。それは何を意味するかといえば、合奏のなかで、他の人の音を高度な集中力をもって聞き音質を合わせ、スコアに対していつも以上に忠実に音の出し入れをしなくてはならないのだ。だからこそ、いつもは聞こえない音までもが聞こえてくる。合唱までノリントンの要求に応えていたのが面白かった。
 10年ぶりくらいで聞いた第9。面白かった!
2012年12月25日@NHKホール

尾高忠明指揮 読売日本交響楽団
マーラー作曲 交響曲第9番

尾高はもっと世界で評価されていい指揮者だ。
丁寧にマーラーのスコアを手繰って行く尾高のアプローチは他の曲に対する彼の姿勢と同じで誠実そのものだ。決して特異なことをするわけではなく、スコアのすみずみまで光をあて、充実した演奏を聴かせる名指揮者だ。もっと世界的に評価されていい人だ。
いわゆるユダヤ節で曲想を埋め尽くすことはせず純粋な管弦楽としての魅力を引き出した。読響の演奏もみごとだった。弦のアンサンブル、低音から高音まで艶やかで厚みのある音を楽しんだ、管楽器も個性も技術もある演奏だった。
 尾高はこんなに素晴らしい演奏を引き出すのだ。ほぼ日本の楽壇の活動で終わってしまった山田一雄や朝比奈隆を思い出してしまった。アジアの管弦楽の目指すべき演奏はここにある。

2012年12月14日@サントリーホール





Aプロ
 ストラヴィンスキー/夜鳴きうぐいす 
 ラベル/子供の魔法 演奏会形式 
2012年12月2日@NHKホール


Cプロ:
 ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
 リスト/ピアノ協奏曲第2番(ルイ・ロルティ)
 レスピーギ/ローマ三部作 ローマの祭り、噴水、松
2012年12月8日@NHKホール

デュトワの要求に見事に応えるN響
20年以上前にアムステルダムでデュトワとコンセルトヘボウ管で子供の魔法を聞いたことがあるが、どんな作品なのかも良くわからず面白さも感じなかったが、今回の演奏ではこのユーモアに溢れたこの作品の本質が伝わる見事な演奏で、N響は世界でもトップクラスの高度な演奏を披露した。夜鳴きうぐいすも含めて独唱者も見事で声の魅力もたっぷり溢れていてこれを定期演奏会で聞ける幸せを感じた。さらに、Cプロは協奏曲のソリストのロルティの演奏に色彩感が乏しく、見事に演奏して行くN響の魅力と比較すると残念と思ってしまった。ローマの3部作は目くるめく管弦楽の面白さを会場にいる誰にでも分かる様に伝えた。デュトワの十八番であるが、彼のやりたいように表現できる様になったN響は見事である。12月はデュトワを聞く月。来年も楽しみだ。
ドビュッシー:版画
 1.パゴダ 2.グラナダの夕べ 3.雨の庭
Debussy: Estampes: 1. Pagodes 2. La soirée dans Grenade 3. Jardins sous la pluie

ドビュッシー:前奏曲集 第1集 より
 2.帆 12.吟遊詩人 6.雪の上の足跡 8.亜麻色の髪の乙女
 10.沈める寺  7.西風の見たもの
Debussy: Préludes 1 (Selection)
2. Voiles 12. Minstrels 6. Des pas sur la neige  
8. La fille aux cheveux de lin 10. La cathédrale engloutie
7. Ce qu'a vu le vent d'ouest

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シマノフスキ:3 つの前奏曲(「9つの前奏曲 作品1」より)
Szymanowski: 3 Preludes from op.1

ブラームス:ピアノ・ソナタ 第2番 嬰へ短調 作品 2
Brahms: Piano Sonata No.2 F sharp minor Op.2



ステージマナーもアーチスト評価のポイントとなる。
 ポーランド出身のツイメルマンは、今後30年というスケールで考えたときに巨匠中の巨匠として世界の音楽界に君臨する可能性の強いピアニストの筆頭である。音楽に向い合う姿勢も造形も技術的な充実も見事であるからだ。
 今回の演奏会ではドビッシーなどの演奏は古いフレスコ画の修復後のような明るい演奏で印象派の明るい光に溢れた絵画をみているようである。一方でブラームスの難曲を見事な造形の中で創り上げて行くのも見事である。
 しかし、今回はステージマナーが不思議だった。コンサートは観客と創り上げて行くものでその時に観客の集中を切らす様なステージマナーは不要だと思うのだ。リラックスして聴くプログラムではないのだから。ツイメルマンが、ちょっと精神的にハイになっているのではないかと思う様な感じだった。両手をパバロッティのように拡げて拍手を受けたり、咳を何回もして笑いを誘ったり。ホントに良くわからなかった。また料金が16000円というのは高すぎないか。高い上に首都圏でほぼ同じプログラムで何回も演奏会があるので客席がガラガラである。これも演奏会の集中力を上げるのにマイナスに作用した様に思う。この数回のツイメルマンの演奏会の中ではもっとも印象の悪いものになった。

2012年12月4日@サントリーホール
アルドチッコリーニ ピアノリサイタル

セヴラック/《休暇の日々から》第1集
演奏会用の華麗なワルツ「ペパーミント・ジェット」ほか
ドビュッシー/前奏曲集第1巻



崩れかかった究極の美はまるで水墨画のようで。
 チッコリーニは非常に高度で美しい、難しい小さな標的を狙って音を繰り出すピアニストである。ピアニストとしてはもうすぐ崩れてしまうだろう。
 つまり、さすがに80代のピアニストなので技術的には時おり外す。それは仕方のないことだ。しかし、ギリギリ彼の創り上げたい造形美は見事に伝わって来て、その造形美は現代最高のものであることから、やはり聞き逃せない演奏会だなと思った次第。
 ドビッシーなどはイタリアのピアニストとして、鋭角なデジタル感に溢れたミケランジェリなどと比べるともっと自由で色彩感に富む。古い見事な水墨画を見てる様な感慨だ。彼は水墨画を提示したいわけではないのだから、技術の後退で色が褪せてしまったと表現すべきかもしれない。前半のセブラックは知らない作曲家であったが魅力的な曲ばかりで、初聴の曲馬借りだが非常に楽しんだ。昨年の協奏曲はオーケストラとあまりにも合わなかったので聞いているのが辛いくらいだったが、揺れ動くチッコリーニの気持ちのままに演奏するリサイタルはやはりひとつひとつが聞き逃せないなと思った次第。

2012年12月1日@すみだトリフォニーホール
ベートーベン交響曲第4番&第3番「英雄」


 さすがヤンソンス。立派な演奏であった
 マリスヤンソンスは70歳以下の指揮者の中でもっとも素晴らしい指揮者のひとりである。その音楽はオーソドックスで王道である。バイエルン放送交響楽団もクライバーやマゼールなどと何回も日本に来日しているドイツを代表するオーケストラである。
 今宵も期待に違わぬ演奏だったのだが、最近の日本のオケの充実、先日のバンベルグの名演もあってハードルは天国くらいに高くなっていたのかもしれない。
 第4番交響曲の縦がちょこっとずれたりするのが妙に気になる。例えば第二バイオリンのピチカートがもっと合って欲しいと思ってしまう。第一バイオリンはコンマスさんの音ばかりが聞こえすぎではないかと思ったりもする。
 第3番では、素晴らしい合奏力で聞かせてくれた。それは見事な立派な演奏だった。
 でも何だろう。自分の心を打ち抜く様な感動を覚えることはなかった。
 何でか分からない。自分がもはや立派な演奏を求めていないからかもしれない。
 映像収録もされていたので、ぜひ皆さんもその演奏を確認して頂きたい。
2012年11月26日@サントリーホール

2012年11月定期
エドデワールト指揮
NHK交響楽団

Aプログラム
武満 徹作曲 遠い呼び声の彼方へ!(1980)*
      ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に(1987)*

ワーグナー作曲 楽劇「ワルキューレ」第1幕(演奏会形式)
ヴァイオリン:堀 正文*
ジークリンデ:エヴァ・マリア・ウェストブレーク 
ジークムント:フランク・ファン・アーケン
フンディング:エリック・ハルフヴァルソン

世界最高峰の水準で聞かせる充実の演奏会
 圧倒的な成功というのはこのことを言う。ウェストブレークのジークリンデは4月にメトロポリタンオペラの「ワルキューレ」でも聞いたのだが、今回の方が圧倒的だった。http://palove.blog.shinobi.jp/Entry/495/ それは、この日本を、いやアジアを、それよりも2010年代の世界を代表するオーケストラの充実した演奏が彼女の歌手魂に火をつけたからだと思う。高音まで圧倒的な声量でコントロールされた歌唱は、適度な重さがありドラマのキーワードが客席に伝わってくる。こうなると、男性陣二人も負けてられない。重責のジークムントは見事に応えるし、フンディングは理想的なワーグナーバスである。
 ワールトの作るワーグナーは、余計な解釈や個性で音楽に痕跡を残す下品な演奏ではなく、合奏力、演奏力の水準を追求して行く、見事な職人的な指揮で、それはワーグナーのスコアが持っている力がそのまま、どんどん伝わってくる。理想的なものだ。演奏会形式であるが、3人の出演者はその関係性や舞台上の出はけをきちんと表現して行くから、ドラマもきちんと伝わってくる。メトロポリタンオペラで観た大掛かりな作品をジャマする舞台装置があるよりもドラマがどかーんと伝わってくる。余計なことを語るのはもうよそう。今夜の演奏は現存する録音も含めて世界最高峰の演奏である。これ以上の演奏は個々の心と想像上の中でしかありえない。いまのN響の水準とはそのレベルなのである。
 65分のワルキューレの前に演奏された2曲の武満徹作品も素晴らしい演奏だった。ここでも見事なアンサンブル、そして掘さんの感傷的ではないけれども余情たっぷりのソロが見事だった。私はN響の定期会員であることを本当に幸せだと思う。そして、先日のお下劣ティーレマン/ドレスデン。1晩で32000円であるが、その金額があれば、D席ならN響の年間定期会員になることもできる。私たち、日本の音楽ファンは、そろそろ20世紀に持っていた欧米至上主義の音楽鑑賞を本格的に捨て去る時であることを自覚したい。そこには、輝きを失ったかつての一流ブランド品が多くあることを忘れてはならない。むしろ、N響、都響など東京ブランドの質の高さと費用対効果(そこはあまり関係ないことでもあるのだが)を考えるべきである。
 2012年11月10日@NHKホール



Bプログラム
曲目;メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」作品26
   ブルッフ作曲 ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26
   R. シュトラウス作曲 家庭交響曲 作品53

ヴァイオリン:ジャニーヌ・ヤンセン


どこまでも豊麗なサウンドに、えっ?N響

 わけあって、いつもの座席でなく金のない時に良く座ったRAブロックの音のバランスがとても悪い席。どんだけ音楽のバランスを崩しているかとことんわかる。
 しかしながら、ワールト/N響の仕事はそれはそれは見事である。フィンガルの洞窟を生で聞くのは今世紀初めて。非常に絵画的な楽曲をそのまま演奏する。ワールトは、ワールトの個性の痕を残そうとしない。全てはスコアに語らせる。何と品のいい本格的な指揮者なのだろう。ブルッフでは、リズムが立っていて圧釜炊飯器で炊いた粒のたったご飯のうまさがある。そこにヤンセンというスター性のある若い感性で楽曲を弾いてくれるから、おかずも満足という感じか。
 今宵のメインはもちろんシュトラウスだった。カラヤン/ベルリンフィルの名盤で予習して行ったのだが、生のN響で聞く方がそれこそ何十倍もこの楽曲の魅力を感じる。シュトラウスの曲は巨大な編成でありながら室内楽的な緻密さと個人芸も求める聞いていてぞくぞくするような曲だ。リヒャルトシュトラウスは何十年にも渡ってウォルフガングサバリッシュがこのオーケストラで何回も何回も取り上げてきた。スコアを弾くとともに、その微妙なニュアンスが出て欲しいと思うのだが、今宵はそれが完璧。一言で言えば艶やかなサウンド。やりすぎない、すべてある。そして魅力的。こういう演奏はウィーンフィル並の超一流のオケの演奏会でも、オケの状態が良く指揮者とのコンビネーションが旨く行くときでないと聞けない。僕は目をつむりながらこのユーモアに溢れた楽曲を微笑みながら聞いていたけれど、何回もまぶたを空けた。え、この至極なサウンドは、ホントにN響なの???ウィーンフィルでも、ドレスデンシュターツカペレでもなくて???サバリッシュがこの場にいたら、嬉しくて小躍りしただろう。そうそう!そう!2012年11月22日@サントリーホール




 東京都交響楽団の評判がものすごくいい。
 とうとう2012年度は東京都交響楽団の定期会員にもなってしまった。
 このうち絶対に行こうと思ってるのはインバルのマーラーシリーズだ。
 マーラーの交響曲第1番〜第4番に加え「少年の不思議な角笛」など

指揮:エリアフ・インバル


 インバル/アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団 マーラー交響曲10番


《マーラー》 少年の不思議な角笛(抜粋)交響曲第4番 ト長調**
ソプラノ:森麻季** バリトン:河野克典*
 マーラー演奏の頂点に立つ、珠玉の名演
 死への憧れと恐怖の二面性をマーラーは意識しつつ壮麗な管弦楽で9つの交響曲を完成させた。その中で2番以降の超巨大な楽曲の中で第4番は比較的短く、比較的平穏で、幸福感に満ちている。マーラーの交響曲の流れのなかで少々特異な存在にある愛すべき作品だ。華麗で分厚いスコアの管弦楽ではあるが、それを感じさせないふわっとした小品のように聞かせる、いや、聞く側に威圧感をまったく与えない演奏が理想なのである。
 インバルと都響はそのことを重々に分かっているのだろう。
 弦楽合奏のピッチの合い方、アンサンブルの素晴らしさ、微妙な変化もふわっと会う。それが上からの押さえつけでなく、楽員の内部からの何かで実現している様な自由さ、共感がある。出だし。鈴がなる。そして、主題が管弦楽によって引かれる中での有名なメロディ、一瞬のためと、そのあとの立ち上がり方、音量もテンポの復帰の仕方もぴたっとあう。こうした管弦楽演奏のアンサンブルの極限に挑戦しつつ、それを感じさせない。木管のアイロニー溢れる音楽の鳴らし方はなんだろう。
 マーラーをこんなに美しく、繊細に、そう繊細に演奏する団体はほかにあるだろうか?3月にきいたマーラーも驚いたが、都響/インバルはマーラー演奏に関して間違いなく現在、世界でトップの演奏をしているし、それは、マーラー=ユダヤという括りで演奏を極めていった、ワルター→バーンスタインという20世紀のマーラー演奏のひとつの頂きとは、また別の山。つまり、マーラーのテキストを純管弦楽として極めていく、欧州文化だけに頼らない、浸らない演奏のひとつの山をインバル/都響は登ったといえる。それは、これからもマーラー演奏のひとつの規範として語られて行くだろう。それは、これだけ科学技術が進んだ21世紀の演奏であるのだ。
 
 
 僕がこの4番を最初に聞いたのは16歳か17歳。ちょうどアバドとシカゴ響?の新しい録音がドイツグラモフォンから発売されて同級生の国平君から教えてもらって聞いてみた。この演奏は3回くらいしか聞いたことがない。あまり演奏されない名曲だ。僕のあやふやな記憶だと、1980年代の前半に若杉弘/ケルン放送響/エディットマチスの来日演奏会で聞いたのが初めてという記憶なのだが、どうも良くわからない。そのあと、日本のオケで生演奏に一度はあるかな。
 この交響曲は最後に女性の独唱が入る。森の声は3階席から聞くと弱いのだが、清い声で弱々しいのが却って天上からの声のようで良かった。
 何か言葉にするのがむなしくなってきた。あの感動は聞かなくちゃ分からない。いえることは、この日本人しか知らない、東京にある多くのオーケストラのひとつが圧倒的な世界でトップの、演奏をしているということだ。

2012年11月3日@東京芸術劇場



モーツアルト フルート協奏曲第2番 独奏 上野由恵
マーラー作曲 交響曲第5番
2013年1月20日@東京芸術劇場

《ベートーヴェン》歌劇「フィデリオ」序曲
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲 ハ長調 交響曲第4番 変ロ長調
ピアノ:清水和音 ヴァイオリン:矢部達哉 チェロ:向山佳絵子
2013年1月27日@東京芸術劇場
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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