佐藤治彦のパフォーミングアーツ批評 忍者ブログ
自ら演劇の台本を書き、さまざまな種類のパフォーミングアーツを自腹で行き続ける佐藤治彦が気になった作品について取り上げるコメンタリーノート、エッセイ。テレビ番組や映画も取り上げます。タイトルに批評とありますが、本人は演劇や音楽の評論家ではありません。個人の感想や思ったこと、エッセイと思って読んで頂ければ幸いです。
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ヘルベルト・ブロムシュテット指揮/バンベルグ交響楽団



85歳の若い老巨匠を得て水を得たように復活したバンベルグ響

ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」交響曲第7番
(アンコール)エグモンド序曲

 ジョナサンノット指揮でのバンベルグ交響楽団は少し沈滞した。このオケはドイツの名門オケが次々とインターナショナル化していくなかで、頑にドイツ的な何かを守ろうとしているオケなのだ。僕はヨッフム、ホルストシュタイン、そして、ノットでも聞いたきたのだが、若い指揮者に全幅の信頼を寄せないのだろうか?指揮者の意志が行き渡るというよりも、何か楽曲演奏の中心がどこにあるのか分からない演奏で緊張感がなかった。今回は85歳のブロムシュテットを得たことによって、大満足の演奏。このオケ、楽員の誰よりも演奏歴の長い人が来ると、何も言わずに従うのかな?そんなことないか。いづれにせよ素晴らしい!
 ブロムシュテットはつい数年前に、オスロで聞いたオスロフィルのブラームスで評価を変えた。それまではどうも面白くない演奏をする人だと思っていたのだ。最初にきいたのは、ドレスデンシュターツカペレとの来日。まだ社会主義時代の1980年代のことだった。あとはN響の指揮ということになるが、その頃のN響はドイツ人の巨匠が次々と指揮していたから、いまひとつパッとしなかったこともあるかもしれない。
 しかし、ブロムシュテットは85歳なのに若い。渋さよりも壮麗で、若々しいテンポで音楽をならしていく。4楽章の弦楽合奏だけで語られるところのアンサンブルの素晴らしさ、弦の音の美しさ。若々しいが、ブロムシュテットは余計なことを一切しない。ベートーベンに語らせる。そこが、若いティーレマンとの違い。こういう演奏をきくとべートーヴェンは21世紀にも生きていくだろうと確信する。
 ときおり、楽曲の冒頭で縦の線があわなかったり、管楽器がひっくり返ったり。ブロムシュテット/N響ではそんなことないのになあ。
 それにしても、こんなに良い演奏をしてくれるとは思わなかった。
2012年11月1日@サントリーホール

音楽界の勢力図が大きく変化している。そして、

モーツアルト/ピアノ協奏曲17番
ブルックナー/交響曲第4番「ロマンチック」

 ブロムシュテットは2011年秋のN響との定期演奏会でブルックナーの7番交響曲の名演を披露してくれているし、先週のベートーヴェンの演奏も良かったので、間違いなく素晴らしい演奏会になるだろうとは予想していた。
 しかし、その高いハードルも軽く飛び越す究極のブルックナーの演奏を聴かせてくれた。1日の演奏会であったような縦がずれるとか、金管などが揺らぐことも全くなく冒頭から深く強いアンサンブルを聞かせてくれるものだった。特に2楽章のボヘミア的ロマンチズムが溢れるところからは、この演奏はもうウィーンフィルやベルリンフィルなどでも聞かせることのできない、技術的、そして、高い音楽性をもった至宝の演奏であったといえるだろう。オーケストラの各パートはお互いを聞くとともに刺激し合い、有機的に高いレベルになっていくのだ。ブロムシュテットの微妙な変化に微妙に応えて行くのだ。唖然とする演奏とはこのことで、私は目の前にバンベルグ交響楽団とベルリンフィルの演奏会があって、どちらか好きなものをどうぞということになれば、バンベルグ交響楽団を間違いなく選ぶことになるだろう。ベルリンフィルはブランドは一流だし技術も特級だったが、今宵のバンベルグは技術は一流だし、個性と魅力はベルリンフィルを遥かにしのぐものだといえるだろう。最近の東京のオケの飛躍的な向上など、楽壇はいま大きく変わろうとしているような気がしてしかたがない。
 ブロムシュテットはいいという評価はあったとしても、カールベームなどと比較される様な指揮者ではなかったけれども、今回のバンベルグ響との来日で、少なくとも日本では、ベーム、カラヤンなどと比較される世界の音楽界の超一流指揮者として名声が確定したといえるだろう。
 ブロムシュテットは85歳だけれども若い。肉体的にも若いし音楽も瑞々しい若さがある。
 さて、今宵の演奏はこのブルックナーの交響曲を聴きに行ったのであってモーツアルトはおまけのような存在であったはずだった。しかし、その考えは全くの間違いであった。こんな化け物みたいなモーツアルトを聞いたことは私の経験ではない。17番のピアノコンチェルト。ソリストのピョートル・アンデルシェフスキというハンガリーとポーランドの血を引く若いピアニストの演奏がぶったまげるほどすごかったのだ。ピアニシモの美しさ、ピアニシモの中での微妙なゆらぎ、鋭角なリズム、こんな美しいピアノの音をきいたことがない。彼が丁寧な美しいピアニシモの音でオーケストラに襷を渡すと、それに呼応して非常に繊細な美しいピアニシモの弦が引き継ぐ。ああ、協奏曲でお互いに呼応するということはこういうことだよね!と思わせてくれる素晴らしいものだった。音楽は有機体としてライブに生きていた。モーツアルトが聞いたらきっと大喜びしただろう。僕は巨匠と呼ばれるピアニストを山ほどきいてきて、もうほとんどが亡くなってしまったし、ポリーニも一時期の生彩はないし、アルゲリッチは粗いだけになってしまったので、もうしょうがないなと思っていたけれど、あれだね。天才ってのは出て来るんだね。このピアニストの欠点は名前が覚えにくいことくらいだ。ああ、驚いた。
アンコールのバッハのフランス組曲のサラバンドも見事。コンサートがあったら他の予定を変更してでもいきたいと思った。
2012年11月6日@サントリーホール

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作/佃典彦 演出/松本祐子
出演/金内喜久夫 坂部文昭 藤堂陽子 奥山美代子 新保共子 ほか

金内喜久夫さんの存在感が楽しい
 数々の名優を生んできた天下の文学座といっても誰も彼もが粒よりの芝居をするとは言えない。杉村春子さんや、三津田健さん、太地喜和子さんら時代から見ているものにとってはかつての名優が懐かしくてたまらない。そんな中で現存する劇団員の中で金内さんの存在は本当に嬉しい。今回はかつて一世を風靡したマジシャン役。怪人二十面相のような舞台衣装もぴったりな俳優は日本に何人いるんだろう。もうご高齢なのに、あまり映像系の代表作をお持ちでないのが残念でたまらない。どうか、お元気なうちに多くの人に見てもらいたいな。

2012年11月5日@紀伊国屋サザンシアター
演出 ジャンピエールポネル
指揮 ペーターシュナイダー


アルマヴィーヴァ伯爵:カルロス・アルバレス
Conte d'Almaviva Carlos Álvarez
伯爵夫人:バルバラ・フリットリ
Contessa d'Almaviva Barbara Frittoli
スザンナ :アニタ・ハルティッヒ
Susanna Anita Hartig
フィガロ :アーウィン・シュロット
Figaro Erwin Schrott
ケルビーノ:マルガリータ・グリシュコヴァ
Cherubino Margarita Gritskova
マルチェリーナ:ドンナ・エレン
バジリオ:ミヒャエル・ロイダー
ドン・クルツィオ:ペーター・イェロシッツ
バルトロ:イル・ホン
アントニオ:ハンス・ペーター・カンメラー
バルバリーナ:ヴァレンティーナ・ナフォルニータ
村娘:カリン・ヴィーザー



普段着のフィガロの結婚
 ペーターシュナイダーが指揮したこの「フィガロの結婚」はウィーンの普段着の「フィガロ」である。フリットリの伯爵夫人など主要キャストは素晴らしいが圧倒的ではない。脇役まで一流をそろえた公演ではない。イル・ホンのバルトロなど全く声のいない歌手もいた。ウィーンの歴史と伝統の前では何か特殊なことをやっても無駄なだけ。オケもリラックスして演奏するのだが、その弦や木管の素朴な飾らない演奏がとても良かった。僕はこういう演奏が好きなのだ。


2012年10月28日@神奈川県民ホール
指揮:クリスティアン・ティーレマン
管弦楽:ドレスデン国立歌劇場管弦楽団


ブラームス:交響曲第1番&第3番
(アンコール)ワーグナー:リエンティ序曲


この、ブラームスはお好き?
 ブラームスの交響曲。世界中の超一流オケの演奏でいろいろと聞いてきた。聞かせてもらってきた。
 しかし、このティーレマン/ドレスデンシュターツカペレの演奏は全く違う高みに達していた。僕の記憶の中に生涯残る、圧倒的な名演だった。
 オーケストラがあのような緻密な演奏をするのは、チェリビタッケが指揮した時のミュンヘンフィルの緊張感に共通するものがある。決してフォルテ、最強音に簡単に行かずに、ピアニシモと中庸の中で深いハーモニーと微妙に揺れるテンポ、ひとつひとつのフレージングを大切にしながら醸し出すオーケストラ演奏のひとつの頂点。
 個性はあるのに、伝統の音でもある。
 ドレスデンシュターツカペレは共産主義の東ドイツ時代、80年代の来日で2回、あれはブロムシュテット、90年代になりシーノーポリで何回か、そして先年は、ファビオルイジと3人の指揮者の演奏できいてきたが、全く違う境地にいたことは間違いない。
 NHKホールは音響的には東京の会場の中ではもはやトップクラスではない。その中であれだけのプレゼンテーションをする。NHKホールで聞いたオーケストラ演奏会では間違いなくトップ5に入る時間だった。
 ドイツの現存するオケとシェフの組み合わせで、僕の中で決定的に、ベルリンフィル/サイモンラトルよりは、魅力的な組み合わせであることを確信した。
 ティーレマンをオーケストラコンサートで聞くのは、サバリッシュの代理でウィーンフィルとやってきた2003年の来日、そして、ミュンヘンフィルと来日した2007年と聞き、今回は5年ぶりなのだが、感動の深みが違うのは僕だけだろうか?ミュンヘンフィルの時にもブラームスの1番を聴いたのだが、その時の記録では「良かった」くらいしか書いていないんだよね。
 この極みはなんだ!
 来月はかつてのシェフであるブロムシュテットがバンベルグ響とやってくる。ホルストシュタインの最晩年、バンベルグと何回かやってきて、ブラームスのいい演奏を聴かせてくれたなあ。
 しかし、昨日の演奏はスゴかった。スゴいのに、圧倒的なのに、力でねじ伏せられている感じは全くない。音楽の何か重要な肝の部分でひゅーっと吸い込まれて行くようだった。
 それだからか、金管の音の出だしがちょいとひっくり返り気味になるのが目立って仕方がなかった。もちろん、いったんメロディに乗っかってしまうと素晴らしいのだけれど、ああ、ホントに良かったなあ。
 こうなると、ティーレマンの唯一の欠点は見栄えだな。
何かあの顔、体型、髪を観ていると1940年代のドイツの純粋愛国的な若者を思い出してしまう。あと拍手を指揮台から乗り出すようにして、どうでした?って見る顔、あれはキャラヤンぽい。フォンキャラヤン!
 昨日のアンコールのワーグナー「リエンティ」序曲も良かった。大枚32000円!出して聞きに行く26日のブルックナーも楽しみだ〜!正直、チケット代に金使い過ぎだが、この体力のあるうちにいい演奏を聴くために金を使いすぎて、人生の終末で貧乏になりおかゆを啜るようになったとしても、後悔なんかしない。
2012年10月22日@NHKホール



ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』から“前奏曲”と“愛の死”
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調

ティーレマンとカラヤン
 カラヤンが設立したザルツブルグのイースター生誕音楽祭やジルベスターコンサートのドイツ国内のテレビ中継などが、ラトル/ベルリンフィルから、ティーレマン/ドレスデンシュターツカペレに変わりつつあるという。欧州の楽壇を制覇しつつあるこの50歳の若き巨匠の存在は極めてユニークだ。
 既にドイツ系の音楽を演奏する指揮者はすべて既に高齢である。ハイティンク、マゼール、デイヴィス、アーノンクール…すでに80歳代。ヤンソンスも70歳。デビッドジンマン75歳。アバドもムーティもまもなく80歳。50歳前後で彼のライバルとなる人はいない。全くいない。それもティーレマンは久しぶりの著名なドイツ人指揮者である。私がこの指揮者に驚いたのは2003年のウィーンフィルとの来日だった。伝統のウィーンフィルをいつも以上の緊張感をもたせ、がっちし名演をきかせてくれた。その時と同じプログラムが今宵のそれだ。
 ワーグナーでは、ブラームスの時に聞かせた、中音量から弱音のレンジにおけるテンションの高さ、微妙な表情の変化は聞く側にも高い集中力を求めるもので疲れたがティーレマンの将来を楽しみにさせるものだった。
 しかし、このブルックナーはどうだっただろう。
良さはある。同じく弱音などでの面白さだ。同じくフレージングを歌わせる。弦のアンサンブルも素晴らしい。しかしながら、どうして、こうブルックナーのスコアにティーレマン節を残して行こうとするのだろう。それは故意に残すキズのようなものだ。
 カラヤンは権力を楽壇の中で示そうとしたが、ティーレマンは演奏の中に自己を投影した。それは、将来の飛躍のための道中の表情なのだろう。これから熟成されて行くのだろうとは思うのだが、決して心地よいものではない。
 ブルックナーは自ら書いた交響曲を決して信じなかった。幾度も書き直し、神に問うた。あなたがこの世に残したい楽曲はこういうものなのでしょうか?と
 ブルックナーの音楽はロマン派の音楽が吹き荒れた音楽の世界で、バッハからブラームスに至るドイツ音楽の本流と対話し、自らを託して生み出した楽曲だ。その音楽は教会や神社に漂う神聖な空気が、地球の歴史の遥かかなたを思い起こさせる大自然に漂う透徹した大いなる力と結びついた音楽だ。その空気が全編を覆う。その意味でブルックナーの音楽はブルックナーであり、ブルックナーではないのだ。そこに50歳の若造の音楽性?個性?の投影を残して自分らしさと思うのならそれはあまりにも青い音楽でありブルックナーではないのだ。2012年10月26日@サントリーホール

一、国性爺合戦(こくせんやかっせん)
  獅子ヶ城楼門/獅子ヶ城内甘輝館/同 紅流し/同 元の甘輝館
和藤内  松 緑  錦祥女  芝 雀  老一官  歌 六  渚  秀太郎
甘輝  梅 玉

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
武蔵坊弁慶  團十郎 富樫左衛門  幸四郎 源義経  藤十郎

団十郎の声が枯れて痛々しい
 以前、オモダカ屋の公演でみた実は会話劇「国性爺合戦」とおなじみ「勧進帳」を観た。今月は昼夜で幸四郎と団十郎が弁慶と富樫を入れ替えるというのが目玉なんだけど、団十郎の声が掠れて痛々しかった。幸四郎は相変わらず台詞廻しが上手い。技巧で演じていると思うときもあるが、今日は相手が弱っているからかいい意味で力が抜けていた。団十郎は大病もしたし今までのような全力で足して行く芝居でなく、そろそろ引いて行く芝居にして、役柄の骨格だけが残るようなアプローチにして行った方がいいように思う。
 松緑がいい。声がいい。テンションが高い。手を抜いていない。いわゆる元三の介の中ではあるが、決して華があるわけではないし、見栄えも良くないけれど、精進してどんどん良くなって、この人の役回りというのがくっきりしてきた。今回の和藤内なんかもそのひとつ。何か一筋のスゴさを感じる。
2012年10月24日@新橋演舞場


やはり僕は好きになれない。
 東京セレソンデラックス「笑う巨塔」を鑑賞。何と500円で見せてくれるとカンフィティという演劇のチケットサイトに載っていた。6500円のチケ代で観に行こうとは思わないが、最終公演だし出演者は豪華だし、前にみたときの印象が変わるかもしれないと、この10年でもっとも商業的に成功した小劇場出身の劇団のひとつの解散公演を観に行った。で、やはり好きでない。嫌いだ。
 理由は前回と同じ。お客は笑っている。楽しんでいる。役者も松本明子や石井さん、金田さんなど名うての役者が出ている。しかし、笑いの源泉を人の身体の特徴、ブス、デブ、チビ、ハゲということをストレートに徹底的に笑いものにする。また、肉親をガンで亡くしたものにとっては笑えない設定。それをも笑いにする。これは前に観た時にもそう思ったんだけど、これだけお客さんが入っている限り、みんなそういうところには無関心なんだろうか。僕はちょっと…なのである。
 今回も思ったのだけれど、宅間さんという人は才能のある人だと思うのだけれど、きっと育った環境が文学や演劇というよりもテレビなんだと思う。すぐに演劇からコントに脱線し、芝居の流れを止めてしまう。コントというか、アドリブトークというか、客席からの笑いがあるから引っ張る、引っ張る。笑いが取れれば何でもあり?これ喜劇なのか?と思ってしまう。
 もちろん、松本明子、金田明夫、石井宣一(こざとへんなしでゴメンネ)デビット伊東らの芸達者の至芸は見事。
 
2012年10月20日@サンシャイン劇場
指揮/シルヴァン・カンブルラン
管弦楽/読売日本交響楽団


合唱;新国立劇場合唱団
ラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロワ」(全曲)
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)

楽曲の面白さには到達できなかった読響のラベル

 ラベルは難しい。クラシックの音楽でありながらジャズの要素がある。そのひとつの特徴は即興性。再生音楽ではなく、いまそこで生まれた様なアドリブ感と躍動感。そして、演奏者の個性が十分に放たれ、全体としてもひとつの求心力を求められる。楽曲をひとつの楽想で突き通すだけでなく、微妙な変化や音色が変わって行く面白さ。そういう万華鏡的色彩感がなければならない。
 テンポもリズムもスコアに書かれてあるから動いて行くのではなく、もっと内的なものから発した自己性を求められるのだ。フランスのオケが演奏するラベルは、その面白さが出ていることが多く面白いのだ。日本ではN響がデュトワとの長年の共演から面白い演奏を聞かせることが出てきた。
 しかし、今宵の読響はそういったラベルの面白さは伝わってこなかった。ひたすら、カンブルランの楽想に演奏者が寄りかかり演奏している感じがしたのだ。
 特に前半の「ラメールロア」は、高度の緊張感を持続させ微妙な変化。冬の厚い雲の中で陽射しがもれてくるような微妙な変化の面白さを聞かせなくてはいけないのだが、そこに音の面白さは見いだせなかった。僕には退屈な演奏になってしまった。後半の「ダフニスとクロエ」も90年代にN響がピーエルブレーズと、またシャルルデュトワと聞かせた様な面白さはない。カンブルランは懸命に指揮をするのだが、ラベルの面白さをオーケストラから引き出すことはできなかったと言えるのではないか。やっと終曲のフルートソロの部分からラベルになってきたという感じ。そこからは、オケ全体が有機的に変化しラベルだった。ラベルは難しいのである。合唱は非常に素晴らしかった。期待した演奏会だっただけに残念な結果だった。


2012年10月18日@サントリーホール
演出 ユルゲンフローゼ
指揮 ペーターシュナイダー←(フランツウェルザーメスト)

ヘロデ:ルドルフ・シャシンク
Herodes Rudolf Schasching
ヘロディアス:イリス・フェルミリオン
Herodias Iris Vermillion
サロメ:グン=ブリット・バークミン
Salome Gun-Brit Barkmin
ヨカナーン:マルクス・マルカルト
Jochanaan Markus Marquardt
ナラボート:ヘルベルト・リッペルト
ENarraboth Herbert Lippert


最高のウィーンサウンドは至宝ペーターシュナイダーの手腕
 ウィーン国立歌劇場第8回来日公演「サロメ」。このオペラハウスが1980年に初めて日本にやってきた時にも上演した「サロメ」。プロダクションが素晴らしい。まだ世界史が始まったばかりの中東での物語、作曲された世紀末のウィーン、その雰囲気を併せ持った絶妙の美術は、下敷きにクリムトの世界が反映されている。1幕ものの舞台だけに特に何が起きたりするわけでないが、絶妙の照明でポイントとなるところがハイライトされる。
 世界中で1000回近くオペラの実演をきき、ウィーン国立歌劇場もウィーンや東京での来日公演で30回以上聞いてきたが、幾らウィーン国立歌劇場といっても、今日のような豊麗なサウンドが聞ける体験はほとんどない。1980年代の第2回来日公演の時に「バラの騎士」を振った時に初めて聞いたペーターシュナイダーの功績大。彼はそれこそ歌劇場叩き上げの指揮者で、独自の解釈や個性で楽曲と演奏に痕跡を残していくタイプではない。あくまでも音楽への奉仕者である。だからこそ、日本人が求める伝統に基づくいい意味での中庸な演奏を聴くことができる。作曲者の意図と彼らがスコアを書く時に彼らの意識の中で鳴っていたサウンドを聴くことができる。こういういい指揮者が少なくなった。僕は思う。イタリアオペラの指揮ならネロサンティ、ドイツものでは今日のペーターシュナイダーが最高峰で、二人とも交響曲をやらしても、同じように素晴らしい演奏をするのだが、いわゆるスター性がないためか、CD業界からも、マスメディアからも、楽壇の第一線からも大きくは取り上げられない。
 しかし、真の意味でのカペルマイスター、人間国宝的な職人技の持ち主なのである。何で日本人はこういう人たちをもっと高く評価しないのだろう。昔の日本人はもっともっと高く評価していたのに。例えば、カールベームを評価したように、そして、世界中のどの国よりも早くウォルフガングサバリッシュを評価したように、である。ペーターシュナイダーが指揮した、新国立劇場での「バラの騎士」は素晴らしかった。今年春の「ローエングリン」も良かった。さらに、東京フィルの定期公演でのベートベーンの隠れた名曲、交響曲第4番も聞いた。その品のよさ。
 今回の来日公演「サロメ」は当初からペーターシュナイダーでキャスティングして欲しかった。代役なんて失礼だよと強く思った。
 来年のミラノスカラ座の来日公演。こちらも若くて個性のある二人の指揮者が振るのだが、どうして、ネロサンティでの来日を一度も考えないのだろう?僕はミラノスカラ座を現地できいたのは一度だけだが、その時の指揮はネロサンティだった。「蝶々夫人」。やっぱり鳴るんだよね。この指揮者、80〜90年代にニューヨークで山ほどきいたメトロポリタンオペラでもネロサンティが大活躍。イタリアオペラを満喫した。ローマ歌劇場来日公演でもネロサンティよかったな。
 今回の「サロメ」の成功はペーターシュナイダーのおかげ。
 日本のオケはペーターシュナイダーをもっと招聘すべきだ。彼からドイツ=オーストリア系の音楽の醍醐味を仕込んでもらうべきだ。世界がこの巨匠の存在、貴重さに気づく前に。
 指揮者が良ければ歌手も唄いやすい。ナラボート役のリッパート以外は初めて聞く名前の歌手ぞろいだったが、期待以上の歌唱であった。サロメもヨカナーンも強靭な声で楽しませてくれた。
 そして、最後にもうひとこと。平日のマチネということで心配したが、久しぶりの満席の東京文化会館で観劇し、ああ、日本人はまだ文化にお金を使う余裕があるのだと思って本当に嬉しかった。ただ、59000円は高いなあ。
2012年10月16日@東京文化会館

あまりにも感動したことと、割と安めのチケットが手に入ったのでもう一度、観に行ってしまった。16日の1階センターやや後方という最高にいい席と反対で、お安い席=今日は天井桟敷。オケの音が上に向かって上がってきてドかーんと響き、舞台奥で唄う歌手の声は極端に聞こえない。同じ公演を短い間にこうやって聞くと座席による音の違いが鮮明すぎるほど分かると思った。
 ところで、今日はヘロデ王が急遽変更、ミヒャエル・ロイダーとなった。この人は低音が不得意らしくほとんど出ない。さらに役作りが映画「ジーザスクライストスーパースター」のヘロデ王みたいに、何か繊細芸術家系というかちょいオカマ系の役作りであまりいいものでなかった。手を叩いて下男を呼んだりするのだが、その音もうるさい。つまり、芝居も歌唱も良くなかった。
1012年10月19日@東京文化会館
~オール・チャイコフスキー~
「エフゲニ・オネーギン」より3つのシンフォニック・パラフレーズ(フェドセーエフ編曲)
弦楽のためのセレナード
交響曲第6番「悲愴」
アンコール 「眠りの森の美女」より「パノラマ」&「白鳥の湖」より「スペインの踊り」

ああ、これぞロシアンサウンドの最高峰。

 実はフェドセーエフがソビエト時代の1973年からシェフをしているこのオーケストラでフェドセーエフを聞くのは初めてである。実はフェドセーエフ自体もほとんど聞いて来なかった。ロシアの名指揮者は山ほどいるが、現存する人では、テミルカーノフとゲルギレフの2トップだよ、オケの本陣はモスクワでなくサンクトペトルスブルグと思っていたからだ。
それは、間違いであった。
 トップは、フェドセーエフ/チャイコフスキーシンフォニーオーケストラ(旧モスクワ放送響)である。首都モスクワに本陣がいた!
 ここが最高である!
 ロシアのオケの魅力は何といってもオケが良く鳴る情熱溢れる爆音系。ピアニシモからフォルテまで抜群のハーモニーを聞かせる高度な合奏力。メリハリと繊細さが混ざり合う「目くるめく」音の絨毯。万華鏡。これがロシアサウンドの魅力である。もはやゲルギレフ/マリンスキー劇場管は灰汁の強さで攻めまくる、テミルカーノフ/サンクトペトルスブルグは垢抜けすぎてクールなサウンドで、情熱はもはやベルリンの壁でなくなった。いや、未だに残るムラビンスキーの呪縛からの反作用なのかもしれぬ。
 いづれにせよ、あの伝統的なロシアンサウンドをロシアのオケから聞けたのでホントに幸せであった。ピアニシモがきれいなんだよ、最強音でも音が雑にならないんだよ、振り幅は大きいけれど、無理に右から左、上から下になんかいかない。さすが80歳の巨匠。聞いて良かった。会場はこの秋の来日ラッシュのおかげで5割りくらいしかお客は入っていないが、1曲目からブラボーの嵐で出かけてホントに良かった。自分はホントにコンサートの選択、間違わないなあと思った次第。
 あと2つのコンサートに行けなくなったのが悔しいが、フェドセーエフの来年5月のN響への客演を楽しみにしよう。 2012年10月15日@サントリーホール
ブリテン作曲 「ピーター・グライムス」 

指揮 リチャード・アームストロング
演出 ウィリー・デッカー
東京フィルハーモニー交響楽団 新国立劇場合唱団
ピーター・グライムズ(漁夫) スチュアート・スケルトン
エレン・オーフォード(寡婦、村の女教師) スーザン・グリットン
バルストロード船長(退役船長) ジョナサン・サマーズ
アーンティ(ボーア亭の女将) キャサリン・ウィン=ロジャース


圧倒的成功で開幕した2012/13シーズンの新国オペラ

 仕事のために元々の日程のチケットを泣くことになり千秋楽に出かけた。ブリテンのこのオペラは、90年代にロイヤルオペラ、そして、10年ほど前にシカゴリリックオペラで見たのだが、全く面白くなく音楽にも魅力を感じずブリテン苦手でいた。しかし、日本でこのオペラが見られる機会は少ないので出かけたというだけ。しかし、今日はすごい。マゼール/キュッヘル/N響、ウィーン国立歌劇場「サロメ」が同時刻で演奏されている。音楽都市東京のすごさである。そんな競合相手もいるものの、今日の新国立劇場オペラはほぼ満席に近い状態だった。こんなにこのハウスに客が入っているのを見たことがないくらいだ。
 モネのこのプロダクションは、ほぼ素舞台で簡単な間仕切りを使って場面を表現。急勾配の八百屋舞台で上演して行くのだが、ドラマが集約されるようにうまく演出されていて素晴らしい。そして、今日何よりも素晴らしいと感じたのは、そのプロダクション以上に演奏の充実である。外国から招いた4人の歌手はジョナサンサマーズは大歌手であった時代とは声量などは落ちるが見事な存在感。あとの3人は声も演技も素晴らしい。そして、日本人歌手もみな好演。二人の姪の役は難しいと思うが旨いねえ。いつもは詩は良いけど演技は3流と思う合唱も、今日はヘンテコな説明的動きも少なく見事な演技。歌唱ももちろん素晴らしい。この歌劇は極めて現代的なテーマを含む、この1830年代のイギリスの貧乏漁村の内面的な、しかし、社会的な歌劇で、個人と社会(コミュニティ)との対比が重要なテーマであるだけに、合唱団は極めて重要なのだ。その水準が高く驚いた。音の粒が立っているのだ。
 そして、東京フィルの素晴らしいこと。予習もしないで出かけたのだが、実質2時間30分のオペラのスコアの魅力を際立たせる演奏だった。それは、リヒャルトシュトラウスの管弦楽が持つ魅力にも通じるものであることが水がしみ込んで行くように分かった。
 本当に本当に素晴らしい演奏だった。今日からブリテンはとても気になる作曲家となり、ブリテンの歌劇の上演はこれから最も気にしていくものになっただろう。ヴェルディやワーグナーでなく、ベンジャミンブリテンで開幕した新国立劇場オペラハウスは極めて良い仕事をした。


(その他のキャスト)
姪1(ボーア亭の看板娘) 鵜木絵里
姪2(ボーア亭の看板娘) 平井香織
ボブ・ボウルズ(漁夫、メソジスト教徒) 糸賀修平
スワロー(判事) 久保和範
セドリー夫人(東インド会社代理人、未亡人) 加納悦子
ホレース・アダムス(牧師) 望月哲也
ネッド・キーン(薬剤師でやぶ医者) 吉川健一
ホブソン(保安官、運送屋) 大澤建
2012年10月14日(日)14時 新国立劇場オペラパレス
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プロフィール
HN:
佐藤治彦 Haruhiko SATO
性別:
男性
職業:
演劇ユニット経済とH 主宰
趣味:
海外旅行
自己紹介:
演劇、音楽、ダンス、バレエ、オペラ、ミュージカル、パフォーマンス、美術。全てのパフォーミングアーツとアートを心から愛する佐藤治彦のぎりぎりコメントをお届けします。Haruhiko SATO 日本ペンクラブ会員
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